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【ML251 (Marketing Lab 251)】文化マーケティング・トレンド分析

トレンド分析ML251の文化マーケティング関連Blogです。ML251の主業務はトレンド分析をコアにしたデスクリサーチ。

『未来型サバイバル音楽論』 津田大介+牧村憲一

2011年01月15日 | 書評
本書が画期的であるのは、従来型のパッケージ販売をコアとしたビジネスと、デジタル配信ビジネスという単純な二項対立の図式の中で“デジタル配信派の筆頭”と一般的に捉えられている津田大介氏と、音楽業界のメインストリームで数々の実績を残されてきた牧村憲一氏のジョイントさせたことだと考えます。
単純な二項対立の図式に基づいた議論は不毛とならざるを得ません。
そして津田氏は、デジタル万能主義者ではなく、実は音楽の良質な愛好者(ライブはまだ観たことないですが)であることは僕も知っています。
“渋谷系”の産みの親でもあった牧村氏も、あるべき音楽の姿、レーベルのあり方について優れた感覚とセンスをお持ちの方だということが、本書を読んでひしひしと伝わってきました。
(両氏のご経歴は、amazon 商品説明の著者略歴をご参照下さい)



僕は昨年(2010年)11月に読んでみたんですが、牧村憲一氏の書かれた「あとがき」で、牧村氏と津田氏をジョイントをコーディネートされたのが、風来舎社長の森和夫さんだとわかり、とてもすんなりと納得したものです。「なるほど」という納得感が「スコ~ン」と来るような(笑)。

音楽論からテクノロジー論まで、人によって色々な読み方ができる書籍ですが、以下、僕の意識に刺さった内容をまとめてみます。

■レーベルのあり方

あるべきレーベルの姿、について僕は昨年、残響レコードの記事を書いてきました。
なぜ、メジャーといわれた世界で優れたレーベルが誕生しつつも、それが持続可能なビジネスとして根付かなかったのか?
そのいきさつについて本書で牧村氏が総括されてます。
結局、レコード会社にとっての都合のよい投資の“刈り取り場”がレーベルであったのかもしれないと(同書105ページより)。

(1)パソコン、携帯端末も普及による音楽環境の変化とご都合主義の配信。
(2)ミュージシャンも含め誰もが飛びついてしまったお手軽なカヴァー集、バブル的売り上げを想定した過去の悪癖。
(3)既得権に基づくリスナーへの不親切で不利益な対応。
(4)流行りのものに擦り寄る、音楽性の欠如。

上記のことがらは、現在、レーベルを作る際、そのまま反面教師としてのポイントとなり、それこそ原点回帰ではないか? と牧村氏は指摘します(同書105ページより)。
音楽のクオリティと経営戦略の両立。
レーベルの維持には知識と美意識が必要で、核となるのが人と音楽、そしてヒット。
ヒットとは、短期間の売り上げに留まらず、長い時間を超えて売れ続けるという面もある。
これは、ブランドの発想ですよね。

■経験価値と文化サイクル

津田氏が、地方の人と話された逸話があります(同書218ページ)。
今やamazon.をはじめネットショッピングがあるのだから、遠方のTSUTAYAに行く必要はないのではないか? との問いに、「津田さんは地方をわかっていない。地方には娯楽がないので、CDを借りて返しにいくことが文化的なサイクルである」と言われたそうです。
かつての東京的(六本木WAVE)なものが地方で展開拡散(牧村氏)している。
たとえその場で購入しなくても、場のオーラの中で情報を得たり満足感を得る。
そういう環境づくりは、リアルのショップにとって切実でしょうね。

■CDの付加価値

僕も数年前からずっと、CDの二極化のことは言ってきましたが、本書でも当然、そのことは触れられてます。
牧村氏の対話の中で、もし津田氏がプロモーションを任されたら? との問いに以下のように答えています(同書230ページ)。

(1)アルバムという単位は必ずミニアルバムにする。
(2)CD販売はamazon.とライブ会場に限定。会場販売は全て1,000円で販売し、amazon.の優れたシステムを手軽に利用できる「e謡」販売サービスを行う。
(3)一方で2,000円のCDも出して次回のライブ優先予約券とボーナス・トラックを入れる。

このあたりについては、昨年末に読んだジム・コリンズの『トレードオフ』の内容が頭に浮かんできました。



一言でいえば、あらゆる商品は、「上質さ」と「手軽さ」のどちらかの軸で突出したものが成功するということです。
その両方を狙うことは幻想(幻影)でしかない(二兎を追うものは一兎を得ず)。
両方の軸で突出していなければ、「不毛地帯」でくすぶってします。
新しい商品は、ほとんど「不毛地帯」で生まれ、ヒットする商品は「上質」か「手軽」のどちらかの軸で突出する。
「上質」ないしは「手軽」で、多くの商品がひしめき合っている場合、「上質」なら「手軽の部分で、「手軽」なら「上質」の部分で突出すると、それはイノベーションになる。
そういう要旨です。
そう言えば、「ユニクロ」は、「手軽さ」の勝者ですよね。
『トレードオフ』の図表を自分で編集しなおしてみました(↓)。



著者のジム・コリンズ氏は僕と同じでU2がお好きなようなので、本書にもU2が引き合いに出されてますから、僕もU2の引き合いに出します(↓:iTunes の画面だけU2じゃないですが・・・)。



今までの業界のビジネスモデルにおいては、「コンサート・ライブ」はパッケージ販売のためという位置づけでした。
ところが、生活者にとっての価値のマップは違ってますよね。
これじゃビジネスもうまくいかなくて当然です。
ジム・コリンズは、「上質」をこう定義しています。

上質度=経験+オーラ+個性

「上質」にしても「手軽」(価格・入手の便宜性)にしても、その基準は刻刻と変わっていくものです。
つい10年前までは、「手軽」軸の筆頭にCDなどパッケージ商品がいたもんですが、今や「配信」に敵うはずがありません。
(それまでは、「手軽」さを追求したことでマス・マーケットを拡大してきたわけですよね)
となると、「上質」軸を中心にパッケージ商品をポジショニングしていくことが現実的です。
勿論、「上質」軸でも「コンサート・ライブ」には敵いませんが、「コンサート・ライブ」との関連性の中でCDを位置付けていく津田氏のアイデアは的外れではありません。
津田氏が、クローズドチャネルでCDを1,000円の価格設定にしたのは、決して「手軽」軸を求めたわけではないと僕は考えます。

ただ、それにしても現状のCDの価格が生活者にとって高すぎるというのは僕も検証してますので、曲数と価格の戦略はもっと練られるべきでしょう。
また、津田氏のプロモーション・プランは、(津田氏気に入ったアーティストの場合という仮定で)クローズドチャネル(コンサート会場とネットショップ)のお話でしたので、リアル・ショップのことは触れられていません。そのあたりは別の話になるのでしょうが、それでも「上質」軸でのポジショニングが肝要かと僕は考えます。

「上質」と「手軽」を言い換えると、「愛される」と「必要とされる」ことです。
誰だって「愛されつつ必要とされる」は理想でしょう。
人として生きていく上で、「愛されつつ必要とされる」ケースはあるかもしれません。
しかし、ここが重要なんですが、商品の世界ではあり得ないことなのです。
「音楽」は人にとって必ずしも「必要」とされるものではないかもしれません。
(“NO MUSIC NO LIFE”のコアなファンは別ですけど、若い頃、音楽に入れ込んでいても結婚して子供ができれば音楽を買うことから離れるなんてことは当たり前のことでした)
どうあがいても、「必要とされる」ということでは、飲食品や衣料や教育費のような必需品・サービスには敵わないのです。
ならば、「必要とされる」ことよりも「愛される」ことを求めるのは妥当なことであり、「愛してくれる」人達を増やすべく開拓するべきではないでしょうか?

あと余談なんですけど、「HMV」を買収された「ローソン」さん。チケット販売とパッケージ販売(特にEC)のシナジー効果を狙われていると思うんですが、「上質」と「手軽」のトレードオフには、特にお気をつけてくださいね。

■文化としての可能性

『未来型サバイバル音楽論』の第5章「それでも人は音を楽しむ」、牧村氏と津田氏のトークではいくつも示唆的な発想が出てきます。

「ネットはサロンである」もしかりです。
ソーシャル・メディアにしてもその名の通り、社交の場。
「音」までもネット空間の中で完結してしまうことはないと僕も考えます。
リアルな「コンサート・ライブ」やそれに連なるパッケージ商品の存在は不可欠です。
リアルな体験(コト)や具体的なモノを中心にどう価値づけをするか?
それがビジネスにつながっていくんですが、その価値とは「手軽」ではなく「上質」の軸で位置づけられる。
流行のみを追い求めた消費財、というよりも文化資産ではないかと。

音楽がビジネスとしておいしいビジネスではなくなる。
するとお金しか考えない人達は退場せざるを得ない。
津田氏はこう述べ、音楽と芸能界の切り離しが進むことも示唆しています。

牧村氏も、今までの音楽ビジネスを、「音楽のごく一部を培養し」た結果の「音楽芸能界」「音楽エンタテインメント」と規定しています。
そして、「音楽が属しているものはもっと広く、他の文化とのコラボレーションが可能という意味では、音楽ほど広いものはない」と述べられてます。

“原点回帰”と文化としての可能性。
なかなか楽しみな時代がやってきてるんですね、と思います。

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『THE GROOVY 90'S 90年代日本のロック/ポップス名盤ガイド』

2010年06月27日 | 書評
実はこの雑誌、5月に買って読んでました。
90年代の日本の音楽を総括するに最適な良誌です。
結構、面白く読めました。
僕も90年代中頃まで、「MUSIC MAGZINE」は欠かさず買ってましたし。
(80年代からのストック、全部、売っちゃっいましたけど・・・)

昨今の“音楽の構造不況”の一因として、
音楽ジャーナリズムの劣化・衰退(=メーカーの宣材化)もある、
というのは僕の持論なんですが、
「MUSIC MAGZINE」のような批評誌には頑張っていただきたいと。
表層のトレンドに流されずにね。

  

