住まいの安全 心の健康 住まい塾 21

住まいの安全性、食物の安全性、政治の危険性、感動の共有
心と体のリラクゼーション、誰かに秘密を話すストレス解消

東沢公園の百万本のバラを、君に・・・

2015年06月01日 | 日記
  ― 其の2
  公園内は、6月初旬に満開になると思われ、挙げた写真の他にいろんな花もあり、天気が良ければ『甘いバラの香り』も、体感出来ます。  まずは、体験する事、これに尽きます。









  お仕事ばかりでは、免疫機能は劣化するばかりです。
たまには、お花畑で夢を見ても・・・・また、生きる力を貰えるのでは無いでしょうか・・。


信頼社会が去って、今、分断社会へ

2015年06月01日 | 日記
 日本では、民主党が政権を取った2009年から、お互いの人間同士の隣人関係、或は国民同士の信頼関係が、上流側から『腐れ水』となり、下々の国民に至るまで、かつて有った『信』と云う関係が全く『壊れ』てしまった。

 『破壊社会』とでも云うのだろうか・・・・このようなことが長く続けば、中国の国内と同様に、全く国内政治と云う事自体に信頼を置く事が出来なくなる。
皮肉でも何でもないが、米国内の華人新聞である『大紀元』のネット版に、次のような格言が載っていた。


 『信言不美 美言不信』 

 *** 以下引用  大紀元日本5月13日 ***
    http://www.epochtimes.jp/jp/2015/05/html/d35073.html

  この句の出典は老子の『道徳経』で、「信頼できる言葉は飾らず、飾っている言葉は信頼するに足りない」という意味である。

 話をすること、それ自体には得手不得手があり、表現力も人によって違う。 しかし、ありのままに話すことは殆どの人ができる。 上手でなくてもありのままに話せば、それは無私で誠実な表現である。 逆に言葉を飾って話した場合、そこには必ず何かしらの私(し)の目的がある。

 飾りのない正直な言葉は聞く人にとっては耳が痛く、心苦しく感じるときもある。 しかし冷静に考えると、このような真実を語る言葉こそが真に役立つ言葉である。 逆に、綺麗に飾って耳触りが良く、美しく聞こえる言葉は、聞く人を歪んだ道に引きずり込むこともできる。

 話すことが得意な人もいれば、聞くことが得意な人もいる。 しかし、心が無私の状態にある人は、簡単に私意のある言葉を識別することができる。 逆に心が汚れている人は、真実の言葉であっても善意に満ちた言葉であっても、自分の意に沿わなければすべて敵意のある言葉として受け取るものだ。
 
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  ***  以上引用    終  ***

  政治を司る人は、よく良く心得て置かねばならない。
国民が暴発したら、国内の収集が付かなくなることは、隣国を見るまでも無い。



  何はともあれ、個人的には『百万本のバラ』を送りたい人が、未だいる。
これを、老いらくの恋と云うのかどうかの自覚は、未だ無い。  取り敢えず近くの公園の、バラの花の映像を、君にあげたい。  誰の眼も気にすることが無ければ、手を繋いで歩き疲れるまで、歩いてみたい。  君よ、こんな気持ちを解かる事は無いのか・・・・。





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