住まいの安全 心の健康 住まい塾 21

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心と体のリラクゼーション、誰かに秘密を話すストレス解消

環境が人を作る

2009年12月14日 | 日記
 近くのスーパーで、職場に入る際一礼するのは正社員だけかもしれないが、本当に心から其の職場に感謝しているからだろうか?  疑いは有るものの、こう言うものを見ると、すがすがしく思うのは私だけか?  我々が、学生時代武道場に入る際、一礼しなければ何処からとも無く、先輩の有り難い回し蹴りが飛んできた。

 昔プロジェクトXで、泣き虫先生とツッパリ生徒の創作(ドキュメンタリー?)放映があった。 ラグビーと言う形を通して生徒を、更正(?)させ、見事先生という仕事を勝ち取ったと言う事も有ったと思っている。

 別な場合を考えてみれば、身に纏う物をブランド物で固め、持ち物もブランド品だけを長年持ち続けた場合、それに見合う身のこなしが身に付くかと言っても必ずしもそうとも思えない。  またゴルフでも、コーチによって形だけを真似てもダメだと極端な事を言う人も居る。


 上記のように、職業、環境によってその職場独特の雰囲気が身に付く事がある。 ものは考えようで、貧乏が一杯の環境で育っても、其れをバネにし立ち上がる人と、其の環境と馴れ合って「金がないと、出来ないかな?」と諦める場合との両方が考えられる。 もちろん中間もある訳だが・・・。

 農業を、長年続けたら「人が作られる」だろうか?  否、むしろ退化すると言った方が近い。  もし農業だけを一生続けたら、人間性はだんだんと利己的になり退化するものと思われる場合が、多い。  あるいは、歴史的な地域性によるのかもしれない。


 人間性とは何か・・・・。  其れは、人を騙さない事、人の物を取らない事、人の陰口をしない、自分の行動性の正当性、動機を、結果を考えること、この様な人を人間性が良いというのだろうか。  
自分の周りの、長いこと「お百姓さん」だけをなされた方を、思い浮かべてみれば、やはり其れは、長い間に退化し人間性は失われ、精神は猿に近くなったと言わざるを得ない。 いや、その集団の公平性においては、猿より落ちるかもしれない。  ただ本人が気付いていないだけだろう。 人のものと自分の物の区別すら付かない人が居る。


 人間性を取り戻す為に、農業を長いこと営んで居る人は、3~5年くらい社会に出て、働いて見ることでしょうか。  そうすれば、少しは『お山の大将』的思考、独善的思考は些か改められるのだろう。 
何も其れは、稲を育てる人だけでなく、人を育てる教師と言う職業人も、あるいは共通しているところが有るかもしれない・・・。  自戒という言葉が最も必要とされる人は、むしろ政治家であるのか・・・。  


  
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