「詩客」短歌時評

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短歌時評 第115回 大松達知歌集『ゆりかごのうた』から、短歌結社について考える。 齋藤芳生

2015-07-03 12:08:42 | 短歌時評
  <ゆりかごのうた>をうたへばよく眠る白秋系の歌人のむすめ p121
大松達知『ゆりかごのうた』

 
 この一首の作者である大松達知本人に、そのような意図はなかったのかもしれない。しかし、短歌結社の存在の是非について、これほど明確にひとつの答えを提示している一首はないのではないか、と思う。
 自らが短歌という短詩系文学を心から愛している「歌人」の一人であること。「白秋系」の短歌結社である「コスモス」の一員であること。「コスモス」という結社を支えてきた、多くの歌人たちのこと。彼らと共にさかのぼることのできる時間の長さと、その時間の中で培われてきた文学の豊かさについて――。
 この一首は北原白秋の「<ゆりかごのうた>」という子守歌にのせて、それらのすべてを肯定している。そして、幼い我が子にもそれらを伝えたい、という、やわらかな、しかし明確な意思がある。今は両親の歌う「<ゆりかごのうた>」を聴きながらすやすやと眠っている「むすめ」がもう少し大きくなったら、きっと作者は楽しそうに、嬉しそうに、折に触れては話して聞かせるだろう。お父さんが好きな短歌とは何なのか。なぜ、お父さんは短歌が好きなのか。お父さんは、どんな歌を作っているのか。お父さんが所属する「コスモス」という短歌結社は、どのような場所なのか。そこには、どんな人たちがいて、どんな歌をつくっているのか。
 もちろんそれは、「だから娘であるおまえもあとを継いで歌人になれ」とか、「短歌をやるなら結社に、それも『コスモス』に入らなければだめだ」などという偏狭で無粋なものではない。ただ、父親である自分自身がこよなく愛するものであるがゆえに、やはり愛してやまない我が子にもその魅力を伝えずにはいられないのだ。
 難しい話はいいんだ。お父さんはおまえが生まれるずっと前からとにかく短歌というものをつくることも読むことも好きで、そして「コスモス」という場所とそこに集まる人たちが、大好きなんだよ、と。

 近代以降短歌という詩形を支えてきた「短歌結社」という組織の有り様とその功罪には、未だに様々な議論が絶えない。各総合誌が主催する新人賞では短歌結社に所属していない応募者、そして受賞者が年々増え続けているし、インターネット上では短歌結社の存在がどうもネガティブに語られることが多い気がして、やはり窪田空穂系の短歌結社である「かりん」に所属している私としては、なんとなく(あくまでもなんとなく、なのだけれど)肩身の狭い思いをしていた。その「なんとなく」感じていた短歌結社についてのもやもやを、ささやかな文章として書いたばかりでもある(本阿弥書店「歌壇」2015年7月号時評「『居続ける場』としての結社」)。そしてTwitter上では、少し前に短歌結社について様々な立場から語り合う「たんばな2」というハッシュタグが、大いに賑わっていた。その様子は、以下のリンクからのぞくことができる。

#たんばな2 を勝手にまとめないかね。~無所属・結社全般・その他雑談編~
http://togetter.com/li/825547

#たんばな2 を勝手にまとめないかね。~各結社編~
http://togetter.com/li/825811

 この「たんばな2」での議論も大変に興味深いものだったが、しかし、昨年刊行された大松達知の第四歌集『ゆりかごのうた』の表題作でもあるこの一首を改めて読み返した時、ああ、「短歌結社」の存在意義を問うさまざまな声に対する返答は、この一首で十分だなあ、と私は思ったのだった。

  
  わが生(あ)れし以前に入会せし人の歌の上にも○をつけてゆく 36

  <大正>を換算するに宮柊二つねあらはるる一九一二(いちきういちにい) 43

  教員歌人が歌人教員へ戻りゆくあしたの道に公孫樹みあげて 113

  オーマツ君とわれを呼ぶのは歌人のみこの尊さをしづかに思へ 114

  おまへを揺らしながらおまへの歌を作るおまへにひとりだけの男親 123

 歌集には、これらのような歌もある。一首目は、編集委員として結社誌に寄せられた詠草の選歌をしている場面。自らの所属する「コスモス」を創刊した宮柊二を深く敬愛するが故の二首目。「歌人」であることに対する喜びと静かな矜持が歌われた三首目と四首目。五首目には、歌人であることへの喜びと矜持に、「男親」となったことへの新たな喜びが加わったことが、何の衒いもなく率直に表現されている。

 歌集『ゆりかごのうた』は、一冊を通して大きなテーマとなっている

  心音を聞けば聞くほどあやふげな、いのちとならんものよ、いのちとなれ 104

  みどりごのうんちは草の香りせり 六十歳のおまへが見たい 132

  一(いつ)灯(とう)になつたり一俵になつたりし、いま一輪のみどりごである 152

のような歌はもちろん、

  シマウマの真似せよかしと命じればからだくねらす十三歳は 13

  中鳥(1字傍点)とまちがへたときそのままでいいですと言つた中島が怖い 25

  ゑんどうゑんどう起きろゑんどうをととひもけふもひたすら起こすゑんどう 168

といった英語教師としての歌、さらに酒の歌、野球の歌と、それぞれに一人の読者として「短歌っていいなあ」と素直に頷くことのできる歌が数えきれないほど収められている。それは言うまでもないことだが、この歌集は私にとって、近代から「短歌」という短詩系文学を支えてきた短歌結社が、特に結社に所属して歌をつくっている私たちにとってどのようなものなのか、を改めて考えさせてくれる一冊でもあったのである。

※引用歌の丸括弧はルビ


略歴
齋藤芳生 さいとう よしき
歌人。1977年福島県福島市生まれ。「かりん」会員。歌集『桃花水を待つ』(角川書店2010年)『湖水の南』(本阿弥書店2014年)