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【ML251 (Marketing Lab 251)】文化マーケティング・トレンド分析

トレンド分析ML251の文化マーケティング関連Blogです。ML251の主業務はトレンド分析をコアにしたデスクリサーチ。

「空気に支配された、組織内意思決定のジレンマ」

2012年06月30日 | 徒然
【森達也 リアル共同幻想論】
◆連合赤軍がうらやましい。


中枢の意志を過剰に忖度する周辺。そして周辺の意志を過剰に忖度する中枢。互いに忖度し合いながら集団は暴走する。一人称の主語を喪うからだ。

連合赤軍やオウムだけではない。ナチスやポルポトや大日本帝国など、すべての組織共同体が引き起こす壮大な失敗の背景には、この負のメカニズムが絶対に働いている。

(黒字は引用部分、【森達也 リアル共同幻想論】4ページ目より)

「空気に支配された、組織内意思決定のジレンマ」と名づけてみたい。
このあたりが落とし所だろう。
さすが、森達也さん

森恒夫は一度、運動から脱落した経緯もあって、自分の弱さ(それが正常だと考えるが・・・)を自分で見ない、他人から見られないために“過激化”していったことはよく知られている。
そんな森恒夫が、永田洋子から相談を受け、「処刑すべし!」と言ったら、「本当にやっちゃたよ・・・(汗)」と。
それで、後戻りのできない破滅へのスパイラルへ。

森や永田に支配され一方的に強制されたのではなく、むしろ自分たちが森や永田を相互作用的に追い込んだ要素もあるのかもしれないと語りながら、元兵士たちはつらそうだ。

(黒字は引用部分、【森達也 リアル共同幻想論】4ページ目より)

「支配され一方的に強制されたのではなく」「相互作用的に追い込んだ要素もある」が重要なポイントだ。
そして、見事に連合赤軍とオウム真理教の暴走に共通しているわけだ。

一方、オウムのほうでは、1990年、熊本地検にブチ切れた麻原が過激なことを言って、それを上祐が止めた。
それは、一対一のインフォーマルな場(お風呂のガラス越し)だったからこそ可能だったわけで、他の幹部のいるフォーマルな会議の場だったら、さすがに上祐でも言えなかった、という話は象徴的だ。

少しだけ苦笑しながらそう言ったあとに上祐は、「もしも他の幹部たちがいたら、制止はなかなかできません。より過激なことを提案するほうが修行になるかのような雰囲気がありました。麻原と(自分をも含む)側近たちとの相互作用によって、事件がエスカレートしたことは確かです」とつぶやいた。

(黒字は引用部分、【森達也 リアル共同幻想論】4ページ目より)

連合赤軍、オウム真理教という、世の中から見ればごくごく少数のカルト集団の悲劇は、戦前のわが国そのものの悲劇でもあったことを忘れてはならないだろう。
戦後、極東軍事裁判によってA級戦犯とされた日本国の指導者たちの気持ちを想像するに、「何で俺が???」だったのではないだろうか?
つまり、「責任の所在」というものが曖昧だったことである。
「俺に責任があるんだとしたら、あいつとこいつだって・・・」。
当時の軍幹部の方のインタビューを多く見聞するに、「なぜ、破滅にいたったのかわからない・・・」という答えばかりだ。
そりゃそうだろう、「犯人」とは「空気(感)」だったわけだから。。。
一方で、東南アジアはじめ海外では、敵国の捕虜や住民を自らの手で殺害した中堅幹部たちが「戦犯」として処刑され、命令を下した上級幹部達の命が助かったという、悲喜劇も少なくなかったという。

われわれは、マスコミ報道の論調を自然に自らの「思考のフレーム」としてしまうものだ。

森達也さんは、こう言う。

当時の多くのメディアは、指導者の位置にいた森恒夫と永田洋子の2人が、異常な支配欲や権勢欲、さらには嫉妬や保身や残忍な加虐趣味など個人的な欲望を燃料にしながら、他のメンバーたちの心身を支配して互いに殺し合う閉塞的な状況を作りあげたなどと解釈し、裁判も大筋としては、そうした構図に合わせるかのように進行した。

(黒字は引用部分、【森達也 リアル共同幻想論】2ページ目より)

そんなマスコミを通じて流布された「思考フレーム」を、刷り込まれるものだから、過去の失敗は「教訓」として乗り越えられないのではないだろうか?
そして、、、忘れたころに同じ失敗を繰り返す。
規模の大小を問わずに。

前回、連合赤軍とオウムに関連した記事の中で、私が主張していることだが、カルト集団の構成員は、そんな特殊な人達ではなく、ごく普通の人達なのだ。
さらにいえば、ほとんどの犯罪の加害者もそうだ (弁護してるわけではないからね)。
ところが、マスコミ論調によって形成された「思考フレーム」とは、「世間」から外れた存在を「異質な他者」として排除し、人々の“覗き趣味”に訴え興味をひくようセンセーショナルな性格を持っているのだ。

これでは、教訓の意味を活かしきれないわけで、何の問題解決にも至らない。

森さんが導かれた結論は、「すべての組織共同体が引き起こす壮大な失敗の背景」にある「負のメカニズム」。
これを私は、「空気に支配された、組織内意思決定のジレンマ」と呼ぶ。

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「老後に住みたい都道府県・都市はどこですか?」誠ブログより

2012年06月27日 | 徒然
老後に住みたい都道府県・都市はどこですか?
老後はどこに住みたいと思っていますか? 20歳以上の人に聞いたところ、「沖縄県」と答えた人が最も多かった。オウチーノ総研調べ。


第1位が沖縄だって?
冗談じゃないよ。。。
たぶん、地域に対するイメージでの回答が多いと推測するが。

沖縄なんて住んだ日にゃ、私の天敵、それも鳥のように大きい蛾がいるじゃないですか。。。
「ナントカサン」とか(怖)。
夏の夜、網戸とか開けといて、そんなのが飛んできたら、私、心臓止まりますって。
それにハブもうじゃうじゃいそうだし。

沖縄がいいといっても、観光イメージで言ってるだろうから、基地の滑走路直下とか考えてないだろうね。

それに青い空と美しい海のイメージって、観光用でしょ?
日照時間は短いと聞いてるが。
日照時間なら、私の第二の故郷の山梨県が長いらしい(子供の頃、住んでたので気候が厳しいのはわかるが・・・)。

東京だったら23区よりは武蔵野のほうがいい。
吉祥寺以西かな。自分は昔からそうだったけど。
どのみち23区内は、大地震がきたらおジャン。。。
それにもう、やたらと都内に住むことに憧れた「田舎者」じゃないし。
セカンドハウスだったら、東京23区内でもいいね。
大地震がきたらそれは運命と受け入れて。

ま、老後に暮らすなら、生まれ育った埼玉でいいね。
それも東大宮。
車で行ける範囲のセカンドハウスが地方にあればもっといいけど。




(武蔵一宮 氷川大社)

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Roland GS-6 Digital Guitar Sound System

2012年06月26日 | 徒然
今回の話は、エレクトリックギターに詳しい人、しかも若くはないギタリスト(元ギタリスト)にしかわかりません。。。
(たまにはいいでしょう・・・)

これを買ったのは、90年代前半だったかと。
正確には、マルチエフェクターではなく、ギターアンプシミュレーター。
が、どう使ってみても、マルチエフェクターだった。。。
当時持っていたギターアンプ、Roland JC-120 に歪み系エフェクターをかました音が気に入らなくて購入した。

先週末に、家の掃除をしていて引っ張り出した。
少なくとも15年ぐらいは音を出してなかったと思う。

不安だったが、音は出た!

検索してみたら、今、中古市場でわざか数千円で売られており、音はいかにも80年代、シングルノートではまだしも、コードを鳴らすときついという感想が目立った。
そりゃ、デジタル機器は性能のいいのが出てきたのだろうから。
「GS6」は残念ながら、ヴィンテージ機材とはならなかったわけだ。
それでも画像はこれだけアップされていた。

マニュアルは紛失してしまったが、RolandのサイトでPDFダウンロードができるとは、便利な世の中になったものだ。
過去のモデルでも自社が発売した製品への責任感だろう。
素晴らしい!

