「詩客」短歌時評

隔週で「詩客」短歌時評を掲載します。

短歌評 個人的なことから 横井 来季

2023-06-12 23:38:31 | 短歌時評

 最近、「短歌ブーム」が来ているらしい。その熱気に動かされ、短歌ブームや純粋読者について、雑誌・ネット問わず、記事が大量に書かれている。

 個人的に、そうした記事に接し、私が気になることは、「全く短歌を知らない読者が、どうして歌集を手に取ろうと思うのか」ということだ。この疑問は、歌人が頭の中だけで考えていても解決しない。

 というわけで、実際に知人(以下S)に聞いてみることにした。読者についての疑問は、読者に聞くのが堅実な方法だろう。Sは、同じ大学の同級生だ。基本、小説の読者であり、石田衣良や、森見登美彦を好んで読む。歌集では、島楓果の『すべてのものは優しさをもつ』(ナナロク社)、詩集では、最果タヒの『死んでしまう系のぼくらに』(リトル・モア)を読んでいるらしい。以下聞き取り。

私:歌集を読もうと思ったきっかけは?
S:横井くんが短歌が好きと聞いて、見てみようって思ったのがきっかけ。あと、歌集じゃないけど、最果タヒの『死んでしまう系のぼくらに』を読んだ。表紙っていうか、見た目が黄色くて、目立っていたから、気になったのと、当時、バンドのAlexandrosが好きだったんだけど、その歌詞を書いていた人が最果で興味を持った。
私:どんな感想を持った?
S:ちょっと難しい。その人の感想というか、感性が難しいけれど、俺には作者の人の意図を感じ取るのが難しい。あと、矛盾するけれど、読みやすい。寝る前に読むのが丁度良くて。小説は寝ようってとき、「どこで区切りをつけよう?」って、区切りがつきにくいけど、短歌は寝る前に読むのは丁度良かった。この一首を読めば、寝ようって決められる。コスパがいいよね(※おそらくタイパと言いたいのだと思う)。
私:エモいとか思った?
S:うん。なんでかは忘れたけど、短い日本語の並びの中に、情景とか思い浮かべられる。

私:そういえば、どの歌集を読んだ?
S:島楓果の『すべてのものは優しさをもつ』だね。普段は、古本で買うんだけど、興味あったから、新品を買った。
私:どう読んだ?
S:ひとつひとつ情景想像したりして読んだかなー。じっくり1ページ1ページを読んで、ぼうって考えるの。どういう情景なんだろうって。一句読んで一分ぐらい考えて、こういう感じかなって解釈する。ちょこちょこ面白いとこ目についてるなぁとか思ったり。
私:これいいなって思った短歌は?
S:〈扇風機つけてゆっくりまぶた閉じればただ風の吹く闇がある
私:どう思った?
S:簡単にいえば、エモい。ただ風の吹く闇があるって表現おしゃれだなぁって。

私:短歌ブームって言われているんだけど、実感ある?
S:ない。本当にあるの?

 以上が聞き取りの内容になるが、歌集を読んでいる大学生でも、あまり短歌ブームの実感はないようだ。実際、詩歌に携わる人以外から、「短歌ブーム」という単語を耳にしないのだが、本当にそんなものが来ているのだろうか。わからない。この言葉は、プロモーションの意味合いもあるのではないか。確かに、Twitter上でたびたび短歌がバズり、話題になることもある。だが、それは、あくまでSNS内部での話だ。ブームというものは、もう少し社会的な熱狂を伴うものだろう。ブーム自体が人を呼び寄せ、さらにブームを盛り上げるような、そうした力が、「短歌ブーム」には欠けているように感じる。

 それよりも、個人的に意外だったのが、Sが短歌に興味を持ったきっかけだ。私が、短歌を好んでいるという話を聞き、それで歌集を読んでみようと思ったという。逆を言えば、私が、大学の自己紹介で、「短歌をやっています」と言う習慣がなければ、Sは歌集を読もうとは思わなかったかもしれない。私は、こうした人間関係を基にした、短歌のきっかけこそ、本当の「短歌ブーム」を生む力になるのではと考える。

 ここに、短歌の世界への入り口が、狭いが確実にあるからだ。私の意見としては、歌人は、「短歌ブーム」という、本当にあるか分からない、いつ終わるかも分からない社会的なものに乗らないほうが賢明と思う。歌人個々人が「私は短歌が趣味です」と自己紹介をし、実生活の中で、「歌人としての自分」を出していく、それが短歌の読者を獲得する堅実な方策と、私は考える。

 社会に短歌を広めていく過程で、次第に「短歌」が大衆迎合的になっていくと危惧する人もいる。社会と短歌が過度な接点を持てば、社会の毒に触れて短歌が堕落するという意見だ。だが、それは「社会」という、曖昧模糊なものに、短歌を広めていこうとするから、軸がぶれて迎合的になってしまうのだと思う。「友人」に広めていこうと思えば、自分の軸を保つことは、難しいことではない。わざわざ友人に迎合したいと思う人などいないだろう。私としては、個人的なことから、短歌の世界への入り口を作っていければと考えている。