南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

今夜はシンガポール

2010-04-08 01:15:41 | シンガポール

今日は、夕方まで香港にいましたが、今はシンガポールです。
午後6時半のシンガポール・エアラインで、10時過ぎに到着
しました。シンガポールは、一泊して、明日はデリーに向かい
ます。香港から直接デリーに行ったほうが近いのですが、
ついでにシンガポールのオフィスに寄ってちょっと用事を
すませてきます。

香港もそうですが、シンガポールは支払いが小切手なので、
どんなに小額でも自分でサインをしないといけません。
シンガポールには別の人間がいるのですが、インドも
兼任しているので、シンガポールに不在のことも多いのです。

前回シンガポールに立ち寄ったとき、オーチャードの
伊勢丹スコッツの喫茶店(モスバーガー)に現地社員に来て
もらって、一気に数十枚の小切手にサインをしました。
こんな場所でサインしていると、まるで芸能人のサイン会の
ようでありました。

昨日の朝の飛行機で、My Wifeは東京に戻りました。香港に
来る時は、余っているANAのマイレージを使ってビジネス
にアップグレードしてきたらしいのですが、このANAの
飛行機に乗っていたキャビン・アテンダントの人のサービス
が大変素晴らしいというので感激しておりました。

アップグレードだとはわかっていても、差別することなく公平
にサービスしてくれて、しかも声をかけてくれるタイミング
が絶妙。水が欲しいと思った瞬間に「何かお飲物お持ち
しましょうか?」と来てくれる。これぞまさにサービスという
体験をしたのだそうです。

そしてそれを伝えようとして、コメントの用紙を探しに行った
のですが、別のキャビン・アテンダント(この人はエコノミー
担当)の人に、「何か至らぬ点がございましたでしょうか」と
尋ねられ、事情を説明したら、とても嬉しそうに感謝された
ということを言っていました。

そういう話を聞くと、私はとても嬉しくなります。自分には
直接的には関係ないことなんですが、そういう優れたサービスは
航空会社の財産であり、どんなに経営が苦しくとも、そういう
部分は削ってほしくありません。サービスを受けた本人だけで
なく、間接的に飛行機に乗り合わせなかった私にまで喜びが
伝わってきました。こういう話をブログで書くと、さらに
この喜びが不特定多数に伝播して行いくのかもしれません。

シンガポール航空の飛行機の機内で、映画の『アバター』を
見ました。もちろん3Dではなく、おまけに小さなモニター
でしたが、それでも十分な感動が伝わってきました。この映画
の中で ”I see you” という台詞が何度か出てきます。直訳すると
「あなたが見える」ということなのですが、この映画ではもっと
深い意味で使われているような気がします。

「あなたのことを全面的に受け入れます」という感じです。
あるいは「あなたに対して私は心を閉ざしません」という雰囲気
もあります。普段、私たちは他人に対してそんなに簡単には心を
開きません。ついつい防衛をしてしまいます。その結果、ぎすぎす
した雰囲気になってしまいます。

この映画をあらためて見て、この “I see you” という最も基本的な
三つの単語は、「あなたとは敵対しません」というメッセージで
あるというのがわかります。この映画の中で、”bond” (絆)という
概念もたびたび出てきます。馬のような動物に乗る時、始祖鳥の
ような鳥に乗るとき、物理的に繋がります。心と心の繋がり、
人間と動物の繋がり、静物と自然界とのつながり、そういうもの
の大切さをこの映画は訴えているような気がしました。

今回、マイレージで、シンガポール・エアラインのビジネス・
クラスに乗ったのですが、優れたサービスというのは、
何か“I see you” に繋がっているのかなと感じました。

「アバター」を一緒に見ようと誘ってくれたのはMy Wife
でしたので、彼女には感謝しなければなりません。

よろしければ、こちらもついでによろしくお願いします。

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マイケル・ジャクソンとWe Are The World

2010-04-07 01:04:56 | Weblog

4月3日にマカオのマイケル・ジャクソン・ギャラリーを訪問した
件は、マイケル・ジャクソンの手袋がマカオのホテルにあった
という記事の中で書きましたが、そのギャラリーの展示にもあった
"We Are The World"についてちょっと書いてみたいと思います。

もともと私はマイケル・ジャクソンのことはそれほど詳しいわけで
はありませんでした。My Wifeのほうがよほど詳しくて、彼女は
東京ドームで行われたコンサートでかなり前のほうの席でマイケル・
ジャクソンを実物で見たと言っていました。"This Is It"の映画も
すぐに見に行き、ものすごく感動したと言っていました。私は
それを聞いても、「あ、そう」という反応しかできませんでした。
正直言って、それほどの接点がなかったからです。