自分には想い出の品。
いずれ、スタジオで遊んでみたいもんだなと。
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「長期記憶」ってのは、「鍵のかけ忘れたおもちゃ箱」

2012年06月20日 | 徒然
誠ブログにこんな記事があった。
「初恋の人とゴールインする確率、100人に1人」

「初恋の人ともう一度会いたい」と思っている人はどのくらいいるのだろうか。
初恋の人に「再会したいと思う」が37.1%に対し、「再会したいと思わない」が57.3%。
男女別にみると、女性(33.2%)よりも男性(41.0%)のほうが多い。
年代別では、20代(43.2%)と50代(40.4%)での再会意向が目立った。


私の場合、絶対に嫌だ!
そういう齢なわけ。

私が自覚している「初恋」の人は、小学校6年生のとき、生まれて初めてときめいたHさんで、美人で勉強ができる子だった。
中学一年生で同じクラスになったが、あのときの姿のままでいいねと。

独特の「ときめき」っていうのはその時が初めてだったので、とりあえず初恋と思っているんだけど、たしか30代中頃の頃だったと思う。
突然、小学校5、6年のクラスメイトの女の子(Tさん)が夢に出てきて驚いたことがあった。
そして私は気づいたのだった。。。

「そうか! おれはTさんのことが好きだったのか!!!」

20年目の「気づき」かも?
昔から「鈍い!」と多くの女子に非難されてきた私だが、遅すぎにしても程がある。。。
そうなると、自分の初恋の人ってHさんではなくなってしまう。
だが、私はTさんには「ときめき」なんて抱いてなかった。
そういえば、かすかな「欲望」を感じていた女子は他にもいたぞ、、、Sさんとか。

わからない。。。

ま、「基準」の問題だろうなと。
体に電気が走るような「ときめき」、顔を見ただけで赤くなる、生まれて初めて感じるアタフタとした感情、なんてことを基準にすると、TさんよりHさんが「初恋」の人なんだろう。
それ以前に、Tさんに自分では気づかない「欲望」を抱いていたとしても。
「少年期」と「思春期」というとても微妙な違いもあるしね。

先日、ストレンジな夢をみた。
(私はほぼ毎日、夢をみる人なんだが・・・)

「こんな夢をみた」
というと、夏目漱石の『夢十夜』みたいだけど・・・。
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どうやら私は程なく死ぬことになっているらしかった。
といっても、体はピンピンしていた。
精神的にも落ち込んでなどおらず、普通の暮らしだ。
私は実家にいた。
母に頼んで、死ぬ前に一目会っておきたい人を呼んでもらった。

その女(ひと)は、私より2歳くらい年上だった。
私はその女に、恋心など微塵も感じたことはなかった。
それだけは誓って言える。
今となっては顔さえよく思い出せない。
彼女の存在を思い出すことさえ、数年に一度ぐらい。
私が小学校低学年の頃、彼女は私をかわいがってくれたことだけは覚えているが。

夢の中で私は風呂で体を洗っていた。
誰が言うともなく、私と彼女の性交渉は認められてはいなかったのはわかってはいたのだが。
私が風呂から出ると、彼女が玄関に現われた。
それは、私が子供の頃に見た彼女の年齢だった。
私は彼女の顔をはっきり覚えていなかったが、とても美しく、スレンダーだった(私の好みでもある・・・)。

残念ながら、そこで夢は途切れた。
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わからない。。。

自分の夢分析なんかする気にはならない。
なぜかって、それはつまらないからだ。

が、フロイド流に考えてみると、実は私は自分で意識しなかっただけで、彼女に恋心を抱いていたのかもしれない。
(今でも、あり得ないと思うけど・・・)
で、何かしら「抑制」していたのかもしれない。

こんな記憶がある。
彼女のお母さんと私の母はとても仲が良かった。
私が小学生の頃、その二人の井戸端会議の会話を覚えている。

両家の近所のあるお宅に、彼女より年長の男の学生さんがいた。
どうやら、その学生さん(受験勉強をしていた浪人)が、彼女に恋をしているのでは? とかあらぬ噂をしていたのを聞いたのだ。
真偽はわからないが、私にはあらぬ噂のような気がしたのだった。
女の噂話って怖い、と感じたのは、そのときが初めてだった。

そこで私の「欲望」が「抑圧」されたのか?

ああ、つまらない。
というか、とうてい自分を説得などできはしない。
もし、セラピストにそう言われたとしても、そんなわかりやすい筋書きなんかに騙されまい、と思うだろう。

いや、思い当たる節もないことはないか。。。
それは私が小学生の頃のことだけど。
(さすがにそのことは、ここには記せない)
自分が認めたがらないだけなのかもしれない。

でも、、、わからない。。。
たぶん、自分が生きているうちは。
それはそれでいいと思う。

ただ、今の時点で言えそうなこと。
それは、私には、あっちゃこっちゃに好きな人やものがあったわけで、意識してなかったことも含め、みんなが長期記憶の中に雑多に入っている、ということだ。
もちろん、今でも変わっちゃい(笑)。

そして、何の前触れもなく、夢の中で「ポーン!!!」と飛び出してきて、私を驚かせるのだ。
いつ来るのか? なんてことわからない。
タイトルの「鍵のかけ忘れたおもちゃ箱」っていうのは、私が20代の頃に書いた「Rain」という曲に、バンドのヴォーカルのI君がつけくれた詞の一節だ。
長期記憶っていうのは、心理学でよく「(記憶の)引き出し」に喩えられる。
が、私にとっては、「鍵のかけ忘れたおもちゃ箱」なんだろうな、たぶん・・・。

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なぜオウムの指名手配犯たちは17年間も逃亡してたのか?【心理的仮説】

2012年06月17日 | 徒然
「そりゃ、逮捕されて罰を受けるのが嫌だったからでしょ?」
と一言で済ませてほしくはない。
そりゃそうだけど、それだけじゃない人間の心理と生き方ってあるんじゃないのかな?
と考えて書いたのが今回の記事だ。

タイトル写真は、先日、徒然と書いた記事にも掲載したが、恵比寿駅の東側、明治通りと駒沢通りの交差点「渋谷橋」の歩道橋だ。
80年代後半、私が初めて「オウム真理教」と“出会った”のがこの歩道橋の上だった。
当時の会社が人形町(&小伝馬町)から、恵比寿に移転した。
その会社が渋谷橋にあったわけだが、移転してすぐ、この歩道橋の上に貼ってあったのがオウム真理教のポスターだった。
数枚まとめて貼られていた。
私の記憶では、青色の背景に、白い衣装を着た長髪で髭顔の麻原、という構図のポスターだったと思う。
が、じっくりと見たわけではなく、オウムという宗教団体の存在も知らなかった。

その時私が感じたのは、何か得体の知れない気味の悪さ、そして強い生理的嫌悪感だった。

その後、彼らがマスコミに取り上げられたり、選挙に出馬し、恵比寿駅前での奇妙なパフォーマンス(選挙運動)を見て、オウム真理教の存在を知ったわけだ。
だんだんわかってきたことだが、恵比寿はオウムの青山総本部から駒沢通りを青山方面に坂を上って下りれば徒歩20分とかからない。
つまり、彼らの縄張りでもあったのだ。
サリン事件後、村井という教団幹部が刺殺されたが、その翌日の昼休み、青山総本部の前まで行ったこともあった。
警備の警察官の、「何も起きませんよ! 道を空けて下さい」という声を聞きながら。
私も、当時の「オウムウォッチャー」だったわけである。。。

まず、オウムが話題になる時、私が知る限り、比較対象として言及されるのが「連合赤軍」である。
そのあたりは、『連合赤軍とオウム わが内なるアルカイダ』という田原総一郎の著作があるし、少なくとも私以上の世代の人間にとって、両者を連想することは不自然ではない。
それに「アルカイダ」も同様だ。

が、今回は田原の書籍の内容云々ではなく、私の考え方を記してみたい。
「連合赤軍」「オウム真理教」に共通するものを、「アルカイダ」をまぶせつつ記していく。
(同書については最後にまた触れる)

■「世直し」願望は贅沢病

まず、ぶっちゃけ、「世直し」の願望っていうのは、

(1)社会のフレームが確固としている(確固としていると信じられている)
(2)経済的には成長が信じられている

という前提(意識的、無意識的)のもとで、ある一定の規模の集団が持つものであるということだ。
もちろん、連合赤軍や当時の新左翼各派、オウムの考えた「世直し」「理想社会」なんてのは、もし実現したら、大多数の国民にとっては迷惑千万なことだけど。。。

60年代後半から70年代前半にかけての「学生叛乱の時代」って、まだベトナム戦争中だったし、米国、仏国をはじめとする先進国では、同時多発的に学生運動が盛んだった。
だが、先進国の政治・経済・社会は決して破綻していたわけではないどころか、とりわけ日本の場合、まだ高度経済成長下で、客観的に見れば「先行き」が暗いわけではなかった。
もちろん、これは現代から視た見解で、当時の若い人達は自分達なりに危機意識を抱いていたことは認めるが、そうだったとしても、「先行き」が視えなかっただけで、55年体制のフレームは確固としていたのである。

団塊世代(1947~1949年生まれ)を、「全共闘世代」と呼んだりもするが、当時(東大闘争のあった1969年)の大学進学率はたかだか15.4%に過ぎなかった。
その15.4%うち、さらに数%の学生が、ヘルメットやゲバ棒で「武装」していたに過ぎなかったのだ。
つまり、当時の産業社会で前途を保障された恵まれた、ごく少数派のインテリ層が主導した運動だったわけだ。
そして、それは当時の「トレンド」(流行)の最先端だったんだと思う。