それにしても、本誌執筆陣47名のうち、30名(6割強)が1970年代生まれ。
広義の団塊ジュニアです。
ちゃっかりと、鈴木謙介センセも入ってますね(笑)。
一見、その辺のニーチャンなんですけど-スンズレイ、
気鋭の社会学者で、ご著作は僕もよく読ましてもらってます。

今更言うまでもないことですが、ポストバブルにも関わらず、
90年代、国内の音楽消費が“バブル”の様相を呈した、
デモグラフィック(人口動態的)な背景がよ~くわかります。

(注)この時期は音楽商材のみ消費が伸びたわけではありません。
   高級品をはじめとする消費財も伸びたのです。
   そのあたりの斬新な仮説は、前回ご紹介したこの書籍(↓)をご参照のこと。

  

本誌の192ページに、「90年代の年間売上ベスト5と主なタイアップ先一覧」が掲載されていますが、
90年代前半まではバブル世代も含めて、
中盤から後半は、団塊ジュニア以下の世代が、主購買層でしょうね。
前半から、Being 系 がじわりじわり。
そして後半は小室ファミリーの作品群がドシンドシン、つー感じでしょう。

思えば90年代は、「マス向けヒットもの」のみならず、
先鋭的なロック、ポップス、ヒップホップの分野においても、
ラジカルかつ刺激的なシーンが存在した、ということなんでしょうね。
羨ましいですね、そういう時期に青春を過ごした人達は(笑)。

本誌で取り上げられた“メイン・ストリーム”は、
やはり、「渋谷系」でしょう。

80年代後半から、後の「渋谷系」への流れって気にはなってはいたんですがね。
「ルースターズ」を辞めた井上富雄氏が、
「ブルー・トニック」という、スタカンのような“オサレ”なバンドを結成したり。
「ブルー・トニック」は、“早すぎた渋谷系”とか言われてましたが(笑)。
その井上氏も、それから「オリジナル・ラブ」に入ったり。
「オリジナル・ラブ」、というバンド名の響きには、何気に新しさ(?)を感じてたもんです。
「こういうのが、これからメインになってくるんかな???」、というような。

そして「フリッパーズ・ギター」ですね。
「イルカのギターかよ? ペラペラしてんじゃねぇのか?」とは思いませんでしたが、
アズテック・カメラのフォロワーね・・・」
「こうい育ちの良さそうな連中がメインになってくるのか・・・」
ぐらいにしか思ってませんでした、最初は。

(当時、渋谷でたむろってた、育ちの良さそうな“カジュアルなプチ不良”の高校生も見てて羨ましかったですよ)

「ピチカート」は、割と気になってたものの。。。
おそらく、小西氏は、当時の僕のような人種を毛嫌いするタイプだったのかなと?
そんな匂いを感じてました。
ノン・スタンダード」レーベルに行った、大学時代の僕の “天敵” のようなミュージシャンが、
そんなタイプだったんで。独断と偏見です(笑)。間違ってたらゴメンです。

「ま、俺には「DATE OF BIRTH」がありゃいいんかな」と。

5年位前、アカデミーヒルズに、野宮さんのトーク聞きに行って、
昔、「KISS」のTシャツ着ていらしたと聞いて、
「やっぱ、同世代か・・・」とか。

渋谷では、パルコさんが「クアトロ」を作るしね。
オープン間もない頃、フライヤーを配るのを躊躇しちゃいましたよ。。。
あまりに “オサレ”なんで。

ところで、90年代の私って、80年代よりむしろロック、ロックしてたんですよ。。。
当時の “主流”からは距離を置いてですね。
師匠について、リズム・トレーニング受けたり。

下北沢「CLUB Que」で企画をやったりしたのも。
(95年、96年。二位君にはお世話になりました。)
師匠周辺のミュージシャン達から、担がれてのこと。
「赤と黒」の本間君(G)に出てもらったり。
「イエッツ」のメンバーもですが。

出没するのも、もっぱら下北沢でした。
下北沢飲み仲間のあるミュージシャンの結婚パーティが、週末の夜、「CLUB Que」であって、
新郎が、「ミスチルの桜井が来てくれた!」 って喜んでたんですが、
僕を含めて、テーブルで飲んでた連中が、
誰も桜井氏の顔を知らなかったとか(笑)。
「あのよ、桜井って誰?」 という感じ。。。
屋台のおでん屋で飲んだ後、「レピッ○ュ」のM君が、
早朝の下北沢駅で、小学生に絡んで泣かせたり。。。

もうちょっと前だった(93年)と思うんですが、
下北沢「屋根裏」に、友人のバンド観に行ったときの対バンが、
「thee michelle gun elephant」
彼らは「屋根裏」最後の日、だったようで、
デビュー前ながら客は入っていて、独特の熱気もありました。

「子供騙しじゃねーかよ。ウィルコ・ジョンソンのフロントやったとか言うけどよ・・・」

と、僕は思いましたけどね。
ヴォーカルの人には華がありましたが・・・。(故アベフトシ氏の加入前)

どうも、自分自身がプレイしてたりすると、客観的に視ることがなかなか(汗)。。。
それも若気の至り、ということで。。。

そんなこんなで、飲み屋でくだを巻いていた頃、
下北沢では「サニーデイ・サービス」とかが “下北系”というようなブームが。
まぁ、すれ違わなったですね、見事に。
曽我部という方が、僕の大学の後輩にあたる、
ということは最近になって知りましたが、
何か “カラー”のようなものを感じますね。。。
白井良明氏は、某サークルのご出身ですし、
大学時代、僕の “天敵” だった方は、
(私のほうは嫌いじゃなかったんですが・・・)
「ノン・スタンダード」レ-ベルでしたし。。。

で、職場(某市場調査会社)では、
同じフロアのある先輩が、五時半が過ぎ残業時間に突入すると、
トイレで迷彩服に着替えられて、
(ちょうど、ある宗教団体の都市型テロの時期で、何とも不気味な。。。)
ラジカセで「モダンチョキチョキズ」のCDをエンドレスで流して。。。
すっかり、「モダチョキ」に洗脳された僕でした。
(その先輩のことは、結構嫌いじゃなかったです)

マネジメント頼まれたバンドのレコーディングで、
(↑:一番下のタイトル「EXIT #9」です。僕のヴォイスも入ってます。「新しくてキモチイイ刺激ビート・コア炸裂!」っていうのは、徹夜明けの思いつきです。。。)
深夜、スタジオでかかってた曲がカッコ良くて、
スタッフに聞いたら、「チボ・マットです」とか。

出張で行った大阪・心斎橋の上で、
マッサージしてもらった女の子に、
「いいバンド教えて」と言ったら、
ROVE」って言われたり。

他にも色んなことがありましたが、
フラッシュバックのように思い浮かんでくる90年代ってこんな感じでしたか。

で、ここでやっと本誌のお話になりますが、
知識と素養のある執筆陣が、自らの体験をまぶしながら、
音楽へのリスペクト溢れる筆致で書かれてます。

まだ音を聴いていなかったミュージシャンも沢山いる、
ということを改めて気づかされましたし、
今からでも “発掘” してみたいと思う作品も見つかりました。

読み物としても面白いです。

例えば、東京に出てきて苦労されたカラスヤという方が、
「サニーデイ・サービス」のほうに「はっぴいえんど」よりも、
強い親近感を抱かれたのは、同時代性・同世代ゆえということは言うまでもありません。
が、地域性という要素もあったはずだ、とか。
「はっぴいえんど」は大瀧氏以外は東京出身のバンド(しかも3氏は港区&世田谷区)。
逆に「サニーデイ・サービス」は1氏以外は地方(四国)出身者。
カラスヤ氏は大阪のご出身ですよね。

ミュージシャンには、出身地と育ちの“色”が逃れ難くついてくる、
というのは僕の持論です。

埼玉出身の僕だって、憧憬こそすれ、とてもじゃないけど同一化できません。
僕は80年代から、鈴木茂氏が大好きでしたが。

いつものように、だらだらと長文を連ねてしまいましたが、
本誌との出会いも、自分にとって貴重な体験でした。

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『モードとエロスと資本』

2010年06月19日 | 書評
「21世紀、モードを動かす物語の主役だったはずの『恋愛の物語』は、モードの回転の外へとはじかれていき、その空虚を、『倫理の物語』が埋めていった。あたかも、暴走資本主義の罪をそれで償おうとするかのように。」(本文より)

本書の帯の裏に記された、本文からの引用が、今、この時の“空気”をワンフレーズで表現してる。

     

「エコ」「エコ意識」・・・。
例えば『日経MJ』のような新聞や、巷の“マーケター”達は、
表層のトレンドの“解説”に終始するのみだ。
(それもそれで必要なんだけどね・・・)
「ストスナ(ストリートスナップ)」一つの扱いにしても。

因みに、本書で触れる「ストスナ」現象。
これは、音楽ジャーナリズムの衰退による、マス向け音楽コンテンツの劣化、
コンシューマによる情報の価値の相対的な向上、という現象と通底している。
「口コミのパワーが・・・」なんて言ってる場合じゃないだけどね。。。
供給側の似非(えせ)ブランドコントロールが、自分たちのコントロールのパワーを劣化させた、
という自業自得。。。

閑話休題。

「エコ&エシカル(倫理)」、つまりファッションが「倫理」をまとう時代とは、
ファッションという一カテゴリのみのことではない。

ファッションを社会の“表層”と侮ることなかれ。
時代の“本質”を見極めようとするなら。
私のスタンスが、「カルチュラル・マーケティング」だからって、誇張して言うわけじゃない(笑)。

“草食系”にしてもね、若者に限定したお話じゃない。
たまたま先鋭化した形で、若者に“見られる”だけの話だろう。

「ユニクロ」に代表される 「ファスト・ファッション」と、
「twitter」を典型とする「ファスト・コンテンツ」の隆盛。

資本主義が行きつくところまで行ってしまった(?)、21世紀に入って10年を経過したの現在。
(資本主義をデータでコントロールできると錯覚し、リーマンショックとやらで世の中を混乱させた、頭はいいけどお馬鹿な人達のことは置いといて・・・)