My Wifeがこの間、香港に来たとき、”This Is It"のDVDとCDを
持ってきてくれました。マイケル・ジャクソンの音楽とその人間
に本格的に触れたのは、じつはそれが最初でした。もちろん
断片的には、テレビとかで彼の映像は見たことがあるのですが、
まともに彼の作品を見たり聞いたりしたことはなかったのです。

マイケル・ジャクソンのスキャンダルやゴシップに関しては
断片的に知ってはいましたが、きちんと状況を把握しているわけ
ではありませんでした。先月、日本に帰った時に買ってきた
『なぜマイケルは誤解されたか』(西寺郷太著、講談社現代
新書)を読んで初めて、マイケル・ジャクソンがどういう経歴
だったのか、どんな問題や悩みを抱えていたのかなどが何となく
わかってきたのでした。恥ずかしながら、今頃なのですが...

この本に書かれていることはどれも実に面白く、え、そうだった
の?ということばかりなのですが、"We Are The World"の箇所は
非常に興味深かったです。

実は、去年、この歌の替え歌を考えようとして、YouTubeでその
歌をダウンロードして何度も聞いていました。ですのでこの歌に
関してはだいたい把握していたし、カラオケでも三度ほど歌った
ことがありました。(もちろん、一人で全部じゃないですが)

その本の著者の西寺さんは、マイケルが亡くなってしばらくした
後、雑誌のインタビューで、この歌をマイケルと一緒に共作した
ライオネル・リッチーに話を聞くのです。面白い話がいろいろと
出てきます。

もともとはこの曲は、ライオネル・リッチーとスティービー・
ワンダーで作るという話があったのだそうです。しかし音楽監督
のクインシー・ジョーンズは、『スリラー』でプロデュースを
したマイケル・ジャクソンを推薦してきます。この結果、マイケル
とライオネル・リッチーの二人の共作で曲を作るというプロジェクト
がスタートしたのだそうです。

マイケルは、自分とライオネル・リッチーがリード・ボーカルを
歌い、他のアーティスト全員がバックコーラスを歌うということを
考えていたそうで、ここでクインシー・ジョーンズとの軋轢が
生まれます。詳しくはこの本をお読みください。

あと、アーティストの中にはプリンスが入る予定だったのだとか。
直前まで来る予定だったのだが、事故があって来れなくなってしまい
ます。これが実は、プリンスが身長が155センチしかなく、他の
長身のアーティストたちと一緒に歌った場合に自分の身長が比較
されてしまうのをいやがっていたという話が出てきます。一人で
個室で歌わせてくれと頼んできていたらしいのですが却下された
ようです。それで急遽、予定になかったヒューイ・ルイスが歌う
ことになるのだそうです。

これが録音されたのが1985年、1月28日。あれから25年の月日
が経っています。今年の2月1日、ハイチ大地震の救済のために
"We Are The World"のリメーク版が録音されました。そのことは
次の記事の中で触れていますのでご参照ください。
音楽が世界を救うパート1
音楽が世界を救うパート2
マイケルが亡くなった後のものですが、マイケルのパートは25年
前のものが使われています。

今日、ウェブを探していたら、2001年の同時多発テロの時も似た
ような企画があって、マイケルが曲を作り、レコーディングもされ
ていたのですね。
Michael Jackson What More Can I Give Music Video
この”What More Can I Give"という曲は、マライヤ・キャリー、
ルーサー・ヴァンドロス、グロリア・エステファン、リッキー・
マーチン、セリーヌ・ディオン、ビヨンセ、Boys II Menなど
すごいメンバー。でも残念ながらこれはCD発売されなかったよう
ですね。これは残念です。このビデオでは、マイケルが
プロデューサー&ディレクターとして活躍している姿が映って
います。

ウェブを検索していたら、MTVの日本のサイトにマイケルの映像
がいくつか出ていました。その一つに2006年のMTV VMAJ2006
『レジエンド・アワード』受賞シーンというのがありました。
http://www.mtvjapan.com/video/top/17007
このスピーチ、すごく感動的です。是非、ご覧ください。
他にもこのMTVのマイケルジャクソンの映像はかなりよいです。
http://www.mtvjapan.com/michaeljackson/

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香港SOHOのオーガニック・レストラン

2010-04-06 00:35:26 | HONG KONG

香港のSOHOにあるLifeという名前のオーガニック・レストラン
に行ってきました。先日、SOHOのレポートをアップしましたが、
香港SOHOのウォーキング・ガイド(シェリー・ストリート他編)
という記事の中で、ちょっと触れたLifeというお店です。

ヒルサイド・エスカレーターをハリウッド・ロードから、
エルギン・ロードまで登っていく途中の左側にあります。
台湾在住のRieさんという方が、
香港で、一番好きなベジタリアンカフェ 【Life】
という記事の中で紹介していたのですが、My Wifeと一緒に
行ってみました。