おそらく、先鋭化した指導層の一部以外は、社会に出たら日本を代表する企業社会で力を発揮されたことだと思う。
(そういう学生を強烈に嫌悪したのが、『ノルウェイの森』を書いた同世代の村上春樹である)

オウムの地下鉄サリン事件は1995年で、バブル崩壊後の“失われた10年”にあたる。
が、しかし、坂本弁護士事件をはじめとする彼らの「テロ」は80年代後半から行われており、5月に放映されたのNHKスペシャルによると、彼らには80年代から大規模な武装化とテロ(いや戦争か・・・)の構想があって、準備を進めていたことが明らになった。
80年代後半といえば、バブル景気に向かいまっしぐらの時期だ(プラザ合意は87年)。

つまり、経済的な繁栄が当たり前だった時代の“あだ花”であったことは、「連合赤軍」(以下「連赤」)もオウムも変わらないわけだ。
(ここまでは、ごく当たり前の見解・・・)

■水平思考のない、垂直思考という「視野狭窄」

2001年9月11日、アルカイダのテロによりニューヨークの世界貿易センタービルをはじめ、米国の主要施設が攻撃された。
そのとき、私が思ったことは、「新しい形態の戦争が始まった!」ということだった。
が、先述の田原の著作を読んだところ、実は、アルカイダと米国の「戦争」は90年代初頭から開始されていたことがわかった。
「新しい形態の戦争」は続いていたのであり、「9・11」とは、イスラム原理主義者の大攻勢に過ぎなかったわけだ。
米国にとっては「テロ」だが、イスラム原理主義者にとっては「聖戦」という立派な戦争である。

「テロ」について考えてみよう。
連赤という組織が形成される前、京浜安保共闘や共産主義者同盟赤軍派は、交番の襲撃や猟銃店への強盗事件を頻繁に起こしていた。
これは「テロ」であり、政府や市民社会の側から見れば「犯罪」以外の何物でもない。
ただし、「テロ」を行う側にとっては、「革命戦争」なのである。

世界史を見ればわかるが、例えばロシア革命(1917年)。
帝政ロシアを打倒した、レーニンを指導者とするボルシェビキ(ロシア社会民主労働党左派で“多数派”の意味)は、当時のロシアで頻繁に「テロ」を行っていた。
ボルシェビキの幹部で、レーニンの死後、ソビエト共産党の書記長となったスターリンは、政権奪取前、ボルシェビキの「資金調達戦闘団」に属していた。
何をしていたのか? といえば、ぶっちゃけ銀行強盗である。
「銀行強盗」でも、革命成就のための資金調達という“聖なる”目的があれば立派な行為だ、というのは洋の東西を問わず常識だったのであり、学生叛乱の時代の日本でもそれは変わらなかった。

わが国の明治維新でも、薩摩、長州をはじめとする勤皇の志士たちは、京都を血で染める「テロ」をやりまくっていたのであり、それを抑える役目の“幕府の犬”だった新撰組も同様の人殺し集団だった。
しかも、新撰組なんぞは、勤皇の志士との闘いでの死者よりも、自分達が粛清した=内ゲバで殺した死者のほうが多かったというから始末が悪い。
まさに連赤だ・・・。
桂小五郎も高杉晋作も、正真正銘の「テロリスト」だ。
で、維新が成就したら、かつての「テロリスト」も英雄として政府の要職についたわけである。
まあ、歴史なんて“勝てば官軍、負ければ賊軍”なんだけど。。。

ただ、ここで問題にしたいのは、1970年前後のわが国が、はたして「革命」の時期だったのか? ということだ。
時代を覆う「空気」がそれを望んでいたのか? と言い換えてもよい。
本気で「革命」を信じていた層も少なくはなかっただろう。
あまり語られることはないが、その10年前の「60年安保闘争」のときは、政府転覆があり得たのだから。
(岸信介首相と弟の佐藤栄作の二人は、首相官邸で、「もう終わりだろう」と覚悟したのにも関わらず、反安保運動は大衆運動としては大きかったが組織的には脆く、もう少しのところで引いてしまったわけ・・・)

特に1970年代以降生まれの諸君には、全く想像できないことだろうが、少なくとも80年代までは「55年体制」が続いており、左・右の対立構造があった(マスコミの世界では、「朝日新聞」「岩波書店」が代表的な左翼系の論壇)。
が、「55年体制」が崩壊するまで、社会党(現在の社会民主党)が政権を獲ることができなかったように、あくまでも自民党を与党とする日本「社会のフレーム」が確固としており、旧左翼、新左翼ともに、「社会のフレーム」を構成する“アンチ勢力”としての位置づけと役割しかなかったのである。

つまり、70年代前後の「革命」なんて、新左翼の先鋭的な指導層や真面目すぎる構成員にしかリアリティはなく、「世の中」にとってリアリティどころか、迷惑なもの、いや、どうでもいいものでしかなかったわけである。

(ここで注釈:よく「日本人はおとなしい」といわれているが1973年、当時の国鉄の順法闘争にブチ切れた通勤電車の乗客、それもほとんどがサラリーマン達が、電車を破壊したという暴動、「上尾事件」も発生した。政治的なイデオロギーとは関係なかったはずだ。つまり、70年代前半の日本は、そんなアナーキーな「空気」にも覆われていたのである・・・)

上信越自動車道路で群馬県内を通る時、妙義山の峻嶮な姿を目にする。
そのたびに私の頭をよぎるのは、連赤の「妙義山アジト」のことだ。
70年代当時は、今のように交通網が整備されてはいなかったはいえ、所詮、狭い日本だ。
山深いとはいえ、たかが関東の山の中に籠って、中国共産党の「長征」を気取って、山岳軍事拠点を転々とし、リンチで仲間を殺しながら、浅間山荘の壮絶な銃撃戦で終止符を打った彼らのことが思い出されるのだ。
(小学校の林間学校で行った榛名山麓、榛名湖では、アジトの跡とか案内され、「ヒェー、怖いよ~、、、頭のいい人って怖いよな。。。オラ、バカで良かったよ」と、クレヨンしんちゃんのように盛り上がったこともあったが・・・)

つまり、幼稚なのだ。
「革命ごっこ」にしか思えない・・・。

これはオウム真理教の、クソ真面目だが、それゆえ滑稽極まりない行動に対して感じたのと同じ感情だ。

それは、世の中全体を俯瞰するという健全な「水平思考」が彼らにはなく、自分達にとって都合のいい領域のみ深く掘り下げる「垂直思考」を病的に突き詰める、という態度ゆえである。

拙著『コンテンツを求める私たちの「欲望」』の第1章で私の規定した、「大きな世間」(国家など)を正確に捉えることができない、あるいは無視をしつつ、「小さな世間」(この場合、自分の属する組織)の論理のみを肥大化させるという病理だ。

こういった病理は、カルト集団だからより濃厚に現れるわけだが、われわれだって決して無縁のことではない。
最近、マスコミで見聞することは殆どなくなってきたが、たとえば総会屋対策で、上場企業の総務担当者が贈収賄で逮捕されたりといった、企業人の不祥事といことがある。
おそらく当人は脱法意識がなかったり薄かったり、と思うのだが。
あっ、検察庁の不祥事があったか。。。
こういう不祥事も、「大きな世間」よりも、自分の属する会社のような「小さな世間」のほうが大事だよ! というわれわれのごく自然な態度ことから起きるのである。
組織には「組織防衛」本能というのがあって、とりあえず組織に所属する人間はその本能に忠実だ(笑)。

■人の心にもある「サンクコスト」

高橋容疑者が今でもオウムへの信仰があったのかは(バッグの中には教団の関連書籍が10冊あったという)、今後の捜査状況を見守るしかない。
が、われわれの常識で考えればこうだろう。

「オウムの化けの皮が剥がれたし、いい加減、自首したらよかったのでは? 逃亡生活のストレスも相当なものだろう・・・」

人の心の中ってそうそう単純ではないのだろう。
逃亡生活を続けていても、
「ひょっとすると逃げ切れるのではないか?」
「逃げるのは疲れた。。。」
といった、矛盾する心理が錯綜するのではないかと推察する。

そんな葛藤を抱えつつも、なぜ逃亡生活を送る、という人生しか選択できなかったのか?

「過去からの生き様は、そう簡単には否定できない」

そういう心理もあるのではないか? と私は推察する。

たとえ教祖の化けの皮が剥がれたとして、自分にかつてのような信仰心など消えたたとしても、家族を捨ててまで「出家」し、教団に身も心も捧げたという行為を後から反省しようとも、そうそう自己否定できるものではない。罰を受け、新しい自分になる、という決断は難しかったのではなかったのか? ということだ。

そういう不器用な人間もいるのではないか?

