終の棲家でのんびり暮らす田舎暮らし

リタイア後山中に終の棲家を建て、夫婦二人で自然すぎる環境での田舎暮らしは、どこまで続けられるか。

男おひとりさまの挫折

2016年09月27日 | 田舎暮らし

突然の妻の入院、私に何ができるか

日本紅班熱リケッチア( リケッチアウイルス )による発熱と皮膚の発疹は一週間の抗菌薬の点滴によって症状は収まり、以前の元気を取り戻している。

正式な病原体ウイルスを特定する病理検査には時間がかかるとのことだ。

入院した妻に夫は何ができるか。。。。ほとんど何もない。
身の回り品の配達、着替え衣類の洗濯ぐらい。

もっとも期待されているのが毎日面会に行き半日を過ごすこと。

そして朝晩に何を食べたか報告することだ。突然の入院だったので、冷蔵庫には作り置きがいっぱいある。私のサバイバルの始まりは冷蔵庫の中の食品との格闘にあった。

高血圧のわたくしは減塩に注意しなければならない。だから食品の食べ方にも注意がいるわたくしだが。。。。やっと! 一人で冷蔵室の作り置きを完食できました。

次に残るのは二段の冷凍室だが。。。これはいいよとのことホッ ボチボチいこうね

二段の冷凍室

リタイアを機に「食べること以外」は自分がやると決めてきた。これでも良くやっているほうだと自己満足していたのだった。

しかし、今回の妻の入院で、いかに自立できていないかを自覚することになった。

惣菜の作り置きがあったにもかかわらず大変さを痛感し、疲れてしまった自分だった。

情けない(渇~~渇 


男おひとりさま道を学ぶことに

以前本屋で買って本棚の肥やしにしていた書籍、
上野千鶴子先生著 『 男おひとりさま道 』、『 おひとりさまの老後 』 を改めて手に取り読むことにした。

そう、私はマニュアル本系が好きで、学ばないと行動できない性分なのだ。
必要な知識がないと思考がまとまらず、関連情報を収集して頭を整理しないと具体的な行動に移せないのだ。

そう、あなたは、考える時間が長くて忘れたころに行動する。

妻にいつも馬鹿にされている。


食べる人ではなく妻の料理を学ぶ人に

ハイ!今回の件で身にしみました。

妻に言われました『 お前より後に死ぬ、最後は俺が看取る 』って言ってたよね。。。
食べることができないと最後まで行けないよ 

ハイ!考えを改めることにしました。 

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妻が家の草取りで日本紅班熱(2016.09.23)
妻が帰ったので寒くなる前に(2016.10.7)



妻が家の草取りで日本紅班熱

2016年09月23日 | 田舎暮らし

非常に珍しい日本紅班熱リケッチアになるとは

私も妻も家の斜面で日常的に草取りをしているが、運が悪いことに妻が隣地境付近にあるヤツデ(八つ手)の除草作業をしていたら葉に潜んでいたマダニに刺されてしまった。 
除草作業をしたのが9月16日、その2日後の18日(日曜)から38~39度の発熱と倦怠、悪寒が伴って食事もとることができない症状が2日間続いた。

ツツガムシに刺された箇所

19日(月曜日敬老の日)この2日間食事も取れていない。発熱以外の症状がみられないが、右胸脇が痛いと訴える。 掛かり付けの千葉県鴨川市にある亀田総合病院救急外来に駆け込んだ。風邪だろうなどと考えずに早く病院を受診したことがよかった。

『 日本紅班熱 』か『 つつが虫病 』ではないか?

翌20日朝から妻を車椅子に乗せて検査をして回ることに、夕方には入院治療することになった。お医者様より、この病気は重篤になると大変怖い病気ですからしっかり治療しましょうといわれた。最低でも1週間から長くて2週間の入院になるようだ。

妻の特徴的な症状は、38~39度の発熱と倦怠が続くこと、刺し痕(刺し口)が黒く変色している、全身の皮膚に米粒大から小豆大の赤い発疹が広がっている。


日本紅班熱とつつが虫病は非常に酷似しているとのこと

☆ 日本紅班熱は、
病原体( 日本紅班熱リケッチア )はウイルスのように細胞内で増殖する偏性細胞内寄生体とも呼ばれている。日本紅班熱リケッチアがマダニに媒介して、マダニに刺されることによって感染症( 四類感染症だが人には移らない )を惹き起こすらしい。