確かに、モードの歴史を学んで行くならば、現代はある種、“倒錯”の時代であるかのようだ。

社会のコンテキストに眼を向けても、
昔だったら何でもないような野球賭博で、
親方や力士が叩かれる異常な潔癖さ、突出した倫理。

しかし、資本主義は “主語” ではない、と私は考える。
「面倒臭いことはしたくはない」 と我々が考えれば、
それを汲み取ってしまうのが資本主義であるにしても、
「面倒臭いことはしたくはない」 と考える主体は人間であって、資本主義ではない、と私は考える。
資本主義は、まるで“神”のように、われわれの欲求を顕在化させるだけだ。

現象として、消費の衰退があったとしても、
世の中がおかしい、社会がおかしいとは考えない。根本的にね。
過去だったら “あり得ない” 事象であっても、戦争とか破滅的な誤りではない限り、
ひとまず、事象として受け止めることだ。
そして、コンテキストを読み解いていく。

世の中がおかしい、社会がおかしいと考えたくなる気持ちはよくわかるけど。
(現実問題として、業態の衰退や企業の倒産もあるし・・・)

おかしいのだとしたら、それは人間だよね。つまりわれわれ自身。

人間にとって「入れて」「出す」こと、「出して」「入れること」は本能的な快感。
だから、情報の出し入れだけで満足して、モノでのお金の出し入れをしなくなった、
という、目から鱗の仮説もある。(↓)

(これも結構おもしろい書籍。共産主義が人間の本質に反することを、よく知っていた聡明なレーニンが、パブロフの言うことを真に受けちゃったんで、20世紀の悲惨な“実験”が現出させてしまったことも書いてある-苦笑)。

  

しかし、未来に絶望することはないと思う。
そのココロは、、、本能と資本主義なんです(笑)。

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『音楽ビジネス革命 残響レコードの挑戦』 河野章宏 著

2010年06月05日 | 書評
音楽業界に限ることなく、ブランド、ブランディングとは何か?
を考える上で貴重な“教科書”だ。

“ヒット”したからといって、熱心なファンをつかんだ(?)からといって、
やたらと「ブランド」「ブランド」と言う人達が、音楽業界でも目立ってきた。この数年でね。
まっ、いいか。。。

  

本書に書かれていることは、“ブランド”創りの基本だ。
「ルイ・ヴィトン」も「シャネル」も「エルメス」も、
最初は熱心な職人たちの小さな工房だったことを忘れてはならない。
(ヴィトンなんか、14歳の時に家出しちゃってね・・・)

■ ブランド階層の一貫性

「残響record」のコンセプトは、

 (1) 企業ブランド
 (2) レーベル・ブランド (「残響」「under_ar」「CONT RAST」「残響JAZZ」)
 (3) アーティスト・ブランド

という各レイヤー(階層)で一貫しており、ブレがない。
だから、リスナーは“レーベル買い”を楽しむことができる。
日本で、ここまで“レーベル買い”ができる“濃い場所”って今までなかったんじゃない?
(学生時代の私が、唯一、“レーベル買い”を楽しんだ「ROUGH TRADE」は英国だしね・・・)

資本金1千万円を提供して頂いたこと、「9mm Parabellum Bullet」 との出会い。
それも、河野社長の才能と人徳ゆえなんだけど、資金というリソースがあるから、
“売れ線”に走ってレーベルのコンセプトを希薄化、溶解化するリスクから自由である。
「売れる」ことがわかっているバンドでも、カラーに合わなければレーベルには入れない、
ということが可能だ。
詳しくは 「残響record」のコンセプト(本書29~32ページ)を見て頂きたい。

■ DO IT MYSELF の方法論

“レーベルの思想”は、当然、日本の大手レコードメーカーの中にもあった。
独立採算の分社化などで、レーベルの“カラー”を出そうという発想もあっただろう。
しかし、難しいんだよね。頭でわかってても。

「残響record」にそれができたのは、まず、河野社長ご自身がミュージシャンであったからだと考える。
それも何もないところから。
方法論だって最初からあったわけではない (勉強はされただろうが)。
表現者としてのパッションと、ご自身と、周りの人達との相互交流から、
「こうしなければ・・・」「こうしよう」という積み重ねが、現在の「残響record」だろう。

また、「360度展開」が出来るメリットが大きいのは言うまでもない。
これも、河野社長の職人的なミュージシャン魂の故。

■ セレクトショップ

音楽のセレクトショップという発想は、発想自体としてはそう新しいものではないと考える。
しかし、大手メーカーという既存企業では、なかなかうまくいなかい方法論だ。
ちなみに、「残響record」のアーティスト一覧を見てほしい。
これぞセレクトショップ。
各レーベルの特徴が簡潔にわかりやすく訴求されており、
各アーティスト別では、あたかも音が聴こえてくるように、最小限の情報が詳細に記されている。

私、個人的には、ボーカルレスの「残響」が好みだ。
特に「texas pandaa」 の曲なんて、まるで自分の細胞にすんなりと入ってくるような感覚。
「65daysofstatic」 もカッコイイ!
ヤバイ! 衝動買いし過ぎそうなんで、抑えとかないとね(笑)。
ご利用は計画的に。。。
尤も、私、リアルショップの買い物が好きなんで。
ここでは品定めを楽しませて頂こうと。

ちなみに「SHIPS」ともコラボされているとのこと。
コンセプトの整合性はとれてるし、WIN-WIN だと思う。

■ 柔軟なマーケティング・センスとチャネル政策

2000年代、沖縄の「TOWER RECORDS」を起点として、
インディーズでミリオンを達成したロックバンドがあった。
彼らのチャネル戦略は、レンタル、つまり「TSUTAYA」に置かないこと。
“レアなミレニアム感”を醸し出したその戦略は奏功した。

しかし、その成功は、パンキッシュなロック、というわかりやすい文脈(ジャンル)が、
リスナーと共有されていたから。

一方、「残響record」の場合、マーケット開拓という大きな課題があった。
しかも、マーケットはニッチだ。
当然、全国展開によるライト層の開拓が必須だ。
「購入容易性」という、ブランドの「便宜価値」も必要。
「TSUTAYA」とのコラボで得られた成果は少なくないだろう。

それも河野社長の柔軟かつ、まっとうなマーケティングセンスがあったからだろう。

「もちろん、自分のようなコアな音楽好きの人でも、映画やお笑いのDVDもレンタルしているのです」
(115ページより)


生活者は、音楽を楽しむためだけに生きているわけではない。
これはマーケティングの起点。
一般的なカテゴリでも、例えばお菓子の開発者は、24時間、お菓子のことを考えているけど、
生活者は、たとえヘビーユーザーでも、1日のうちでお菓子のことを考えるのは、数分、せいぜい数時間だ。

さらに、河野社長は、データ分析の重要性までわかっていらっしゃる。

今でも「音楽マーケティング」と聞けば、リスナーにすり寄るとか、クリエイティブに矛盾する、
と短絡的に反応する人は少なくないだろう。
確かに過去、一過性の“ヒット”を狙って、後は何も残らないといった、
似非マーケティングが音楽業界で跋扈したことも事実だ。
しかし、生活者を知ること=自分を知ること、を起点とするのが、真のマーケティングだと私は考える。

■ ブランドの基本価値=音

最後に、レーベル、アーティストのブランドにとって、基本となる価値について。
ライブのクオリティを重視するのは当然のことだが、基本は“曲”と“音”。

プリプロを重視すること。
これって、予算の制約の多いインディーズでは、頭でわかっていてもなかなかできないこと。
(今では、メジャーでもそうかもね・・・)

レコーディング=制作費とともに、プリプロ=開発費を重視する。
これは、プロダクトとしての作品のクオリティの話だけではない。
職人としてのアーティスト(ミュージシャン)自身のクオリティに磨きがかかるということ。
河野社長は、一般企業の「社員研修」にたとえられていたが(同書209ページ)、
自分の経験則からいえば、もっと効果は大きいと思う。

余談だが、市況の悪化で体力の弱ったメジャーのレコード会社の場合、
アーティストを育成したくてもできないケースが増えてきているだろう。
現在のテクノロジーからすれば、プロダクトとしての作品を、それなりに“仕上げる”ことは可能だ。
しかし、それは「工場」的な発想。ますますマイナスのスパイラルに巻き込まれることになる。
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「やりたいこと」「できること」「求められること」。

アーティスト(ミュージシャン)の3要素と私は呼んでいるが、
この3要素のバランスが大切 (言うだけなら簡単なんだけどね・・・)。

河野社長の考え方は、90年代から私が考えていた、
「レーベル」「アーティスト」のブランディングの発想そのもの。
ただ、考えてみれば当たり前の発想を、実現している、という意味で、
本書のタイトルの「革命」は納得できる。
(発想するだけと実現しているでは、雲泥の差があるもんね・・・)

「残響record」のようなレーベルが沢山出てきて、各々のマーケットを開拓していく。
そうなれば、音楽業界もそうだけど、我々の生活も彩りと潤いのあるものになっていくんだろうね。

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『ネット帝国主義と日本の敗北 搾取されるカネと文化』

2010年02月20日 | 書評
2月に入ってすぐ、HMVの実質的な音楽配信撤退が報じられました。
「実質的」というのは、正確には「iTunes」との提携ということだからです。
従来の音楽配信サービス「HMV DIGITAL」は2010年2月28日をもってサービス終了
ということだそうです。

2007年、ライブドアさんとコラボして私が書いた
「音楽配信サービス利用実態調査レポート2006」の結果では、
“一人勝ち”の「iTunes」に対して「HMV DIGITAL」は、
アクセス経験、購入経験、CD購入枚数別・有料配信購入曲数別の購入経験、
どれをとっても厳しい状況で、旧「ORICON STYLE」とほぼ同様のスコアでした。

オリコンさんが賢明にも早々の撤退を決められたことと対照的に、
HMVさんが今まで健闘されたのは小売業態であるゆえと推察します。

音楽配信サービスにおける「iTunes」の“一人勝ち”。
“Winner Takes All” というやつですね。
ユーザーにとっての利便性、がキーとなりますが。

今回の事例は、“垂直的”には小売業態内の勢力図の塗り替えですが、
“水平的”には日本企業が米国企業に取り込まれた、ということになるでしょう。
(当事者の皆さんは、「何を言う!、あくまでも win winの提携だ!」と仰せでしょうが)