看板のプレートに、マハトマ・ガンジーの言葉が書いて
あります。
"Be the change you want to see in the world"
「あなたが見たいと思う世界の変化に
あなた自身がなりなさい」

今週またインドに出張なのですが、こういうところでガンジー
の言葉に出合うのは、天からのお告げを聞くような感じで、
ちょっとした衝撃です。

店先はこんな雰囲気です。

こちらは坂道に出ている看板。

ここではこの小さな看板一つだけでもアートになります。
SOHOではごく普通のことですが、週末はブランチは夕方の4時
まで注文できます。

こちらは、グラウンド・フロアーのお店の様子です。

中国語が一切ないのがいい感じです。

オーガニックの商品がいろいろと売られています。

こちらの階段を上がったところがレストラン。

ファースト・フロアーまで上がったら、さらにその上に行けと
言われました。秘密の階段のようなのをさらに上がります。

この階段を登ると、そこはテラスでした。

この写真は3時過ぎの様子です。
壁際の席はこんな感じ。

自然な感じで配置された小物がアートです。

この黒板の文字もアートです。

さて私たちはまず、ドリンクを注文しました。

左が私が注文したグリーン・ピースというジュース。リンゴと
セロリのジュースです。右はMy Wifeが注文したリフレッシャー
というジュース。ライムとリンゴとミントのジュースです。
「昔、おかあさんがリンゴを絞って作ってくれたジュースの
ような懐かしい雰囲気」とMy Wifeは言っておりました。
味は、実にデリシャス!自然の素材の風味がそのまま味わえ
ます。

そしてこちらは、私が注文したパンケーキ。

もちろんオーガニックなのですが、モチモチした食感です。
とても美味しかったのですが、これだけ食べているのは
ちょっと単調な感じです。

My Wifeはこちらのオムレツです。

パンもタマゴも、ポテトも、美味です。タマゴの中に入って
いるプチトマトもとても美味しかったです。

サイドでポテトも取りました。

あと、トーフ・ベーコンというベジタリアンのサイドも取り
ました。

ベーコンのような風味ですが、豆腐で作ってあるようです。

ちょっと沢山注文しすぎてしまいましたが、ゆっくり食べ
ました。かなり遅めの昼食ですが、これがまたすごい贅沢
のように思えてくるのでした。

周囲をビルに囲まれた小さなテラスなのですが、とても素敵
な雰囲気で、食事もおいしく、この日もゆったりした時間を
過ごせました。

ここのお店のウェブサイトはこちらです。
http://www.lifecafe.com.hk/
これを見ると、HK Magazineの読者チョイスで2006年、
2007年と二年連続で「ベスト・ベジタリアンレストラン」に、
Life Style Asiaというサイトで、「ランチのベスト・テラス」と
いう表彰も受けているようです。たしかにここは、空間も
素材も味も素晴らしいです。

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マイケル・ジャクソンの手袋がマカオのホテルにあった

2010-04-05 02:36:08 | HONG KONG

昨年、11月21日、ニューヨークのオークションで、マイケル・ジャクソン
の手袋が35万ドル(約3100万円)で落札されたというニュースは、まだ
記憶に新しいのですが、そのオークション会場でその手袋を落札した香港
の実業家というのがテレビに映っていたのを鮮明に覚えています。

1983年3月25日、『ビリージーン』で伝説のムーンウォークを初披露する
のですが、その時にしていたのが、クリスタルの鏤められた左手の手袋
です。韓国製のスポーツ用の手袋で、これにクリスタルを付けたものの
なのだそうです。

左手の手袋は、やがて、演出の都合で(ムーンウォークを右手から左手に
する際に右手の手袋のほうが照明に映える。また帽子に手をそえる
アクションの際に右手に手袋をしていたほうが絵になる)、
右手になるのですが、ムーンウォークの伝説を作った最初の記念すべき
手袋は左手のものです。

この落札された手袋はその後どうなったんだろうと思っていたら、何と
マカオのポンテ16にあるホテル・ソフィテルの二階にある「マイケル・
ジャクソン・ギャラリー」に展示されていたのです。

ニュースによると、オークションに参加したのは、このホテルの運営
最高責任者代理のホフマン・マーという人だったようですが、実はこの
ポンテ16・ソフィテルは、マカオのカジノ王と言われる超大金持ちの
スタンレー・ホー氏が経営権の半分を持っているのだとか。すごい
経済力です。

2007年末から始まったホテルなのだそうですが、2010年2月1日に
このホテル内に、マイケル・ジャクソン・ギャラリーがオープンし、
数十点のアイテムとともに、この手袋も展示されています。

昨日、このギャラリーに行ってきました。入場無料です。



スクリーンでマイケルの過去のミュージックビデオが上映されて
います。

中はこんなふうな雰囲気。

結構ちゃんとしたギャラリーです。ファンの人はたまらないでしょう。

写真やら、サインやら、実際に着ていた衣装などが飾ってあります。

例の手袋はこのガラスケースの中にあります。

下は1998年に使っていた帽子です。

こちらは白い帽子。

ムーンウォークの時の靴下も飾ってありました。

スリラーの時の衣装です。

サインのある写真です。

いろんなサインがあります。






こちらはマイケル・ジャクソンの描いた絵なのでしょうか?


