終の棲家でのんびり暮らす田舎暮らし

リタイア後山中に終の棲家を建て、夫婦二人で自然すぎる環境での田舎暮らしは、どこまで続けられるか。

サラダ風ニシン漬け麴編

2015年02月28日 | 食べる楽しみ

私流にアレンジした減塩ニシン漬けの麹を入れて完成

二日間塩漬けにして寝かしたニシン漬けはそのままでもサラダ感覚で食べられる状態になっている。麹をたっぷり入れると甘さが強くなり、マイルドに仕上がる。

漬物用生麴作ってニシン漬けを完成させる
袋ごと乾燥麹2袋をもみほぐし容器に入れ、60度の湯500㏄ を全体に掛ける。 麹にラップをし容器を新聞紙で包み10時間ほど保温する。
麴つぶを触って柔らかくなっていれば生麹に戻ったことだ。 二日間塩漬けにして寝かしたニシン漬けに麹をいれる。
袋の口を押さえて袋ごとよく攪拌する。 麹が全体に混ざった状態。
袋の空気を抜きながら輪ゴムで縛り上げ、冷蔵庫で熟成させる。 食べごろは五日目頃ですが、三日目の状態で試食してみる。

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私が料理で料理上手な妻に唯一胸を晴れることがある。それは、「サラダ風ニシン漬け」とリタイア後に6年間ぬか床を守り続けてきた「ぬか漬け」かな。・・・
2015年02月26日 | 食べる楽しみ



やっと春が近ずいてきた

2015年02月27日 | 花と植物

水仙は12月から咲いていたが、クロッカスは、凍りつく地面の中でじっと耐えて春を待っていたようだ。この花は寒暖の差がないとだめなようだ。ようやくクロッカスは一斉に花を咲かせた。ということは春が・・・・・

クリスマスローズも花芽を付け出した。前年の葉が寒さから株を守るために覆いかぶさっていたが、花芽の成長の邪魔になりつつあるようなので摘出してすっきりさせ、牛糞と油粕をあたえたので花付きが楽しみだ。

例年このぐらい花を付けるのだが、去年の3月29日撮影の写真を載せてみた。



サラダ風ニシン漬け塩漬け編

2015年02月26日 | 食べる楽しみ

私流にアレンジした減塩ニシン漬けの下漬け

今日木曜は、朝から雨で外作業はできない、冬の一品ニシン漬けを作ることにした。私が料理で料理上手な妻に唯一胸を晴れることがある。それは、「サラダ風ニシン漬け」とリタイア後に6年間ぬか床を守り続けてきた「ぬか漬け」かな。

この二つは重要な夜の酒盛りに欠かせない肴の一品だ。

事前に、本漬けに入る二日ぐらい前に大根1本を一口大の乱切りにし、乾燥しやすくザルの壁面に並べてしなっと軟らかくなるまで、ストーブの前に置いたり、天日干しにしたり、うまみ成分が変化して干したほどおいしくなるのを待つ。

上乾身欠きニシンのあく抜きと野菜の下ごしらえ
上乾身欠きニシンは、黄色く変色した油焼けしていない良質なものを選び、4~5本をバットに並べ、米のとぎ汁に一晩浸したあと、綺麗になるまで水でよく洗う。油が浮いてヌルヌルたものはニシンの味を左右するので避ける。 漬物一斗用ビニール袋に干して軟らかくなった大根を入れ、キヤベツ1玉を10cm大の大きさにカット、にんじん1本を3cmぐらいに千切りカット、生姜中サイズ1個を薄くスライスし千切りカット、昆布20cmを3cmぐらいに千切りカット、唐辛子5本ぐらい種を取り輪切りカットして入れる。

☆ 漬け汁(減塩塩水)をつくる。

  • 野菜のみを入れた(ニシンは入れない)漬物袋の重さをはかりに掛ける。
  • 野菜の重さ2㎏の場合、水の量270㏄とし、合わせて2,270gとする。
  • 塩分濃度2.5%の場合、2,270×0.025≒57gを導き出す。
  • 漬物用お塩57gを水270㏄に溶き、野菜の入った袋に入れ良く攪拌する。

野菜に漬け汁を入れ、漬物袋の上から若干もみほぐしてやると野菜は縮み、袋の中身はいっそう小さくなる。あとは身欠きニシンを入れるだけだ。

上乾身欠きニシンの下ごしらえ
身欠きニシンを骨抜きで、丁寧に小骨や腹の汚れをきれいに取る。 身欠きニシンの背びれとウロコを包丁で削ぎ取る。
左側がきれいに小骨を取った身欠きニシン、右側が未清掃のもの。 身欠きニシンを2センチぐらいの長さにカットする。

漬物用ビニール袋に身欠きニシンを入れ、袋ごと良く攪拌し、空気を抜きながら絞り上げて輪ゴムで押さえる。塩漬けの状態で2日ほど冷蔵庫で寝かす。

生麹と塩漬けまでできたニシン漬けと混ぜるだけだが、漬物用生麴作り編を見てください。

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2015年02月28日 | 食べる楽しみ



大量の薪、薪屋になれるかも

2015年02月25日 | 薪ストーブの暮らし

丸太の原木が大量にあっても薪作りは簡単ではない

山のうえでの田舎暮らしで寒さをしのぎながら暮らすには、薪ストーブ生活が欠かせない。薪を乾燥保管する薪置き場は必修なんだ!敷地は斜面で平坦部分が少ないので近くに置き場を探していた。

近所の造園屋さんのご厚意で、家から300メートルの空き地を使わせていただくことができた。

薪を作って売ってはと言われましたが簡単な事ではないと悟った。大量の原木を薪に仕立てるには、大変な労力と薪を乾燥させる棚をたくさん作り費用がかさみ割が合わない。

この薪棚作りが悩みの種で棚がたくさんあれば気が楽になるのだが!