本題に入ります。

『ネット帝国主義と日本の敗北 搾取されるカネと文化』



著者の岸博幸氏は通産省(現経産省)入省されて以来、多彩な経歴をお持ちです。
(詳しくは、amazonのデータを、いや、本書をお読みになって下さい)
著者が政策の企画・実行担当者であるだけに本書では、
国益という視点から、コンテンツ政策のグランドデザインにとって、
文化資本がいかに危機的な現状であるかということを、
要点をよくまとめて述べられています。
“警鐘を乱打”されている、と言っていい。

基本的には、まずネット上のビジネスの構造を押さえておく必要があります。



最も重要な論点は、

①「コンテンツ・レイヤー」に位置するメディアやコンテンツ企業が、
 「プラットフォーム・レイヤー」のネット企業に搾取される。

②同時に「プラットフォーム・レイヤー」上は米国のネット企業の帝国主義的な
 世界展開による一人勝ち状態。

③米国ネット企業による世界のマスメディアやコンテンツ企業の搾取の結果として、
 ジャーナリズムや文化が衰退している。

ということです。

“縦への展開”としては、「プラットフォーム」による上位の「コンテンツ」の取り込み。
“横への展開”としては、「プラットフォーム」のグローバル展開。
(同書132ページより)

利益という観点では、
「プラットフォーム・レイヤー」のみを活動領域とするネット企業に、
流通独占と超過利潤がシフトして、「コンテンツ・レイヤー」に超過利潤が還元されず、
ジャーナリズムと文化の衰退に至る、ということ。(同書193ページより)

読者数ではネットのほうが50倍もいる「ニューヨーク・タイムズ」紙は、
ネットからの広告収入は紙の10分の1程度。
ネットからの広告収入だけでは、同紙の社員数の20%しか養えない。(同書64ページより)

このあたりの詳細は、佐々木俊尚氏の『2011年 新聞・テレビ消滅』に詳しいですが。



コンテンツ(=楽曲)の単価を押し下げた「iTunes」が儲かっても、
コンテンツを創るメーカーの利益は下がる一方。
(そのうちアップルさん、M&Aによる「コンテンツ・レイヤー」企業の垂直統合を試みちゃったりして・・・)

岸氏は、50ページで以下のように述べています。

「低下したのは“ユーザにとってのコンテンツの価値”であり、“社会にとってのコンテンツの価値”は変わっていない、ということです」

「コンテンツは文化を形成するものであり、社会にとっての文化の重要性が不変である以上、特にプロが制作するコンテンツの社会にとっての価値も変わっていないはずです。」

「つまり、ネットの普及によって、コンテンツの“ユーザーにとっての価値”と“社会にとっての価値”の間に大きな乖離が発生してしまったのです。」

私の基本的なスタンスは“ユーザーオリエンテッド”です。
但し、“ユーザーオリエンテッド”は、「プラットフォーム・レイヤー」企業が、
徒にコンテンツの単価を押し下げて、(結果的に)質の“劣化”を正統化する“言い訳”にさせてはならない、と考えます。
それに、“ユーザーオリエンテッド”とは、表面的なユーザーの声に盲目的に従う、ということではありませんからね・・・。

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「格差突破力」をつける方法―勉強法から人生戦略まで

2009年12月12日 | 書評
≪お休みしてた間、mixiの「レビュー」にちょこちょこ書いてた雑文を再編集・転載してます。≫

【2008年2月20日】

「格差突破力」をつける方法―勉強法から人生戦略まで

先日、NHK総合の「プロフェッショナル・仕事の流儀」
だったと思うのだが、イチローの特集を観た。
流石! と唸る言葉もあり感銘を受けたつもりだ。

しかし、本書の著者は言う。

超一流のイチローや松井秀喜、
いや全てのプロのスポーツ選手は、
極めて特殊な才能=異能の持ち主だ。

ミュージシャンでも俳優でも同じこと。

私達一般人が生き抜くためには、
そんな特殊な才能の人達の「生き方」なんぞに振り回されることなく、
「普通」の生活を維持する「処方箋」こそ必要であると。

(もちろん、異能のスターに憧れるのはいいことですよ)

憲法第9条論議。

もし日本が戦争に巻き込まれた場合、
自衛隊だけで戦うことはまずあり得ない。

「自分も戦う!」

という人達の発言が目立つ。

しかし、戦争を遂行しうる「軍隊」たるためには、
死者が出るほどの過酷な訓練が不可欠だ。
徴兵制が必要なのは言うまでもない。

古今東西、どの国でも軍隊には、
陰惨な「いじめ」「しごき」がつきもの。
(数年前の明治大学応援団の事件を思い出した)

その覚悟があって、「私は戦う!」
なんてこと言ってるのだろうか?

著者はそういう人達のことを、

「お坊ちゃまの観念論」

とズバっと斬ってしまう。

そう言えば、「愛国者」を自認するある論客も、
昔、「おぼっちゃまくん」とかいう漫画をかいていたような・・・。

マスコミを通じて「国を守ろう!」
なんて煽る人達は、
まず、自衛隊の体験入隊さえしてはいないだろう。

すぐ「いじめ」の対象になりやすい人達ばかりだと思えて仕方がない。
あと、「ネット右翼」とか呼ばれている、2チャンネル系「匿名右翼」の人たちもね。

いまだに「右翼」「左翼」という二分法でしか判断できない、
思考の停止した知的水準の低い人達。
(嗚呼、うんざりだぜ・・・)

天下国家のことも大事だけどね。
煽られて馬鹿をみるのは愚の骨頂。

「攻め込め詐欺」にご用心。

本書のテーマは、

◆市場原理のグローバル化に伴う格差社会化は避けられない

ということを前提に、

◆格差社会のトレンド中で、中流の暮らしをいかに獲得し、
いかに維持するか、いかに幸せで充実した生活を送れるか
(リスクヘッジをするのか)

ということだ。

もう「当たり前」に生きていれば、
「中流」「普通」の生活が送れる、
という世の中ではなくなりつつある。

団塊の世代の著者は、
大学紛争たけなわの頃、
左翼学生に反発する少林寺拳法三段の青年。
ある日、元陸軍中将だった人から
「諸君は左翼と戦え」という露骨な扇動に反発、
逆に目が覚め、右翼をやめたそうだ。

そういう歴史をもつ著者が説く、

「誇りを持って戦争から逃げよう!」

というスタンスは、僕にとってリアリティがある。

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ロックミュージックの社会学

2009年11月21日 | 書評
≪お休みしてた間、mixiの「レビュー」にちょこちょこ書いてた雑文を再編集・転載してます。≫

【2008年12月14日】

『ロックミュージックの社会学』(青弓社ライブラリー)

あるJ-POPのバンドがいる。

彼等が自分達のことを外国人に説明するとき、
「自分達は日本ではU2のような存在」と。

あるメディアでそんな話を知ったときの大きな違和感。

「ぶぁ~かもんが」 という怒りのような、
「あ~あ・・・」 という呆れのような。

これって所謂 「ファン意識」でしょう。
そのバンドが、U2をリスペクトしてること自体は、何ら悪かないんですが。

(そのバンド自体は、好きでも嫌いでもないんで、ファンの皆様、悪しからず・・・)

で、本書には、そんな僕の違和感を構造的に摘出するヒントがある。

■ ロック音楽文化 3つの指標

(1) アウトサイド(反抗・集団凝固性)
(2) アート(芸術・卓越化)
(3) エンタティンメント(楽しみ・大衆性)

尤も、U2とそのバンドのケースでは、
エンタメ指標云々だけでなく、
「大量消費社会の要請」」という外在的(背景の)要因
が絡んでくるのだけれど、
著者は、ボードリヤールの消費社会論・価値論を援用してくれた。
(「超越的価値」→「雰囲気の価値」)

自分の実体験でも、すんなりと理解できるケースもある。
例えば「東京ロッカーズ」⇒パンク・ニューウェィブの流れ。

「SEX PISTOLS」と「P.I.L.」の違い。

UNDERGROUNDなニューウェイブと、「めんたいロック」の岐路。

著者の3指標、大いに援用させて頂きたいなと。

感謝

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ザ・ロック・ギタリスト

2009年11月21日 | 書評
≪お休みしてた間、mixiの「レビュー」にちょこちょこ書いてた雑文を再編集・転載してます。≫

【2008年12月13日】

200CD ザ・ロック・ギタリスト ― 憧れのギタリスト名演ディスクガイド

いつでもいいから、寝転がりながらめくってみるだけでいい。

読むというより、めくるのが楽しい本。

通して読み通すのではなく、
自分の経験・趣味とリンクする部分が少しでもあれば買う、
という類の本ですね。

恒松正敏さんも載ってる。

本書を買ったキッカケとなったのは、
U2のジ・エッジについて書かれた文体と表現が気に入ったから。
(この文章書かれた中山氏、僕と同い歳ね、ヤッパ)

【以下 168ページより引用】

U2というと、アイルランドの伝承音楽との結び付きは、
眉にツバをぬって読むべし。
こういう短絡的な理屈にダマされる人は、
立花隆や本多勝一にもダマされるだろうから。

彼等が初期に影響を受けたのがテレヴィジョンであり、
ヴァーレインの曲調から、モードの世界に入っていったのだ。

音楽の<雰囲気>と<構造>を区別して見極めるのは知性。
その2つが生み出すチカラを感じるのは<感性>。
エッジのギターは、良いアタマの訓練になる。

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ヒットメーカーの寿命―阿久悠に見る可能性と限界―

2009年11月14日 | 書評
≪これから数回、お休みしてた間、mixiの「レビュー」にちょこちょこ書いてた雑文を再編集・転載いたします。≫

【2009年02月01日】

『ヒットメーカーの寿命―阿久悠に見る可能性と限界―』

SHEENA & THE ROCKETS が94年リリースした、
「Street Singer」という曲がある。
ヒットのヒの字もない、世間的にはほぼ無名の曲だが。

Street Singer、といっても、
「ゆず」に刺激されて湧き出てきた若者達、
ましてや21世紀の若きミュージシャン達とは違う。
少なくとも彼は18年以上は活動してきたシンガーのようだ。

「私というベタな世界」から離れようとしない
(する必要もない)現在形の「アーティスト」達
(“等身大”とか言うよね・・・)とは違う。

歌がうまくたって、
お客は少なすぎるし、
何もわからない子供が二人、
不思議な顔で見上げるだけ。
大きな銀行の先で。

「私という世界」を発信するのではなく、
「心を伝える」のが彼。

このシンガーの心象風景こそ、阿久悠のそれだったんかな?

