「詩客」短歌時評

隔週で「詩客」短歌時評を掲載します。

短歌時評161回 「あなたの歌集、もう書店で注文しました!」 千葉 聡

2020-11-03 01:28:21 | 短歌時評

1 寄贈文化は心苦しい

 本を出版するのは大事業。人生における大事件だ。
 歌人を続けていると、毎日のように歌集が届くようになる。句集や詩集や小説を送っていただくことも増える。本当にありがたい。
 どの本にも、著者、編集者、発行者の思いが詰まっている。大切に頂戴する。
 ただ、なんだか心苦しくなる。寄贈していただいた本をすべて読む時間はない。結局、数冊を選んでじっくり読むことになる。それに、著者へのお礼状を書く時間も、なかなかとれない。
 文芸の世界では、慣例として著書を寄贈し合う。私も本を出すたびに、数十冊から数百冊、各方面に寄贈してきた。でも、経済的な理由から、それほどたくさんは寄贈できなかった。
 いっそのこと、物書き全員が一斉に「今後一切、著書は寄贈し合わない。すべて書店で買う」という取り決めをしたらいい。そうすれば書店内の文芸書コーナーが今よりも賑わうようになるかもしれない。大型書店の詩歌コーナーも増えるかもしれない。
 私は週末、書店をめぐり、気になっていた新刊歌集を購入するだろう。自分のポケットマネーで買った本には愛着が生まれる。今までよりも大切に読むだろう。店頭に置いていない本は、書店のサービスカウンターで注文する。ネットショッピングもいいが、なるべく書店で注文する。そうすると、私が注文した本を、後日、その書店が仕入れて棚に並べてくれるかもしれない。著者を真剣に応援しようと思うなら、ネット書店よりリアル書店で注文したほうがいいのだ。

2  「ご恵贈いただいた」と言わないで!

 ときどきSNSで「作者の〇〇さんから新刊をご恵贈いただいた。ありがたく読ませていただいた」という書き込みを見かける。やめてもらいたい。
 書き込んだ人と作者が仲良しなのはよくわかった。でも、そういうアピールは作者にとっては嬉しくないかもしれない。
 どんなに人気のある作者でも、自著を買い取って寄贈する。経済的な理由からほんのわずかしか寄贈できないことも多い。結局、Aさんには寄贈し、Bさんには寄贈しない、ということになる。Aさんの「ご恵贈いただいた」というコメントを、Bさんが読んだとしたら、どう思うだろうか。
 寄贈された本も、自分で買った本も同じだ。本の感想をコメントする場合は、どの本も同じように扱いたい。寄贈してもらったからといって、特段、高く評価するわけでもない。
 ときどき憧れの先輩から著書をご恵贈いただくこともある。嬉しくて、誰かに話したくなる。でも、ここで我慢だ。決して「ご恵贈いただいた」と言ってはいけない。すでに自分でその本を買っており、二冊持つ場合もある。そうなったら一冊は、文芸を理解してくれる友にプレゼントすればいい。絶対に「この本、半額で買わない?」と持ちかけてはいけない。
 本は大切に扱いましょう。

3 新人さんを応援するために

 短歌関係の会合に行くと、若い歌人と「はじめまして」の挨拶を交わすことがある。物書きの仲間が増えるのは、本当に嬉しい。世間話も文学論も盛り上がる。中には気をつかって、こう言ってくれる人もいる。
「じつは先日、第一歌集を出したんです。まだ十分に寄贈ができていなくてすみません。一冊、千葉さんに差し上げたいのですが、今、手持ちがなくて……。あとでご自宅にお送りしてもよろしいですか?」
 数年前までは、ごく普通に「ありがとうございます。自宅の住所をお教えしますね」と答えていた。今思うと、とても恥ずかしい。私は、こう答えるべきだったのだ。
「ありがとうございます。でも、あなたの歌集は、ぜひ書店で買わせてください。書店で本を探す、というのが私のいちばんの楽しみなんです。店頭になかったら注文しますから」
 どうです? なかなかいい答え方でしょう? こう言ったからには、必ず書店で買う。若い著者を応援するためにも。
 だが、私がどんなに心をこめて「書店で買います」と言っても、「千葉さんがそう言うのは、自分の本に関心がないからかもしれない」と勘繰る人もいる。(そう思わせてしまうのは、私の話し方がダメなのだろうが……)
 だから、このごろは、こんなふうに答えている。
「じつは、あなたの歌集、もう書店で注文しました。もうそろそろ届きます」
 こう答えたからには、その後、必ず書店で注文することにしている。答えた時点では、本当はまだ注文していないのだが、これくらいのタイムラグはお許しいただきたい。
 ここにこんなふうに書いたからには、私は今後、なるべく歌集を書店で買うことにします。みなさんも、いかがですか?

4 いつかすべてを手放す時が……

 スマホで電子書籍を読むこともあるが、私はやはり紙の本が好きだ。新刊書店の「新しい本の匂い」はたまらない。図書館や古書店の匂いだって、心から愛している。
 毎日何かしらの原稿を書いて、物書きの友だちも増えて、本も出せるようになった。地味な歌人だが、私は自分の人生を楽しんでいる。
 ただ、今いちばんの悩みは、増えてしまった蔵書をどうするか、だ。書棚を増やし、なんとかしてきた。物置の一つを書庫にして、古い本をまとめた。これであと数年はなんとかなる。数年後には、少しずつ本を処分し始めないといけなくなるだろうが……。
 私は五十代に入ったばかり。食事をきちんとし、体も鍛えて、九十代になっても現役作家でいたい。だが、いずれはすべての蔵書を手放す時がくる。
 よく利用している図書館の司書さんに「私が死んだら、数千冊の蔵書を『ちばさと文庫』としてすべて引き取ってくれませんか?」と聞いてみた。あっさり断られた。
「山本周五郎並みの作家だったら、その蔵書を全部まとめて引き取れるんですけどね。だからちばさとさん、まずは超偉い大物作家になってくださいよ」
 わかった。それならば大物になれるよう努力しよう。だが、大物になれなかったら、どうしよう。
 図書館、詩歌文学館や記念館、文芸家協会や歌人協会や歌人クラブ、古書店などのご関係のみなさん、蔵書の処分で悩む人は、これからますます増えるでしょう。どうか助けてください。何かいい方法を教えてください。
 紙の本の文化を守るためにも。