『資本論』学習資料室

泉州で開催された「『資本論』を読む会」の4年余りの記録です。『資本論』の学習に役立たせてください。

第20回「『資本論』を読む会」の案内

2010-01-10 12:08:15 | 『資本論』

『資  本  論 』  を  読  ん  で  み  ま  せ  ん  か 


                                    
 2010年という一つの区切りの年が明けました。

 昨年は、08年のリーマン・ショックによる金融恐慌に続く経済恐慌の一年でした。クライスラーやGMが倒産し、アメリカを代表する自動車産業が危機に陥り、今年になって、とうとう自動車の売り上げでは中国がアメリカを抜いて世界のトップに躍りでました。世界経済は大きく塗り替えられようとしています。

 2010年には、世界経済は果たして深刻な不況から抜け出ることができるのでしょうか。それともさらなる深いどん底へと引きずり込まれて行くのでしょうか。

 それはともかく、“サブプライム金融恐慌”に代表される金融バブルとその破綻について、『資本論』はどのように論じているのでしょう?

 『資本論』第3部第5篇第30~32章「貨幣資本と現実資本 I ~III」では、マルクス自身「比類なく困難な問題」として、貨幣資本の蓄積が現実資本の蓄積とどのように関連しているのか、またそれは一国で流通している貨幣の量と如何なる関係にあるのかが理論的に追究されています。そしてそうした考察の理論的前提として第29章「銀行資本の諸成分」では、銀行資本の一部を構成する「利子生み証券」(債務証書--有価証券--、サブプライム・ローン債権を担保にした資産担保証券などもそれに含まれます)が、「架空な貨幣資本」であることを明らかにしています。マルクスは現実資本の蓄積から相対的に自立してそれらを何倍も上回る規模に膨れ上がって運動する貨幣資本の運動を、「規則的に繰り返される収入」「資本換算」されて形成される「架空資本」という形態で存在する「利子生み資本」(moneyed Capitalとしての貨幣資本)の運動であることを明らかにし、さらに次のように論じています。

 「すべてこれらの証券は、実際には、将来の生産にたいする蓄積された請求権、権利名義のほかにはなにも表していないのであって、この権利名義の貨幣価値または資本価値は、国債の場合のようにまったくどんな資本も表していないか、または、それが表している現実の資本の価値とは無関係に規制されるのである。/すべての資本主義的生産の国には、このような形態で巨大な量のいわゆる利子生み資本またはmoneyed capitalが存在している。そして、貨幣資本の蓄積というものの大きな部分は、生産にたすいるこのような請求権の蓄積のほかには、すなわちこのような請求権の市場価値の蓄積、その幻想的な資本価値の蓄積のほかには、なにも意味していないのである。」(全集版600頁)

 だからこうした「架空な貨幣資本」の蓄積がどんなに膨大な額に膨れ上がろうが、現実の社会の富から考えるなら、それらは「純粋に幻想的」なものでしかなく、だから「このような名目的な貨幣資本のしゃぼん玉の破裂によっては一文も貧しくはならない」(同)のだと論じています。

 サブプライムによる資産担保証券や、デリバティブなどのさまざまな金融派生商品が氾濫し、膨大な過剰な貨幣資本が世界の金融市場を荒し回り世界経済を金融的危機に陥れいるような、今日の世界資本主義を理論的に解明していくためにも、やはり『資本論』をしっかり学ぶことが不可欠なのです。

 貴方も、是非、一緒に『資本論』を読んでみませんか?

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第20回「『資本論』を読む会」・案内

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  ■会 場   堺市立南図書館
         (泉北高速・泉ヶ丘駅南西300m、駐車場はありません。)

  ■テキスト  『資本論』第一巻第一分冊(どの版でも結構です)

  ■主 催   『資本論』を読む会


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