潜伏期間は2~8日間ぐらいで、38~39度の発熱、刺し痕( 刺し口 )が黒く変色し、リンパ節の腫脹はみられない、皮膚に赤い発疹が発症する特徴があるとある。

☆ つつが虫病は、
病原体( つつが虫病シリケッチア )を持っているツツガムシに刺され、人の体内に病原体が入って感染症(四類感染症だが人には移らない)を惹き起こすらしい。

潜伏期間は5~14日間ぐらいで、次第に体温上昇し40度に達する発熱、刺し痕( 刺し口 )が黒く変色し、リンパ節は発熱する前頃から次第に腫脹する。顔面、体幹の皮膚に多くの赤い発疹が発症するが四肢には少ない特徴があるとある。

二つを見分けるには血清中のリケッチアの抗体を調べるそうだ。また、病気を診断した医師は全ての発病者について感染症法第12条第1項の規定により保健所に届出義務があるとされていて、保健所から呼び出しがあった。どちらも重篤になると死亡する例があるそうだ。


私たちのような生活圏内でのマダニ予防対策を保健所から教わった

病名は「日本紅班熱リケッチア」となったが、どちらにしてもマダニから感染する珍しいウイルス性の病気で決して油断してはいけないそうだ。

妻がマダニ被害にあった時の服装は、庭先ということもありノースリーブのティシャツという無防備な服装であった。蚊に対しては蚊取り線香をぶら下げて、虫除けスプレーをしてたので安心してたようだが、一ヶ月ほど前に「セグロアシナガ蜂」に刺されて大変な思いをしたのだった。

私の場合は、夏の暑い日でも長袖の作業上着に作業ズボン、頭にタオルを巻いて麦わら帽子、作業用手袋に長靴の服装である。袖口から虫が入らないように腕抜きをさらにする。

チェンソーを使うときはヘルメットを被り、安全靴を履く。長靴の上に切った丸太が落ちて痛い思いをしたことがある。ようするに「 素肌を露出して作業をしない 」これにつきるのでは。

今回の件で、妻も大いに懲りたようだ。
掲載写真は妻がヤツデを伐採したものだ。このヤツデの葉にマダニが付着して、それが衣服に着いたのではないだろうか?

リケッチア菌を持ったマダニ類が温血動物に吸血して繁殖し、山中のイノシシや鹿などの動物が『 運び屋 』となって広がってるようだ。

除草し放置したところには、イノシシが大好きなミミズが繁殖する。それを食べに我が家の周りにも頃合を見て徘徊するようになった。我が家にイノシシが来るようになったのはヤマユリの球根を食べるために来ているようだ。

ヤツデを伐採した

なにかこの一件から、家の周りを歩くとマダニ類が付着するような気がしてかゆくなる。しかし、山の中での田舎暮らしは続く、しつかり対策をとって暮らすしかないのだ。

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男おひとりさまの挫折(2016.09.27)



精一杯、生きる

2016年09月16日 | 終わった人

台風の接近やら前線の影響なのか毎日朝から雨の日が続く。なにかスッキリとしない。こんな時は、TOHOシネマズの午前十時の映画祭7 デジタルで蘇る永遠の名作選の中から「生きる」を見に行くに限る。私のようなシニアにお勧めの作品ではないか。

ある市役所の市民課長渡邊勘治を演じる志村喬は、役人として喜びもやりがいも実感することなく死ぬほど退屈な三十年という歳月を無欠勤で奉職してきた。

そんな男が、初めて無断欠勤をして病院の診察を受けることに、医者から単なる胃潰瘍だと告げられるが胃ガンであること余命半年であることを悟るのである。

映画はここから始まり、回顧形式で展開されていく。内容は実に簡単な出来事なのだが志村喬の迫真の演技にはただただ脱帽である。黒澤映画はやはり面白いの一言だ。

上手な文章は書けないが思いつくままにあらすじを書いてみた。

生きる希望を失った男は真っ暗な家の中で絶望の淵にたたずんでいた。
そこへ、幼い一人息子を残し早くに逝ってしまった妻の後、後妻をもらわず男手一人で立派に育て上げた自慢の息子夫婦が帰って来た。

