終の棲家でのんびり暮らす田舎暮らし

リタイア後山中に終の棲家を建て、夫婦二人で自然すぎる環境での田舎暮らしは、どこまで続けられるか。

折々のことば 宮澤喜一

2018年11月06日 | つぶやいてみる

長年「読売新聞」の購読者であったが、年数は忘れてしまったが社主のある「ことば(・ ・ ・)」に失望し、翌日から「朝日新聞」に切り替えた経緯がある。

「天声人語」の上に連載しているコラム記事「折々のことば」も一緒に拝読するのが楽しみの日課になった。「日めくりカレンダー」の故事ことわざと違い、各方面の知識人が語ったことばに時として新鮮な気持ちで読んで考えてしまう。

今回取り上げた「ことば(・ ・ ・)」、元総理大臣・自民党総裁 宮澤喜一の言葉だ。政治家としての評価は色々あるでしょうが、さすが宮澤先生いいこと言うなと思い取り上げた。

宮澤喜一
自由はある日突然なくなるものではない。それは目立たない形で徐々に(むしば)まれ、気がついたときにはすべてが失われている。

国民の自由はある日突然になくなるものではないと思ってはいるが。

国内外の政治情勢や事件など、国民が正しく知る権利をマスメディアが果たしているとは信じがたい。海外取材の現場では相手国からの報道圧力ともとれる抑制、国内報道では政府官邸にたいする忖度があると思えてしまうからだ。

高市早苗総務大臣は、「放送局が政治的な公平性に欠ける放送を繰り返した場合」、「放送免許に言及する」答弁は報道の自由を脅かしかねない危うい発言だと思う。

安倍総理肝いりの女性議員の問題発言が多いのは偶然なのか。

安倍総理筆頭に「ご飯論法」との批判があるが、相手の質問に正面から答弁しない政治姿勢、政治家としての資質が問われてもおかしくない。

不誠実な政権が何をしようと国民の信頼を得ることは難しいだろう。

政府批判をブログに書いても逮捕されない自由がある日本はいい。

戦前のように「滅多なことを言うものではないよ」。。。だれが聞いているかわからないし警察が。。。と国民が「ビクビク」して過ごした日本はゴメンだ。

権力者が目立たない形で徐々に自由を(おびや)かす危険性は常にある。

今年の我が家のホトトギス

我が家の環境はホトトギスに合っているのか、毎年どんどん増えていく。そして妻はどんどん抜いていく。 時間が経ちましたが写真を載せました。

綺麗な花を見るだけでも、政治に対する「むなしさ(・ ・ ・ ・)」を一時忘れさせてくれる力を感じる。花を見て楽しむ心を大切にしたい。