と私は考えてしまうのだ。
「過去の自分は間違っていたのだから、早々に軌道修正をする」と合理的に判断できない人だっているに違いない。
「自分のアイデンティティ=過去からの連続性にがんじがらめになる」人と言い換えてもいい。

経済学には、「サンクコスト(埋没費用)」という概念がある。
これを人間の心理にあてはめてみると、こういうことだ。

「たとえ間違っていたとしても、自ら選んでここまで生きてきた人生は、そう簡単に軌道修正はできない」

とても不器用な態度だ。
しかも、クソ真面目だ。
「自分は教祖に騙されていた・・・」と、合理的に考えて態度を翻す(=転向)する心理とは違う。

しかし、日常生活を生きるわれわれにとっても、決して無縁な態度ではないだろうか?

で、もしも、私が事件の当事者だったら? と想像することもある。
私も十分、不器用なところのある人間だからだ。
だが、どこかいい加減で、ちゃらんぽらんな側面もあるから何とか今まで生きてこられたのかもしれない(苦笑)。

もうひとつ付け加えると。
物理で「慣性の法則」ってあるけど、人や社会がなかなか方針転換できないというのも同じようなものかもしれないということ。
この記事の最後を読んでほしい。
1945年、どう考えても勝つどころか、破滅一直線でしかなかった戦争を、自分達で終結させることのできなかったわれわれの日本という国の姿だ。

ここまでが私の仮説だ。

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『連合赤軍とオウム わが内なるアルカイダ』で、元共産主義者同盟叛旗派最高指導者で、文筆家・会社役員の三上治氏は、田原との対談で以下のように述べている(田原は三上氏を、理想と現実という相反するものを、実に絶妙に調査わせるリアリスト、と高く評価している)。
最後は、少々長くなるが、三上氏の言葉で締めさせていただく。
連赤もオウムの問題も、実は1945年までのわが国全体が抱えていた問題でもあったからだ。
戦争中、軍国少年だった田原は、爆弾による自爆テロを行うことを切望していたそうだ。
そして神風特攻隊とは、アルカイダそのものだったのだことを忘れてはならない。

<以下、黒字部分が引用箇所>

ここが大事なところなんですが、前向きに、しっかりした戒律をもった、しっかりした人物というのは、意外にいざというときになると、全然、役に立たなかったりするんです。グズで、役に立たないと思ってったやつが、いざとなるとやるんですよ、現場で。というのは、人間はね、想像で死ぬことを考えたり、想像力でいろんなことを考えるということと、現実の場面に臨んでやるというのは違うんだと。このことが非常に大事なことなんですよ。

ということはね、戒律や軍律や教育で何とかきちんとした人間に育てようとしても、きちんとなりはしないんですよ。いざとなったらね、本人が積み上げた、自分の修練してきた歴史が全部出るしかないんです。戒律や軍律や、そんなもので縛ったりできるもんじゃないんです。

こんなごく当たり前のことをが理解できていれば、きっと人を殺したりはしなかったんじゃないかと思うんです。何かをやる前の晩、どんちゃん騒ぎして、酒盛りしてね、みんなで歌ってね、なるべく楽しもうぜと。人間、何やるか、その場に行ってみなければわからないからって。それでいいんじゃないかと、人間ってね。そういう考え方がないとダメなんです。
戒律や宗教で人を縛ろうとする、これ、無理なんですよ。それはね、一番単純だけど、一番大事なことで、政治や宗教をやる連中が、一番陥りやすい罠なんですよ。

(中略)

結局、自分の中の怖さをね、戒律で縛るということですよね。すると、自分の中に恐怖をもってる連中は、自分のそれを自分で縛るだけでなく、他人に強要するんですよ。つまり、自分に対する自己不信が、自己不信であればいいけど、他人に対する不信として出てくるわけですよ。だから、結局、自分に怖さをもっている人間が・・・・・・。

(田原:怖いというのは自分を信用していないということですか。)

そうです、自分を怖れていると、「制度の言葉」に救いを求めるんです。共産主義化でもそうですけれども、制度の言葉がありますよね。どんどん制度的言葉に収斂していくことに対して、制度におさまらない人間の身体がもっている言葉というか、ちゃらんぽらんさや無意識ということも含めて、自分の持っている感覚を信じるというか、そういう発想がないんじゃないですかね。

(田原:制度におさめようとするための言葉とか行動よりも、自分の身体から無自覚に発せられる言葉や行動ということが大事なんだと。)

大衆運動とは、そういうことだと思ってましたね。

(田原:身体からの言動がなくなったとき、三上さんはここは引き時だと思ったわけですね。)

ええ。

(田原:塩見氏たちの赤軍派の運動が、連合赤軍になっていくときに、ここが潮時だよと。これはやめたほうがいいよという人が、一人でもいればよかったんですよね。)

ええ、いいと思いますね。でもそれはね、田原さん・・・・・・。

(田原:難しい?)

戦争中にもいえなかったわけですよね。「もうここらでやめようや」とは。孤立してまでそういうことをいうのはね、なかなか難しいんですよ。そう思いますね。

(同書371~374ページより)


連合赤軍とオウム―わが内なるアルカイダ
田原 総一朗
集英社

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視野の狭いバンドマン(若気の至り?)・・・「お友達の名言シリーズ」

2012年06月15日 | 徒然
「お友達の名言シリーズ」のスタートです。
お友達といっても、ウイットに富んだ名言を発するのはほぼ一人なんですけでね。
20数年前にバンドメンバー募集で出会った彼は、ドラマーだったんだけど、ギターもベースもこなすプレーヤー。
今、秋田県で仕事をしながらバンド活動を続けています。
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昔バンド仲間が言った。
「俺らは何でもアリだよ。ストーンズからレゲエ、R&Bもね。」
それじゃまるで「北は北千住から南は南千住まで…」じゃん。

【解説】
ロックを全く知らない人にはわからないでしょうけど、ロックを知ってる人には爆笑モンです。
バンドマンって、意外と視野が狭いところがあったりするのです。
特に若い頃は。。。

ストーンズの音楽性には、当然、レゲエが含まれてるどころか、R&Bはルーツそのものです。
なのに「何でもあり」ってのは。。。
ちなみに書かれた本人のバンド仲間って、おおよそ想像がつきます。
キース・リチャーズのスタイルだけ真似て=ギターの位置を下げて、「俺たち不良だからよ~」というポーズ(当時の本物の「不良」なんてバンドやってなかった・・・)でバンドやってた人達(「バッドボーイズ系」)でしょうね。

でも、こういうのってバンドマンだけの笑い話じゃなかったりしてね(笑)。
やたらと大風呂敷を広げるビジネスパーソンとか。。。

*写真はタイトルと関係ないですが、高樹町周辺の新緑。
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なぜ、私は拙著のタイトルを間違えたのか?

2012年06月13日 | 徒然
えー、昨日アップいたしました記事「橋本治 金言集 『ナインティーズ』読書メモ(コメントなし)<その1>」の中で、電子書籍の拙著のタイトルを間違えました(修正済)。
「そうだったっけ?」「そんなの気にしてないよ・・・」という方がほとんどかと思われますけど・・・。

誤:『文化を求める私たちの「欲望」』
正:『コンテンツを求める私たちの「欲望」』

原稿を書き始めたのは昨年(2012年7月)で、9月にほぼ脱稿というタイミングで、多くの出版社様に電話を入れました。
当初は、商業出版を目論んでいたわけです。
それも、知人からご紹介頂くはずだった編集者様が新書のご担当でしたので、文字数も新書を想定しておりました。

その後、多くの事情が重なり、本年(2012年)2月に「ブクログ」にて無料の電子書籍という形で出版した次第です。
まあ、それら事情の一部については記事にしたこともありますが、紙の本の場合、内容や売れ行きはどうあれ、一度でも出版したことがあるかないかで、とてつもなく高いハードルがあることも知りました。
今年に入ってから、複数の出版コンサルの方にアドバイスを頂いたり、出版セミナーに参加し勉強もしました。
そこで、おおよその出版業界の現状と、企画を通すコツもわかったのですが、私には数ヶ月に及ぶ準備をする時間はありませんでした。。。
結果として、拙著は、「205ページに及ぶ私の自己紹介書」のようなものなので、無料の電子書籍で良かったと考えております。

で、昨年の9月のとある日(有給休暇)、ご紹介されてた出版社様だけを当てにするわけにはいかず、飛び込みで出版社様に電話をかけまくりました。
通常、まず企画書を作成して出版が決まったら執筆するのですが、私、本の執筆は初めてでしたので(マーケティングレポートは数えきれないほど書きましたが)、はたして書けるのだろうか? と自信があったわけでなかったため、最初に原稿を執筆したのでした・・・。

