終の棲家でのんびり暮らす田舎暮らし

リタイア後山中に終の棲家を建て、夫婦二人で自然すぎる環境での田舎暮らしは、どこまで続けられるか。

え~ん、こんどは足の指骨折

2018年03月31日 | 薪ストーブの暮らし

チェンソーで切った丸太が足のつま先の上に落下した

これは老化で運動神経が鈍くなったのか、頭の怪我のせいか、イーケプラ錠薬のせいかなどと考えたくないほどの単純なミスだった。

我が家の近所の知り合いの山で伐採を行なうことになった。クヌギといえば「椎茸栽培の原木」を思い浮かべますが、11月~12月頃が伐採の適期で、この時期に伐採しないと良い原木にならないそうだ。桜が満開になる時期での伐採ですから薪ぐらいにしか使えないそうだ。

私が薪置き場でお世話になっている地主さん(造園業)が伐採することになった。伐採した原木は薪置き場に運び、その大量の原木を薪に加工して我が家の燃料となる。

病院から退院したばかりで不安はあったが、少しでもお手伝いをしなければと思い、運搬車にチェンソー一式を積み、我が家から100メートルの現場に向かった。

木の上部にワイヤーを掛け、中継の木に取り付けた滑車のワイヤーを重機で引っ張りながらチエンソーで切り倒していく。倒した太い幹は3.6メートルに切断し、広がっている枝ごと重機で平場に運び出してくる。

私は広がっている枝をチェンソーで解体したり、積み上げた長い原木の切断のお手伝いをしていた、バランスを崩した原木が安全靴のつま先に。

安全靴のつま先には鉄製の保護が入っているが、少しはみ出していた小指が骨折していました。隣の指にテーピングで固定して安静にしていることですって。 作業のお手伝いが・・・

一日10キロメートルのウオーキングがやっと楽しくなってきた時なのに残念だ。スニーカー靴が痛くて履けません。

最近、家内が運転する車の助手席に座るとなにやら眠くなる。症候性部分てんかん発作抑制剤イーケプラ錠の血中濃度が高くなってきているのかな。?

一つ一つの行動に慎重な注意が必要な病人であることを自覚した。



バッジテストを振り返ってみて

2018年03月28日 | スキーで遊ぶ

生まれて初めてのバッジテスト色々と勉強になりました

子供のときから運動神経が鈍くて、スポーツは大の苦手意識がある。ゴルフコンペではいつも最下位でブービー狙いしかなかった。だからリタイアと同時にゴルフセットは迷うことなく捨ててやった。

スキーについては、子供時代の評価は低かったが道産子のプライドがほんの少し邪魔する。

しかし、60歳過ぎてからのチャレンジは体力と筋力、反応が追いつかず無理があるようですね。ただでさえ、運動神経が鈍いわたくしには、ハードルはかなり高かったようで、転倒によって脳に怪我をしてしまいました。

今回の検定に備えて買った本「いまどきのスキー検定テクニック」に2級検定合格率60.9%とあったが、とんでもない考え違いをしていました。

正直いって甘く見ていました。2級の検定合格レベルでは、しっかりスキー板に乗って雪の抵抗を貰いながら運動しているか、スキー板をコントロールしてC型回転弧が描けているかを見ているようですね。

検定までのレッスン中にインストラクターから言われていたのが、ターン後半いつまでも乗っていて上体が内倒している。ターン前半に弧を描けてない。「ナンチャッテパラレル」だと言われた。内心キツイこと言うなと思った。

1級受験者が25名中合格者1名、2級受験者が18名中合格者1名。拡大表示可

各級の合格ラインは、1級4種目各基礎基準点70点で合計点280点以上。2級3種目各基礎基準点65点で合計点195点以上出ないと不合格になる。2級の場合、この65点がなかなか貰える点ではないことがわかった。まあ、そこそこの滑りだと64点になり、ふらついたり暴走は63点になる。

落ちましたが、当然だなと思いました。合格した方はメチャクチャ上手かった(・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・)です。わたしのような「ナンチャッテ」だとダメですね。レッスン中にいつも指摘されてた上体の内倒、ターン前半に弧を描く、C型回転弧を描くですか。

緩斜面で片足滑り、パタパタ歩き、斜め横滑り、ジャンプ滑り、ストック二本水平持ち滑り、ストックなし手信号滑り等々基礎練習からやり直しですね。

痛手も大きかったが、勉強になりました。70歳までに2級合格したいなと願っています。冬まで体力強化に励んでみます。


スキーで頭打ってくも膜下出血

2018年03月27日 | スキーで遊ぶ

スキー初日に頭を打ってもバッジテストを受けたが

お天気には恵まれませんでしたが、1週間白馬八方尾根スキー場に行ってきました。今回の目的はバッジテスト2級にチャレンジするためだった。

まずはバッジテストの結果を先に書き込みします。見事に落ちました。

これで済めばよかったのです。シーズン初滑り、朝一番でのこと、スキーヘルメットを被っていましたが、凍った斜面に後頭部を強打してしまった。それから1週間、ヘルメットを被った頭に何か違和感を感じつつも毎日、常設中級レッスンを受けていた。

検定対策としての「事前講習スペシャルレッスン1.5日」でのレッスン中、二度目の大きな転倒をしたが、バッジテスト本番では何とか転倒することもなく臨むことができました。後から考えれば、このときの転倒が最初の発作の始まりだったようだ。

バッジテストに落ち落胆の気持ちを引きずりながら旅館を後にする日曜の朝の食堂、「体全体が数秒間回転する発作」が突然起きた。

意識はハッキリとしていて、すぐに動きは止まった。

駅の改札を出た所で、「意識はハッキリしているのに体が数秒回転する発作」がまた起きた。家内とわたくしは只ならぬ事態だと察した。

一目散に千葉の自宅へと向かった。

家内の運転で、鴨川市にある総合病院の救急外来でCT検査を受診した。翌日のMRI検査で「即入院」となった。右脳に異常な影(脳腫瘍の疑い?)・脳の異常信号?