マイケルが描いたチャーリー・チャップリン。


自叙伝『ムーンウォーク』です。


ネバーランドの写真です。


ネバーランドの地図です。


ネバーランドの入場ストラップです。


この展示の中で、個人的に一番感動したのは25年前のWe are the world
の楽譜です。いろんなアーティストがサインをしています。

楽譜そのものもすごいんですが、サインが入っているのもすごいです。

これはTo Cindyとか書いてあるので、シンディー・ローパーに贈られた
ものなのかもしれません。


こちらはギフトショップ。いろんなお土産が売られています。








こちらの手袋のレプリカ。これは香港ドルで628ドル(約7500円)と
いうことでした。結構、本物とそっくりなので、マイケルジャクソン
のモノマネをされる方には決して高くないのかなと思います。

このホテルに行くのは、フェリーターミナルから無料送迎バスが
出ています。フェリーターミナル降りたところにいろんなホテルの
送迎バスの乗り場がありますので、そこで探してください。


また、このホテルから、フェリーターミナルまでも無料バスが出て
います。

他のホテルに行く場合は、一旦フェリーターミナルまで
行って、そこからそれぞれの送迎バスに乗ったほうが経済的です。
(カジノで使う金を考えれば、タクシー代などはチップ一個分にも
満たないかもしれませんが)


City of Dreamsにある、ハードロックホテルにも、マイケル
ジャクソンの遺品がありました。

ギターとブーツと手袋です。

こちらの手袋は、先ほどの伝説の手袋
とは違って、右手のものです。またキラキラの細工も、クリスタル
ではなくて、スパンコールのような感じです。

マカオには、マイケル・ジャックソン関連のものがこんなに集まっ
ています。ファンの人は、これを見るためだけの目的でマカオに
来る価値はあると思います。


最近、西寺郷太さんの『なぜマイケルは誤解されたか』(講談社
現代新書)を読んだばかりなのですが、これが非常に面白かった
です。ムーンウォークの時の手袋が最初左手で、その後右手に
なるという経緯なども詳しく説明してくれています。是非、この
本を読んでから、マカオに行くのをおすすめします。

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マカオ旅行記

2010-04-04 13:01:12 | HONG KONG

4月3日の土曜日、マカオに行ってきました。天気は曇りでしたが、
暑すぎず、動き回るにはちょうどよい気候でした。旅程はこんな
感じです。
9時40分、上湾のフェリーターミナルを出発。
10時40分頃、マカオ到着。タクシーでセナド広場へ。
12時頃、セナド広場近くのポルトガル料理レストランEscadaで食事
2時半頃、聖ポール天主堂跡(上の写真)に
3時半頃、ポンテ16(ソフィテル)のマイケル・ジャクソン・ギャラリーに
5時頃、City of Dreamsにてカジノ(大小)
7時頃、ハードロックホテルから歩いてベネチアンに
ベネチアンで、カジノ(大小)そして、イタリアンのベルグナノで食事。
10時45分のフェリーでマカオ発
12時ちょっと前香港着

マカオへは、何度か来たころがあるのですが、My Wifeと来たのは二度目で
した。以下、私が以前、マカオのことを書いた記事です。
マカオのエッグタルト(2009年9月7日)
マカオに来ています(2008年6月5日)
マカオでリサイクルについて学ぶ(2007年10月20日)
あと、同じポルトガルの植民地だったゴアについての記事はこちら:
フランシスコ・ザビエルが眠るゴアの教会(2010年3月9日)

さてこちらがセナド広場です。

マカオはいたるところが世界遺産で、このセナド広場もその一つ。
ポルトガル風の建物と石畳がとても綺麗です。
お店の建物もとても綺麗。

マクドナルドだってポルトガル風。

スターバックスもこんな感じ。

普通の薬局もおしゃれ。


さてこちらはセナド広場のつきあたりにあるセント・ドミンゴ教会。
(聖ドミニコ教会とも)

世界遺産です。中はこんな感じ。

とても綺麗なマリア像がありました。

慈悲深さが溢れています。
こちらは懺悔コーナー(?)

