初谷むいは、ふたりの人間のあいだに生じるわずかな感情・動作の共有をしっかりとつかまえる。演劇のワンカットにも満たない短い時間に走る「対話」の電気をとらえてみせる。昔の初谷むいの短歌はモノローグ的な手法が多かったのが、徐々にささやかなダイアローグを描いてみせるような歌が増えてきた。
パズドラをあなたにおしえてもらったなマナーモードの静かな解除
こげたところ鍋からそっと食べている あかるい話をあなたに贈る
あたらしいニットが身体に合っている ようこそぼくの身体へニット
あかるいね雪の車道は あいづちのへたくそ許してもらっていたな
これらの歌のテーマは「調和」だ。パズドラ、鍋、ニット、あいづちといった日常的モチーフを素材としながら、本来はまったく別々のものであったふたつの存在が「調和」してゆく一瞬を捉えている。初谷むいの文体の特徴として、「な」「ね」などの終助詞を多用して口語性を強めていくことがあげられる。現代短歌において口語終助詞の使用はモノローグ性を強化する役割を担うことが多いが、初谷むいの使用法は「パズドラをあなたにおしえてもらった」「マナーモードの静かな解除」という異なる文脈を持ったふたつの文どうしを接着させ、調和を図らせる目的で使われている。つまり、「を」や「は」のような助詞に近い用法として終助詞を使っているのだ。
このような「助詞的終助詞」用法は雪舟えまに先んじてみられるもので、初谷むいもそこから影響を受けているようである。
宇宙のほうからふれてきたのわたしスケートリンクで迷子でした
男って妖怪便座アゲッパナシだよね真冬の朝へようこそ
雪舟えま『たんぽるぽる』
これらの歌の「の」や「ね」は単純に文の切れ目を作っていない。発想が飛んでいるともいえる二文を調和させるための機能を果たしているといえる。初谷むいはこの手法を踏襲しながら、独自の文体を築こうとしている。
「ワールドエンドに際して」には、風土や町との対話という新たなダイアローグ性がみられるようになってきている。昨年から札幌を離れ、海辺の町で暮らし始めた。そのことが作風に少し影響を与えているようだ。
うみべです 大雪が降り自転車があるかもしれない雪の膨らみ
きっと嵩増しされている雪の海 海を見に行くのはだるいけど
ボ――――――という音は船、ってこの町の人は知ってるいつのまにかね
言いたくてくしゃみにそれが消えてって夜のみなもに手を振っていた
夜行バスでてをつないでるカーテンの向こうにきっと雪だけみえる
船の汽笛の音をいつのまにか知っているように、「町」の記憶が知らず知らずのうちに身体化されていることがある。初谷むいはそれをまたひとつの「調和」のかたちとして見出している。大雪に隠されているかもしれない自転車、夜行バスのカーテンで仕切られた外にあるかもしれない雪。「見えないけれどあるはずのもの」を想像することで、異郷は自らの身体と少しずつ少しずつ調和してゆく。希望的観測を語る副詞「きっと」は、初谷むいの短歌の重要なキーワードだろう。わたしとあなたが、わたしとこの町が、たとえ根本から異なるものであったとしても、「きっと」調和できる一瞬がある。
CMにふつうに感動したりする 夢という夢はないけどそれは希望だ
希望は必ずしも未来とつながるとは限らない。未来は常に明るいのだといえばそれは偽善的な嘘でしかないだろう。でも、ほんのわずかでささいな共鳴と調和が、二つと無い輝かしいダイアローグを立ちあらわせてくれることがある。そこに賭けることが、口語短歌の命だ。
「ワールドエンド」は悲劇的な終末を思わせる言葉だが、たったひとりのモノローグ的世界が終焉を迎えた先に来るものは、「きっと」希望のあふれる調和のとれたダイアローグであるはずなのだ。