その後MRI造影精密検査等々で脳腫瘍の疑いが消え、脳波検査と続いた。

外傷性くも膜下出血・症候性部分てんかん

救急病棟から海の眺めが良いKタワー病棟8階に転床することに。入院は快適だったが、家内には窮屈なソファーベットでの見守りをさせてしまった。

家内は脳腫瘍でなくて良かったねと安堵しているが、てんかん発作を抑える薬(イーケプラ錠)を二年間飲むことと自動車の運転を二年間自粛(主治医の許可があるまで禁止)することには、わたしは落ち込んでしまった。

二年なんてすぐだよと励ましてくれるが。

一時、わたしは退院してから精神的に「うつ」になりかけたが、いまは「脳トレウォーキング」に励みだした。ブログを辞めようかと思ったがとどまった。

もともと家内とふたりで毎日夕方5キロほど歩いていたが、思うところあって、朝もひとりで5キロほど歩くことにした。

さくらが満開で美しい並木道を歩きながら「右脳に向かって細胞を活性化しろ!」と念じながら歩き、一日10キロのウオーキングに挑戦している。

焦ってもしかたがないのだが、困っている自分がいる。


スキー用DVDプレイヤー購入

2018年03月03日 | スキーで遊ぶ

スキーバッジテスト対策にDVDプレイヤーを購入

3月5日から1週間ほど白馬八方尾根スキー場に出かけることにした。わたしは北海道生まれだか、小学校のときからスキーが大の苦手だった。

スキーが悪かったのか運動神経が悪かったのか分からないが、冬のスキー授業の評価はいつも「2」だった。そう普通以下だった。高校時代は冬のスキーを諦めて、「スピードスケート」にのめり込んで頑張った。こちらは普通までやっといけた。

あれから50年近くスキーもスケートもしなかった。リタイアして無性にリベンジしたくなったのが、下手くそといわれた苦手なスキーだった。

昔の「ストレート」スキーよりいまどきの「カービング」スキーのほうが、スキーの性能が格段によくなっていた。半世紀ぶりにスキー板を履いて滑走した時、雪面を滑ることができ心は子供時代にもどったが、すぐさま下手くそな自分がそこにあった。

雪国に暮らしているわけではないわたしにとって、年に何回もスキーを滑ることは容易ではない。年に4~5日が良いところだ。

近年は白馬八方尾根のスキースクールに参加してきたが、講習前のグループ分け滑走テストで中級「イマイチ」組に入れられた。そして「熟練のおじさん、おばさん」指導員が手取り足取り教えてくれて感謝、感謝だった。元気のいい若い人たちは「雪焼けで精悍な」若い指導員とともにいった。

そんな私は、まだ時期尚早でハードルが高いように思えるが、2級検定にチャレンジすることにした。

不合格でもいい。一度は受けてみないことには技術目標が見えないと考えた。2級検定の合格レベルが知りたいのでDVD付き対策本を買った。

検定日まで、毎日レッスン終了後の復習にDVDを旅館で見たいと思い「ポータブルDVDプレイヤー」を買ったわけだ。

今回泊まる旅館も、白馬八方で定宿としてお世話になっている『白馬八方まるいし』だ。スキーも楽しみであるが、妻とふたりで泊まり「とても美味しいお料理とお酒」での乾杯がなによりの楽しみなのだ。


クマ笹を刈り込んで春に備える

2018年03月01日 | ごあいさつ

近づく春に備えて斜面のクマ笹を刈り込みました

リタイアを機にはじめた田舎暮らしも十年目に入った。ブログ開設が2015年2月22日、早いもので丸三年が過ぎた。

たぶん健康に注意していけば、これから平均寿命まで長~い時間がある。若い時の一年と六十歳過ぎてからの一年では時間経過が違う。

頂上をめざした若い時、そして頂上に立ち、わたくし達シニアは登山ではないが下山の道を歩いている。ゆっくりと楽しみながら歩きたいものだ。

慌てる必要はないが、無に過ごしてはもったいない。新たなチャレンジをみつけて、おもしろいブログ記事が書ければと願うばかり。わたしは我が儘だ。何々組織とやらに属すのが嫌いなわたし、何にも縛られることなく「自遊人」として生きたい。

さて、トップに掲載した画像はクマ笹の選定前後を載せたもの。このクマ笹は背丈20センチほどであるが、二年目の新芽が成長すると背丈が30~40センチに成長する。

このようなクマ笹類は管理を怠って放置するとすぐに「クマが出てもおかしくない熊笹」へと姿を変える。我が家では斜面のグランドカバーとしてあえて植えたクマ笹だ。

電動バリカンを使って地上から10センチほどに刈り込みました。少し寂しくなりましたが、四月には緑の新葉のグランドカバーがみれる。

暖かい季節はささやかな花壇を緑の縁取りが取り囲む。寒い冬は何もない斜面に斑入りクマ笹が少しだけ目を和ましてくれる。

我が家の前は笹竹が生い茂りソメイヨシノの桜が取り囲んだ空き地であった。とある企業が建物を建設するために笹竹の伐採をしだした。

ここは「キジ」一家の生息地なのだ。また「イノシシ」の遊び場でもある。

画像の「キジ」は伐採でこぼれ出たと思われる食べ物をさがしていた。「キジ」さん家族はどうなるのだろう。気になる