膝まづいて懺悔をする場所のようです。
My Wifeも何かを懺悔しておりました。

さてお昼は、ポルトガル料理。ガイドブックに、セナド広場のすぐ
そばにEscadaというお店があると出ていたので、そこに行きました。
新馬路からセナド広場を見て右手側に郵便局の建物があるのですが、
そこの右横の細い階段を上がったところにあります。

この写真の黄色っぽい三階建ての小さくて、雰囲気のある建物です。
目立たない場所にひっそりとあるので、知らないと気付かずに通り
すぎてしまいそうな感じです。

12時ちょっと前くらいに行ったのですが、すでに予約でいっぱい
のようでした。二階のバルコニーの臨時席でもよいか、と聞かれた
ので、全然問題ないと言うと、そこに案内されました。
この上の写真のバルコニー部分のテーブルです。
気候もちょうどよかったので、外のバルコニーは逆に室内の
テーブルよりもプレミアムな雰囲気です。

日本語のメニューもあります。

日本語はところどころおかしいのもご愛嬌。日本語は変でも、
味は素晴らしいです。私たちはポルトガル料理というのを食べた
のは初めてでしたが、このお店は、とても美味しく、雰囲気も
よく、サービスも素晴らしいと思いました。おかげで私たちは
二時間以上のゆったりしたランチを楽しむことができました。

注文したメニューはこちらです。

さっきの写真に出ていたバカリャウ(鱈のコロッケ)です。

鰯の塩焼きに青唐辛子。このシンプルな料理が最高でした。

アサリのポルトガル風です。こちらも素晴らしい。
これにスチームライスを二つとっただけでしたが、もうこれだけでも
十分でした。あとは、デザート。

チョコレートプディングです。これにコーヒーの粉と、ポートワインを
ちょこっとかけて混ぜて食べるのですが、とても美味でした。
コーヒーの砂糖のデザインがちょっと可愛かったので写真を撮りました。

この砂糖は他のレストランでも見ましたが、マカオでは有名?
このレストランは観光地のど真ん中なので、どうかと思いましたが、
とても素晴らしかったです。おすすめです。

その後、一番上の写真の聖ポール天主堂跡に行く事にしました。
途中の細い道も楽しいです。

土産物屋がいっぱい軒を並べています。

こういうポークジャーキーのようなのを売っている店も多いです。
そしてこの道を抜けて突如見えてくる天主堂跡。

マカオでは一番有名な場所なんですが、この光景が見える瞬間は
結構感動的です。みんな写真を撮っています。

さてこの跡、セナド広場に戻って、そこからポンテ16(ソフィテル)に。
ここはマイケルジャクソンギャラリーがあるので、是非行ってみたかった
のです。じつは今回の旅の目的は、マイケルジャクソンの伝説の手袋を
見ることでした。ものすごい金額で落札されたムーンウォークの時のあの
手袋。それがここにあったのです。

このマイケルジャクソンの件は、結構びっくりするくらいのものなので、
これはまた別の記事で書きます。

こちらはCity of Dreams。

ここでカジノの大小にチャレンジしたのですが、負けてしまいました。

この後、ベネチアンで再びカジノで少し負けて、イタリアンのベルグ
ナノで食事。これもまあまあ美味しかったです。それで香港に帰って
きたのでした。充実の一日の旅でした。

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愛知県の田原のトマトが東京下町経由で香港に届いた

2010-04-03 00:28:26 | 故郷

香港は4月2日の金曜日から、6日の火曜日まで連休でお休みです。
今日、東京の下町にいるMy Wifeが香港にやってきました。この休み
の間、香港に滞在します。今日は、関東地方は風が強かったらしく、
飛行機は1時間半くらい遅れて到着しました。

香港は、午後からちょっと雨が降っていました。気温は20度前後。
でも湿度は90%から95%もあります。これで気温が高かったら
大変です。

先日、日本に帰ったときに、故郷の愛知県の田原に行って、トマト
を買ったというのは、菜の花の町という記事の中で
書いたのですが、その時に注文したトマトが一週間前に、東京の
下町の家に届いておりました。

数日前にMy Wifeが、「びっくりするほど美味しかった」と言って
いたのですが、そのトマトを二つ香港まで持って来てくれました。
この上の写真がそのトマトです。で、早速、食してみました。
「ま・い・う~!!
皮にまで甘みがあり、実にデリシャス!たしかに感動的な味です。
せっかくなので、別アングルの写真もアップしておきましょう。


「こういう高糖度のトマトを東京で買おうとすると高いの」
とMy Wifeは言っておりました。

トマトといえば、この間、日本に帰ったときに、東京のニュー
オータニに入っている高級寿司屋の久兵衛で食事をしたとき
(こんなところに行ったのは初めてでしたが)、デザートに
トマトが出ました。「アイスクリームか、フルーツか、トマト」
ということで、トマトをデザートに食べたことはなかったので、
トマトをお願いしたのです。

今日、食べたものよりも一回り以上小さなものでしたが、
たしかに高級寿司屋がデザートに出すだけあって、糖度も高い
し、美味しいものでした。しかし今日のものもかなり美味し
かったです。

