南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

インドの神様とアバターとマイケル・ジャクソン

2010-04-10 09:33:00 | インド

今、インドのニューデリーに来ています。昨日の飛行機でシンガ
ポールからニューデリーに来たのですが、機内でまた「アバター」
を見てしまいました。もちろん3Dではないですが、今度の飛行機
はエコノミーでもスクリーンが少し大きかったので、かなりの
臨場感はありました。

ところで上の画像は、『スラムドッグ&ミリオネアー』の1シーン
です。クイズの三問目で、「ラマ神が右手に持っているものは?」
(答えは、弓と矢)のところで、子供の頃に、暴動のなかスラムを
逃げ回る回想の中で一瞬現れる映像です。子供がラマ神の扮装を
しているところなのでしょうが、インドの神様は青い肌をしている
のが多いです。この映画の4問目に出てくる『クリシュナ神の歌』
(子供たちが歌わされる悲しげな歌)のクリシュナ神も青い肌の
神様としてインドでは有名です。

映画『アバター』に出てくるパンドラの先住民ナヴィも、インド
の神様のように青い肌をしています。だいたい青い肌の人物という
のは古今東西、インドの神様くらいしか知りません。

ということはこの『アバター』という映画も、インドと何か関連
があるのではなかろうか、またインド人はこの映画を特別な親近
感を持ってみるのではないのだろうか、と思ったのであります。

調べてみたら、「アバター」という言葉の語源は、インドのサン
スクリットで「化身」を示す「アバターラ」という言葉から来て
いるんですね。先ほどインド人に聞いてみたら、日常会話では
この言葉を使うことはないけれど、インド人は「アバターラ」と
いう言葉はだいたい理解できると言っていました。

『アバター』の映画の中で登場する先住民ナヴィと人間のDNA
を合体させて作ったものも「化身」です。元の人間を代理する
存在です。考えてみると、人間の身体というのも、精神が仮に
宿っているアバターといえるのかもしれませんが。

インド人に聞いたら、この映画はインドでは人気があるのだが、
それほどの爆発的なヒットには至っていないと言っていました。
インドは世界有数の映画量産国なので、映画に対しては好みも
わかれるのでしょう。青い肌の生物たちは、あまり特別な存在
でもないのでしょうか。

インドは、人間と動物が日常生活の中で共存している国です。
牛は神聖な動物として尊重され、堂々と車道を歩いています。
豚や象もたまに見かけます。殺生を嫌ってベジタリアンで
通している人もかなりいます。ナヴィの世界と共通したところ
もあります。

ナヴィたちは、エイワの森の神様を信じていますが、神様は
特定の形をしているわけではありません。インドには、誰が
数えたのか知りませんが、3億3千万の神様がいると言われ
ています。日本でも八百万(やおよろず)の神がいると言い
ますが、インドのは桁違いに多いです。

西寺郷太さんの『マイケル・ジャクソン』(講談社現代新書)
の中に、マイケルが神について語った詩が紹介されていまし
たので、引用させていただきます。(この本については先日
も言及しましたが、正式なタイトルは『なぜマイケルは誤解
されたか』ではなく、『マイケル・ジャクソン』でした。)

「神(GOD)」

おかしなことに、神は彼自身を世界中のどんな宗教に対して
も区別せずに表現しているのにもかかわらず、人々は自分達
の信じている方法、それだけが唯一正しいという考え方に
ずっとしがみついている。
あなたが何か神について語ろうとすれば、誰かが必ずその
意見に反論してくるだろう。
もし、あなたが「すべての人の神への愛は間違っていない」
と発言したとしても、それにさえ反論する人はいるものだ。
私にとって、神の姿や形はさほど重要なことではない。
何が最も大切か、というと
それは「物事の本質(エッセンス)」
私のあらゆる歌や、あらゆるダンスは、神がこちらに現れた
ときに、そこに漂い充満してもらうための入れ物のようなもの。
私がその「器」を差し出すと、女神はその中に限りなく甘い
優しさを注いでくれる。

夜空を見上げて、本当に仲の良い友達を見るように星達を
見つめていたことがある。まるで、それは私の祖母が、私の
ために用意してくれたような、そんな景色だった。
「なんて贅沢で、なんて素晴らしいんだ」
そんなふうに感じていた。
その瞬間、「神の創造物」の中に、私は「神そのもの」を見た。
虹の美しさの中に、草原を跳ねながら駆け抜けてゆく鹿の
優雅さの中に、父親がしてくれるキスの真実の中に、私は
いとも簡単に女神の姿を見ることができる。
しかし、私にとって最も甘美な神との出会いの瞬間には、
まったく形がない。
私は目を閉じて、瞑想し、そして深くやわらかい静寂へと
吸い込まれてゆく。
神の創造した無限の世界が私を抱擁する。
そして、私たちはひとつになる。


これはまさに『アバター』で描かれたナヴィの世界に共通
したものがある気がします。「エホバの証人」として活動
していたこともあるマイケル・ジャクソンは、こんなこと
を思っていたんですね。彼の歌を聞いていると、何だか
彼こそが、神の化身だったのかという気がしてなりません。

いちおう、こちらが今宿泊しているインドのニューデリー
のオベロイ・ホテルの部屋の写真です。

超一流ホテルなのですが、普通の出張ではとても泊まれ
ない豪華なホテルです。部屋の机の上に真っ赤なバラの花
が挿してありました。


よろしければ、こちらもついでによろしくお願いします。

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