goo blog サービス終了のお知らせ 

【ML251 (Marketing Lab 251)】文化マーケティング・トレンド分析

トレンド分析ML251の文化マーケティング関連Blogです。ML251の主業務はトレンド分析をコアにしたデスクリサーチ。

『日本をダメにしたB層の研究』 適菜収著 2012年 講談社

2013年08月27日 | 書評
1年以上前から気になっていたが、読む機会を逸していたら、
先日、同著者の『C層の研究』が発売されていたことを知った。
ということで本書を一読してみた。

「B層」とはいい加減な造語ではないようだ、一応。
2005年9月の郵政選挙の際、自民党が広告会社スリードに作成させた企画書「郵政民営化・合意形成コミュニケーション戦略(案)」による概念とのこと(同書47ページより)。

国民を「構造改革に肯定的か否か」を横軸、「IQ軸(EQ、ITQを含む独自の概念とされる)」を縦軸としたマトリクスで、「構造改革に肯定的でかつIQが低い層」「具体的なことはよくわからないが、小泉総理のキャラクターを支持する層」がB層とのことだ。

著者の主張を自分なりにまとめるとこういうことだ。

玄人=プロの世界が、素人に浸食されて久しく、大衆社会の負の側面が肥大化しているのが現代だ。
特に政治の世界でのその弊害は目も当てられない。
本書では特に、過去の民主党政権のトップ(僕も感じていて唖然としていたこと)や、橋下徹を鋭い批判の刃で切り刻んでいる。
「そういえば、プロの政治家っていなくなっちゃったよな」とは僕も感じていたことだ。
それを「時代の趨勢」と考え、思考停止状態になってしまったのも自分だ。

1980年前半、吉本隆明が「素人の時代」的なことを言いだしたが、

その「素人の時代」が今世紀に入り、弊害が大きくなり、国を滅ぼしてもおかしくない状況にわが国を追い込んでしまったということだろう。
しかも事態は深刻だ。
詳しくは本書を読んでいただきたい。

大筋において著者の主張には納得させられた。
という僕自身は、「大衆」の一人であり、こういうブログで書きたいことを書き連ねている僕も著者が矛先を向ける「素人」である(影響力は皆無ですが・・・)。

(以下、黒字部分は引用)

今はネット環境が整っていますので、誰でも声をあげることができるようになっている。
要するに、バカが情報を発信するインフラが整ったのです。
こうして素人が玄人の仕事に口を出す時代がやってきました。
分をわきまえる。身の程を知る、恥を知る、一歩下がる・・・・・・。
わが国から、こうした美徳が失われて久しい。
その一方で、マスメディアから自己啓発書まで社会全体一丸となって、「あなたは主人公だ」「もっと自信を持て」「もっと大きな声をあげよ」「社会に参加せよ」と素人を煽り立て、その気にさせている。
今は誰もが参加したがる時代です。そして参加してはならない場所に参加してしまう。


(以上、29-30ページより)

ニーチェの専門家の著者の筆致はアイロニーに溢れている。
これを小気味よいと感じるか、不快と感じるかは大きく分かれるところだろう。
(それも著者のブランディングだろう・・・)
僕は著者の主張に共感しつつも、批判対象を「バカ」と呼ぶ表現には違和感を感じる。
おそらく膨大な知識を備えた教養人であるはずの著者が、
著者の批判する人たちと大同小異であるように感じるからだ。
まるで匿名掲示板の住人たちのように。
おそらく著者はこう言うだろう。
「バカだからバカと呼ぶしかないだろ?」

それでも、「B層」の論者としてのポジションを確立した(?)著者は、その毒舌を持ち味としていくしかないと思う。
それも著者自身というよりも、編集者・出版社の方針かもしれないが。

著者は東日本大震災の後の、「アーティスト」の「ボランティア」に対しても、歯に衣を着せぬ批判をしている。
僕が自分がずっと感じていた「アーティスト」たちへの違和感を的確に表現していると感じ入った。

(以下、黒字部分は引用)

震災後に売れない歌手が被災地に行って歌を唄ったりしました。
あれも「参加」です。
「偽善と思われてもいい」などと言っていましたが、
誰も偽善だなんて思っていません。
ただの迷惑です。
一体、どれだけ高慢になれば「自分の歌で心を癒してほしい」などと言えるのでしょうか。
要するに子供ばかりの社会になってしまった。


(以上、63-64ページより。太字部分は引用者)

言い方はキツイが著者の音楽、特にジャズへの造詣は深そうだ。
また、山下達郎の全アルバムをテキストマイニングし、「ポップス職人」としての山下を尊敬している。
「紋切り型」とはネガティブどころかポジティブな意味でのポップスの本質であることも押さえている。

とにかく、こんな時代だからこそ著者の論はこの国にとって貴重だ。
独裁は民主主義の中からしか出てこないこと。
われわれが信じて疑わなかった「進歩史観」の誤り。
先人たちの労作=古典への軽視。
オルテガの大衆論(僕は80年代に西部邁の書籍で知りました)等々。

毒舌の中ではあるが(=多くの人たちを納得させるにはデメリットではあるものの)、
多くの気づきがちりばめられている。
著者の他の労作も是非、読んでみたい。

***************************************
▼記事へのご意見、Cultural Marketing Lab INOUE. (CMLI) へのお問い合わせは下記メールにてお願いいたします。
sinoue0212@goo.jp
***************************************
▼『コンテンツを求める私たちの「欲望」』
電子書籍(無料)、閲覧数 14,400 突破しました!

私の思想=文化マーケティングの視座が凝縮されています。
http://p.booklog.jp/book/43959
***************************************
お読み頂き有難うございます。
(↓)クリックの程、宜しくお願い申し上げます。


音楽 ブログランキングへ

マーケティング・経営 ブログランキング

「世界が土曜の夜の夢なら」(斎藤環著、角川書店、2012年6月)

2013年07月20日 | 書評
坂本龍馬、白州次郎、・・・。
日本人に人気のある彼らの共通項とは?
形となった実績や偉業を成し遂げたわけではない。
結論からいうと、キャラクターが好まれることだ。
彼らの独特の生き方や人生観もそうだろう。
坂本龍馬の薩長同盟への貢献は実績かもしれないし、
国家のグランドデザインを描いていたのは歴史的事実かもしれないが、
コツコツと後世に残る制度を築いたわけではない。
(人が嫌がるようなこと・・・)

本書には書かれていないことで、僕がよく口にすることがある。
明治維新後、コツコツと国家を創り上げながら暗殺された大久保利通のほうが西郷隆盛よりはるかに国家への「貢献度」は高いのにもかかわらず、大久保は「人気」がなく、西郷のほうがいまだに日本人に好かれている事実がある(鹿児島だけの話ではない)。

つまり、我々はキャラクターが好きなのだ。
坂本龍馬や白洲次郎にしても、彼らの武器は人脈形成力や人物としてのカリスマ性だろう。

そういう日本人のマジョリティのキャラクター、カリスマ性をわが国文化の文脈で「ヤンキー文化」と定義づけたのが齊藤氏であると僕は考える。
齊藤氏が冒頭でことわっているように、本書は「不良文化」の本ではない。
ヤンキー=不良というわけではないのだ。
「不良」よりもっと広い概念での「ヤンキー」性。
結構まみれてると思いますよ、あなたにも僕にも。
ポジ・ネガの価値判断ではありません。

「ボクもヤンキー、あなたもヤンキー」

そこまではいいませんが。
また日本人論の「座右の書」が増えました。

速水健朗の快著「ラーメンと愛国」を併せて読めば、
さらに理解は深まると思います。
「ヤンキー」ですからね、「作務衣系」ラーメン屋さんは。


***************************************
▼記事へのご意見、Cultural Marketing Lab INOUE. (CMLI) へのお問い合わせは下記メールにてお願いいたします。
sinoue0212@goo.jp
***************************************
▼『コンテンツを求める私たちの「欲望」』
電子書籍(無料)、閲覧数 14,100 突破しました!

