私流にアレンジした減塩ニシン漬けの麹を入れて完成
二日間塩漬けにして寝かしたニシン漬けはそのままでもサラダ感覚で食べられる状態になっている。麹をたっぷり入れると甘さが強くなり、マイルドに仕上がる。
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サラダ風ニシン漬け塩漬け編 | |||
私が料理で料理上手な妻に唯一胸を晴れることがある。それは、「サラダ風ニシン漬け」とリタイア後に6年間ぬか床を守り続けてきた「ぬか漬け」かな。・・・ | |||
2015年02月26日 | 食べる楽しみ |
二日間塩漬けにして寝かしたニシン漬けはそのままでもサラダ感覚で食べられる状態になっている。麹をたっぷり入れると甘さが強くなり、マイルドに仕上がる。
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2015年02月26日 | 食べる楽しみ |
水仙は12月から咲いていたが、クロッカスは、凍りつく地面の中でじっと耐えて春を待っていたようだ。この花は寒暖の差がないとだめなようだ。ようやくクロッカスは一斉に花を咲かせた。ということは春が・・・・・
クリスマスローズも花芽を付け出した。前年の葉が寒さから株を守るために覆いかぶさっていたが、花芽の成長の邪魔になりつつあるようなので摘出してすっきりさせ、牛糞と油粕をあたえたので花付きが楽しみだ。
例年このぐらい花を付けるのだが、去年の3月29日撮影の写真を載せてみた。
今日木曜は、朝から雨で外作業はできない、冬の一品ニシン漬けを作ることにした。私が料理で料理上手な妻に唯一胸を晴れることがある。それは、「サラダ風ニシン漬け」とリタイア後に6年間ぬか床を守り続けてきた「ぬか漬け」かな。
この二つは重要な夜の酒盛りに欠かせない肴の一品だ。
事前に、本漬けに入る二日ぐらい前に大根1本を一口大の乱切りにし、乾燥しやすくザルの壁面に並べてしなっと軟らかくなるまで、ストーブの前に置いたり、天日干しにしたり、うまみ成分が変化して干したほどおいしくなるのを待つ。
☆ 漬け汁(減塩塩水)をつくる。
野菜に漬け汁を入れ、漬物袋の上から若干もみほぐしてやると野菜は縮み、袋の中身はいっそう小さくなる。あとは身欠きニシンを入れるだけだ。
身欠きニシンを骨抜きで、丁寧に小骨や腹の汚れをきれいに取る。 | 身欠きニシンの背びれとウロコを包丁で削ぎ取る。 |
左側がきれいに小骨を取った身欠きニシン、右側が未清掃のもの。 | 身欠きニシンを2センチぐらいの長さにカットする。 |
漬物用ビニール袋に身欠きニシンを入れ、袋ごと良く攪拌し、空気を抜きながら絞り上げて輪ゴムで押さえる。塩漬けの状態で2日ほど冷蔵庫で寝かす。
生麹と塩漬けまでできたニシン漬けと混ぜるだけだが、漬物用生麴作り編を見てください。
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二日間塩漬けにして寝かしたニシン漬けはそのままでもサラダ感覚で食べられる状態になっている。乾燥麹1.5袋(1袋~2袋好みに合わせて)を容器に入れ、・・・ | |||
2015年02月28日 | 食べる楽しみ |
山のうえでの田舎暮らしで寒さをしのぎながら暮らすには、薪ストーブ生活が欠かせない。薪を乾燥保管する薪置き場は必修なんだ!敷地は斜面で平坦部分が少ないので近くに置き場を探していた。
近所の造園屋さんのご厚意で、家から300メートルの空き地を使わせていただくことができた。
薪を作って売ってはと言われましたが簡単な事ではないと悟った。大量の原木を薪に仕立てるには、大変な労力と薪を乾燥させる棚をたくさん作り費用がかさみ割が合わない。
この薪棚作りが悩みの種で棚がたくさんあれば気が楽になるのだが!
上の写真は、いつもお世話になっている造園屋さんと一緒になってチェンソーで伐採整理、運搬作業をお手伝いして手に入れた4トンユニック8台分の原木。
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2015年11月21日 | 薪ストーブの暮らし |
PH-GS13で楽に薪割り | |||
薪作りといえば斧をと思うが、実際にやってみると薪割機が欲しくなる。電動薪割機を買ってみたが、本格的なエンジン式薪割り機 PH-GS13が欲しくなり・・・ | |||
2015年03月28日 | 薪ストーブの暮らし |
終戦前後の食料難時代に食料増産を目的にした政府の国策によって、東京在住近隣の方々が、新規就農を目的として昭和18年頃から開墾移住された開拓営農団地だ。
当時は、人などまったく住まない野生の獣だけが住む山深い丘陵地だった。そこでの生活は掘立小屋にランプ生活。生活用水や物資の不足に苦しんだと聞いた。
現在のような動力機械の無い時代に人の手によって一鍬一鍬原野を切り拓いたそうだ。最初に移住された初代の方々は大変なご苦労をされて今日に至っていることを知った。
初代から2代、3代と世代交代し離農が進み開拓地を離れる人が増えた。勤め人、園芸農家、造園業、運送業など専業農家は減り30数世帯の小さな里山集落となった。
集落には、私を含めて新たに横浜方面、東京都内からの移住者や週末田舎暮らしの方々の住まい・別荘、カフェなどがある。見知らぬ田舎に移住して、古村特有の「 よそ者扱い 」で悩むこともなく、気楽に暮らせるのは良いことだ。
それには、地域の協同作業や行事、自治会役員の引き受けは欠かしてはいけないのは鉄則だ。道で出会ったら必ず挨拶し頭を下げる。それが田舎暮らしの極意だろう。
山の中に移住してあっという間の六年が過ぎた。当初はむき出しの土、斜面から湧き出す湧水が建物周辺を覆い、花などあるのかしら思える斜面に建物だけが建つ状態だった。
晴れた日は、家内と二人で夢中になって土木作業と格闘し、斜面から湧き出す湧水対策や庭造りに汗を流しなんとか住まいと言える状態になった。
最近はそんな辛い作業の日々も思い出となり、やる事はまだまだあるのだが生活するには支障がないこともあり急ぐ必要はないと作業意欲を失いかけている。
妻とは私の借金を抱えた結婚生活からはじまった。お金に困ったこともあったが、若いということは何も怖くなかった。強力な妻の支えと運にも恵まれて働き終えることができた。
子育ても終わり、仕事からも離れ、長~いふたりだけの生活になった今こそどう時間を過ごすか話し合った。田舎でのんびり生きようと田舎暮らし構想が始まったのだった。
何より幸せなことは、妻が田舎暮らしに反対をしなかったことだった。
60歳前に思いきって始めた田舎暮らし、体の無理が利く70歳頃までには『 終の棲家での田舎暮らし 』という夢を完成させたい。
田舎暮らしを始めてやったことは、色々とネット情報から仕入れた知識を作業に生かしてきたことだ。田舎暮らしの上手なワザをブログで紹介していて楽しんでいる。
最近はやらなければならない事が沢山あるのに、ひと段落したこともあり「ハリがないというか」ふと物思いにふけっては窓から周りの山を見て考えてばかり前に進まなくなった。
ひきこもり状態の私、妻からハッパを掛けられてしまった。
ブログを始めることによってネタ作りに追われる日常を取り戻していけるのではないか。甘いかもしれないがブログを開設してみることにした。