「詩客」短歌時評

隔週で「詩客」短歌時評を掲載します。

短歌評 わが短歌事始め 塚本邦雄『裝飾樂句』 酒卷 英一郞 

2018-05-21 22:48:55 | 短歌時評
 「なにもかも小林秀雄に教わった」との木田元の口吻に倣へば、わが短歌事始めは、なにもかも塚本邦雄に敎はつた。旣に何度か書き記したことではあるが、短歌も含めた短詩型事始めこそ一九六九(昭和四十四年)刋の學藝書林版『言語空間の探険』に遡る。其書には塚本邦雄歌集「裝飾樂句(カデンツァ)」抄が(原本全九章・二百七十首より四章百二十首を抄錄)。また前衞短歌のよき好敵手、岡井隆の「土地よ痛みを負え」九十二首抄が收められてゐる。
 『裝飾樂句』は一九五六(昭和三十一年)、塚本邦雄三十六歳時刋行の第二歌集。逆算すれば一九二〇(大正九年)生れと判明するが、實は一九二二(大正十一年)生れとの説は當時の「短歌研究」編集者中井英夫の獨創。とすれば刋行時三十四歳。集中の何首かと符合する。

 イエスは三十四にて果てにき乾葡萄嚙みつつ苦くおもふその年齒(とし)

 賣るべきイエスわれにあらねば狐色の毛布にふかく沒して眠る

 キリストの齡(とし)死なずしてあかときを水飲むと此のあはき樂慾(げうよく)


 つまり舊約聖書の假構を換骨奪胎することで、おのれの眞を再假構するといふ詩法の重層がみられる。昭和三十年代初頭といへば、俳句では社會性俳句なるものの駘蕩期であるが、短歌の世界の動向はいかなるものがあつたのだらうか。その一端が『裝飾樂句』の跋に窺へる。

 『水葬物語』的な世界から出來る限り遠ざからうと試みたこれ等の作品にも、僕が劇しく希求してゐた〈réalité〉は、やはり執拗な美意識にへだてられて、その翳を背後にくつきりとは投じてゐない。

 この〈réalité〉こそ塚本における社會性短歌と同義なのではあるまいか。
 
 われに昏き五月始まる血を賣りて來し靑年に笑みかけられて
 
 われの戰後の伴侶の一つ陰險に内部にしづくする洋傘(かうもり)も

 暗渠の渦に花揉まれをり識らざればつねに冷えびえと鮮(あたら)しモスクワ

 晩夏の屋根にタール塗りしが家ぬちの猜疑かたみに深からしむる

 赤き旗の背後のなにを信じゐる靑年か瞳(め)に荒野うつして

 忠魂碑建ちてにはかにさむざむと西日の中の辛子色の町

 サーカスのかかりしあとに冬草が濃く萌えぬ今年いくさ無かりき

 原爆忌昏れて空地に干されゐし洋傘(かうもり)が風にころがりまはる

 ガラス工場ガラスの屑を踏み平(なら)し道とす いくさ海彼に熄(や)む日

 われらすでに平和を言はず眞空管斷(き)れしが暑き下水にうかび

 爆擊の日もぬるき水吐きゐたる水道に死がしたたり始む

 いくさなくば飢うるものらに休日の夕迫りつつブリキ色の海

 かつて棄てられたる軍靴、春雨の運河の底をうごきつつあり

 市民らは休戰喇叭以後晴れてにくめり弱き骨牌(かるた)の王を


 あの美の使徒、塚本邦雄と云へども同時代人として避けられない戰後社會風俗への反證を、多くの社會性短歌なるものがやがてスローガンの復唱に搔き消されて行つたのに反し、物語に託された卓絕な暗喩がやがて讀み手の身内(みぬち)に微量にして永續の毒として注入されていく。
 實は跋文にはさらなる符合、暗合ともいふべき一語が祕されてゐた。