私の思想=文化マーケティングの視座が凝縮されています。
http://p.booklog.jp/book/43959
***************************************
お読み頂き有難うございます。
(↓)クリックの程、宜しくお願い申し上げます。


音楽 ブログランキングへ

マーケティング・経営 ブログランキング

「なぜ企業はマーケティング戦略を誤るのか」(野口智雄著、PHP、2013年)

2013年07月07日 | 書評
ビジネス「理論」の流布も流行だ。
21世紀に入ってからは、特にIT系ジャーナリストの言説に負うところが多いように思えるのは、時代の趨勢というやつだろう。
そんな10年を生きてきた僕だから、例えば「ロングテール」「フリー」の伝道師、クリス・アンダーソンが新著を上梓し、佐々木俊尚さんのような優れた論客がそれを紹介しても、「ふ~ん・・・」としか思わない。
実際には新しくも何ともない「理論」が、新しい意匠をまといながらマスコミから流布され、人々が飛びつく(僕も例外ではない)。
そんな(僕も含めた)皆さんに是非、お薦めなのがこの書籍だ。
(「お薦め」しても、面倒臭いamazonのアフィリエイトに登録していないので、僕には一銭も入ってきませんが・・・)。

1.ブルーオーシャン理論
2.市場歳文化の理論
3.市場のダイナミズムと競争戦略の理論
4.ラテラル・マーケティング理論
5.製品ライフサイクル理論
6.ロングテール理論
7.フリー価格理論
8.ティッピング・ポイント理論
9.ステルスマーケティング
10.不合理な経済行動の理論
11.単品大量陳列効果

これら11の理論が、以下の5項目で評価されている。

1.オリジナリティ
2.理論性
3.実証性
4.実務有効性(収益性)
5.発展可能性

11の理論のネガティブポイントについても、丁寧に解説されている点に好感を感じた。
「ステルスマーケティング」は当然、ネガティブな評価ながら(そう言えば、2000年代に「バイラルマーケティング」「バスマーケティング」が流行りましたよね・・・)、バッサリと全てを斬り捨てることをせず、その歴史が解説され、「マーケテット・プレイスメント」などの有用性は語られている。

著者の「メタ理論基準」による総合評価で最も高かったのは、「ブルーオーシャン戦略」と「不合理な経済行動の理論」。
「不合理な経済行動の理論」については、ここ数年の行動経済学のトレンドもあり、幾冊かの書籍は読んできたつもりだ。
演繹的でホモ・エコノミクスを前提とした経済学理論は長期的視点で、行動経済学やマーケティング理論は短期的視点でいいのではないかという著者の指摘には、優れたバランス感覚を感じた。
旧いものが旧いからといってダメだしをするような安易な姿勢のない著者はとても誠実だと思う。
「ブルーオーシャン戦略」について、一過性のトレンドのような匂いを感じたので深く勉強をしてこなかった僕だが、本書を読んで、自分の姿勢を反省した。

自分の興味と著者の専門性が幸運にも合致したのは、総合評価3位のラテラル・マーケティングだ。

「ロジカルシンキングは、人を黙らせることはできるが、人を動かすことはできない」

というのは僕の持論だが、勿論、ロジカルシンキングを軽く考えているわけではない。
その上で、ラテラル・マーケティングを理論的にも実践的にも、自らの武器として研いでいきたいなと。
水平思考について論じられた著作を読みたくて仕方がない。

なぜ企業はマーケティング戦略を誤るのか ビジネスを成功に導く11の理論
野口 智雄
PHP研究所


水平思考で市場をつくる マトリックス・マーケティング
野口 智雄
日本経済新聞出版社

***************************************
▼記事へのご意見、Cultural Marketing Lab INOUE. (CMLI) へのお問い合わせは下記メールにてお願いいたします。
sinoue0212@goo.jp
***************************************
▼『コンテンツを求める私たちの「欲望」』
電子書籍(無料)、閲覧数 13,900 突破しました!

私の思想=文化マーケティングの視座が凝縮されています。
http://p.booklog.jp/book/43959
***************************************
お読み頂き有難うございます。
(↓)クリックの程、宜しくお願い申し上げます。


音楽 ブログランキングへ

マーケティング・経営 ブログランキング

『ももクロの美学 <わけのわからなさ>の秘密』(安西信一著、廣済堂新書、2013年4月)

2013年06月21日 | 書評
前回の書評で紹介した高橋秀実と同じく、
僕と同年代、それも東京大学文学部・大学院人文社会系研究科準教授(美学芸術学専攻)、渾身の労作
多大な参考文献の中には、
加藤典洋の『君と世界の戦いでは、世界に支援せよ』(1988年刊)まで出てくるのだから、
恐れ入ったものだ。

サブタイトルは「<わけのわからなさ>の秘密」だが、
そりゃわけがわからんだろうな、と。
なにしろ、70年代からの時間軸に、
多彩なキーワードが重層的に交わっているのだ。

「新しいから古い、古いから新しい、“ブラックホール”のようなソーゴーゲイジュツ」

安西氏の労作を読んだ後、
ももクロを一言で説明するとしたら、僕はこう云うしかないかなと。
ますます、訳がわからんだろうなと。
このブログを読まれている皆様には(笑)。
ご興味がある方はご一読下さい。

今年の3月7日、「CDショップ大賞 SPECIAL LIVE」
に顔を出してきた。
終演後、ももクロファンの方々に揉まれながらZepp Tokyoを後にした。
ビルを出る前に夕食を食べようとうろうろしていたら、
各フロアで着替えているファンの方々を見た。
こういう人たちに支えられてるアーティストは心底幸せだと思った。
彼ら彼女は「モノノフ」呼ばれていることを本書を読んで初めて知った。
納得。

ももクロの美学~〈わけのわからなさ〉の秘密~ (廣済堂新書)
安西 信一
廣済堂出版

***************************************
▼記事へのご意見、Cultural Marketing Lab INOUE. (CMLI) へのお問い合わせは下記メールにてお願いいたします。
sinoue0212@goo.jp
***************************************
▼『コンテンツを求める私たちの「欲望」』
電子書籍(無料)、閲覧数 13,700 突破しました!

私の思想=文化マーケティングの視座が凝縮されています。
http://p.booklog.jp/book/43959
***************************************
お読み頂き有難うございます。
(↓)クリックの程、宜しくお願い申し上げます。


音楽 ブログランキングへ

マーケティング・経営 ブログランキング

『男は邪魔! 「性差」をめぐる探求』 (高橋秀実著、光文社新書、2013年4月刊)

2013年06月18日 | 書評
「自然」としての人間と、「非自然」としての人間。
種族保存の本能というプログラムに則って存在する「自然」として存在すること、
「本能の壊れた」(岸田秀)生物として、社会を形成し制度を設け集団として存在すること。
この2つの矛盾した狭間を生きる難しさ。

このテーマについては、拙著の70ページ(PDF版)で、
漱石の『道草』と黒川伊保子さんの労作を引用しながら僕も触れたことがある。

相互理解が不可能な男女だからこそ、
種の保存にとっては都合がいいという話。

また、このブログでも橋本治金言集で核心をついた橋本の論を紹介したこともある。

「男は、自分自身の性欲とセックスする」
「女は、“自分の家庭”と結婚する」

僕と同年代の愛すべき高橋秀実も本書で、
黒川伊保子さんへのインタビューを掲載している。

それにしても、種牛のルポには驚いた。
僕も大好きな牛肉は、このようなシステムで供給されているのかと。

本書を読み、「男の哀しさ」を語るのは野暮だろう。
amazonのレビューを見ると、本書に生理的嫌悪感を抱く男性もいるものの、
とにかく、男も女も一度は読んでみても無駄ではないと考える。
***************************************
▼記事へのご意見、Cultural Marketing Lab INOUE. (CMLI) へのお問い合わせは下記メールにてお願いいたします。
sinoue0212@goo.jp
***************************************
▼『コンテンツを求める私たちの「欲望」』
電子書籍(無料)、閲覧数 13,700 突破しました!