そして、最初に電話をしたある有力出版社の編集者様から、まずタイトルでダメ出しをくらいまおした。
実は当初のタイトルは、『文化・欲望・マーケティング』でした。
その編集者様曰く、

「そのタイトルが通用するのは、超大物か、深遠な思想家だけです」

そりゃしょうでしょうね。
養老孟司や石原慎太郎、勝間和代に比べれば、私は砂粒みたいな存在です。

(おう! 上等じゃねえか! 「深遠な思想家」になったるわい・・・)
(御社だって、タイトルは魅力的だけど、中味はスカスカの新書、出してるじゃん・・・)
(あの「超大物」作家先生のエッセイなんて、タイトル便乗型の典型で、内容は100円の価値もナイヨー・・・)

なんて本音は言うはずもなく、企画書だけでも吟味頂いたその編集者の方には感謝しています。
プロの言葉ですから。

他の出版社の編集者さんからも色々とアドバイス頂きました。
「例えばですね、エヴァンゲリオンが何とかかんとかとか、そういうタイトルじゃないとねぇ・・・」とか。
当時は、「ワンピース」のタイトルの書籍が目立ってましたね。

が、原稿を見るにどうしてもそういうタイトルは浮かんできませんでした。
そりゃそうです。ああいう内容ですから。

それから、企画案を書き直すうち、自分でも「何てタイトルだったっけ?」という状態に。。。
2月に『コンテンツを求める私たちの欲望』と決めてリリースしたわけですが。

そんな経緯があったため、自分の著書であるのにも関わらず、今でもタイトルを書くときに誤記が、、、というわけです。

無料の電子書籍だったんだから、『文化・欲望・マーケティング』でも良かったんじゃないの???
と思ったりするんですけどね(苦笑)。

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「ネタ消費」にはそんなにネガティブな印象ありません(笑)

2012年06月11日 | 徒然
また、「ダイヤモンド社書籍オンライン」香山リカさんの記事について。

「クリーンすぎる人間関係に注意」

香山さんのオピニオンには共感するところが多く、私のブログでもたまに取り上げさせて頂いてるし、Facebookやmixi、twitterでもシェアすることも多い。
が、たまには、「自分は違った見方をしているんだけど・・・」ということを書くのもいいだろう(「違う!」というわけではない)。

まぁ、マスコミが取り上げて持ちあげる新しいサービス・システムについては、ある一定期間が経過すると、「○○疲れ」と今度はこき降ろしに入る、という法則があるけど、確かにSNS利用による「疲れ」はあるだろう。

■つぶやくという心理

「今○○にいる」「これから××に行く」というふうに、ちくいちtwitterやFacebookで実況中継をしている学生をたまに見かけます。その様子は、時に苦行にいそしむ修行僧のようです。
(黒字部分:引用箇所)


「修行僧」というのは香山氏らしい表現でいいと思う(笑)。
が、「修行僧」というのは、半ば義務的に「仲間とのつながり」を(自ら)強要されているようなケースだと思う。
拙著『コンテンツを求める私たちの「欲望」』(PDF版45ページ)でも紹介・引用させていただいた速水由紀子氏の著書『「つながり」という危ない快楽 格差のドアが閉じていく』で書かれているような病理的な「つながり」の実例だろう。

私もそこまでではないが、外出中、在宅中に関わらず、自分のテンションが高まったときは、そうつぶやくこともある。
特に外出先の場合、友人達(Facebookでは96名、mixiでは166名)のうち一人でも何らかの共感か興味をもって頂ければという気持ちからつぶやく。
私は香山氏のtwitterをフォローしているが、やはり香山氏もそういった心理からつぶやかれたりしていると思われる。
で、「サカナクションがお好きなんだな」と知ったりもした。
80年代、香山氏の書かれた文章から「ムーンライダースが好き」と分かり、数十年の間、「香山リカ=ムーンライダース」と自分の長期記憶にインプットしていたが、サカナクションで「なるほど!」と思ったり。

■Facebookではウソをついていない?

かと言われれば、たしかに実名で顔写真を出すFacebookでは、語る(書く)言葉自体には「ウソ」は少ないだろう。
が、言葉自体に「ウソ」はなくても、「実態より少し背伸びして」語られる傾向のあるFacebookでの「表現」自体、一種の「ウソ」ではないか? と私は考える。
つまり、ポジとネガを持ち合わせた一人の人間にとって、ポジの部分だけを強調するという「態度」自体、「ウソ」の要素を感じるのだ。
だから「疲れる」のであって、「ウソ」をつけないから「疲れる」こととは違うのではないか? と思う。

■ネタ消費について

「ネタ消費」と呼ばれるそうですが、SNSで自分をアピールするために、1回きりの習い事に通ったり、面白い商品を買ったり、珍しい場所に出かけたりする人が増えているのだとか。大手シンクタンクの試算では、そんな消費者が生む経済効果は3400億円にもなるそうです。
(黒字部分:引用箇所)


たしかに香山の言うような「主客逆転」、私の言葉では「倒錯」といってもいいような現象ではある。
が、ここでは詳述しないが、人間の「欲求」「欲望」自体、「倒錯」しているのではないだろうか?

かく言う私も、意識的に「ネタ消費」をしたことはある。
書籍でもCDでも、ネタ目的のときでも購入を検討しているときには、「これが1年後、2年後でも手許にあるモノだろうか?」と熟考する(それでも“失敗”することもあるけどね・・・)。
つまり、単純に「ネタ」にしたら面白い、という動機だけでなく、手許にあってしかるべきか否かはは考えるわけだ。

道端で見た花とか景色が気になって人にも知らせたいから、写真を撮ってSNSにアップする分にはお金はかからない。
「人と共有したいがため」「つながっていたいため」という動機を考えれば、金銭を使うか使わないかという違いに本質的な差異はないのではと私は考える。

ところが実際に起きているのは、「本当」のことを書き込むためにわざわざ3万円払ってフルコースを食べに行くという現象。以前であれば、こんなことはなかったと思うのです。
(黒字部分:引用箇所)


たしかに、SNS登場前にはなかった現象であろう。
が、消費者心理からみれば、そもそも「3万円払ってフルコースを食べたい」という潜在欲求が全くなかったら、そんなことするわけないわけで、そういう消費行動の“背中を押した”のが、SNSによって顕在化した「ネタ消費」であり、そんなに“病的”な消費行動とは考えられない。
前回の記事で書いたAKBがらみの「逸脱的消費」ではないというのが私の考えだ。

ただし、今まで私が述べてきたことは、私自身の経験と私が知りえた情報から得た知見にすぎないことをお断りしておく。

多くの大学生と接点を持つ香山氏が言及するように、「リアルを書くために、無理やりリアルを作り出」すような行為が実際にあるとしたら、それは病的であろう。

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「ネガティブ耐性」の弱まりは「批判精神」の衰退と一緒?

2012年06月04日 | 徒然
と、香山リカさんのこの記事(↓)を読んで感じた次第。
http://diamond.jp/articles/-/19288
世間の風潮、というかマスコミ論調がポジティブなのはいいことだが、ソーシャルメディアが普及しつつある今、「少しいい自分」を演出する傾向は間違いなくある。
香山が論を進めるのと同じく、私が言いたいことも、「ノマド」(タイトル)が具体的に良いか悪いか? という類の話ではない。

香山のいうところの“白鳥の水面下でのもがき”を見せないということは、欧米人の「自己顕示性」とは違って、日本人の「謙虚さ」の影響もあるのではないだろうか?
「謙虚さ」というよりも、必死の苦労をあまり表に出さない方がいいという「美徳」といってもいいだろう。

「そこで、私が「でも、これがすべてじゃないんじゃない? たとえば、あなたはツイッターに全部本当のことを書くの?」と訊くと、「いいえ、隠していることもあります」と彼女。「じゃあ、この人もそうかもしれないじゃない」。そういうと、「ああ、そうか!」と。雑誌に載っていることがすべてではないと、初めて気づいたようでした。」

「ちょっとあきれて、「そんな会ったこともない人と比べて落ち込んでも仕方ないじゃない? そもそも本当に実在する人かわからないわよ」というと、「そんな意地悪な見方をするなんておかしいですよ!」と彼。逆に責められてしまいました。」

「つまり、物事は多面的であり、複雑な事情や経緯があるということを想像できない人が増えている気がしてならないのです。だから、逆にネガティブな情報に接すると、途端に拒否反応を起こしてしまうケースもあります。」