 今日、短歌はうたがひもなく「咒はれた詩」であり、まことに不幸な選ばれた者達の苦しんでたづさはるべき、ひそかな無償の營爲ではあるまいか。その營爲の限界を識りつつなほ、僕もまた最初の日から、自らの空しい内部について或ひは昧い自我を通じて、昂然と「敗北の詩」を創りとほして來た。

 その一語とは勿論「敗北の詩」。――高柳重信の戰後まもなく昭和二十二年の「太陽系」に發表された若干二十五歳の評論題名、句的刻印である。虛無と敗北の萌芽をしつかりとその背に印し、俳句形式を選び取ることの自覺を脚下に印す。振り返れば、塚本邦雄と高柳重信はともに處女歌集と處女句集とを、今となつては宿命的邂逅とも呼ぶべき乳兄弟として合せ鏡のやうに分かち持つ存在であつた。先の中井英夫の仕掛けた塚本の年齢詐術を用ひれば、ふたりは同じ大正十一年生れといふことになる。
 一九五一(昭和二十六年)、高柳重信の實弟の經營する、その名も「火曜印刷」から『水葬物語』は版行された。しかも本の體裁は和紙カバー裝を捲れば濃紺の表紙、そして附箋題。本體は袋綴ぢの和綴本。前年に同所から刋行された高柳重信の『蕗子』と同じ仕樣である。生憎といま手元には『蕗子』一書しかなく(なぜなら、塚本邦雄を知つたその時點で旣にして兩書は正しく幻の雙書であつたのだから)、これのみでも充分に塚本書の風韻を窺ふことができる。代表句「船燒き捨てし/船長は//泳ぐかな」の墨書入り。初版を手にしてみるまでは判らなかつたこともあり、正字體、歷史的假名遣ひで統一したであらう一本の、また諸本テクストの多くがさうであるところの、冒頭句としてあまりに有名な「身をそらす虹の/絕巓/(四字下がり)處刑臺」一句の「臺」は、新字體の「台」表記となつてゐる。
 塚本はどこかで俳句形式を、短歌形式に對する「義理のメシア」と名付けていたやうに記憶するが、一方、高柳重信の高弟、大岡頌司の一文に「(前略)どうやら、歌の方と俳諧とでは、その喩的花嫁ぶりや連綿の情態に若干の相違があり、垣根越しの噺も通じないものがあることを知った。」(『現代俳句全集』第五卷「大岡頌司集」自作ノート/一九七八年立風書房)との含みある表現もある。


他の愛誦歌を。

 愕然と干潟照りをり目つむりてまづしき惡をたくらみゐしが

 水に卵うむ蜉蝣(かげろふ)よわれにまだ惡なさむための半生がある
 
 死が内部にそだちつつありおもおもと朱欒(うちむらさき)のかがやく晚果

 漕刑囚(ガレリアン)のはるけき裔か花持てるときもその肩もりあがらせて

 屋上苑より罌粟の果(み)投げてゐるわれとわが生くる地の昏き斷絕

 まづしくて薔薇に貝殻蟲がわき時經てほろび去るまでを見き

 黴びて重きディスクの希臘民謠(ギリシアみんえう)の和音を愛しつつ零落す

 ジャン・コクトーに肖たる自轉車乘りが負けある冬の日の競輪終る

 北を指す流木にして解(と)かれたる十字架のごとふかき創もつ

 娶りちかき漁夫のこころに暗礁をふかく祕めたる錆色の沖

 硝子工くちびる荒れて吹く壜に音樂のごとこもれる氣泡

 羽蟻逐はれて夜の天窓にひしめけり生きゐれば果てに逅ふ鏖(みなごろし)

 「キージェ中尉」の樂ながれ來て寒天は慾望のごと固まりゆきつ

 腐敗ちかきレモンに煮湯そそぎつつ親しもよ輕騎兵ジュリアン

 道化師と道化師の妻 鐵漿色(かねいろ)の向日葵の果(み)をへだてて眠る

 熱鬧(ねつたう)にひるがへる掌(て)よ夜にひるにかがやけるもの喪ひゆけり

 狷介にして三人の美しき子女有(も)てり 風のなかの翌檜(あすなろ)