私の思想=文化マーケティングの視座が凝縮されています。
http://p.booklog.jp/book/43959
***************************************
お読み頂き有難うございます。
(↓)クリックの程、宜しくお願い申し上げます。


音楽 ブログランキングへ

マーケティング・経営 ブログランキング

ニッポン・ポップス・クロニクル 1969-1989 (SPACE SHOWER BOOks)

2013年05月06日 | 書評
1969年から89年まで。
良質なポップカルチャーが誕生する「ケミストリー」を、
音楽プロデューサーのレジェンド(ご本人はそういわれることが不本意でしょうけど・・・)
、牧村さんがご記憶を書き連ねた本書は、
なくてはならぬ書籍であるのは言うまでもないが、
今、この時期にこそ世に出た意味をかみしめてみる。
実は、色々と考えることもあり、
いまその「意味」をここで簡潔に述べることはまだできない。

2011年に「未来型音楽レーベル」(牧村憲一・津田大介両講師)の講座を受講した自分なので、
牧村さんの思想は、ほんの僅かながらだが理解はしているつもりだ。
ここ数年の津田大介さんとのコラボでわかるに、
牧村さんのスタンスは明確であるのにもかかわらず。

ひとつ言えることは、
本書は単なる過去の「記録」でもなければ、
著者の「回顧録」でもないということだろう。
それは帯の津田さんの「ご紹介」を読めばわかる。
が、津田さんの意の通り、若きアーティスト、ミュージシャンたちが、
本書を糧にしていくことは難しいかもしれない。
にもかかわらず、本書はアーティスト、ミュージシャンには必携の書だ。

経済・社会状況、産業構造、時代観が変わろうとも、
お金があってもなくても、
良質なポップミュージックを追及するポリシーと姿勢は変わることがないからだ。
釈迦に説法かもしれないが、後世に残るような作品、
いや、後世にの残る残らないに関わりなく、
「ケミストリー」であるからには、
アーティストだろうプロデューサーだろうがスタッフだろうが、
「たった一人」で作ることなどあり得ないという、極めて当たり前の事実だ。
---------------------------------------
一人の音楽ファンとしても本書は貴重だった(笑)。
はっぴいえんどのレコーディングマジック。
鈴木茂作曲の「8部音符の詩」をセンチメンタル・シティ・ロマンスの演奏で竹内まりやが歌った「ロフト・セッションズ」の7曲目の存在。
ギターを弾始めた自分が最初に覚えたAm7とD9のコードワークは「BANDWAGON」1曲目の「砂の女」だったけど、やっぱ名作なんだなと。
自分がファンである内田樹氏がドラムを叩いていたこと。
80年代、自分がファンだった猪瀬直樹(現東京都知事)の『ミカドの象徴』。同書で初めて知った「ミカド」というアーティストを思い出したり。

正直、本書は牧村さんの記憶から紡ぎだされる多彩な方々のお名前を系統図にでも記しながら読まないと理解しづらい。
それを短い章でまとめたのは編集者の力量か。

最後の相倉久人氏との対談は珠玉もの。
牧村さんのトークに引き出される形で、
今に至る音楽の諸相と本質をラジカル(本質的)に突いていらっしゃる。

***************************************
▼記事へのご意見、Cultural Marketing Lab INOUE. (CMLI) へのお問い合わせは下記メールにてお願いいたします。
sinoue0212@goo.jp
***************************************
▼『コンテンツを求める私たちの「欲望」』
電子書籍(無料)、閲覧数 13,000 突破しました!

私の思想=文化マーケティングの視座が凝縮されています。
http://p.booklog.jp/book/43959
***************************************
お読み頂き有難うございます。
(↓)クリックの程、宜しくお願い申し上げます。


音楽 ブログランキングへ

マーケティング・経営 ブログランキング

『TWEET and SHOUT ニュー・インディペンデントの時代が始まる』 (津田大介著)

2013年03月20日 | 書評
*正式な書名は『TWEET&SHOUT』ですが、タイトルが文字化けするんで、『TWEET and SHOUT』と表記しました。

本書で使われている「インディペンデント」という言葉は、従来から使われてきた「インディーズ」とはニュアンスが異なることは重要だと思う。

「インディーズ」とは、(マスを対象とする)「メジャー」なシステムでは表現できない表現の場であった。
語本来の意味での「インディーズ」が「メジャーの予備軍」と位置づけられるようになったことは、いい悪いという問題、気に食う気に食わないという問題とは関係なく、必然であったことは否めない。

70年代もそうであったろうし、自分が体験した80年代もそうだった。
「メジャーがインディーズを取り込む」という図式には、「上から作用=取り込み」だけではなく、「下からの作用=プロモーション」があったのも事実。
80年代の「インディーズブーム」がマスコミに取り上げられる前、インディーズから“逆スキャンダリズム”という戦略でメジャーに自らの存在感を示したのが、THE STALINの遠藤みちろうさんだった。
そして僕らも「いい兆候」だと思っていた。
(だから、自分よりも上の世代で、語本来の意味での“インディーズ”スピリットを持っていた方々のみちろうさんへの評価は、概ねネガティブだった。自分の経験則だけど・・・)

それから30年。そういった構造とシステムの金属疲労が進行して久しい。
文化も経済社会の構造変化から逃れることはできないどころか、ダイレクトに影響を受ける。

本書では音楽(産業)がメインテーマだけど、インディペンデントな精神が求められるのは時代の潮流だと考える。
1年前に書いた記事で、コンサルタントの神田昌典氏の著書に触れた。
「あと数年で会社はなくなる」というのは著者の意図とはあまり関係ない、出版社のエキセントリックな宣伝文句(似非マーケティング)であるし、会社組織がなくなることはないばかりかマジョリティの地位は揺るがないであろう。
(組織あってのフリーランスということをお忘れなく、自分!)
右肩上がりの成長期に比べて相対的な存在感が薄れただけのことだ。
が、フリーランスであれ組織に所属する会社員であれ、インディペンデントなスピリッツが大切なキーになっていく潮流にあることは身を持って感じている。

『Tweet&Shout ニュー・インディペンデントの時代が始まる』の最大のキーワード。
それは「300人を確保せよ!」。
今まで感じたことのなかったようなリアルな説得性を感じる。
僕らにとって切実なことは「音楽産業」「音楽業界」ではなく、「音楽」そして「文化」だ。
アーティスト、ミュージシャンも「ギョーカイありき」の前提ではなく、「なぜ、自分が表現活動をしているのか?」を問い原点回帰することが大切だろう。
「生き残るため」なにをすべきかを考える前に、そもそも「なぜ生きる?」「そもそも表現する必要あんの?」を問うこと。

最後に備忘録(自分だけにしかわからないメモなので悪しからず・・・)。

・自らのアイデンティティを重層的な“横”の構造ではなく、多層的な“縦”の構造で考えていく津田さんの思考の健全さ

・これからの時代のマスメディアのアドバンテージ⇒ネットの話題の裏取り
 また、マスメディアをなめてはいかんなと。NHKさんとかよくやってると思うよ。

・紙媒体(ストック情報)とネット(フロー情報)の有機的結合

・「スペンドシフト」⇒3/11という大きなきっかけがなかったとしても成熟社会の大きなトレンドであると思うね。3/11はそれを加速したわけだと思う。

・「キュリオシティ」って懐かしい言葉。97年頃、キャンシステムの人に教えてもらったときは「はぁ、そうでうか・・・」つー感じでピンとこなかったなと(笑)。

Tweet&Shout
津田大介
スペースシャワーネットワーク


2022―これから10年、活躍できる人の条件 (PHPビジネス新書)
神田 昌典
PHP研究所

***************************************
▼記事へのご意見、Cultural Marketing Lab INOUE. (CMLI) へのお問い合わせは下記メールにてお願いいたします。
sinoue0212@goo.jp
***************************************
▼『コンテンツを求める私たちの「欲望」』
電子書籍(無料)、閲覧数 12,500 突破しました!

私の思想=文化マーケティングの視座が凝縮されています。
http://p.booklog.jp/book/43959
***************************************
お読み頂き有難うございます。
(↓)クリックの程、宜しくお願い申し上げます。


音楽 ブログランキングへ

マーケティング・経営 ブログランキング

『経済学の犯罪 稀少性の経済から過剰性の経済へ』(佐伯啓思、講談社現代新書)

2012年10月05日 | 書評
佐伯氏の著作を読んだのは初めてだ。
本文中に用語としてはでてこないものの、著者は「経済人類学」の立場にも立たれているなと。

「経済学」のタイトルがついた書籍なのに、レヴィ=ストロースの交換(贈与-返礼)論をかみくだいて解説されたり。
貨幣の「ゼロ・シンボル」論は、読んでいて実に気持ちがいい。
僕にとって、これぞ「読書の快感」といったところ。
以下、引用してみる(黒字部分)。

まことに貨幣は象徴(シンボル)なのであって、
しかもその象徴は、モノと違って、具体的な有用性という内実を持たない。
それは「意味されるもの」を持たないゼロ・シンボルであるゆえに、
社会的地位や威信といった曖昧な観念を表彰しうるのである。
貨幣は交換の必要性のなかから生みだされたものではない。
それは人間の象徴作用の「過剰性」の産物であった。
生存の必要からではなく、人間の象徴作用がそれを生みだしたのであり。
「過剰なもの」こそが逆に、生活のための交換を必要とするのだ。
(266ページより)