上の写真は、いつもお世話になっている造園屋さんと一緒になってチェンソーで伐採整理、運搬作業をお手伝いして手に入れた4トンユニック8台分の原木。

薪置き場第一第二の作業場
薪置き場第二では原木の山を薪割りして乾燥させる薪棚を準備しないと薪割りに掛かれないのが悩ましい。これから作る薪は、三年後以降の薪になる。 家を建てるときに伐採したヒノキを玉切りにして車で40分と遠い薪置き場第一に運び込んだ。薪棚は空だが住宅地のど真ん中でチエンソーも薪割り機も使えない。
妻と二人で玉切り作業を開始した。馬があると以前より作業姿勢が楽になり腰の負担が軽減された。 玉切り半日の作業成果。この山が大きくシートいっぱいになるには何日掛かることやら。

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2015年11月21日 | 薪ストーブの暮らし

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薪作りといえば斧をと思うが、実際にやってみると薪割機が欲しくなる。電動薪割機を買ってみたが、本格的なエンジン式薪割り機 PH-GS13が欲しくなり・・・
2015年03月28日 | 薪ストーブの暮らし



田舎暮らしブログを始めました

2015年02月22日 | ごあいさつ

私たちが移り住んだ里山集落の生い立ちを紹介

終戦前後の食料難時代に食料増産を目的にした政府の国策によって、東京在住近隣の方々が、新規就農を目的として昭和18年頃から開墾移住された開拓営農団地だ。

当時は、人などまったく住まない野生の獣だけが住む山深い丘陵地だった。そこでの生活は掘立小屋にランプ生活。生活用水や物資の不足に苦しんだと聞いた。

現在のような動力機械の無い時代に人の手によって一鍬一鍬原野を切り拓いたそうだ。最初に移住された初代の方々は大変なご苦労をされて今日に至っていることを知った。

入植時代から移り変わり今は魅力的な里山になった

初代から2代、3代と世代交代し離農が進み開拓地を離れる人が増えた。勤め人、園芸農家、造園業、運送業など専業農家は減り30数世帯の小さな里山集落となった。

集落には、私を含めて新たに横浜方面、東京都内からの移住者や週末田舎暮らしの方々の住まい・別荘、カフェなどがある。見知らぬ田舎に移住して、古村特有の「 よそ者扱い 」で悩むこともなく、気楽に暮らせるのは良いことだ。

それには、地域の協同作業や行事、自治会役員の引き受けは欠かしてはいけないのは鉄則だ。道で出会ったら必ず挨拶し頭を下げる。それが田舎暮らしの極意だろう。

思い切って里山に終の棲家を建てての移住生活

山の中に移住してあっという間の六年が過ぎた。当初はむき出しの土、斜面から湧き出す湧水が建物周辺を覆い、花などあるのかしら思える斜面に建物だけが建つ状態だった。

晴れた日は、家内と二人で夢中になって土木作業と格闘し、斜面から湧き出す湧水対策や庭造りに汗を流しなんとか住まいと言える状態になった。

最近はそんな辛い作業の日々も思い出となり、やる事はまだまだあるのだが生活するには支障がないこともあり急ぐ必要はないと作業意欲を失いかけている。

終の棲家で暮らす夢なんて最初からなかった

妻とは私の借金を抱えた結婚生活からはじまった。お金に困ったこともあったが、若いということは何も怖くなかった。強力な妻の支えと運にも恵まれて働き終えることができた。

子育ても終わり、仕事からも離れ、長~いふたりだけの生活になった今こそどう時間を過ごすか話し合った。田舎でのんびり生きようと田舎暮らし構想が始まったのだった。

何より幸せなことは、妻が田舎暮らしに反対をしなかったことだった。

60歳前に思いきって始めた田舎暮らし、体の無理が利く70歳頃までには『 終の棲家での田舎暮らし 』という夢を完成させたい。

ブログの魅力に引き寄せられて自分もやってみようかな

田舎暮らしを始めてやったことは、色々とネット情報から仕入れた知識を作業に生かしてきたことだ。田舎暮らしの上手なワザをブログで紹介していて楽しんでいる。

最近はやらなければならない事が沢山あるのに、ひと段落したこともあり「ハリがないというか」ふと物思いにふけっては窓から周りの山を見て考えてばかり前に進まなくなった。

ひきこもり状態の私、妻からハッパを掛けられてしまった。

ブログを始めることによってネタ作りに追われる日常を取り戻していけるのではないか。甘いかもしれないがブログを開設してみることにした。

里山で始めた終の棲家の四季
終の棲家は標高200mの山に囲まれた盆地のようなところ、気候温暖な房総だが、夏は山を降りた平地より涼しく、冬は氷点下になる日が多く地面も霜柱が立ち凍結する。 家の斜面から周りを見渡しても山、山しか見えない。斜面の上に立ち満開の桜を背にした終の棲家を見下ろす。
この斜面はミズキ、オニグルミ、アラカシなどの広葉樹が半日陰になるくらい被り、土壌は湧水が流れていることから適度に湿度があり排水性も良いみたい。 ヤマユリには適地のようで、7月15日前後には、この斜面一面にもともと自生していたヤマユリが咲き、強烈な香りと美しい花弁を楽しませてくれる。
山を下った下界の平地には、雪が降らなくても毎年3~5回ぐらい雪が降って、一面が白銀の世界になる。ここに移り住んでから初めて、今年は雪が降らなかった。 屋根から雪が落ちるとデッキに雪の山ができ薪を取るにも大変。平成26年の大雪では窓の前が落雪で埋まった。