終の棲家でのんびり暮らす田舎暮らし

リタイア後山中に終の棲家を建て、夫婦二人で自然すぎる環境での田舎暮らしは、どこまで続けられるか。

雨の日は映画鑑賞とプチ贅沢

2016年06月28日 | 終わった人

今日は朝から雨だ。こんなお天気の日は、 本を読むか TOHOシネマズの映画を見に行くのが一番だろう。映画を見た後は、食品売り場で、焼き鳥・お豆腐(湯豆腐に)・銀鮭塩焼きの幕の内二段弁当(五種雑穀ご飯)・少量のお刺身を買って、今晩はふたりで 乾杯がお決まりのコース。これ年金生活者のささやかなプチ贅沢でよいでわないか。

今日の映画は午前十時の映画祭1995年「午後の遺言状」夏の避暑地蓼科高原の別荘を舞台に、避暑に訪れた大女優演じる森本蓉子役杉村春子、別荘管理人を演じる農婦の豊子役乙羽信子、その別荘にかつて蓉子と一緒に舞台を演じた牛国夫妻が訪れる。

しかし、夫人の登美江役朝霧鏡子は認知症にかかり、一心にその世話をする夫の藤八郎役観世栄夫、老いたジジババ達の人間ドラマでした。

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「終わった人」内館牧子著

2016年06月22日 | 終わった人

久々の本屋に行き、平積みから『 終わった人 』の文字が目に飛び込んできた。私自身の頭の中には『 終わった人 』になった人間なんだという思いがずうっとあった。

社会では、会社が営業活動をやめる時の多くは倒産という形をたどり機能を停止している。経営者と家族はその後の修羅場に身をおかなければならないのが一般的な常だ。どんな経過をたどって『 終わった人 』になったのかなと興味がわきこの本を手にした。

この本に出てくる主人公は真面目な頑張り屋で人のいい性格の持ち主なのだが、残念ながら長年連れ添った奥様に対しては身勝手な結果を招いてしまった。

同年代の私としては共感する部分もあるが、私ならもっと慎重に考えると思いたい気持ちだ。

サラリーマンとしての終わりを告げられ「ジタバタと」あがく姿は滑稽であり、ユーモラスな一面も考えさせられる。

じつに『 生身の人間を落ち着かせる 』ことが難しいか、人生の着地点にソフトランディングさせる事に迷える方には、一読の価値があるのではと思い感想を書いた。


さて、主人公「田代壮介」という人物は優秀な努力の人だった。東京大学法学部を現役合格してメガバンクに入り、絵に書いたようなエリートコースを走って役員への出世競争を競ったが、ライバルとは本人の認識と違った力が働き小さな子会社に出向させられてしまう壮介だったが。

いつかは戻れるかと気持ちを持ち続け奮闘したが、小さな会社の取締役総務部長での転籍を告げられ『 終わった人 』なのだと。。。。メガバンクの中枢で辣腕をふるっていた俺が。。。終わった人と宣告される。

それでも持ち前の優秀さが小さな会社といえどメガバンク子会社の専務取締役まで押し上げ、63歳で役員定年を受け入れ一丁上がりとなってしまった。

花束を持った壮介を玄関ロビーから送り出す退職セレモニー、これは生前葬だなと落ち込んでいくのだった。

学歴やプライドなどというものは誰しもが持つものだ。それがプラスになる事もあればそう働かない事がある。

これから主人公は両方を味わっていくのだが、なまじ学歴・プライドに囚われすぎないほうが、人は幸せになれるのではないかと思ってしまう。

暇になった退職後の壮介は、妻千草との旅行など色々と思い描くが、美容サロンでの仕事に目的があって精を出す妻との間に感情のすれ違いを感じる。

主人公の「老人的なるもの」に抵抗して葛藤しながら行き場をうしなった一人の老人、どうしよもない喪失感に陥ってしまう。

挙句には妻や娘から「恋をしろ」とけしかけられるはめになるほどだ。

一般の多くの人が退職を期に、いっきに自由時間ばかりになる。
やる事がなければ一日中家にいることになる。

これが負担に感じる妻達が多いことか、幸い私達は30年以上24時間一緒の生活が続いたのか、これには当てはまらないと勝手に思っている。

壮介は捨てきれない見栄が邪魔して行き場をなくしていた。
千草の母親の妹の息子、青山敏彦を相手にやりきれない思いを引きずりながら酒を飲み交わすことが多くなった。そのトシからカルチャースクールやスポーツジムに行くことを勧められるが。

壮介はせめて体力だけは維持しなければとスポーツジムに向かったが、そこはジジババのサロンと化していた。

こんな所に入ったら一気に老け込んでしまうと思ったが、インストラクターから「何かやっている人とやっていない人の差」を聞かされ思いとどまる。

私の周りでもそうだが農作業をやって身体を動かしている高齢者には、ものすごく元気な方が多いことは知られている。私達夫婦は畑をやっていないが山の中で暮らし、里山暮らしが身体を鍛えてくれている。

ジムに行かなくても毎日4キロのウォーキングは健康の源泉だ。

午前中のスポーツジムでジジババ達から親しまれているITベンチャー企業社長の鈴木、なにやら得たいの知れない部分がある人との出会いが、更にもう一段深い「終わった人」へと沈むことになっていく処は文字を追いたくなる。

南部高校時代の同級生二宮との出会い、色々な挫折の中から工務店の仕事の傍らでプロボクシングのレフリーをやって、蝶のように舞って夢を追って輝いている二宮に接し、妻の前で愚痴と暗さを周囲にふりまいている「生前葬」の主人公壮介が哀れだ。