息子夫婦は、父親の退職金や貯金を当てにして家を新築して、父親とは別居を相談する夫婦の会話を耳にしてしまう。

生きる支えにしてきた息子への愛情は崩れ、さらなる絶望へと落とされる。

いたたまれず家を出た渡邊勘治は、とある居酒屋で知り合った小説家と語りあうことに、死ぬ前に金を使い果たしたいという言葉に、小説家はくそ真面目で実直な渡辺が知らないであろう女と情欲の混沌の世界を死ぬ前に案内してやろうと飲み歩くことに。

疲れ果てたふたりは、賑やかなとあるダンスホールにたどり着く。
渡邊勘治は、「ゴンドラの唄」をピアノで弾かせる。場の空気は静まりかえり、曲に合わせて歌う『 志村 喬 』の低くゆっくりと響く 『 ♪いのち短し 恋せよ少女 朱き唇 褪せぬ間に 熱き血潮の 冷えぬ間に 明日の月日の ないものを・・・♪ 』

心のそこに染み渡るような唄が、私の心を揺さぶった。

その翌朝、長年愛用した帽子を昨晩、通りすがりの街娼に取られてしまった。
新たに買いたした帽子を被って歩いていた渡辺は、自分の配下である小田切という若い女事務員と出会うことに。

彼女は上司である渡辺の自宅で、市役所での仕事は「死ぬほど退屈でつまらない」、「もっとやりがいのあることをしたい」と訴えて辞職願いに判を迫る。

その後、彼女はオモチャを作る町工場で働くことになる。

渡辺は欠勤したまま五日間、彼女を食事に誘いただ時が過ぎるのを楽しんでいたのだが、若い小田切はしだいにいやになってくる。「 私は必死でオモチャを作ることに生きているの 」と付きまとう渡辺に言い放ち突き放した。

その言葉にはっとした渡辺は、「 死ぬほどの退屈さをかみ殺して、事なかれ主義の盲目判を機械的に押してきた 」自分を恥じた。

渡辺勘治は残り少ない生命の限りを生きてみようと燃えた。

その翌日から市役所に出勤した渡辺は、周囲の目を気にすることなく尋常ならざる目つきである書類を探した。それは、下町の主婦達が家の周りでの低地に溜まる汚水対策を市民課の窓口へ陳情に来たときの書類だ。

今でこそ、「すぐやる課」などと「ワンストップ」でとかお役所仕事も改善されてきたようだが、舞台の市役所は何もしないことを目指しているような、窮状を訴える下町の主婦達を次から次へと課をたらい回しにし諦めるのを待つ。

市民の要望をたらい回しにして追い返す噴飯ものであった。

市民課長である渡辺勘治は、「 命の残り火と戦うがごとく 」、必死の努力が実って市民達を困らせてきた汚水問題は子供達が遊ぶことができる公園にと整備された。

完成した夜更けの雪降る公園のブランコで、一人渡辺はダンスホールで歌った低くゆっくりとした声で、やり遂げた満足感に満たされ歌いながら静かに息を引き取った。

エンディングは市の助役を筆頭に上級幹部、管理職、平職員が集う通夜に始まる。

ここでもよくある人間模様が笑える見どころであろう。




秋の終の棲家の庭だより

2016年09月14日 | 終の棲家

我が家の桜もすっかり葉を落としました。今年は例年と違って夏から雨が多いような気がする。
そのせいか北側の狭い庭は苔が繁茂して正体不明の茸が生えてきた。

家の前の桜並木の下、道路脇にはニラの花が咲いている。花が終わってから草刈をするとニラそのものの匂いが一面に広がる。

我が家で唯一のヒガンバナ(彼岸花)が咲いた。年寄りから庭に植えるものではないと云われるが土手下の道路脇ならいいだろう。毒があると云われているが、触るだけでは大丈夫らしい。

我が家は全体的に半日陰の敷地だ。サンサンの日差しは望めないので、日照を好む花類は植えられないのでどうしても半日陰植物が中心になる。

その中でもヤブランは手軽に手に入るので沢山植えられている。

我が家には毎日ヤマリスが来ている。リスの食料であるクルミの実を集めて、室内から良く見えるところに実を置いて眺めて楽しもうという魂胆である。

さてどうなるか?

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我が家の斜面も秋の始まり(2015.09.17)