My Wifeは、トマトだけでなく、旬のタケノコも持ってきてくれて、
タケノコご飯も作ってくれました。
季節感の乏しい香港でタケノコご飯もこれまた感動的です。

今日、愛知県の田原の弟(ペンネーム:栄福亭邦やっこ)から
写真が届きましたので、ご紹介します。

満開の桜です。この写真は、NHKのラジオビタミンとうい番組に
リクエストと一緒に送ったものだそうです。昨日、リクエスト
メールが読まれたと言っておりました。こんな文章です。

選抜高校野球は第二試合が雨のため明日に順延になりました。
各地雨のところが多いようでこちら愛知の渥美半島も強い降りでは
ありませんが朝から雨となりました。
今朝も小雨降る中近くの標高250mの蔵王山に登り、ラジオ体操を
してきました。毎朝の山登りが日課になってしまいました。
桜はふもとではほぼ満開。頂上では五分咲きといったところで
しょうか、毎日少しずつ蕾が開いてきた感じがしています。
今日はつながるジョッキーがあるとのことで急ぎリクエストします。
美空ひばりさんの愛燦燦をお願いします。小椋佳さんの詞で
なんとなくこころ休まる歌だと思います。


弟は、最近はラジオへのリクエストとラジオ体操に凝っています。
それはこちらのブログでも紹介しました。
田原の蔵王山に登って朝のラジオ体操を
香港ではこの番組を聞く事はできませんが、東京のことや、田原の
ことを思ったりすると、今、香港にいるのが不思議に思えてきます。

もう、一枚写真がありました。こちらです。

もう鯉のぼりが見えますね。ちょっと気が早くない?

では、明日はマカオに日帰り小旅行に出かけてきます。

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レスリー・チャンはみんなの心の中で生き続けている

2010-04-02 01:27:50 | HONG KONG

今日の4月1日は、レスリー・チャン(張國榮)の命日でした。
2003年のあの日からもう7年になるのですが、レスリー・チャンは
未だにアジアを代表する俳優であり、偉大なスターとして
生き続けています。

この上の写真は、香港、セントラルのマンダリン・オリエンタル。
2003年4月1日、18時41分、レスリー・チャンは、このホテルの24階
から身を投げました。46才。1956年9月12日生まれですから、生きて
いれば今の私と同じくらいの年齢です。(ちなみに私は1955年生まれです)

私はレスリー・チャンの大ファンというわけではないのですが、なぜか彼と
は縁があります。2007年に次のブログでもちょっと触れています。
レスリーがこの世に別れを告げた日
この記事の中でも書いたのですが、偶然にレスリー・チャンと同じ飛行機に
乗ったことがありました。ただ見たというだけでしたが。
また、台湾の歌手のワンリーホン(王力宏)とは仕事で何度か会ったことが
あるのですが、リーホン君は、レスリー・チャンを尊敬しており、感動的な
追悼文
も書いています。レスリーもリーホンのことをかなり買っていたよう
でした。これも不思議な偶然です。こちら参考記事です:
王力宏工房

あと、レスリー・チャンの愛した香港の日本料理店という記事
でも書きましたが、香港のハッピーバレーにある「慕情」というお店には
これまた縁がありました。「レスリーはいつもそこの席に座ってたんだ」
とその親爺さんは言っていました。

また、レスリー・チャンが出ている『さらば我が愛、覇王別姫』の映画や、
『男たちの挽歌』の映画は見ていました。

『覇王別姫』のディスクです。右はレスリー・チャンの97年のコンサート
のDVD。偶然に持っていました。

『覇王別姫』はその原作の、項羽と虞美人の話は、高校の時の漢文の
教科書に出ていた文章も鮮明に覚えていますし、司馬遼太郎さんの
『項羽と劉邦』の小説
も好きでした。「四面楚歌」の四文字熟語は、
この項羽と虞美人が追いつめられる垓下(がいか)の戦いの場面から
生まれた言葉です。

レスリー・チャンの死は、『覇王別姫』の映画のストーリー、項羽と
虞美人の愛するがゆえに自害するという話、などがオーバーラップして
いる気がしてなりません。鬱病だったということになっていますが、
覇王別姫の程蝶衣や虞美人が彼にのりうつったと思えてなりません。

私の会社はワンチャイにあるのですが、近くの香港アーツセンター
4月1日からレスリー・チャンの写真展が行われるという情報を
ゲットしました。会社が近いもので覗いてみました。

こちらがワンチャイの香港アーツセンターです。

漢字では香港芸術中心と書きますが、ワンチャイのグランド・
ハイアットの向かい側あたりにあります。
詳しくは、こちらのウェブをご覧ください。
http://www.redmission.org.hk/news/news_e.htm
展覧会はこのビルの5階で4月13日までやっています。
入場は寄付の20ドル(以上)です。