本書を読んでそう感じた。

読後から久しく、自分の感想を沈殿させてみた。

「阿久悠の栄光の軌跡とその後」
(全盛期の歌は殆ど知っている)よりも、

阿久悠を語ることを通して著者が切り込んだ
“現代”に対する認識のほうがよく印象深かった。

「極私的な世界」が一般的になってしまった現在。

(東浩紀センセの『動物化するポストモダン』が象徴するような・・・)

これって、
僕(や僕のような人たち)が80年代から、
あるときは、自分と周囲をグチャグチャにしながらも目指してきた理想が、

「こんなんなっちゃった」

という結果のような気がする。

著者の論からそう感じるようになった。
仮説だけど。

“自分と社会との距離感”の不安定さの中で、
持て余した自分を制御できなくなった若者達が、
ほんのちょっとのきっかけで、
自分と無関係な多くの人たちを殺傷する。

“自分史”というものを経済・社会状況の流れの中で分析してみる。
ときには、そんなことも必要かもしれない。

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『松田聖子と中森明菜』 前編

2008年01月19日 | 書評
こんにちわ! 私です。

今週はいかにも冬らしい寒~い日が続いております。

 「どこぐぅあ~~~ 地球温暖化やねん!!!???」
 「こ~~~んなに寒いやんけ!!!」

世界の中心とやらで、思いっきり毒づきたくなる私ですが、
そんな問題じゃありませんよね(^_^;)。
北極じゃ、白い熊さんたちが解けた氷の穴から海に落ちて落命していると聞いてますし・・・。

今回は久々に最近読んだ本について書きます。
(昨年下半期の「読書履歴」もそのうち、気が向いたら書くかもしれません)

『松田聖子と中森明菜』を読んだのは昨年の暮れでした。

著者の中川右介氏は、『クラシックジャーナル』編集長であり、雑誌社の社長。
文筆家として幅広いフィールドに精通しているプロ中のプロです。

中川氏の著作を読んだのは本書が初めてでした。
きちんとデータ(売上枚数・金額、ランキング)を押えた上で、
山口百恵(プロローグ)から松田聖子、中森明菜という
昭和最後期の“3大アイドル”を、作品論・文化論的視点で論じています。

著者は1960年生まれ。私と同学年か1学年上の方です。

はっきり言って“快著”なんですが、
同世代の中でもマイノリティ的な懐かしき親近感を覚える表現(比喩)に、
映画『アマデウス』のモーツアルトのような高笑いを何度も発してしまった私です(^o^)。
(私も歳をとったということか・・・)

「結果としては、蒲池法子にとってこの時点で渡辺プロダクションに断られてよかった。78年の時点で彼女がデビューしても、時代はまだ、山口百恵のものであり、そのアンチテーゼとして、ピンク・レディーが爆走していた。時代はこの二つが対立することこそを求めたのであり、二つを止揚するものを求めてはいない。」(55ページより。赤字装飾は引用者)

「自社のタレントを否定して、そのアンチテーゼを提示してきたことで、CBS・ソニー自体は常にトップアイドルのいるレコード会社としての地位を保っていたのである。自民党の長期政権を可能にしたのと同じ戦略である。山口百恵直系の『後継者』を出そうとした時点で、酒井はすでに時代の感性をつかめていなかった。」(77~78ページより。酒井はCBS・ソニーのプロデューサー)

このあたりはまだ普通なんですけど。

「大人たちはアイドルを商品としてしか捉えられなかった。しかし、松田聖子は違った。彼女にとってアイドルは思想であり、戦略であり、そして体制だった。マルクスとエンゲルスの思想をレーニンが戦略化してロシア革命を成功させ、ソビエト体制を作ったように、松田聖子は、アイドル革命に向かって邁進し、それを成功させ、体制を築くのである。」

「帝国である渡辺プロダクションに袖にされ、<スター誕生!>とも縁のなかった松田聖子-左翼運動にかかわったことのある者ならば、「反帝・反スタ」という言葉を思い出すであろう-だからこそ、既成アイドルの失敗の上にアイドル思想を継承することができた。」

「こうして、アイドル冬の時代かと思われた一九八〇年代に、フリルのついた白いドレスを着てわざとらしく笑う、十八歳の歌手が誕生した。」

(以上、93~94ページより。赤字装飾は引用者)

「反帝・反スタ」を大きく掲げてたのは、
「新左翼」の中でも2派だけだったんですけど。。。
う~ん、早稲田二文のご出身でしたね(^_^;)、著者は。

それにしても「反スタ」を「反スター誕生」と掛け合わせた
オヤジギャグにもやられました。。。

本書の37ページで引用されている『山口百恵は菩薩である』の著者、平岡正明の影響を強く受けているのかもしれませんね、中川氏は。

『プレイバックPart2』の「真っ赤なポルシェ」という歌詞が、
特定企業のブランド名ということで、
「真っ赤なクルマ」と歌うことを強いられた山口百恵。
1978年大晦日の「紅白」、彼女はしっかりと「真っ赤なポルシェ」と歌った。

「芸能が官僚主義を打ち破った瞬間だった」(51ページより)

その一方で、『いい日旅立ち』で国鉄とタイアップ。
この曲は国鉄のCMで流され、
レコードを買わない層、TV歌番組を観ない層への知名度を高めた。

「大企業と歌謡曲が本格的にタイアップする、その先駆けである。」(52ページより)

「ともあれ、私生児として生まれ、けっして豊かな家庭に育ったわけではない少女は、わずか十九歳にして、国家と対等に提携するようになり、国家の放送局とも対等にわたりあったのである。鉄道と電波を制圧するのが、近代における革命の条件だとすれば、山口百恵は日本史上、ただひとり、真に成功した革命家だった。」(52ページより。赤字装飾は引用者)

細かなことを言うと、あと「郵便」だったんですけどね(^_^;)。
レーニンの著作によると。
今現在、民営化された郵便局とタイアップしてるのは、
夏川りみ、か・・・。
全然、「革命家」じゃないっすね。
それも“時代の流れ”ということで。。。

こういった表現に、「アマデウスの高笑い」をする私は、
超マイノリティな存在だと思います。
若い人には理解できないかもしれませんし、
同世代でもマジョリティにとっては、何のことやら・・・でしょうね。。。

でもね、終始、こんな調子じゃありませんよ。

人間の根源的な“欲望”(コミュニケーションの究極形態としての恋愛感情)の
“変わらない深層”と、“変わっていく表層”というものをですね、
“流行歌”の成立と変遷の歴史の中で、掴めるかもしれないなと。
そんな読後感を得られました。

「後編」では、もちょっと真面目に書くつもりです(無理かな・・・)。

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2007年上半期 私の読書録 パートⅡ

2007年07月06日 | 書評
 こんにちわ! やはり朝型転換に苦戦、深夜0時以降に仕事のテンションがピークに達してしまう、
 マーケティング・アナリストの井上秀二です。
 今日も昼起床でした(1日2食で済むのでダイエットにいいかも?)。

 ブログの文字数10,000字制限によって、2回に分けざるを得なかった
 「2007年上半期 私の読書録」、パートⅡでございます。
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■ネット・メディア論

  

  スティーブ・ジョブズに密着した米国ITジャーナリストの著書。
  米国消費者の特徴というバイアスは強いものの多くの示唆を受けました。
  「成功者の軌跡」という印象も強かったですが。

   

  スンマセン、、、時間がないもんで(実は超多忙なんです・・・)、
  同じ著者の2冊、まとめちゃいます。
  著者は優れたITジャーナリストなので、
  頭の中を整理するのにはもってこいの著書です。
  私は自分の営業ツールで、従来「メディア」と呼ばれてきた
  CD・DVDのパッケージ商品や音楽・映像配信データを
  「コンテナ」と呼んでいますが(↓)、これらの著作から拝借いたしました。
  

  

  私の知人、神田さんの著作。今年になってから読みました。
  時代の「1.5~3歩」進んだ神田さん、今は「セカンドライフ」の先を
  見据えていることでしょう。

  

  同じく神田さんが今年上梓した著作。
  こちらのほうは3月に「マーケティング話」で取り上げました

  

  まだ知らんこと一杯あるなと。
  「座右のマニュアル」にしようかと購入。でもなかなか使ってません(^_^;)。

  

  「セカンドライフ」に仕事で携わる著者、熱いながらも論理的に語ってます。
  20代前半の著者の感性やスタイル、理解することも必要かと。

  

  このお二人の対談、読まにゃいかんでしょ。
  「強者」ではなく「弱者」の立場で、CGMやSNSの未来を語っているのが
  私には心強い。お二人とも結構過激と言うか、だいぶ本音を吐露してます。

  

  「ITmedia+DLifeStyle」の連載コラムを書籍化した著作。
  メディア、テレビ、ネット、人間行動、著作権まで、どこから読んでもOK。
  それにしても表紙の「眼」が怖い(^_^;)。

  

  元々音楽制作畑の著者なので、
  少々既得権益寄りの保守派(?)と思いきや、そうでもなかったです。
  「ヘッド」でなく「テール」の立場で本書を執筆。
  メジャーではなくインディーズ事業者・アーティスト向けに、
  iTunes Storeの活用事例と方法を丁寧に記しています。

  

  これは先日購入したばかり。これから読みます。
  厳密には上半期読書録に入れるべきではありませんが。
  すでにこんな書評も

■その他

  

  こちらは、お仕事をする姿勢について書かれた著書。
  会社勤め時代の自分を振り返ると反省しきり。。。
  前職時にお世話になった他社の皆様、ゴメンなさいです(^_^;)。
  でも、今はフリーなので「プロ意識」は前職時とは違います。
  お金には数倍厳しくなってますけどね(笑)。

  

 J・K氏と彼のブレーンはやはり天才ですね。
 結構、面白く読ませて頂きました。

  