今日、この話題が気になったのは、昨日逮捕された某新興宗教団体の元(?)女性信者の逮捕の報に接したからだ。
95年に大規模テロに走った“カルト”集団の問題は、忘れることなく検証していく必要がある。
教祖は別だが、当時の幹部を含めほぼ全ての信者たちは、“ごく普通の人達”だったはずだ。
それが、大きな世の中の流れの中で、ほんのちょっとしたことから、破滅への道を歩んだわけだ。
そして、根源的な“病巣”は、例外的なカルト集団でも、普通に社会生活を送る私たちでも同じものを内包している。
例外的な事件が、例外的に見えるのは、インパクトがあまり大きいためで、それゆえ、自分達も内包している“病巣”に気づかない、いや、眼をそむけたくなる、ということだ。
それが、あの事件を“忘れたい”“風化させたい”という集団的無意識を醸成し、何十年後かに同じような事件を引き起こさせるわけだ。

私には、香山が接してきた多くの「疲れ果てた」人達と、カルト集団の幹部たちに同じようなものが見えてならない。
そんなことになったのは、“いい人”であるだけに、「批判精神」が涵養されなかったからだ。
「批判精神」とは、世の中、社会、つまり、拙著『コンテンツを求める私たちの「欲望」』で言うところの「大きな世間」に対するものだけではない。
自分が属するゆえにかけがえのない「小さな世間」に対する批判精神だ。
もっと言えば、自分自身の「信念」に対する批判精神も必要だろう。

ポジティブでもネガティブでも「100%」の盲信・否定は危険ということだ。

人に対しても組織に対しても、一人の人間の中には「好き」と「嫌い」が構造的に存在している。
それが、人として自然だと考える。
その上で、トータルに相手を「愛する」わけだろう。

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もう6月か、まだ6月か・・・

2012年06月01日 | 徒然
今日から、2012年上半期の最終月。
Facebook では猫も杓子も、「桜だ! きれいだ!」「花見だ! 楽しい!」と写真をアップしまくっていた頃から、いつの間にか2ヶ月が経過したわけだ。

この2ヶ月間、生活パターンが変わり今更ながら気づくことも少なくない。

・平日午前中のスーパーは、主婦で混雑している
・平日午後からオープンしている居酒屋は、60代以上の男女シニアで満杯だ
(大宮と浦和には、Jリーグ2クラブの“応援居酒屋”の「力(りき)」が数店舗あり、大宮はオレンジ、浦和はレッドのショップカラー)

自分もそうだったが、オフィスに勤務されている方は、勤務先周辺の“昼間の顔”を意外と知らない。
ましてや、居住地周辺の生活圏域は。
「生活者」の行動や心理を分析し、トレンドの兆候を感じ取る必要がある私の場合、こういう環境は悪くはない。

今日の夕方は、一昨日の午前中に亡くなった父方の伯父のお通夜。
明日は告別式だ。
死因は心筋梗塞で、朝まで元気だったそうだ。
伯父の逝去のことを知ったのは一昨日の午後だったが、なぜかこの日の午前中、自分のモチベーションがあがり、いいアイデアが浮かんできたことを考えると、不思議な気分だ。
伯父さん、長い間、ご苦労さまでした。
ありがとうございました!

*タイトル写真は、実家の庭のカモミール(撮影はGWだが今でも咲いている)。
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花は咲くプロジェクト/「花は咲く」ミュージックビデオダイジェスト

2012年05月24日 | 徒然
花は咲くプロジェクト/「花は咲く」ミュージックビデオダイジェスト


4月26日、Victor Music ChannelによってYouTubeで公開された「花は咲く」。
NHKをよくつけている私(自分の中のシェアでは9割以上)、すでに十分馴染んでいる。

心に染みる曲だが、まず、作家をはじめ多彩な著名人の方々が参加しているのは驚きだ。

以下(黒字部分)は、Victorの「Flying Dog」レーベルのサイトから引用。
***************************************
「花は咲く」はNHKが東北地方太平洋沖地震の被災地の支援を行う〈NHK東日本大震災プロジェクト〉の一環として、復興を応援するテーマ・ソング。
この楽曲は、共に宮城県出身である岩井俊二が作詞、菅野よう子が作曲を担当。歌唱は大友康平、千昌夫、新沼謙治、かの香織、遊佐未森、畠山美由紀、AKB48の仲谷明香と岩田華怜といった歌手や、タレント、スポーツ選手など、被災地域の出身もしくはゆかりの深い有名人が務める。
さらに、歌唱者の映像を収録したミュージックビデオの制作、その監督は作詞と同じく岩井俊二が手がける。

この商品の著作権料、また売り上げの一部は、作詞・作曲者及び“花は咲くプロジェクト”参加の皆様の厚意により、義援金としてNHK厚生文化事業団を通じて被災地に届けられる。

「花は咲く」は、NHK総合で3月10日から11日にかけてオンエアされた震災関連番組や、10日にNHKのBSプレミアムにて生放送された特別番組「震災から1年“明日へ”コンサート」にて公開され、それ以降も震災関連の特集番組などでテーマ・ソングとして使用される。

<花は咲くプロジェクト>五十音順・敬称略
秋吉久美子、荒川静香、生島ヒロシ、イケメン'ズ、岩井俊二、岩田華怜(AKB48)、梅沢富美男、大友康平、加藤茶、門倉有希、狩野英孝、かの香織、菅野よう子、熊谷育美、佐藤B作、さとう宗幸、沢田知可子、サンドウィッチマン、涼風真世、鈴木京香、千昌夫、中村雅俊、仲谷明香(AKB48)、新沼謙治、西田敏行、野村克也、畠山美由紀、原田直之、本田武史、マギー審司、村上弘明、森公美子、杜けあき、山川恵里佳、遊佐未森、由規

***************************************
そして、このプロジェクトでは「全日本CDショップ店員組合 東北支部」の方々が大きな役割を担っている。
以下(黒字部分)は、CDショップ店員組合 CDショップ大賞実行委員会 事務局の吉川さやかさんのコメントである(Facebookに書かれた文章を許可を頂き、部分的に転載)。
ブックセンター湘南の千葉さんのコメントも含まれている。

私がなんやかんや言うより、直接、引用させて頂いたほうがずっとリアリティと説得力がある。
とにかく、被災地で生活し仕事をされている方々が、ここまで動かれたことに、驚きと感動を禁じえない。
日常の業務が多忙の中、ここまで動かれたのは、いい意味での“常識外”で驚異的なことだ。
やっぱ、人を動かすのって“人”なんだよな、って。
***************************************
(前略)
第4回CDショップ大賞入賞及び東北ブロック賞を受賞した”熊谷育美”さんも参加されています。
この「花は咲く」プロジェクトに賛同して”今こそCDショップが果たす役割があるのではないか”と立ち上がったのが全日本CDショップ店員組合 東北支部 副支部長のブックセンター湘南、千葉さん。
レーベルに交渉し、レーベル直営ではない所への販促物の提供の依頼から、災害FM、地元FMにはオンエアの依頼、地元新聞社には掲載の依頼、NHK支局、NHKには自社ではなく駅前のTさんやHさんやSさんの取材の依頼を、NHK出版、全て電話し、協力依頼をしてまわっています。
昨日、ビクターさんから得た情報ではバックオーダーが殺到し、通常盤が倉庫に切れてしまい、大至急追加生産しているところだとか。

<ブックセンター湘南 千葉さんのコメント>
「昨年3.11以降、私どもショップの人間は、被災地および被災された方々にいったい何ができるのか、ずっと考え続けてきました。CDショップも店舗の消失や損壊、商品の流失など大きな被害を受け、閉店や一時休業が相次ぎました。ようやく営業が再開された時には多くのお客様から、開店を待ち望んでいた声を聴き、CDショップが音楽を通して、人と人との触れ合いの場としてお客様に求められている事を改めて知ることとなり、ありがたく思いました。しかしながら、具体的にこれといったアクションも起こせぬまま1年余りを過ごしてしまったような、そんな自責の念にかられる思いもあります。
 そのような中で今回CDリリースが決まった本作品は、その制作にあたり、被災地にゆかりのある多くの著名人・アーティストが垣根をこえて参加し(第4回CDショップ大賞入賞及び東北ブロック賞受賞 熊谷育美さんも参加しています)、しかもNHKという公共性の高いメディアを通じて、すでに幅広い世代の視聴者へ向けて繰り返し訴求が行われております。
 そして、今回のCDリリースにあたり、ユーザーに最も近い立場ともいえるショップが、いよいよその役割を果たすべき時機が来ているのではないか。そう感じられてならないのです。
東北各コミュニティFM、新聞社に働きかけたところ、皆さんこの運動に賛同してくださり、全日本CDショップ店員組合東北支部の取組みとする事となりました。」

全日本CDショップ店員組合では、CDショップ大賞で賞を選んだら終わり、じゃないんですよね。年間通して、目立つ事こそあまりないものの東北ブロックはじめ各地区各店舗色々な取組みをしています。賞を選ぶだけでなく、そこからお客様に何をどう伝え続けていくのか。そこは"モノ”ではなく、”人”なのだと、今更ながら改めて思うのです。

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「ブラック消費者」、あなたは大丈夫ですか?