写真展会場の入り口です。

こんなパンフレットをもらえます。


中の様子です。

女性が圧倒的に多いですが、少数で男性もいます。日本人の女性の方も
目につきました。日本人男性は私くらいでした。


「どれもいい写真ばっかりだわね~」という日本語が聞こえました。
この中で私が選んだ一枚はこちらの写真です。

この真剣な表情に引き込まれてしまいました。

私はレスリー・チャンの大ファンというわけではなかったのですが、
何だか彼から「時間があったらちょっとぼくに会いにきてよ」と言われ
たような気がしたのでした。年齢も同じくらいだし、いろんなところで
彼との接点がある。そんなわけでここに来たのですが、何だか不思議な
感じがしました。彼は、今も私たちひとりひとりに何らかのメッセージ
を送り続けているのかもしれません。そのメッセージを伝えるために、
彼は私をここに呼んだのかも、そんな気さえしていました。

そして、その夜、セントラルのマンダリン・オリエンタルに行って
みようと思ったのです。彼が7年前、この世と決別した場所です。
会社のあるワンチャイからトラムに乗って、すぐにホテルの裏側付近
の公園に到着。そこから歩いてすぐのところにそのホテルはありました。
夜の8時頃でした。

このホテルのビルの右側の道路沿いに、献花の場所になっていました。


白い百合やら白いバラ、基本的には白い花が多いです。
中には赤いバラなどもありましたが。

ずいぶん沢山花があります。

花束もあれば、ハート形に作ったものもあります。
いろんな国から贈られてきているようです。

写真が付けられているのもあります。


ハート型の花の左にあるプレートには、"From Japanese Fans"と書いて
ありました。


「あなたの代わりは誰もいない」という日本語のメッセージです。
5人の女性の名前。これ見ていたら、涙がこみ上げてきました。

そして、きわめつけはこちら...

「Dear Leslie, いつもあなたを 思っています 夢で 逢いましょう」
16人の女性の名前が書いてあります。泣けてきました。

私は冷やかしでここに来ただけなんですが、ちょっと感動です。
なんだか、ここに並んでいる花のひとつひとつをじっくり見てあげ
たくなってしまいました。日本からの花、シンガポールからの花、
中国から、韓国から、台湾から、そしてもちろん香港から...
いろんな国のいろんな人が、レスリー・チャンへの思いを込めて
花を贈っているんです。


こちらも日本からのようでした。


こちらも日本からです。
ちょっと写真が小さくて見にくいのですが、「私の心の中には
いつもあなたがいる たとえ別れても 一緒だから」という文字が
書いてあり、10人くらいの名前が。気持ちが伝わってきます。

4月1日にここに来たのは初めてなのですが、なんか来てよかった
と思いました。レスリー・チャンは、ファンの人たちの心の中に
いまでも鮮明に生き続けているのだと実感しました。

レスリー・チャンは永遠です。

よろしければ、こちらもついでによろしくお願いします。

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「巨乳」という言葉を自分のブログで使いたくはなかったが

2010-04-01 01:13:33 | HONG KONG

まさか自分のブログで「巨乳」という言葉をタイトルで使うことに
なろうとは...
日本の映画『おっぱいバレー』の中国語タイトルが『巨乳排球』な
ので、生まれて初めて、この言葉を自分の文章の中で使うことに
なってしまいました。何か別のものを期待してここにアクセスして
いただいた紳士の皆さん、期待はずれの内容でがっかりされたと思い
ますが、平にご容赦ください。

この映画は、昨年、香港、台湾などでも封切りされました。大陸で
はどうだったかわかりませんが、大陸のネットを見ると、この
『巨乳排球』に関するサイトやら掲示板やらが多いので、けっこう
皆さんご覧になっているようですね。香港ではすでに、DVDが発売
されているのですが、思わず買ってしまいました。

去年、この映画が香港で封切りになる前後、二階建てバスに大きく
『巨乳排球』と書いてある広告を見たのですが、もともとの映画を
知らなかったので、またおかしな香港映画ができたもんだと思って
おりました。これが日本映画の『おっぱいバレー』だったんですね。

「おっぱい」という言葉を日常会話で使うというのも革命的ですが、
「巨乳」というのもかなり文化大革命です。胸を大きくするという
豊胸の宣伝はちらほらと見た事はありますが、こんなに堂々と
「巨乳」という文字が市民生活の中に現れたのは、中国4000年の
歴史始まって以来初めてのことではないでしょうか?!