  たまには笑える本も。大学時代の先輩の著作です。
  これも2月の記事で書きましたね。

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2007年上半期 私の読書録 パートⅠ

2007年07月05日 | 書評
 こんにちわ! NHK総合『その時歴史が動いた』が大好きなマーケティング・アナリスト、井上秀二です。
 昨夜(7/4)は、「冷戦の壁を破ろうとした男 ~石橋湛山・世界平和への願い~」でした。
 いやぁ~、凄い政治家だったんですね、石橋湛山は
 戦後間もない時期にもかかわらず、進駐軍への「思いやり予算」の2割削減を実現!!!
 戦前は欧米との友好関係、冷戦下の戦後は米国に一線を画し東側との友好関係を希求。
 それは「感情的な平和主義」からではなく、冷徹な経済合理性からだったんですね。

   ◆経済はイデオロギーを超える

 石橋湛山のこのポリシーの正しさは証明されています。
 ついでに「宗教」も超えてくれればもっと素晴らしいのですが。。。

 私の持論も、「友好は目的ではなく結果。大切なのは共益」(麻生太郎閣下)なので、
 この番組は特に感慨深かったです。

 現在、久間前防衛庁長官の発言と辞任の問題でマスコミさん、お騒ぎですが、
 時代背景は異なるものの、石橋湛山のような方こそ「信念の政治家」と言うんでしょうね。
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 ところで、7月に入ったということは、2007年もあと半年! ということです。

 普通でしたらこの辺で、「2007年上半期 私のベストCDランキング
 なぞ書きそうなもんですが、
 水瓶座B型の私、天邪鬼(↓)なので、そんなことは書かず、
 今回は読書録を書くことにします。

  
   *この方(↑)は、双子座AB型のようです。

 いやぁ~、それにしても新書がブームですよね。
 私が10代の頃、新書と言えば「岩波新書」で、社会科学や文化中心だったんですが、
 数時間で読破できる新書版がビジネス書のトレンドですね。
 私なぞ、すぐに衝動買いしてしまうので(CDよりず~っと安いもんね)
 書店に入ることを自己規制している今日この頃なんです。

 時系列ではありませんが、テキトーにカテゴライズして簡単にコメントいたします。
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■社会科学(日本人論を中心に)

  

  拒否反応を示した友人も数名おりますが、
  もっと頭(固定観念)を柔らかくされたほうがいいのでは。
  「品格」の無理強いなどなく、
  とても基本的な「気づき」を私に与えてくれました。

  

  ひたすら養老先生が気炎を。
  珍しいことにテリー伊藤さん、聞き役に徹してますが、
  それもテリーさんの才能なんでしょうね。

  

  「簡潔にまとめなさい」というビジネスの決まりごとはいいんですが、
  ビジネスシーン以外、特に文化・精神面では「劣化」だと思いますね。
  長い文章を読むことが苦痛になるネット文化の弊害と重なって。
  私と同世代の香山先生、昔、雑誌に「ムーンライダース」が好きだ、
  と書いておられましたね。(関係ないか・・・)

  

  う~ん、良くも悪くもジャーナリストの文章ですね。
  「ジュピター」「千の風になって」「江原現象」「ロハスブーム」。
  表層的な現象を捉えた印象が強く、深層を抉る論がないような。

  

  記事に書きました。
  「極めて特殊な人たち」のことを書いていますが、
  本質的に秀逸な日本人論、人間論であると。

  

  ホントに寝ながら読みました。
  ソシュール、バルト、フーコー、レビィ=ストロース、ラカン。
  やっぱ難しいっす。。。何回も読まんとね。

■マーケティング・ブランディング

  

  80年代のポスト・モダン=快楽消費の美味しい時代を謳歌された三浦先生、
  反発を受けることが多いですけど、マーケターとしては優れた方です。
  私と近い世代なので、「全員集合」と「ひょうきん族」の比較、
  「どらえもん」の“暗示”など面白いです。

  

  久々に読み応えのあるマーケティング書でした。
  クラウゼビッツの『戦争論』を読まなくても、本書を読めば大丈夫!
  当然、米国企業の事例中心ですが、
  基本的なマーケティング戦略論はぎっしり詰まってます。
  「マーケティングの主戦場」は店頭ではありません。
  生活者の「頭の中」なのです。

  

  「仮説思考」の良質な入門書ですが、
  たまには基本に立ち返るのも重要かと思い購入しました。

  

  マーケティング理論的には目新しさはないものの、
  重要な示唆はあります。
  ポジショニング、セグメンテーション、ターゲティング
  に馴染んでいる身としては、たまには読むべき良書ですね。
  基本です。

  

  博報堂のブランド論(著者は博報堂のご出身)はしっくりきますね、私には。
  デザインセンスも高い方の著書なので、楽しく読めます。

  

  やっぱ、ブランドと言えばアパレル・ファッションですかね。
  ハナエ・モリから現在のカッシーナ・イクスシーまでの華々しいご活躍、
  現場で培った著者の筆致は力強いです。
  「人を幸福にしたいか?」こそ、ブランドづくりの基本的な動機。

  

  記事に書きました。
  森さんのファンには物足りない(?)かもしれませんが、
  基本的なエッセンスを確認しましょう。
  勿論、「イノベータ理論」を一冊の著作にまとめられたことは画期的!
  「シンプルマーケティング」の入門書としてもいいと思います。

  

  読み終わってから気づきましたが、著者はお若いんですね!(私よりは・・・)
  しかも「天邪鬼」のCharさんのアシスタント・ディレクターからプロデューサーに。
  (大変だったでしょ!?)
  成功体験ひけらかしの「音楽業界人」の著書とは全く違った、
  優れたマーケティング書だと思います。
  消費者行動研究の学術論文も読まれてますし、
  「ただの音楽バカ」には決して書けない良書です(^_^;)。
  現役プロデューザーでこういう著作を書ける方がいることは、「救い」かもしれません。
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 と、ここまできましたら、ブログの文字制限が。。。(使えねぇーな)
 これは、「ええ加減にして仕事せい!」というスピリチュアルなメッセージでしょうか?
 ということで、次回のパートⅡでこの続きを。【パートⅡ】は、
 ■ネット・メディア論 ■その他(芸能?)、です。
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『連合赤軍とオウム わが内なるアルカイダ』 田原総一朗著 集英社 2004年刊

2007年06月12日 | 書評
 こんにちわ! 井上秀二です。
 「80年代J-ROCKのお話」まだ続きますが、たまには書評でも。
 私もビジネス書以外の本も読んでおりますので。

 先程、「mixi」と「XSHIBUYA」の「レビュー」にアップしたものを再編集・載録いたします。
 ジャーナリスト田原総一朗さんの著書、『連合赤軍とオウム わが内なるアルカイダ』について書きました。
 レビューと言うよりも、備忘録のような走り書きで、引用が多いですけど。。。

 1934年生まれの田原さんは、戦争中の少年時代、海軍に入って特攻機に乗ることを考えておられたそうです。戦争後期、米軍が上陸したら爆弾を抱えて米軍の戦車に体当たりする、つまり自爆テロを決意しておられた。

 大学生時代、私はある問題意識を抱いておりました。
 何故、特攻隊を組織してまで戦争を遂行した日本軍が、天皇陛下の玉音放送で敗戦を受け入れたのか? そして連合国による占領政策のためとはいえ、なぜ日本人は価値観を180度転換してしまったのか? これぞ“原理主義”。

 現在、イラクでは武装勢力による“戦争”が続行中です。
 当時の“青かった”私は、敗戦直後の日本でも今のイラクのような状況が続いてしかるべきではなかったのか? でなければ、国のために命を落としていった兵士たちの魂に顔向けできないのでは?
 という問題意識をもっていたのでした。

 勿論、今の私は、戦後の日本人が価値観を転換させ、復興(実はそれも戦争の継続した形だったのですが・・・)に注力、と言いますか、生きていくことに精一杯だった歴史を肯定しております。

 但し、太平洋戦争中の日本人(政府・軍部だけではありません!)が、“病的”であったこと(岸田秀氏の持論では「精神分裂病」)は否めない事実だと考えます。

 本書は、執筆にあたる田原氏に、「青春時代の私たちも、テロリストだったの?」と叱咤し背中を押してくれたという田原氏のご夫人、節子さんに田原氏が捧げた一冊とのことです。
***************************************************************************
■第一章 アルカイダ-孤立した秀才たち
■第二章 オウム真理教-武装した予言者

 ここまでは従来マスコミ等の報道から得られた情報以上のものはほとんどなし。
 事実関係の話が中心で、人間の深奥に至る洞察を期待してしまった私には、物足りなかった。

 ただ、全てのオウム裁判を傍聴された降幡賢一氏(朝日新聞編集委員)が、差別的言動との誤解を恐れず発言されたことは自分にとっては新鮮。言われてみれば当たり前のことなんだが。

「麻原が目が見えていれば、これはインチキだとか、これはだめだということが即座にわかる類のことですよね。だけど彼は情報として話を聞くだけなんですよね。」
(ボツリヌス菌、潜水艦、ホバークラフトなどの滑稽性について)

■第三章 連合赤軍-消された大義

 はっきりと言おう。
 連合赤軍事件で当事者達の経験は、太平洋戦争で原爆を2発落とされるまで、勝てない戦をズルズルと続けた日本人(政府だけではない)の体験と、本質的に同じである。

 「もうやめよう」と誰も言えなかった歴史。
 本書を読む前からの私の持論の確信は高まった。

 この章でようやく私の期待した発言が。

 3人の証言者のうち最後に登場する、三上治氏(元共産主義者同盟叛旗派最高幹部)の発言は、人間というものの本質をよく捉えている。

 三上氏は、赤軍派の故 森恒夫氏など後の「連赤」幹部との交流はあったものの、ブント(共産主義者同盟)叛旗派は、「連合赤軍」とは別組織。
 元連合赤軍兵士の植垣氏のような“当事者”ではない。

 だからこそ、冷静に当時を総括できるのか?
 いや、三上氏の資質故だと思う。

 大衆運動から武装闘争に転換した赤軍派にしっかりとした「コンセプト」がなかったことへの指摘もそうだが。。。

 何よりも故 森恒夫氏の一度運動から脱落した後の復帰という経験が重要なキーとなっている。
 彼が連赤幹部として先鋭化していった心理過程は、何もテロや戦争に限らず、我々の日常でもよく観られる心理過程であると私は考える。とても象徴的だ。