自然の贈与に対する返礼としてのポトラッチの原理を内包している近代社会においては、
それは経済成長としての形をとる。
富は破壊されずに投資され、将来の富へと先延ばしにされる。
富の破壊という壮大な浪費が否定されたとき、
経済成長が始まったというわけ。
前者は、過剰な富の非生産的な蕩尽。
後者は、富を蓄積し生産設備の増大を目指すこと。

その前にも、本書の前半で著者が述べているように、
経済学とは自然科学のような客観性のある「科学」などではなく、
どんなに「科学」の衣を着せようとも「イデオロギー」である、
ということは重要なポイントだ。

(忙しいので中略・・・)

で、著者によると、1990年代以降の技術革新は、
IT革命にせよ金融革命にせよ、経済的には労働集約的であり、
大規模な雇用や広範な経済効果をもたらすことはなかった。
そうだよね。。。
つまり、イノベーションがなかったため生産性が伸びなかったわけでなく、
イノベーションはあったが、需要が伸びなかったことが問題なわけだ。

実際に生じていることは、潜在的な供給能力の過剰。。。
金融市場では「過剰な資本」が流通し、
実物市場では「過剰な生産」が生み出される。
前者のバブルが、後者のデフレと共存するという奇妙な事態。

日本のような成熟経済において、「過剰性」としての貨幣は、
モノへと向かうのではなく、将来への安全資産として向かうのは至極、納得できることだろう。

著者は言う。

「過剰性の経済」においては、「経済」についての考え方を改める必要がある。
「効率性」や「競争」や「成長」などはもはや事態を救済する価値とはならない。
(296ページ)


さらに引用しよう。

そして今日、本当に必要なのは、自動車の車種を増やすことではなく、
自動車を便利に快適に利用できる交通システムや都市環境の整備であり、
病院を増設することだけではなく、日常的な健康管理から緊急事態までをスムーズに管理できる医療システムの整備なのだ。
(305ページ)


もちろん、著者はTPPには否定的だ。
発展段階と文化や社会構造が異なった多様な国々が、
まったく同一のグローバル市場という画一化された世界に投げ込まれて競争にさらされる状態を、
「新帝国主義」と呼んで危惧している。
ちなみに佐藤優も『人間の叡智』のなかで、
「新・帝国主義」という言葉を使っている。

国内の生産基盤を安定させ、
雇用を確保し、内需を拡大し、
資源エネルギー・食料の自給率を引き上げ、
国際的な投機的金融に翻弄されない金融構造を作ることを強調する。

重要なことは、将来の社会像を構想する力にある。
それは、少子高齢化へ向けた社会であり、
社会生活の安全性と安定性の確保であり、
文化や教育や地域という「人づくりのインフラストラクチャー」へ配慮した社会であろう。
(317ページより)


「ミュージックソムリエ」のミッションにも通じるだろう。

いまわれわれが置かれているのは、
真にわれわれの文化や生活に根ざし、
歴史に掉さした「日本の価値」をもう一度取り戻すことであろう。
さもなければ「善い社会」など構想のしようもないだろう。
(318ページ)


かねがね思ってきたことだが、
少子高齢化をはじめ、日本はまだどの先進国も経験したことのない、
“先進国”、つまりモデル国になるチャンスがある。
不謹慎のそしりを免れないかもしれないが、
2011年3月11日の不幸な天災と人災も、
ある意味、チャンスかもしれないのだ。
「防災大国」として世界に範を示すということで。

経済学の犯罪 稀少性の経済から過剰性の経済へ (講談社現代新書)
佐伯啓思
講談社


人間の叡智 (文春新書 869)
佐藤 優
文藝春秋

***************************************
▼記事へのご意見、Cultural Marketing Lab INOUE. (CMLI) へのお問い合わせは下記メールにてお願いいたします。
sinoue0212@goo.jp
***************************************
▼『コンテンツを求める私たちの「欲望」』
電子書籍(無料)、閲覧数 9,500 突破しました!

私の思想=文化マーケティングの視座が凝縮されています。
http://p.booklog.jp/book/43959
***************************************
▼ミュージックソムリエ・ベーシック養成講座 第1期 9月29日(土)スタート!!!
***************************************
お読み頂き有難うございます。
(↓)クリックの程、宜しくお願い申し上げます。


音楽 ブログランキングへ

マーケティング・経営 ブログランキングへ

改定版 「マーケティング」の基本&実践力がイチから身につく本(安原智樹著、すばる舎)

2012年10月01日 | 書評
ワークショップでお世話になっている安原智樹さんの最新著作。
今まで知人の著作の書評を沢山書いてきたが、
「ステマ」、つまり“提灯記事”を書いたことはない。
で、知人の著作を知人でないフリをする気持ちの悪さもあって、
最初に著者と知人であることを明記しておく。

タイトルを見られればわかると思うが、
本書はマーケティングの初心者向け、
というか、マーケティングを生業としていなかった皆さんにも、
マーケティングとは何? ということをコンパクトに過不足なくまとめた入門書である。
(上級者向けは『この1冊ですべてわかる マーケティングの基本』も超オススメ)

今現在、国内の企業では、たとえばマーケティング・リサーチを実施するにも、
最低でも数百万円の費用がかかるのは常識。
おおよそ、年間数千万円以上の費用がかかる。
つまり、誰もがその名を知っている上場企業でなければ、
(未上場でも規模の大きい企業・・・)
満足なマーケティング・リサーチは行えないのが現状だ。
が、国内市場が成熟化する中、
今後、(国内企業の9割以上を占める)中小企業にとってマーケティング発想は必要になっていくだろう。

本書が求められる背景はそういうところにあるのかもしれない。
著者には大手メーカーでマーケティングを担当された経験があるが、
そのことも本書の強みの一つとなっている。

さらに。
ベテランのマーケターがたまには復習として読むんでみるのもいいだろう。
多くのビジネス書のフォーマットに習い、
本書も、見開きの左ページが文章、右ページがヴィジュアルになっている。
この右ページのフレームワーク、これが著書のストロング・ポイントなんですね。
左ページの文章を「解説」として、右ページのフレームを自らに叩き込む。
それだけでも、得られるものが大きいんじゃないかと思いますよ。

改訂版 マーケティングの基本&実践力がイチから身につく本
安原智樹
すばる舎


この1冊ですべてわかる マーケティングの基本
安原 智樹
日本実業出版社

***************************************
▼記事へのご意見、Cultural Marketing Lab INOUE. (CMLI) へのお問い合わせは下記メールにてお願いいたします。
sinoue0212@goo.jp
***************************************
▼『コンテンツを求める私たちの「欲望」』
電子書籍(無料)、閲覧数 9,400 突破しました!

私の思想=文化マーケティングの視座が凝縮されています。
http://p.booklog.jp/book/43959
***************************************
▼ミュージックソムリエ・ベーシック養成講座 第1期 9月29日(土)スタート!!!
***************************************
お読み頂き有難うございます。
(↓)クリックの程、宜しくお願い申し上げます。


音楽 ブログランキングへ

マーケティング・経営 ブログランキングへ

「続・悩む力」 姜尚中 集英社新書2012年

2012年07月31日 | 書評
姜尚中 「悩む力」が出たのが2008年だから、本書はほぼ4年ぶりに出た続編

姜尚中の「悩む力」といえば、マックス・ウエーバーと夏目漱石だが、続編も同じで安心した。
ちょうど1年前、「コンテンツを求める私たちの『欲望』」の執筆を始めた私の脳裏には、姜尚中の「悩む力」はなかったと思う。
が、「近代日本人のアーキタイプ」を漱石の小説の登場人物たちに求めた私にも、姜尚中の人間観と共通するものがあったことは事実だ。

この4年の間には、国内では2011年3月11日があったわけで、その意味でも続編の価値は高いのではないかと考える。

「終章」で著者は、V・E・フランクルが提示した「人間の価値のあり方」の3分類を紹介している。

【人間の真価その1】 「創造」
芸術的創造に限らず、科学における発明や、企業活動における技術の開発、商品やサービスの創造、何らかの業績をあげること。
私の私見を入れると、目新しいものを「創造」せずとも、人のためになる仕事に誠実に取り組むことも価値である。