日本でも、この映画の切符を買う時に「おっぱい」という言葉を
使うことに抵抗のあった人が多かったと思いますが、中国語で
「巨乳」というのもかなり抵抗があったんではと思います。
大阪人は「ちち」という言葉のほうを好み、「おっぱい」という
言葉に必要以上のいやらしさを感じるというのを、以前、
「県民ショー」で見たことがありますが、地域によってもこの
「おっぱい」に対する抵抗感は多少の差異があったと思います。

しかし、「巨乳」、これは困りましたね。この二文字をここに
アップするだけで、アクセス数がグーんと増えてしまうことは
想定できるのですが、そんなんでアクセス稼ぎをするつもりは
ありません、と言ってももう手遅れですが...

この映画のタイトル『巨乳排球』なのですが、広東語の発音は
よくわかりませんが、普通語(北京語)では[じゅうるう
ぱいちゅう]のうように発音します。バレーボールを意味する
「排球」が「ぱいちゅう」というのは、原音の「おっぱい」に
似ているので、中国語のタイトルとしたら実に秀逸です。

香港とかでは、この映画について知らない人も多いと思うので、
DVDショップで、このDVDありますか?とお店の女性店員に
この映画のタイトルを書いた紙切れを渡すとします。
すると女性店員が、大きな声で
「巨乳のDVDそっちにある?」
と奥のほうにいる店員に聞くような事態になってしまいます。
そうすると奥のほうの店員は、
「巨乳ってそれアダルト物じゃないの?」
などというとんでもない返事を広東語で返してきます。
そうすると、周りの居合わせた客は、
「あら、やだ、この日本人、アダルト物を買いに来てるんだわ、
日本人はとってもいやらしい、スケベ」というようなひそひそ
話をしながら、まるで汚いものを見るかのような軽蔑の視線で
こちらを見てきます。
いやいや、そうじゃない、これはちゃんとした真面目な(真面目
というわけでもないが)日本映画なんだ、第33回日本アカデミー
賞で綾瀬はるかが優秀主演女優賞を取ったし、話題賞も取った
作品なんだ、また第52回ブルーリボン賞でこれまた綾瀬はるかが
主演女優賞を受賞した作品なんだ!と弁解したいのに、
広東語もできないし、英語で説明したらこれまたこんがらがって
うまいこと表現できる自信がない。
「排球だからスポーツ物じゃないの?」
そうそう、そう誤解してもらったほうがまだ救われます。
「だったらスポーツ物のAVじゃないの?」
なんて会話が実際にあったわけではないのですが、まるでへんな
物を違法に買うように何とかそのDVDをゲットしたわけでござい
ます。罪作りなタイトルです。

この上のポスターは実際に香港であちこちに張り出されていた
ものですが、吹き出しの文字は
巨乳?!先生のを見る事ができるんだ!
絶対試合に勝つぞ!!

と書いてあるようです。

左上の文字は「笑いあり涙あり、日本列島話題騒然、2009年
大ヒットの超穴馬作品」というような内容。「超級黒馬」という
のは、すごいダークホースということなんですね。

右上のほうに「綾瀬遥」と書いてありますが「綾瀬はるか」は
中華圏では「綾瀬遥」と全部漢字表記になります。彼女は
ハッピーフライト(開心直行)の映画も香港で公開されていま
したので、そこそこの知名度はあるんだと思います。


そういえば『僕の彼女はサイボーグ』も香港で上映されて
いましたね。


そんなこんなで、『巨乳排球』を見ました。ばかばかしいです
が、なかなかよい映画じゃないですか?
1979年という設定というのもよく考えられています。今の時代
だと、ネットがあるので、この映画のような設定自体が成り立た
ないのですが、パソコンも携帯もなかった79年だとリアリティー
があります。

その頃私は大学生でした。この映画は福岡県の中学校が舞台の
ようですが、この映画の中で使われる歌がめちゃくちゃ懐かしい
です。ピンクレディーの『渚のシンドバッド』に始まって、
甲斐バンドの『ヒーロー』、荒井由美の『ルージュの伝言』、
ツイストの『燃えろ、いい女』、キャンディーズの『微笑み
がえし』などなど。チューリップや、矢沢永吉、浜田省吾、
永井龍雲など出てきます。おまけにテーマ曲は『個人授業』。
フィンガー5の名曲ですが、持田香織とかがCaoCaoという
ユニットでカバーしています。音楽的にすばらしい。
でも、この素晴らしさが香港の人たちには理解されないだろう
と思うとちょっと残念です。

会社の従業員のマイケル君に聞いたら、香港ではそんなに
ヒットしたわけじゃないと言っていました。
綾瀬はるかが教師として赴任してきた時、朝礼で「私は
高村光太郎の道程が好きです」と言うのですが、男子生徒
たちは「童貞が好き?」と言って興奮してしまうのですが、
これはいかにも当時の中学生男子にはあありがちな反応な
ので、とてもリアリティーがありました。字幕では、
「道程」と「童貞」はそのまま使っていたので、この駄洒落
が香港の人たちにわかったのかなあと心配になりました。
と言っても大体、高村光太郎は知らないよね~。

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