銀行員時代に世話になった取引先企業会長の受賞祝賀会に招待されてもいないのに、会場に行き「終わった人」の悲哀を散々味わってプライドを失ってしまう壮介。

一般論として一流ホテルなどで行なわれる祝賀会、記念パーティー、総会など決して楽しいものではない。

そこに招かれ居並ぶ事が己を満足させるのだと彼は知っていたが。

壮介は所属する場がないことへの不安から仕事を見つけようとするが、自分の誇りでもある学歴が邪魔して職探しは失敗に終わる。

散々落ち込んだところで、行き着く先は母校東大の大学院に進学して文学研究をすると周囲に宣言するのだが。

私もかって社会人になってから猛勉強して国家試験を取得した時、精も根も尽き果てたが強い充足感に満たされた覚えがある。学生時代にもっと勉強しておけば良かったものだが、年いってからの勉強は何とも楽しく感じられるのはまた不思議だ。

田代壮介は論文研究の足しになるのでないかとカルチャースクールに行くことになるが、そこで「浜田久里」という三十代後半の受付嬢と知り合いになり、独りよがりのオヤジの恋に落ちていく。

妻や娘から「恋をしろ」とからかわれて偶然始まった思い込みの恋が、最後には中年オヤジにとってチョット甘酸っぱい展開に笑える。

スポーツジムで知り合ったベンチャー企業ゴールドツリー社長の鈴木から会社の顧問に就任してくれないかと懇願される。

破格の条件と再び社会から必要とされ活躍できる事を喜んだ壮介。

主人公が「終わった人」から再び必要とされ社会に返り咲き頼られる顧問に収まっている時が良かった。だが、その三ヶ月後に社長の鈴木が急逝してしまう。

この時点で必要あらば顧問の継続か、ここで辞めるかにして置けばよかったのだが。

社員の平均年齢が三十三歳と若いITベンチャー企業の役員達から「田代さん、確かに六十四歳のジジイをトップに据えるのは、IT業界の逆行。。。僕らで十分やれる自信もあります」 そう言って 「僕たちは、田代さんを利用すべきと考えました」

さらに「田代さんが社長に就いてくだされば、  キャリアに安心したり、  責任の所在をと信頼したり」 極め付きに 「田代さんは業界のプロではありませんので、ほとんどの実務は私たち社員がやります。。。社長が田代さんという効果。。。」 リスクは判っているが

代表取締役社長就任をせがまれる。東大法学部卒だの、メガバンクの王道を行った人だの、散々持ち上げ、トップに立てなかった田代壮介の「社長で会社を動かしてみたい」という願望を見透かした若い役員達のほうがずうっと賢かったのでは。

誰しも弱いところをくすぐられると弱いものだ。

壮介はつねに「散り際千金」を心に刻んできた男だった。

だが、社長として会社を動かすサラリーマン社長ゲームをやりたかったのだ。すでにプレイヤーとして終わった人の苦悩はここにあったのだ。

妻千草から「あなたはサラリーマンとして大成功した人よ、何を今さら、火中の栗を拾うことはない」、「きれいに、あなたらしく散るのは今だと思うよ」と説得されるが。

無言で酒を飲んでいたトシが「壮さん、まだ成仏してないんだよな」とポツンと言った。

小説での田代壮介は、「終わった人」になれず彷徨っていたのだ。人が成仏するには葬式・儀式なるものが必要なのかもしれない。

その葬式は以外に早く訪れることになった。

よく人はやれるだけの事はやったので、思い残すことはありませんと言う。ほんとうに悔いのない人などいるだろうか。

私もこの成仏という言葉を今一度噛みしめたい。

社長就任してから一年後にミャンマーの大口取引先の代金回収が焦げ付いた。さすがの元メガバンカーが奔走したところで信用不安を抑えることができずに、資金繰りに窮して負債総額二億五千万円で倒産の日を迎えた。

当然の結果として、代表取締役社長 田代壮介が負債の全責任を負うことに。妻名義のマンションや開店準備中の美容サロンは守られたが、サラリーマン生活で蓄えた虎の子の老後資金、一億三千五百万円の個人資産が千五百万円になってしまう。

これは現実から乖離した小説だからまだ救われるところがある。小さな会社であれば当然金融機関は不動産担保を取る、連帯保証人を取る。

代表取締役が死んだ場合に備えて生命保険を押さえる。そのために妻にも連帯保証人を取るのが現実で、押さえられるものは全部押さえるのが金融機関だ。

丸裸になって自己破産するか夜逃げあるいは最悪の自殺という結末に。

小説に戻れば、妻が開店準備中だったサロンが、ドタバタの混乱の中で開店し順調にいった。夫婦関係は破綻しなかったが、千草はこれからの老後資金を散財させた夫壮介を絶対許さないと突き放す。

俺は千草をひどいめに遭わせてしまったが、サラリーマンとして成仏できた。。。夫婦が選んだ結末は離婚ではなく、卒婚というかたち。

妻千草は東京で美容サロンを続け、夫壮介は盛岡の同級生と年老いた母親との生活に再出発するために旅立つ。

本を読み終えて、長年一緒に苦労を共にしてきた妻(同志)を、ひどいめに遭わせる事もなく『 終わった人 』になって成仏した自分がいることを心から感謝できるのだった。


六月の終の棲家の植物H28

2016年06月11日 | 終の棲家

六月に入ると毎日がジメジメした梅雨の時期に入りましたね。

この時期は毎日が草取り、草刈、バリカン刈り、徒長した枝の剪定と追われる毎日で何かせわしない。

一回りやったと思ったら最初にやったところが伸びてきている。エンドレスなのだ。神経質になっていたら緑のなかでは暮らせない。

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2016年06月11日 | 花と植物