【人間の真価その2】 「経験」
「創造」はできなくても「経験」だけでも人生に重みが加わる。

【人間の真価その3】 「態度」
3つの価値のうち、妻と二人の子供をナチスに殺されたフランクルが最も重視したのが「態度」。
「創造」や「経験」は平常時、しかも心身ともに健康なときでなければ実現されることはない。
しかし、「態度」は、健やかなるときも病めるときも、想いさえあれば発揮することができる。
よくキリスト教系の結婚式で神父さんが云う、「健やかなるときも病めるときも」っていうのは実は大変重い意味があるわけだ。
結婚する当人たちには、右の耳から左の耳へ、で、割と簡単に離婚しちゃったりするんだけど。

「態度による価値とは、この社会で日常的に聞際にされている、成功か失敗か、効率化非効率か、有効か無効かといったものの彼岸にあり、また、資本主義社会の生産や交換価値とは対極の位置を占めているもの」(同書198ページ)であり、限りなく人間の本質を表しているのではないか? と著者は云う。

われわれは、人生を考えるとき、自分のわずかな知識と経験から「意味があるのか?」と問うて、「意味がない」と判断すれば絶望し、ときには自ら人生の幕を閉じる。

しかし、フランクルの主張は逆で、人生とは、「人生のほうから投げかけてくるさまざまな問い」に対し、「私が一つ一つ答えていく」ことであるという(考え方の“コペルニクス的転換”)。
「責任」と訳される responsibility という英語が「応答」を意味する response から派生した言葉であることも、「答える」ことと「責任をとる」ことの関係性を示している、というわけだ。

つまり、自分が世界に対して要求することが「創造」、自分を超えた世界からの要求に、責任をもって答えることが「態度」であると著者はまとめている。

「私たちの人生は、ほかならぬその人生から発せられる問いに一つ一つ応答していくことであり、幸福というのは、それに答え終わったときの結果にすぎないのです。ですから、幸福は人生の目的ではないし、目的として求めることもできないのです。つまり、幸せをつかむために何かをやる、という考え自体が本来的に成り立たないのです。」(同書212ページ、太字は引用者)

「人生のほうから投げかけてくるさまざまな問い」に答えることに精一杯で、今、「読書どころではない」状態にある人でも、合間があったら一読しておいて損はない本だ。
***************************************
▼記事へのご意見、Cultural Marketing Lab INOUE. (CMLI) へのお問い合わせは下記メールにてお願いいたします。
sinoue0212@goo.jp
***************************************
▼『コンテンツを求める私たちの「欲望」』
電子書籍(無料)、閲覧数8,500突破しました!

私の思想=文化マーケティングの視座が凝縮されています。
http://p.booklog.jp/book/43959
***************************************
▼パートナー企業様
*詳細につきましては担当者とご説明に参ります。

【ソーシャルリスニング】につきましては、
GMOリサーチ株式会社 「GMOグローバル・ソーシャル・リサーチ」
http://www.gmo-research.jp/service/gsr.html#tabContents01

【激変するメディアライフ! 感性と消費の新常識】
アスキー総合研究所「MCS2012」
http://research.ascii.jp/consumer/contentsconsumer/
***************************************
お読み頂き有難うございます。
(↓)クリックの程、宜しくお願い申し上げます。


音楽 ブログランキングへ

マーケティング・経営 ブログランキングへ

作曲家・サウンドプロデューサー・ピアニストの大野恭史さんに拙著ご紹介していただきました

2012年02月22日 | 書評
今日の記事のカテゴリーは「書評」なんですが、
私が誰かの著作の書評を書いたのではなく、
先日(2/7)リリースした私の著作の書評のご紹介です。

作曲家・サウンドプロデューサー・ピアニストの大野恭史さんがブログ「Kyojiの音楽ひとりごと」で、
『コンテンツを求める私たちの「欲望」』を紹介して下さいました。
しかも、「ブクログ」のリンクまで。

5章にわたる拙著、とにかく書きたいことを詰め込んで、力づくで章を構成しました。
もし紙の書籍だったら編集者に半分はカットされ、リライトを要求されたのでは?
と思いますよ。
社会学、文学、音楽社会学とマーケティングデータを、
「水平思考」を駆使して力づくでまとめましたんで、
出版社でしたら、「もっとテーマを絞れ」とか言うでしょうから。
純粋なマーケティング書籍ではありませんからね。
かと言って社会学でも文芸批評でもない。
カテゴライズしずらい、ということは売りにくいということです。
それに、誰もが読めるというコンテンツでもありません。
「文化マーケティング」なんて概念、マイナーです。
よく出版業界の方の言うように、
タイトルだけでも、注目を惹くようエキセントリックに!
なんてことするつもりはなかったし、だいいちできません。
内容はベーシックで堅いですから。
たしかに、書店での平積みは1週間だけというのはわかります。
でも、タイトルに惹かれて衝動買いしてみたはいいが、
読んだら中身はスカスカ、、、なんてこともたまにありました。
そんな「クソマーケティング」、私、御免です。
だいいち、拙著で私が言いたかったことに反します。
出版点数と返品だけ増え続ける自転車操業。
出版業界不況の大きな要因じゃないでしょうか?
だから、拙著は無料の電子書籍にしたわけです。

そんな思いがあったもんでして、
「バランスの取れたコンテンツ論」という大野さんからのご評価、
私には嬉しすぎです(涙)。
以下、大野さんのブログから一部引用させていただきます(黒字部分)

正直これほど文化、人間の本質、ポップミュージックのありかた、そしてマーケテイングについてバランスの取れた見解でまとめられた論文を私は見たことがありません。と同時に音楽業界の今後のありかた、あるいはこの苦境から抜け出せる(かもしれない)ヒントのようなものもちりばめられています。
このブログは音楽業界のさまざまな問題について論じ、考察してきましたが音楽業界の現状を憂い、今後の方向性を考える上で非常に貴重な論文だと私は考えます。


大野さんはNHKのEテレ 「シャキーン!」という番組で、
「耳を澄まそう」というコーナーを企画されています。
22日(水曜日)朝7:00のオンエアです。
(もう今日ですね、早く寝ないと・・・)
音楽の「聴き方」を変えようというのが、大野さんの企画意図。
子供向け番組ということも、流石だな!!!と思います。
時間をかけて試みていく大野さんの戦略・戦術は要注目です。
業界構造を外側からではなく、
コンテンツの中身から変革していく、
というご発想、ご自身が創作家だからこそでしょう。

大野さん、ありがとうございます!
**************************************************************************
お読み頂き有難うございます。
(↓)クリックの程、宜しくお願い申し上げます。

ニュース情報の価格階層性

2011年08月14日 | 書評
ジャーナリストの烏賀陽弘道さんが、上杉隆氏と共著でこの書籍を出されました。



原発報道の問題は、“きっかけ”でしかありません。
わが国の報道の問題点を、大胆に摘出された書籍ですのでご購入お薦めします。
(烏賀陽弘道さんとも数年、お会いしてませんし、僕はお金は貰ってませんからね-笑)
時間がないので、概要のほうはamazonで拝見願います。

で、第5章で成程!と思った点を1か所だけ書きます (もちろん、他にも「成程!」の箇所はありますけどね)。
以前から、私の知人達がブログなどで指摘されてきた点なんですが、「情報はタダ」という日本人の固定概念はもういい加減捨てなきゃね、という話です。
上杉氏に「メルマガを無料にしろ」という抗議がくるそうなんですが、特に震災後に多いそうです。
そりゃ、逆でしょ? 新聞だってテレビだってお金がかかっている。
新聞もテレビも、原子力と一緒でコストは安く見えるけど、実は膨大なお金がかかっているわけです。

烏賀陽弘道さんも言います。タダのものには理由があって、みなそこを誤解していると。
民放がなぜ原発の危険性を警告しなかったと批判しても無駄。
そんなことはあり得ない。
スポンサーを批判できないのは当たり前で、民放にそんなことを期待するのがヘンだと。

そこで、烏賀陽弘道さんは、情報・報道について「悲観的シナリオ」を示します。

▼「タダで質の悪い情報」と「有料で質の高い情報」に二極分化する
▼ニュースに価格階層性が出てきて、完全に商品化される
 ⇒ 資本主義社会では当たり前のことで、日本もそういう段階に入ったのかも

上杉氏はこう言います。
「日本の新聞がフェアじゃないのは、都合のいい時だけジャーナリズムと言うこと。ちゃんと広報紙ですと名前を変えればいい」
烏賀陽弘道さんによると、アメリカでジャーナリストたちと話すと、自覚的な人達は 「報道と広告収入は両立しない」と公言しているそうです。

▼報道を続けるためには、ドネーション(寄付)でやるしかない。
 ⇒ ドネーション方式の究極は、実はNHK。NHKは 「究極の市民メディア」
   読者と発信者が直結されて金を直接やり取りしている