2012年05月06日 | 徒然
関越自動車道の深夜バス事故。
亡くなられた方にはご冥福をお祈りいたします。
私自身は事故の「当事者」ではありません。
もし、「当事者」、例えば自身や身内が被害に逢ったならば、運転手さんに怒るでしょうけど、「第三者」としてそういう感情が湧きません。
いや、「第三者」には違いないのですが、世の中で生きている上で、この事故とは決して「無関係」だとは思っていません。
私は人様の命を預かるバス運転手という職業ではありませんが、バス運転手さんのことが何だか「他人事」に思われないんです。
同情といった感情とも違います。
とにかく、色々と考えさせられることが多いです。
以下は、自分の考えを整理するのに、参考になる記事の一つです。

高速バス事故の「事故の責任」は、あなたにも私にもあるかもしれない。ブラック企業を生み出す「ブラック消費者」という問題

「本来はサービスの受け手と出し手は平等なはずです。お客様に感謝をするのは商売人としては当たり前ですが、消費者としてもサービスの担い手にも感謝をするのが当然ではないかと思っています。」

「社会全体で給料が下がっていく。給料が下がる中でやりくりをしなければいけない。だから、消費者とするとより安いサービスを提供する業者にいかざるをえない。そうなるとその業者で働く労働者にしわ寄せがくる。そしてその労働者に過重労働か賃金引き下げのプレッシャーがくる。するとその人自身がブラック消費者になって、飲食店で怒鳴る。――というバッドスパイラルが起きています。」

「より良いサービスにお金を払う、「適切に支払う」ということは私たちが今日から行動できることです。「安く」でも「高く」でもなく「適切に」です。ほんの少しのトレンドの変化が世の中を変えます。少なくとも今回の高速道路の事故を少しでも「自分事」と受け止めて、少しずつ行動を変えることが、このような悲惨な事故を減らす、遠回りなようで、一番確実な方法です。」


「企業人」としては、「お客様第一」だとか建前を強調し、自ら「消費者」となるやいなや、お店とかで傲慢な態度をとる「あなた」のことですよ。
私も昔はそうでした。でも今はそんなことしません。
「反面教師」を沢山見てきましたし、自分自身、後味が悪いことこの上なし、だからです。
もちろん、人間には「怒り」という感情も生きていく上で必要です。
「怒るべき」ときには怒ることは必要。
しかし、ちょっとしたことでキレるとか、自分の被った悪感情を関係のない人に伝染させること(負のスパイラル)は禁物です。

ギスギスはいけません(そういうのが「いい」と思っているような「迷惑企業人」が多いのが現状ですが・・・)。

立場を超えて皆が気持ちよく生きることができれば、世の中は良くなるに違いありません。

*タイトル写真は、大宮公園の新緑です。

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またまた価値観のお話

2012年04月27日 | 徒然
香山リカさんの「ほどほど論のススメ」愛読してます。

「現代は、かつてのような「体制vs反体制」「保守vs革新」という単純な図式は成り立ちません」

ま、「保守 vs 革新」とか「右翼 vs 左翼」のわかりやすい対立構造なんて破綻してますよ、なんて私、20年以上前から言ってきたことなんですけど、昨年からの原発論議を見聞するかぎり、いまだに健在なんですね。。。

で、ここが大切です。

「橋下さんがベーシックインカムに言及したとき、支持者のなかに「すべての人を救おうとしているのか! アイツは共産主義か!」という批判が起こりました。手のひらを返したように、橋下さんを偽者呼ばわりする人も出てきました」

「橋下さんの打ち出す数多くの考えや政策に、支持者といえども1から10まで素晴らしいと思えるとは限りません。あらゆる点で納得させてほしいという姿勢が強すぎると、少しでも同意できないことが出てきたときに、一瞬にして憎しみや敵意に変わってしまうのが人間というものです


「内ゲバ」の論理はいまだに健在なわけです。
政治や経済の特殊と思われる事例でも、私たち一人一人の生活と無縁どころか同じこと。
なぜなら、個人も会社も学校も国家も、構成しているのは「人間」だからなのです。
私も長い間、悩んできたことです。何度も何度も失敗し、自分にあきれながら。。。

「以前から、日本人はカリスマ的な人が出現すると、考え方だけでなく生活スタイルまですべての情報を求める傾向があり、それを真似して安心する。これは芸能人に対するファン心理と重なる部分があります。
もちろん、趣味の範囲にとどめるならまったく問題はありません。
しかし、社会問題に対してまでそうした姿勢でいるのはいかがなものでしょうか。テーマごとに深く考え、自分の納得できるものを取捨選択し続けるのは大変ですが、それが自分の考えを形作ることになるのでしょう」

はっきり言いましょう。
会社でも学校でも社会のあらゆるシーンで、“カリスマ”は必要ないどころか、害悪でしかなくなりつつあるのです。

では、何が必要か?
それは価値観の多様性を認め合うこと。
そのためにはバランスのとれた人との距離感が大切で、そういう環境を創り出すこと。
それが無理ならば、思い切って自分の置かれる環境を変えることなのです。

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価値観の衝突と、自分の立ち位置

2012年04月27日 | 徒然
先週末4月21日のさいたまダービーの一件から考えたことを整理してみます。
ミシャ新監督のもと補強も奏功、前節まで2位の浦和レッズに対し、大宮アルディージャは絶望的な戦前予想を覆し2-0で勝利したのでした。

曇天で寒い午後でしたが、開場からキックオフまでの間、私はこんなものを食べてボーっとしてたのでした。

鶏塩ラーメン 600円


ミートカレー 550円

フットボールに関心のない方も、ニュースとかで試合開始前に大きな旗が客席の上でユラユラしてるのを観たことがあると思います。
その旗の中からの光景がこれです。


■4月21日の経緯

18:30キックオフの1時間15分前。乃木坂46様ご登場。
「スカパー!Jリーグ2012」のオフィシャルサポーターとのことでした。
会場では、写真撮影禁止のアナウンス。。。
(これだがら日本のゲーノー界って嫌いなんだよね。ま、遠目にしか映ってないんで大目に見てくれや・・・。それに写真を撮ろうなんて人、私の周りでは皆無でした・・・。私もファンでも何でもありません。ただネタのためにだけ撮りました)
試合中は満員だったのにホーム側はまだ空席が目立ちます。
去年のなでしこジャパン、佐々木監督(初代大宮監督)のときもそうでしたね。
 

で、浦和サポのゴール裏前でブーイング。拡声器で「売春婦!芝踏むな帰れ!」


試合結果はいうまでもありません。
折角、好調の浦和ですが、「ダービーで負けた」という結果にこんな反応(↓)。
私は気分良く帰ったので、色々あったこと、翌日に知りました。

帰宅後、情報収集したのですが、試合開始前からこんな事実があったようです。

▼大宮のDF下平選手によると、大宮の選手が乗ったバスがスタジアムする際、浦和サポからバスに唾が吐かれた

▼それを見た大宮の選手たちは「あれでみんなカチンと来て、『絶対に勝とう!』っていう雰囲気に」とモチベーションアップ。

▼敗戦後、ゴール裏に挨拶にきた浦和の選手たちに、水がまかれた(こちらは自分は確認してませんでした)。
<大宮・浦和>水をまく怒りの浦和サポーター

▼浦和の選手のバスがスタジアムを出るとき、一部の浦和サポがバスを囲んだ。
 監督と阿部選手が出てきて、浦和サポに事情を説明・説得した。
<大宮・浦和>浦和サポーターが横断幕でバスの出庫を阻止(Photo By スポニチ)

▼さらに、Twitterで浦和サポと思われる人物が、下平選手(ガンバ大阪から移籍)に「殺すぞ!」と書きこみ。
▼先取点を決めたチョ・ヨンチョル選手には差別発言の書き込み。

▼その書き込みに対し、下平選手がTwitterでひとこと「殺すぞはやめとき」
 さらに、ガンと闘っている塚本アンバサダーも怒りのコメント。
大宮のプレーヤーが浦和サポにTwitterで注意

<昨日行われた大宮と浦和の「さいたまダービー」は、チョ・ヨンチョルとラファエルがゴールを上げた大宮が、クラブ史上初となるホームゲームでのダービー勝利を達成したが、その熱さは試合後も止まらず、Twitterでは浦和レッズサポーターと思われる人物と大宮アルディージャの選手間でこのようなやり取りがあった>

<Twitterを用いた交流が早くから普及している海外では、選手とサポーターの間で行われるやり取りは日常茶飯事で、いわゆる舌戦的なものや、ファンの行き過ぎた発言を咎めるようなことも多々あるが、今回のようなことは日本では珍しいケース>


個人の心情としては、「下平君! よく言ってくれた」です。

■海外の価値観を全て持ち込めばいいのか?