 血紅(けつこう)の魚卵に鹽のきらめける眞夜にして胸に消ゆる裝飾樂句(カデンツア)

 イエスに肖たる郵便夫來て鮮紅の鞄の口を暗くひらけり

 アヴェ・マリアの忘れゐし節(ふし)おもひ出づ死魚浮かびたる午(ひる)の干潟に

 湖水あふるるごとき音して隣室の靑年が春夜髪あらひゐる


 集中、次の一首

 三十歳 アレクサンドリア種葡萄黑き一つぶ喰みてあと棄つ

 は、およそ十年後、岡井隆『眼底紀行』中の

 掌(て)のなかへ降(ふ)る精液の迅きかなアレキサンドリア種の曙に

 の絕唱が呼應し、

 また、高柳重信の

 船燒き捨てし
 船長は

 泳ぐかな


 の後日譚として、次の一首がある。

 船長のただよふ一生(ひとよ)果つる日を陸に淡淡し豚の鹽漬

 また、これは「桃源の鬼 西東三鬼句集をめぐって」(塚本邦雄評論集『夕暮の諧調』所收、昭和四十六年人文書院)で

 高度千メートルの空より來て卵食ひをり鋼色(はがねいろ)の飛行士

 が、西東三鬼の

 冬天を降(お)り來て鐵の椅子にあり  『旗』

 紅き林檎高度千米の天に嚙む    〃

 からの類想であることを告白してゐるが、次の三首もさもあらむ。

 つつしみて生きむ或る日を來し少女昏き地に蛇描きて去れり

 少年發熱して去りしかば初夏(はつなつ)の地に昏れてゆく砂繪の麒麟

 夏曉の子供よ土に馬を描き 
  『旗』

 そして、少女の描く昏き地の蛇には久生十蘭の短編よりの恩寵も。また、

 晩夏うちら暗きサーカス 白馬は少年のごと汚れやすくて

 白馬を少女瀆れて下りにけむ
  『旗』

 しかし、集中でなぜか一番心惹かれたのは次の一首であつた。

 榮ゆることなく晩年は到らむにこのシグナルの濁る橙黃(たうくわう

 二十歳に成るかならぬかのわが身には、晩年とは遙か遠く臨むべくもない時閒の集積の彼方である。宿命論的に晩年を確定したかつたのか、あるいはある種の不安から生ずる膨大な觀念に打ち拉がれて、むしろ不幸の約束手形こそがその時の自身に必定であつたのか。高柳重信は先述の「敗北の詩」において、「俳句形式の発生そのものに、この敗北主義をひしひしと感じる」とし、さらに「(前略)そこに虚無的な何ものかが生まれて来るのではなかろうか。それは、年齢にかかわりなく訪れる晩年の意識の芽生えと、どこかで繋がっている」との決定的指摘をしてゐる。一歩進めて、たとへば大岡頌司は序數第三句集(多行俳句形式による句集としては第二句集)『花見干潟』の跋にて、高柳重信における大宮伯爵ならぬ浦島太郞を「歳月のなかに攪散してしまつたおのれを、浦島とよんで、私を招喚」させ、かう告げる「必要を走る老人。想ひ出を活かすためには、人はまず齢をとらねばならぬかも知れぬ。私は老年をなつかしく想ふのである……」。ここに至つてはや老年時閒の懷舊が先取される。倒逆的時閒奪取の詩法が認められる。もとより若きがゆゑの不在立證ではある。高柳重信創刋の「俳句評論」系にみられる獨自の倒立した時閒觀念。死より演算する差し引きの詩法……。
 
 さても無手勝にやをら押取り刀で押しだしてはみものの、石川淳ではないが、ペン先が考へ、頭で書くとは斯くも己が身を削り出すものなのか。行く立ては、とんだ藪に迷ひ込んだ始末。この先如何なることやら。ひと先づペン先、否、子鼠(マウス)を收めたい。
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