「そうですよね。だからNHKは既存メディアの中で最初に東電批判をできた」(上杉氏)

たしかに、「追跡! AtoZ」をはじめ、NHKには鋭い問題意識をコンセプトにした番組が多いですよね。
以下、同書からの引用です (292~293ページ)

烏賀陽 例えば上杉さんが読者にメルマガを買ってもらって、読者が、「これを書いて下さい」と言ったら取材に行く。発信者-読者直結がいいに決まっているんです。いくら東電が「原発の安全性を疑ってもらっちゃ困ります」と干渉しても、読者の100人が、「1万円出すから行ってくれ」と言われたら取材に行って原発について書く。読者に直接届ける。そうしたら成り立つよね。それがもともとの報道記者なんですよ。だからはっきり 「広告収入を得ている媒体からバイアスゼロの報道は出てこない」 と書いたらいいんじゃないかと思いますね。
上杉 それを書かないから罪が重いんですよね。


**************************************************************************

お読み頂き有難うございます。
(↓)クリックの程、宜しくお願い申し上げます。

芥川賞受賞2作 「きことわ」(朝吹真理子)、 「苦役列車」 (西村賢太) 【評論を楽しむ】

2011年02月16日 | 書評
『文藝春秋』を買って、標記2作品を読みました。
まだ一度ずつしか読んでませんが。

■ “美女” の受賞作の読後感

「きことわ」は、“文学界のサラブレッド”一家から輩出した26歳女性新人作家、朝吹真理子の作品。
数名の評者の方々がコメントされているように(後述)、プルーストを連想させてっくれます。
(僕は『失われた時を求めて』の第二巻 『花咲く乙女たちのかげに』を、学生時代、一般教養で読んだだけですが・・・)
視覚、嗅覚、味覚、聴覚、そして触覚。
ここまでリアルに五感を駆使した作品は珍しいんでしょうね。
「五感」という縦軸に、今度は「時間」という横軸がクロスしますので、読んでいると、トリップする感覚を自覚することなく、トリップすることが出来ます。
尤も、ビジネス書籍に慣れてしまうと、長いワン・センテンスの流暢な文体には慣れないかもしれません。
僕も古井由吉のような文体から離れて久しいので、読み始めだけは戸惑いました。

■ “野獣” の受賞作の読後感

一方、対照的な経歴を持つ西村賢太の 『苦役列車』。
ご尊父が性犯罪の犯人として逮捕され、住居を転々とせざるを得ない少年時代を過ごし、中学卒業後、日雇い労働で生活してきた著者にしか書けない作品であることは言うまでもないんですが、文体そのものが大きな存在感を持って迫ってきました。
「きことわ」とは対照的に読みやすい、いや、これ以上、スタイルの確立しようもない文体と作品世界が、読んでる僕のなかにズカズカと土足で侵入してくる、という感じでしょうか。
生活の悲惨さや主人公の駄目さ加減より、もちろん僕自身も身に覚えのある “ズルさ” をスパイスのように効かせてあるのが秀逸かな、と思いました。

先日、土曜日の夜(?)の情報番組で、「風俗にでも行こうか、と思ってたら受賞の知らせが来た」 との西村賢太のコメントを、ビートたけしは 「イイネ」 と言ってましたが、僕も 「イイネ」と思いました。
作風は違いますが、70年代の故 中上健次のような存在が出てきたのかと思ったり(笑)。

ただ、マスコミでは西村の家庭環境、労働環境などがクローズアップされてましたが、私小説への情熱と行動力は凄まじいものがあります。
決して「フリーター」 が小説書いたら成功した、なんてレベルじゃありません。
そのあたりの経緯は、本誌のインタビューを読めばわかります。

■ 批評までを含めた文学の楽しみ方

ところで、これは僕の文学享受のスタイルなんで、特にお薦めしませんが、やはり評者の方々の「批評」を楽しむのが好きです。
「感動しました!」「思わず涙がでてきました・・・」なんていうコメントだけで表現したり、twitterの140文字以内で感想を書くのも、それはそれでいいんですが。

ただ、音楽の世界で、「雑誌」がまるごと広告媒体と化し、「批評」が衰退、「“うんちく”なんていらん!」 という風潮が、音楽文化の衰退を招き、“ザ・芸能界”的チャートの世界にまみれながら、音楽が手軽(?)な“消費財”となってしまったことを鑑みるに、やはり、「作品」と作家だけでなく「批評」を含めた総体を「文学」と考えたいな、と切に思ったりしてます。

例えば大学卒業後、僕が夏目漱石にのめり込んだきっかけは、たまたま読んだ 『畏怖する人間』(柄谷行人)という批評集に収められた 「意識と自然―漱石試論(1)」 という斬新な漱石論に魅せられたからです。
学部(立教大学 文学部 日本文学科)在籍時の僕は、“漱石の権威”のお一人で、僕の卒論担当教授 (卒業させていただいた恩人) だった故 小田切進先生に、『漾虚集』 の表紙を見せられ、
「なんと読むかわかるかね?」 と問われ、
「わ~~かりません・・・(レレレノレ~」 と答えたダメダメ学生でした (正解は「ようきょしゅう」です)。

マーケティングの世界でも、定性調査、広告系プランナーなどの職種では、文学の素養は必須条件ですよね。
少なくとも、僕が出会ってきた人達は皆、そうでした。

以下、『文藝春秋』2011年3月号の各評者のコメントで僕が面白いと思ったセンテンスをピックアップしてみました。

■「きことわ」 (朝吹真理子) について

(1) 「テーマを乱暴に表せば、『失われた時間は取り戻せないが、それはそれで美しいし、現在とつながっている』」 (村上龍)

(2) 「彼女の文章表現は五官の全てによく連動している」 (島田雅彦)

(3) 「長文と短文の組み合わせが音楽的効果をもたらして心地よい」 (高樹のぶ子)

(4) 「プルースト」を連想 (島田雅彦、石原慎太郎)

(5) 「小説を書くということは、茫漠としたかたまりに、それしかない言葉を与え続けて埋め尽くすことなんだなー。と久々に思い出したような気がする」 (山田詠美)

(6) 「緻密に計算されているかに見える場面の重ね合わせの根本にあるのは、論理的思考であるというより、むしろ精神の生理的連動の結果であるのかもしれないと思わせるところがある」 (黒井千次)
*強調部分は引用者

このなかでも、特に、黒井千次の (6) のコメントが鋭いよね、と思いました。
「精神の生理的連動」による、まるでカード遊びをするかのような、絵画的な場面の展開。
こういうのって、女流文学者ゆえの資質なんでしょうか?
おそらく朝吹本人にとっては、ナチュラルに身に付けた無意識的なテクニックなので、黒井に指摘されても、「ううん? そうなのかな?」と思われたりしてるんじゃないかな? と想像したりします。

■「苦役列車」 (西村賢太) について

(1) 「(テーマは)人生は不合理で不公正で不条理だが、それでも人は生きていかなければならない」 (村上龍)

(2) 「古い器を磨き、そこに悪酔いする酒を注いだような作品」 (島田雅彦)

(3) 「社会や政治を呪うことさえできず、何事も身近な他人のせいにするその駄目っぷりが、随所に自己戯画化が施してあり、笑える。一応、『私』を客観的にプロデュースし、最低人たる自分を社会の片隅に置いてもらうための交渉をしているわけだ」 (島田雅彦)

(4) 「これほどまでに呪詛的な愚行のエネルギーを溜めた人間であれば、自傷か他傷か、神か悪魔の発見か、何か起きそうなものだと期待したけれど、卑しさと浅ましさがひたすら連続するだけで、物足りなかった」 (高樹のぶ子)

(5) 「すでに見つけた自分の『型』をどう磨いてゆくのか、壊していくのか期待」 (川上弘美)

(6) 「超底辺の若者風俗といえばそれきりだが、それにまみれきった人間の存在は奇妙な光を感じさせる」 (石原慎太郎)

(7) 「この豊饒な甘えた時代にあって、彼の反逆的な一種のピカレスクは極めて新鮮である」 (石原慎太郎)

(8) 「この愛すべきろくでなしの苦役が芥川賞につながったかと思うと愉快でたまらない。私小説が、実は最高に巧妙に仕組まれたただならぬフィクションであると説明したような作品だ」 (山田詠美)

(9) 「一つ一つの行為にどこかで微妙なブレーキがかけられ、それが破滅へと進む身体をおしとどめるところにリアリティが隠されているように思われてならない」 (黒井千次)