 三上氏の発言は、実に鋭く私に突き刺さる。
 テロや戦争時ではなく、平常時に生きる自分にとってね。
 実に痛い。。。

「ここが大事なことなんですが、前向きに、しっかりした戒律をもった、しっかりした人物というのは、意外といざというときになると、全然、役に立たなかったりするんです。」(371ページ)

「グズで、役に立たないと思っていたやつが、いざとなるとやるんですよ、現場で。というのは、人間はね、想像で死ぬことを考えたり、想像力でいろんなことを考えるということと、現実の場面に臨んでやるというのは違うんだと。このことが非常に重要なことなんですよ。」(371ページ)

「ということはね、戒律や軍律や教育で何かきちんとした人間に育てようとしても、きちんとなりはしないんですよ。いざとなったらね、本人が積み上げた、自分の修練してきた歴史が全部出るしかないんです。戒律や軍律や、そんなもので縛ったりできるもんじゃないんです。
(中略) 政治や宗教をやる連中が、一番陥りやすい罠なんですよ」(372ページ)


 そう言えば、自民党内で「礼儀がどうのこう」のと息巻いていたお馬鹿さんが一人おりましたね(苦笑)。

「結局、自分の中の怖さをね、戒律で縛るということですよね。すると、自分の中に恐怖をもっている連中は、自分のそれを自分で縛るだけではなて、他人に強要するんですよ。つまり、自分に対する自己不信が、自己不信であればいいけれど、他人に対する不信として出てくるわけですよ。」(373ページ)

 うう~ん、こういう困った人達って、会社や学校、家庭やカップルにもゴロゴロいるんだよね。
 私だっていくつも過ち繰り返してきたし。
 だから今の私はフリーで丁度いいと実感。

「自分を恐れていると、『制度の言葉』に救いを求めるんです。」(373ページ)

「結局、自分の恐怖というか、逃げたら自分に負けたことになると考えるわけでしょ。規範みたいなもので自分を縛ろうとする。そういうところに行くわけですよね。宗教性みたいなところですけどね。 だから逆に、そんなもんなんだと。人間、いざとなったら、好き勝手、ちゃらんぽらんでいいんだよ、逃げてもいいんだよと。怖くなったら逃げろよ、ダメになったら逃げればいいんだよというようなことは、なかなかいえないんですよ。
 だけど逃げるにも勇気がいる。そういう、当たり前のことをいうのはね・・・・・・。」(375ページ)

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 連合赤軍によるあさま山荘事件の模様をテレビで観ていた私は、当時小学生でした。
 何がショックだったかといえば、あれだけ悪いことをしたのに逮捕・連行される時、顔を隠さず堂々と(実は呆然としていただけだったのかもしれません)TVカメラに写っていた坂東国男氏の姿です。
 強烈でした

「自分は弱い人間なんだ」

というコンプレックスを抱えていた小学生の井上少年の眼には、
確信犯として堂々と連行される坂東国男氏や、妙義山で逮捕された故 森恒夫氏が、

「ひょっとして、とても強い人たち?」

というように見えたのでした。
 そういう自分の「総括」のためにも、たまにはこういう読書もね
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ヒット商品を最初に買う人たち 森行生 著 ソフトバンク新書 2007年刊

2007年03月26日 | 書評
 土曜日のサッカー日本代表の強化試合(対ペルー戦)、俊輔高原の海外組の活躍、頼もしかったですね♪

 こんにちわ!
 俊輔のフリーキックを見事、頭で押し込んだジェフ・ユナイテッド巻君の声が、大リーガー松井秀喜の声と重なって仕方のない、井上秀二です。
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 昨年、書評を書かせて頂いた、マーケター必読の名著 『シンプルマーケティング』の著者、森行生さんが、ソフトバンク新書から新著を出されました。

 発行は2007年3月22日ですが、その数日前、森さんご本人から本書の発行を教えて頂きました。

 カフェで昼食をとっていたところ、偶然、すぐ隣の席にいらしたのです。
 お会いしたのは2年以上前に一度だけ。私の飯原経営研究所時代のことです。
 互いに顔をよく憶えていなかったのですが、聞こえてくる会話の内容(盗み聞きしたのではなく、30cmの距離でしたので・・・)から、森さんに間違いないと確信したのでした(笑)。嬉しい邂逅ですね。

 DCCM理論プロダクトコーン理論でおなじみの『 シンプルマーケティング』 の読者にとって、本書を読むことによって新たな「軸」を見出すことが可能です。

 初めて森さんの著作を読まれる方にとっては、入門編と言ったところでしょうか。

■マニアとイノベータの違いとは?

 イノベータとマニアの違いですが、森さんは「マズローの欲求段階説」を使い、シンプルかつ明快に定義づけています。

   5.自己実現の欲求 ⇔ イノベータ
   4.尊厳の欲求 ⇔ マニア
   3.所属の欲求
   2.安全の欲求
   1.生理的欲求

 「商品を最初に買う人たち」といっても、イノベータとマニアの特性の違いを理解しておかないと、大変な間違いを犯してしまうこともあるんですね(^_^;)。

■PLCとイノベータ理論

 商品・サービスのプロダクト・ライフ・サイクル(PLC)を、生活者調査によって見事に見極める手法を紹介されています。それによってある程度の売上予測も可能になります。
 やはり、イノベータ理論が力を発揮します。

 「イノベータ離れ」によって「成熟期」→「衰退期」に移行していった(移行しつつある)事例として、
 ファミレス業界、「スターバックス」、「2ちゃんねる」が取り上げられています。

   「イノベータの引きこもり」
   「イノベータの折り返し現象」
   「隠れイノベータ現象」

などの現象も興味深いですね(^_^)。

■企業戦略

 商品が売れる期間を延ばし大ヒットにつなげるためには、まずはきちんとイノベータに定着させる必要があるのです。そのためにもっとも強力な手法の一つが、クチコミというわけです。(本書106ページより引用)

 本書を読んだ後、私の気にかかったことは、昨今、多くの業界で話題になっている「口コミ」の定義がとても曖昧なんじゃないんですか? ということです。

 アーリーアダプタやフォロワーへの「口コミ」、というものもあるんですが、やはり、イノベータに対する「プロダクトコーン」の「規格」の伝播こそ優先順位が高い。

 スキミング戦略の基本です。

 そしてイノベータに広まった商品・サービスを、アーリーアダプタやフォロワーに訴求するのが、「プロダクトコーン」の「ベネフィット」「エッセンス」。

 本書では、スキミング戦略の成功例として「スウォッチ」を取り上げています。
 一方、「本当の王者」のみ実行可能な、ペネトレーション戦略の成功例として、資生堂「TSUBAKI」が取り上げられています。

■音楽業界では?

 私見ですが、パラダイムシフトしつつある業界では、戦略・戦術の見直しが迫られるのは不可欠だと考えます。

 例えば、音楽業界。

 90年代後半の「CDバブル崩壊」までは、「今、これが流行っているんですよ♪」 というサプライヤーサイドの 「ユーザ操作」(言葉は悪いですが・・・)が効を奏してきた。「プロデューザー主導」の時代もしかり。

 しかし、今更言うまでもなく、生活者の情報リテラシーは当時とは違います。

 まだ僅かながらなんですが、ユーザの音楽情報入手メディアの比率において、SNSやブログが、レコード会社とCD小売店のサイトを上回ったという調査結果もあります。
(私が出した結果なんですけどね・・・笑)

 「マーケティングに乗せらてたまるか」という意識も今や当たり前。
 一ユーザとしての私もそうです(そうでなかったらマーケター失格ですね・・・)。
 (もっともコアのファン層は、「乗ってあげる」ことも多いですけどね)。

 携帯やPC向けのデジタル配信も普及し、選択肢も増えている。

 となると、いきなり多額の広告宣伝費を投入できる=「ペネトレーション戦略」が可能な企業は、自ずと限られてくれでしょう。

 イノベータどころか、いきなり、アーリーアダプタとフォロワー(マス)を、「地引網」の如くさらおうとする(=大ヒット)戦略・戦術をとれるのは、「体力」十分のほんの僅かな企業に限られるようになることは言うまでもありません。

 そもそも、そういう「ペネトレーション戦略」は継続性が不可欠です。
 一度、ヒットしても間断なく広告宣伝費をかけ続けなければならない。

 音楽やエンタティンメント業界で、「ヒット」が長続きする例が少ないのは当然のことなのです。

 そして、散々もてはやした後、すぐスト~ンと落としたがるマスコミと同じように、

 ○○はもう終わったね。。。

という言葉がユーザから発せられるのです。

 それが、フォロワーから発せられた場合は悲惨です。
 「大ヒット」という現象は、本来、「購入しなくても良かった人」まで購入してしまったた、という側面もあるのです。
 そして「購入してしまった人」が、購入を後悔するような消費者心理が噴出するようではマズい。。。
 きれいさっぱり消費されてしまうということなんですが、

 「商品・サービス」と違って「人」なんですからね。

(極僅かですが、新しい「イノベータ」を獲得してブランドリニューアルに成功した事例も、あることはあります。)

■革新的と伝統的の2種類のイノベータ

 ある商品・サービスの従来からのイノベータ(伝統的イノベータ)と、革新的イノベータのダイナミズムは、本書を読んだ私の琴線に最も触れた内容です。

 “ゲームの内容を変える”革新的イノベータ。

 事例として、ドッグフード「ペディグリー・チャム」、デジタルカメラ業界、iPodに敵わないソニーの携帯デジタルプレーヤーが取り上げられています。

 2005年4月、私は飯原経営研究所にて、『携帯型デジタルプレーヤーに関する生活者調査』を実施しました。

 その時、主成分分析・判別分析によるクラスター分析を行ったのですが、「iPod(アップル)」の所有率が高かったのが、「流行追及系」と私が命名した、音楽知識や音楽の記号性を重視せず、流行の音楽を好むクラスターでした。