「フットボールのピッチは闘いの場であり、神聖な芝にチャラチャラした人達が足を踏み入れるべきではない」

私も昔は浦和サポだったので、この価値観を当たり前と思っていたこともありました。
実際、浦和のホームでは、イメージキャラクターが試合前・後もピッチでアピールすることはありません。
大宮はじめほとんどの日本のクラブは、そうではありません。
むしろ、キャラクターによるファンサービスは普通です。


 
こいつ、何年か前、ラーメンを食べてた私のところにつかつかと近寄ってきて、(俺にも食わせろ)とアピールしてきました(笑)。
このアルディ君、先日もセレッソ大阪サポの皆さんに大好評でした。
にしても尻尾でけぇな・・・。

「フットボールの精神」も理解できないわけじゃないですが、“キャラクター王国”でもある日本なんですし、日本流でエンタティンメント化されたフットボールの楽しみ方、っていうのがあってもいいんじゃないか? というのが私の考えです。
まだ生で見たことのないJ2愛媛「一平君」のファンですし。

で、乃木坂46ですが。
個人的にはスカパー、嫌いです。
というかスカパーと大宮アルディージャの蜜月関係=有料契約者の顧客を囲い込もうという「マーケティング」には怒りさえ感じています。
おかげで、テレ玉(テレビ埼玉)の中継が激減しました。
「さいたまダービー」というキラーコンテンツのテレ玉中継がなく、「試合を観たいのならスタジアムに来るか、スカパーと契約せよ」という目的がミエミエの「囲い込みマーケティング」にはうんざりしてます(しかも、、、ナクスタの収容人員は2万人に満たず、ダービーのチケットの入手は大変・・・)。
大宮の集客を目的としたマーケティング課題は、まだまだエントリー層の拡大です。
君たちのマーケティングは間違ってるんじゃないかな!?


でも、スカパーというステークホルダーの意図で、大宮のホームゲームのイヴェントに出演することになったのが乃木坂46。
彼女らには罪はありません。
2ちゃんねるの書き込みにもありましたが、15歳とかの女の子のパフォーマンスに、いい大人が差別的言辞を弄したり、妨害したりというのは何とも大人げないな、、、と思います。
しかも、浦和にとってはアウエイです。
(何年か前、やはり浦和サポが新潟で、SMAPの中居某にブーイングしたと聞きましたが、それは中居某が読売ジャイアンツの話をしたからだそうです。それは仕方がないです。中居某が「勘違い野郎」だったからです。読売ジャイアンツファンの皆さま、気をつけませう・・・)

マスコミ報道では浦和サポの妨害は酷かったとの論調ですが、現地にいた感想をいうとこんな感じです。
たしかに耳障りな妨害もありましたが、浦和サポ全体として統一した行動ではなかったと私は感じました。
むしろ、この日のゲーム・プレゼンターである「ステラタウン」の社長のご挨拶へのブーイングに怒りを感じました。
実際、乃木坂46のパフォーマンス中、静観している人達のほうが圧倒的に多かったのを確認しました。

浦和の選手だってこんな感じです。


ま、こんな写真もあるんで浦和の一部サポはお怒りだったのかなと。
でも、いくら試合前だって、いいんじゃやないですかね?

「ダービーは戦争である」

なんて声も聞きます。
しかし、例えばスペインなどは、フットボール以前の歴史で実際の戦争・紛争があったわけで、現代になって「代理戦争」という形でフットボールの試合があるわけです。

「リアルの戦争・紛争」⇒「フットボール」

という図式があるわけですね。
「代理戦争」ってたしかに物騒ですけど、リアルの戦争よりははるかに平和的です。
いっそ、世界中の戦争が、フットボールとかスポーツの試合で肩替りしてくれるのなら、世界は平和になるんですけどね。

で、日本で「フットボールは戦争だ」という人達の思考は、海外の逆の図式なわけです。

「フットボール」⇒「戦争」

日本国内で内戦ってありましたっけ?
せいぜい、明治維新後の西南戦争ぐらいじゃないですか、大規模なのは。
しかも、薩長土肥の日本政府の仲間割れで、地域間紛争ではありませんでした。

国内で仲が悪い地域ってどこでしょうか?
私の知る限りでは、青森県の南部と津軽。
長野県の北部と南部。
長州と会津とか。
山梨県民は「武田信玄」と呼び捨てにはしません。今でも「信玄公」と呼びます。しかし群馬県では「信玄」は侵略者であり嫌われています。
ほかにもあるかと思いますが、せいぜい日本ではそんなもんでしょう。

さいたま市でも旧大宮市と旧浦和市はカラーが全く違います。
でも、欧州のように「ダービー=戦争」という図式を持ち込むのは無理がありすぎます。
フーリガン的な行動もそうですが、元々、争いの火種のないところに、そういう価値観を持ち込んで自らを高揚させるのはどうかな? と思わずにはいられません。

ワールドカップの世界で通用するようになるには、フットボールの文化の醸成が必要です。
クラブもサポーターも欧州のようなノリと空気感が必要かもしれません。
しかし、ポジとネガ全てを輸入すればいいということはありません。
日本の風土・土壌にカスタマイズすべきです。
ワールドカップで醜態をさらしたチームの監督の命が狙われるブラジルのような国にはなってほしくはありません。
Jリーグ観戦を始めてからの私の基本スタンス、それは「相手選手、サポーター、クラブへのリスペクト」です。
このスタンスが自分の中でブレるとき、観戦は楽しくないものになってしまいます。

「フットボールのために国家がある」というのはクレージーな倒錯です。

たとえワールドカップで優勝するような国にならなくても。
いや、日本人の流儀で世界を制覇することも可能かもしれません。
女子の「なでしこジャパン」は、それを達成しました。

■「一部サポーターの暴挙」といういい方

「一部サポーターの暴挙」というのは、マスコミはじめ多くのサポーターコミュニティで使われている言葉です。
便利な言葉ですね。
サポーター・ファンの数が増えるほど色んな人がいるのは当たり前です。
数年前、さいたまスタジアム2002に向かって、雨の中を歩いているとき、車が停まってくれて「乗ってきませんか?」と声を掛けられ、ありがたく同乗させていただいたことがありました。
「浦和レッズサポーター」にもこういう親切な方はいます(開始時間ギリギリだったので、親切なその方は少なくともクレイジーなサポではありません)。
土曜日の一件でも、選手に水をかけたりバスを囲んだのは数十名に満たない少数派だったはずです。
しかし、そういう「ごく一部」の人達でも、クレイジーな行動をとれば、サポーター・ファン全体がネガティブにラベリングされてしまいます。

で、相手選手への差別的発言や、施設での破壊行為に対しては、クラブから厳重な処分(観戦禁止など)が科されることもありますし、刑事罰が適用されることもあります。
しかし、こういった行為は一向になくなりません。
それはなぜでしょうか?

“上からの罰則”だけでは、あらゆる犯罪がなくならないのと同じことです。
今まで、ことが起こるたびに、「一部サポの暴挙」ということで、話が済んでいた感が否めません。
肝心なことはサポーター全体とクラブが一体となって、内部から一部のクレイジーな行為を排除することでしょう。
私の肌感覚では、バス囲みに対しても8~9割の浦和サポは否定的です。

もちろん難しいし時間はかかります。
一フットボールファンの私が今まで語ってきたのは“虫の眼”の視点からです。
“鳥の眼”でみれば、欧州や南米のフットボール文化を取り入れ、スタジアムでごく一部の熱狂サポーターがなにかしでかし、それが内外から批判を受ける、という価値観の衝突も一つのコンテンツであるからです。
しかし、浦和に限らず、Jリーグのクラブでこんな問題がマスコミで報道されれば、フットボール観戦を楽しむという文化の醸成はますます困難となってしまうでしょう。
決して、サポーター内部の内紛など期待していません。
クレイジーな熱狂が“かっこいい”と評価されるような環境を、時間をかけて改善していく「雰囲気」と「空気感」の醸成が必要なのです。

誤解のないように言っておきます。
たしかに先週土曜日の試合開始前と試合終了後、前記のような事態が発生しました。
しかし、実際、現地に足を運びましたが、決して身の危険を感じるようなことはありませんでした。
子供連れの皆さんも安心して楽しめるのが、日本におけるフットボール観戦なのです。

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新緑の季節

2012年04月26日 | 徒然
雨で風も強くなりそうですが、今日もこれから外出です。
そういえば、GW間近だったんですね。
忘れてました。。。

*タイトル写真は拙宅のマンションの踊り場から撮った公園です。

<おまけ>先週の土曜日に撮った(曇天でしたが・・・)、見沼田圃の菜の花です。


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