石原慎太郎が、この作品(と西村)を高く評価するのは理解できますね。
善悪なぞ超越した、生きる逞しさに満ち満ちた作品ですから。

山田は、朝吹真理子の「きことわ」と西村賢太のこの作品の両方に「○をつけた」そうです。
山田詠美の『ベッドタイムアイズ』(文藝賞受賞作)や『ソウルミュージック・ラバーズ・オンリー』(直木賞受賞作)は、リアルタイムで単行本を買って読んだもんです。
彼女の感性なら、両作品に親近感を持つのはわかるような。

島田雅彦は、西村とは全く違ったバックグラウンド(東京外語大出身)を持ちながらも、文学的想像力で西村の作品を定義づけています。

対して高樹のぶ子は、ダイナミックな事件も起きないことに物足りなさを感じている。
もちろん、評者も皆、作家のわけで独自の文学論・作品論を持っているわけで、高樹の感じる“物足りなさ”も理解はできます。
しかし、数年前、秋葉原で起きた “事実は小説より奇なり” としか言いようのない「事件」は、極めてレアなケースでしょう。
現実、つまり文学で言うところの“リアリティ”はそんなもんじゃない。
そう簡単に“救い”や“破滅”が現れるようなもんじゃない。
そういう小説なら、「感動しました!」「思わず涙が・・・」という類の小説に任せておけばいいわけで。。。
“救われない”ときって、時間は平板に流れていくのです、残酷に。。。

そのあたりを言い当てたのが、やはり黒井千次の (9) のコメントです。
以下、再掲します。

「一つ一つの行為にどこかで微妙なブレーキがかけられ、それが破滅へと進む身体をおしとどめるところにリアリティが隠されているように思われてならない」

“微妙なブレーキ”っていうのが、僕が感じた 「僕自身も身に覚えのある “ズルさ”」でもあります。

それにしても、今回の芥川賞、こうも対照的な作品が選ばれるとは面白かったなと(笑)。

あと、村上龍なんですが、明瞭簡潔な「テーマ」のご説明、さすが、ビジネスマンですね (笑-皮肉じゃないですよ・・・)。

**************************************************************************
 お読み頂き有難うございます。
 (↓)クリックの程、宜しくお願い申し上げます。

『創られた「日本の心」神話』 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史

2011年01月30日 | 書評
■はじめに

近年、日本の歴史、特に戦国時代がブームになってるようですが、歴史に詳しい人にとっては常識となってる事実があります。
それは、「真田幸村」という名前の武将は実在しなかったということです。
真田信繁という武将は存在したのですが、その「真田信繁」が江戸時代になってから「真田幸村」と呼ばれて今に至っているということです。
真田信繁の「信繁」とは、武田信繁(武田信玄公の弟)にあやかったと伝えられてます。
真田信繁の父、真田昌幸は武田信玄公の奥近習衆だったんですが、おそらく信玄公の弟の武田信繁には余程お世話になってたんじゃないかなと想像します。

輪島裕介氏の『創られた「日本の心」神話』を読んみ改めて、70年代に「演歌」が“発明”され、50年代、60年代のある特徴を持った歌(唄)を「日本の心」を持ったものとしてカテゴライズ、包括していったんだなということを認識し、「真田幸村」の存在を連想したわけなんです。

■知的・言説的産物としての「演歌」カテゴリー

「昭和30年代までの『進歩派』的な思想の枠組みでは否定され克服されるべきものであった『アウトロー』や『貧しさ』『不幸』にこそ、日本の庶民的・民衆的な真正性があるという1960年安保以降の反体制思潮を背景に、寺山修二や五木寛之のような文化人が、過去に作品として生産されたレコード歌謡に『流し』や『夜の蝶』といったアウトローとの連続性を見出し、そこに『下層』や『怨念』、あるいは『漂泊』や『疎外』といった意味を付与することで、現在『演歌』と呼ばれる音楽ジャンルが誕生し、『抑圧された日本の庶民の怨念』の反映という意味において『日本の心』となりえたのです」(同書290ページ)

「演歌」が「日本の心」と定義づけられた“仕掛け”は上述のようになります。引用を続けます。

「さらにそれは専属制度の解体というレコード産業の一大転換期と結びつくことで、専属制度時代の音楽スタイルを引き継ぐ『演歌』と、新しく主流となりつつあった米英風の若者音楽をモデルとした非専属作家達によるレコード歌謡との差異が強く意識され、昭和30年代までのレコード歌謡の特徴はおしなべて『古い』ものと感じられるようになり、それがあたかも過去から連綿と続くような『土着』の『伝統』であるかのように読み替えられることを可能にしました。」(同書290~291ページ。赤文字強調は引用者)

「こぶし」や「唸り」といった“演歌”的な特徴要素のレコード歌謡への流入は昭和30年代から。
畠山みどりがパロディ、コミックとしてレコード歌謡に取り込んだ浪曲的意匠を、「唸り」という歌唱技法に極端に推し進めたのが都はるみ。
都はるみは、弘田三枝子の歌唱法を模倣したそうです。
その弘田三枝子の歌唱技法は、戦後のアメリカ音楽受容の一つの“到達点”。

「ためいき路線」の森進一も青江三奈も、ともにバックグラウンドは洋楽。
森進一のしわがれ声は、ルイ・アームストロングを意識したもの。

三橋美智也はビートルズより早くダビング録音を行っていたり。

ちなみに、昭和20年代まで“日本調の伝統”というと、「お座敷」などで歌われた「芸者歌手」の歌唱法。
それは、おちょぼ口でか細く歌うもので、歯を見せて笑うことさえ下品と見なすお座敷文化では、大口を開けて声を張り上げたり唸ったりなんて野暮の極みだったといいます。(同書71ページ)

北島三郎のコスチュームに代表される「和服」姿も、当初はいわば“コスプレ”的な衣装だったようです。
こじつけになるかもしれませんが、現在の“日本人のオタク的心性”に通ずるかもしれませんよね。

■著者 輪島氏の問題意識

しかし、輪島氏が本書を書かれた目的は、演歌は知的・言説的に“捏造”されたものだ、と演歌を批判することではありません。
現在の「演歌」が、(輪島氏が愛する)大衆音楽における「日本的」「伝統的」なものを、もっぱら「暗く、貧しく、じめじめして、寒々しく、みじめ」なものとして描いていることへの強い違和感こそ、輪島氏が「演歌」への批判的な研究に向かわせた動機だったそうです。(同書67ページより)

本書の終盤(第13章 「演歌」から「昭和歌謡」へ)で輪島氏は、「演歌」と「ニューミュージック」がパラレルな存在であり、ともに「J-POP(若者向けの自作自演風の音楽)」に駆逐される経緯を以下のように述べてます。

「『演歌』という言葉である種のレコード歌謡を指示し、それに『日本的』『伝統的』という意味合いを込めるようになったのは1970年前後であり、また、明示的に『演歌』と呼ばれた楽曲がレコード売り上げにおいてまがりなりにも成功を収めていた時期は1980年代半ばごろまでのわずか十数年にすぎません。『演歌』という言葉が市場的に意味を持った時期は、『ニューミュージック』という、もはや死語となった言葉のそれとほぼ重なっています」(同書317~318ページ)

それに続けて、研究の目的について述べられてます。

「繰り返しますが、それゆえに『演歌』は『日本的・伝統的』ではない、と主張することは私の本意ではありません。本書で強調してきたのは、『演歌』とは、『過去のレコード歌謡』を一定の仕方で選択的に包摂するための言説装置、つまり、『日本的・伝統的な大衆音楽』というものを作り出すための『語り方』であり『仕掛け』であった、ということです。」(同書318ページ)

■良質な戦後日本ポピュラー音楽史としての本書

ところで本書では、「演歌」というカテゴリに留まらず、戦後(一部戦前)のポピュラー音楽についての、産業、言説的な視点から、きめ細かな実証的な分析・考察が滔々として溢れており、とても読みごたえがあります。
僕も一気に2度読みしました。
戦後にフォーカスを絞られた日本のポピュラー音楽史を知る上で良質な書籍です。
個人的な感想を述べさせてもらうと、自分が実体験した時代についての言説について、僕よりも年少の方が書かれた書籍では、「ううん、ちょっと違うんだよな、ニュアンスが・・・」と感じることが多いんですけど、僕より約10歳年少の輪島氏の言説から、そういう感じ方は一切受けませんでした。
それどころか、自分が実体験していない過去の事例には心強い納得感を感じました。
輪島氏の研究がそれだけ実証的ということなのかなと思います。