 また、「参考」として巻末に掲載したのですが、

   「新しい商品は、他人よりも先に手に入れたい」

との設問に「そう思う」との回答比率は、「ソニー」ユーザが圧倒的に高かったことを思い出しました。

 設問項目では、対象カテゴリは明示していませんでしたが、とても印象的な結果だったことを憶えてます。

 仮定の話として、回答者が当該カテゴリの「イノベータ」だった場合、「伝統的イノベータ」 ということになるのでしょうね。

 そして、マーケットでシェアを高めた「iPod(アップル)」を早い段階で購入したユーザが、「革新的イノベータ」 ということになるのでしょう。
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『欲望解剖』 脳科学とマーケティングのフュージョン

2007年01月18日 | 書評
 脳科学者の茂木健一郎先生、法政大学大学院ビジネススクール教授の田中洋先生が各々のお立場から「欲望」を論じ、充実した対談まで収録した快著です。

 茂木健一郎先生は、TV番組の司会でも活躍しておられますし、書店の新書コーナーでは先生の著作を見かけぬことはありません。

 田中洋先生は、わが国のマーケティング、ブランド論の第一人者です。
 『企業を高めるブランド戦略』『デフレに負けないマーケティング』は私のバイブルですし、今の私は先生が翻訳された『世界最強CMOのマーケティング実学教室』を読みたくてウズウズしているのです。

 昨年(2006年)12月、この『欲望解剖』を購入し、そろそろ読み始めようとバッグの中に入れていたある日、田中洋先生と初めてお会いできたのは嬉しい限りでした。本書を読んだ後でしたらもっと良かったのですが贅沢は言いません(^_^;)。

(しまった! サイン書いてもらうんだった。。。でも本はアンダーラインと書き込みばかりになったし、先生にはmixiで「心の弟子」にして頂いたから、まだ機会はあるもんね~笑)
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 今まで、これからマーケティングの新潮流になるであろう「ニューロ・エコノミクス」関係の書籍は、G・ザルトマンの『心脳マーケティング 顧客の無意識を解き明かす 』以外見当たらないと誰かがamazonのレビューに書いていたのですが、私も『心脳マーケティング』しか読んだことがありませんでしたので、ニューロ・エコノミクス入門書としても本書が刊行されたことの意義は大きいと思います。
 茂木先生は、経済合理性だけではな説明できない「異常項」の理論化を試みているのです。
 私もmixiで「神経経済学」のコミュ入ったし、ってことはどうでもいいか。。。
 それにしても幻冬舎さん、相変わらず刺激的な本出してくれますね(^_^)。

■記号消費からクオリア消費へ

 成熟消費社会におけるマーケティングでは、「クオリアの質の追求」のような芸術家的センスが必要とされる、という茂木先生のご持論、勇気づけられますね。

 「強化学習」「アディクション」「教師なし学習」「偶有性」「アタッチメント理論」「認知テロリズム」「昼間のセレンディピティと夜の意味統合」といった重要キーワードは、私の脳内でドーパミンを、ドーパ、ドーパと噴出させてくれます(古いね・・・)。

 ドーパミン、エンドルフィン、A10神経は、私が80年代に読みまくった栗本慎一郎氏の著作でお馴染みだったんですが、今、茂木先生のわかり易い理論を享受できることは幸せなことです。

 茂木先生のアタッチメント理論流で表現すれば、例えばルイ・ヴィトンやエルメスの勝負服、勝負バッグは、「世界に向かって自由に探索するための“安全基地”」ということになります。面白いですね。となると愛着を持たれる「ブランド」とは、人間が自由に生きられる、もっと「世界」を探索できるアイテムということになりますよね。

■文脈づけされた偶然の発見

 というのが、ネットワーク上におけるマーケティングの大命題とのこと、至極納得いたします。

 「消費者の性向や嗜好などを考慮した上で、そこに少しだけサプライズを加えることが、ストーンと脳に入っていくセレンディピティ」(65ページより)。

 「うまく偶有性を持たせ、半ば予想ができるけれど半ば偶然の要素」(同)。

 茂木先生は「夢」を「記憶の編集工程(互いに関係のあるものを結びつける)」と規定されましたが、このモデルはマーケティング(欲しい「モノ」と「ヒト」を結びつける)と同じ構造なんですね。
 そして今までそれを最も効率的にやってきたのがブロードキャスティング(マス・マーケティング)。これを茂木先生は「マーケティング1.0」と命名しています。
 こうなると私達にとって「マーケティング2.0」の姿は自ずと明らかになりますよね。

■普遍的な原則

 ところで茂木先生もそうなんですが、田中洋先生は、ベーシックな部分をきちんと押さえた上で、マーケティングの進化型・未来型を論じる方です。

 どんなに時代が経っても変わらないものがありますが、本質は変わらない、という立場から、マーケティングの起源はメソポタミアとのご説は、論理的で説得力があります。

  環境整備 → 大量生産 → 過剰(余剰生産)→ 選択肢増加(消費社会化)→ ブランド生成

 こういったベーシックな部分を押さえておけば、トレンドや流行は目まぐるしく変遷しても、「見失ってはいけない本質は見える」ということですね。

■「欲望機械」としての人間

 田中先生は、「欲望」を3段階に整理されています。

  1.欠乏としての欲望

  2.媒介としての欲望(顕示的欲求)
      *現代的な欲望には他者の欲望が入り込んでいるというジラールの理論より

 そして、第3の欲望が、「根源としての欲望」です。ジル・ドゥルーズと、フェリックス・ガダリ(注)らフランス現代思想家の、「人間」=「欲望機械」という概念に基づいています。

(注)80年代に20代だった私、最初「ドルーズ・ガダリ」という一人の人物だと思ったもんです(大汗)。

 フロイドの理論のように、まず「人間ありき」ではなく、まず「欲望」ありき。
 極端に俗っぽく言えば、「何だかわからないけど、心の奥底から欲しいから欲しいんだ~い」ということです。

 「何が」→「欲しい」ではなく、「欲しい」→「何が」という図式でしょうか。

 そう言えば、ラグジュアリ消費が満喫できるお金持ちになっても、「何が」欲しいのか自分でもわからない人がいますが、これも、

「お金が入った」→「何か欲しい」→「でも何かわからない」→「お金持ちが買うといわれているものを買おう」

という図式で説明できますよね。田中先生はこれを「富豪ニート」と呼んでいます。

 こういうとき私は「恋愛」をアナロジーにして考えます。

 「相手」→「恋愛モード」ではなく、「恋愛モード」→「相手」なのではないか?

 「相手」→「恋愛モード」に見えるパターンも、実は自分が無意識的にでも「恋愛モード」になっていなければ、「何だかわからない燃える(萌える)ような恋心」なんて湧いてきませんよね。

 話が逸れましたが(汗)、田中先生が鋭いのは、常識の逆をいく発想です。

「むしろ人は欲望をどのように抑制するのかという点に、マーケターはより着目すべきかもしれません。」(78ページ)

「つまり『なぜ消費者はそのときその商品を買わなかったのか』ということへの着目です」(同)

「人が何かを主体的に欲するという考え方は、実は疑ってみた方がいいのです」(79ページ)

「情報が不足するから情報を欲するというようにストレートに言うこともできません。(中略)むしろ情報を入手するためにモノが必要とされています。」(87-88ページ)

「これはおそらく人間それ自体が情報からできているからです。(中略)人間=情報は自らを拡大し、より豊富な存在になろうとする。人間という存在を超えるものが情報であり、情報こそが『欲望する機械』なのです。」(88ページ)

■ポスト・カルテジアン消費

 情報を媒介として心と体が一体化した消費現象「ポスト・カルテジアン消費」。これこそ、私が本書を読んで最も琴線に響いたタームです。

 iPodの使用をヒントにされたとのことです。わが国では特に携帯電話のことも頭に浮かびますが、iPodの場合は特にシャッフル機能を使いますよね。これって「脳」の機能にも共通するのでは? と私は思いました(仮説)。

 哲学的に言えば、人間の心と身体は別、と唱えたデカルトの二元論の止揚された形。

 マーケティング的に言えば、情報機器を「使う」とか「操作する」ではなく、情報消費をベースに、モノ(機械)と自分自身=アイデンテティとが一体となるような状況です。

「安くなった情報を入手してそれを楽しんだり、ハンドリングするためにモノ(情報機器)が必要とされる。iPodはまさにそのような商品です」(90ページ)

 となると、音楽コンテンツも「作品」や従来からのコスト構造、ビジネスモデルを常識に考えていると、「未来形」を見通すことはできません。

 現在は、まだ「デジタル情報」が「モノ」としてのCDやDVDに収まった形で流通していますが、同じ「デジタル情報」を収める「モノ」は、CDなどのパッケージに入っている必然性ははなくなり、最初から情報機器という「モノ」に入っているか(「iPod U2 Special Edition」のように)、簡単に入れれば良いという話になってきます。

 もちろん、CDなどのパッケージ商品は簡単にはなくなりませんし、シェアは低下するものの残っていくでしょう。また、わが国では、音楽配信普及のボトルネックは厳しく、多数派のユーザーはまだパッケージ商品から情報機器に情報(曲)を入れるスタイルがメインです。

 ただし、音楽配信のボトルネック(来月にはプレスリリース公表できそうです)が今のままであることは想定できません。
 少なくとも現在の10代以下の世代が消費のメインステージに立つ頃には。。。

 従来とは少し違う意味で、iPodなどの情報機器、ユーザビリティが高くなる携帯電話は、オーディオのみならずCDなどパッケージ商品の競合としてその存在感を高めていくことでしょう。

  <音楽配信 vs パッケージ商品> だけではなく、

  <情報端末(iPod) vs パッケージ商品>

という構図でも市場や時代の底に流れるユーザーのライフスタイルを捉えることが必要です。
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 あまりここで書いてしまうと、本書にご興味を持たれた方が本を買っていただけなくなるかも、、、ということでこの辺りで。

 最後に、<対談>で田中先生が述べられていた「レリヴァンス(自分との関連性)」と、「第三者効果(不特定多数向けの情報のオーラ)」のダイナミズムがこれからのご研究で解明されていくならば、マーケティングは画期的な進化を遂げるであろう、という大いなる期待で締めさせて頂きます。

 ご精読ありがとうございました♪

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