戦後日本のポピュラー音楽史、という視点でもとてもよく整理されてます。
下図は、簡略ながら輪島氏の論を僕がまとめてみたものです。



これだけ充実した内容の詰まった書籍は珍しいです。
余談ですが、昔から音楽産業において、実は緻密なマーケティング戦略(メディアミックスなど)があったことは周知の事実なんですが、割と驚いた事例を本書で知りました。
競合他社の商品(カテゴリ)を貶めるため、わざと“変な”商品をリリースして、新カテゴリ自体を潰してしまうことを「陳腐化戦略」というのですが、この陳腐化戦略まで実行されてたんですね。音楽産業の世界でも。
(*一般的に「陳腐化戦略」は新カテゴリ、新市場創出のために使うんですが、あまりお薦めできる戦略じゃありません・・・)
「GSブーム」によって、「専属制度」の解体という危機感に駆られた専属ディレクターや専属作家達が結託し、質の悪いGSを量産してリスナーを飽きさせたとか。
ちなみに、粗製乱造されたB級GSや、船村徹作の「ステッキーで踊ろう」のような専属作家の「GSもどき」は、現在、カルト化して一部のマニアに珍重されているそうです。(同書32ページより)

■最後に お薦めの2枚



▲50年代や60年代も持ってるんですが、「70年代ベスト」の20曲は全部知ってます。
小学校の頃、宮史郎とぴんからトリオの「女のみち」、よく学校でパロってました。
オリジナルというよりも、「8時だよ 全員集合」で加藤茶がお巡りさんの恰好で自転車にのりながら歌ってたバージョンですかね。
宮史郎とぴんからトリオが「コミックバンド」だったこと、本書を読んで初めて知りました。どうりで面白いはずです。



臼井孝さん(T2U音楽研究所)企画・プロデュースのJ-POPカバー名盤。
演歌歌手は超大物揃いの贅沢盤です。
シリーズ化されて数タイトルでています。
本書でも320ページで触れられています(中森明菜の「艶華」、阿久悠作品カバーの「歌鬼」とともに)。
輪島氏は、「演歌」「アイドル」「ニューミュージック」として区分されていた楽曲群が、かなり似通った特徴を持っていたことを示唆されてます。

創られた「日本の心」神話~「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史~ 光文社新書
輪島 裕介
光文社


青春歌年鑑 演歌歌謡編 1970年代ベスト
クリエーター情報なし
テイチクエンタテインメント


エンカのチカラ-SONG IS LIFE 70’S
クリエーター情報なし
コロムビアミュージックエンタテインメント

**************************************************************************
 お読み頂き有難うございます。
 (↓)クリックの程、宜しくお願い申し上げます。

『欲望の音楽』 趣味の産業化プロセス

2011年01月22日 | 書評
学校を卒業し、埼玉(大宮)から都内へ毎朝、定期的に満員電車に乗る生活が始まった。
まだ、都内に住む前のこと。
酷いラッシュの車中でよく考えたものだ。
「東京に人が集中し過ぎる。地方出身者は、せめて学校を卒業したら強制的に郷土へ帰る社会システムにすべきだ!」
自分のように都内に「通える」、近郊の人間は例外として、という自分に都合のいい考えだったが。
でも、「人が集まらなければ、金も物も集まらないんだよな・・・」 と僕の発想は頭の中で堂々巡り。

首都にヒト・モノ・カネが一極集中しすぎる奇形な国の筆頭かもしれない。世界の中で。
この“病巣”は、明治以降に肥大化したと思う。
江戸も世界に冠たる大都市であったが、まだ地方には独自の産業も文化もあったと思う。

ズバリ、「東京」を創ったのは、薩長土肥の田舎モンどもである。
まぁ、幕藩体制が時流に乗り遅れ、「日本を洗濯するぜよ!」と坂本龍馬のような田舎モンが出てきたのも、社会システムの変革は「周縁」から、という理には適っているのだが。
「中心」の活性化には「周縁」が必要だからね。
「中心」にも勝海舟のようなマトモな人材もいたけど、「体制内」であったため、いかんせん敵わない。
とにかく、薩長土肥の田舎モンは、帝(ミカド)まで東京にお移しになるという“暴挙”まで。。。
近代国家として欧米列強に対抗するため、にわかに一極集中を推し進め、国家の体裁を整えたい、ということだったのだろうから仕方がないと言えば仕方がないのだが。

司馬遼太郎が言った、東京帝国大学に象徴される「配電盤」。
それは“頭脳”のみならず全てを東京に集中させた。
(早稲田の大隈は薩長土肥の「肥」、慶應の福沢は中津藩)

ちなみに江戸時代まで、幕臣が利用した関東のリゾート地は房総だったと最近になって聞いた。
ところが、現在では伊豆のほうがステータスが高い。
薩長土肥の田舎モンは、房総では野暮な田舎モンと馬鹿にされたため、やむなく伊豆を別荘地を開拓したそうだ。
思えば、千葉(そして埼玉)の理不尽な境遇は、薩長土肥の田舎モンのコンプレックスに根があるのかもしれない。

連中のコンプレックスによる弊害は、現在まで連綿と続いている。
80年代、「根暗(ネクラ)」がブームになったが、ある本を読んでいたら「根の暗い人間」の典型として、「やたらに千葉・埼玉を馬鹿にしたがる地方出身の東京在住者」といういうのがあった。
タモリのような人間である(当然、ご本人も自覚されていると思う。何しろ頭のいい方なので)。
とにかく、東京に住めば「東京人」なのだ。
そして、家賃負担の必要もなく、自宅から通勤・通学のできる千葉・埼玉の若者を、「あっ、埼玉ね」とか。
でも、そういう自分も地元に対する感情は極めてアンビバレントだった。昔は。
住居も埼玉に戻した今は、アンビバレントな感情は吹っ切れたと思う。これも歳をとったということか?



またしても、まえがきが長くなるという悪癖が出てしまったが(増渕さん、スンマセン・・・)、要は首都一極集中は、地方各都市の富と“多様性”を奪う方向にしか作用しなかったということだ (千葉・埼玉の話は蛇足・・・)。
産業しかり文化しかり。
人材も金も全てが「東京」に吸い上げられるシステム。
かつての元勲達の「国を想う」気持ちはわかるんだけど、その後の鹿児島や山口や高知、佐賀の状況はどうかな? いいのかな?

とりわけ、メディアとの密な連携によって市場を拡大してきた音楽産業の場合、マスで成功をおさめるためには、どんなに地方色の強いアーティストでも“東京発”でなければならなかったわけだ。
「配電盤」は音楽産業において特に強固だった、ということだろう。

本書では、東京、京阪神、福岡、札幌、仙台、沖縄における文化産業の集積の過去と現在が丁寧に検証され、今後の都市復興の道筋が示唆されている。
約10年前、僕が僅かに関わったことのあるインディーズのメーカーでは、沖縄勢の隆盛に対し、「北を開拓する」という戦略をとっていた。
本書を読んだ上で、今考えてみると底の浅い“ビジネス戦略”だったかなと(僕が立案したわけじゃないですけどね・・・)。
「底が浅い」ということは、増渕さんの実証研究のような下地がなかったから、ということだ。

産業化には集積が必要である。たとえきっかけは偶然であっても、集積が進みそれが環境として認識されるには、それなりの必然性もある。

資本主義があらゆるものを“商品化”するのは、改めて言うのも疲れるぐらい必然なことである(もちろん、商品化できないものもあるんだけどね・・・)。
所詮、音楽は“趣味”である。
行き過ぎた“産業化”が市場シュリンクに見舞われている現在、この「所詮、趣味、されど趣味なんですよ」という原点について考えを巡らすことは無益ではないだろう。
90年代に市場を拡大させてきた=消費財化の“針は振り切れた”ということだからだ。

本書では、そのサブタイトル通り、「趣味」の産業化のプロセスを学際的に検証されている。
そして、音楽が“情報”としてその価値を自ら貶めてしまったことも示唆されている。

増渕さんが本書で述べられる通り、「文化的な財」として音楽を捉えなおしていくことは必須であろう。

“欲望” “情報” “文化” とは僕の問題意識におけるキーワードであるが、増渕さんの力作である本書を読んで得るものは大きかった。

**************************************************************************
 お読み頂き有難うございます。
 (↓)クリックの程、宜しくお願い申し上げます。