毎日幸せに in青森

ヒトはどんなときに幸せを感じるのか?
形而上の話を形而下に

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素敵なプレゼント

2009-02-19 | 思うこと
若い頃にあちこちの離島を潜り歩いていました。
そのせいで貝殻のコレクションも少ししていました。
昨年だったか、それを実家に預けていた事を思い出し母に電話をするとこんなことを言っていました。

もうずいぶん前に知り合いが小学校低学年くらいの子供をつれてきた。
その子はアサリやサザエなどの貝殻できれいな標本箱を作って持っていて、大事そうに見せてくれた。
あなたの貝のことを思い出したのでその子に全部あげると、目を輝かせて喜んでくれた。
本当に嬉しそうだった、と。

この話を聴いてとても幸せな気持ちになりました。
自分にとっては忘れかけてしまうものであっても、その子には大切な思い出になったに違いありません。
遠い海で集めた貝殻はその子の宝物になったのでしょう。

もう二十年近く前の事だと言うのですから、その子は社会人になっていることでしょう。
もしかしたら海洋生物学者になっているかもしれません。
会ったことも、どこの誰かもわかりませんが、自分の知らないところで誰かを幸せにできる。
これほど素敵なことはありません。

幸せの連鎖が世界中を廻っていく。
そんな空想を描いてしまいました。





青森名物 味噌カレー牛乳ラーメン

2009-02-18 | 青森の味
また冬に逆戻りして、道路は凍結状態です。
雪道の運転は慣れている人でも怖いものです。

八戸では二月の伝統行事である「えんぶり」が始まりました。
雪の無い時であれば車で30分の距離ですが、雪の降る時期のこのお祭りはまだ見たことがありません。
冬とそれ以外の季節は距離感も変わってきます。

外を出歩くことの少ないこの季節に、津軽の香りを届けてくれるものを発見しました。
カップめんの味噌カレー牛乳ラーメンです。
地元スーパーで見つけました。

青森県内ではかなり話題になっているのですが、まだ食べたことがありませんでした。

商品名は味噌カレーミルクラーメンになっています。
よくみると「青森味噌カレー牛乳ラーメン普及委員会」の名前が出ています。
八戸せんべい汁にも推進委員会がありますから、きっと応援したい人たちが頑張っているのでしょうね。

こんなことを書くと、味についてもレポートしなければいけないのでしょうが、まだ食べていません。
手にとって眺めているのがとても楽しいからです。
どんな味なんだろうといろいろ想像を働かせながら。

食べてしまっては楽しみか終わってしまうようで。
しばらくは眺めるだけになると思います。


あの時人生は変わった

2009-02-17 | 思うこと
小学校時代、梅雨が終わると体育の時間はプールでの水泳になりました。
夏休みはプール開放があって、毎日プールに通っていました。
でも私は六年生まで金槌で、小学校最後の年はもう一生泳げなくてもいいと心に決めていました。

その年最初のプール授業で、他の学年を受け持つ先生が指導していました。
当時は一学年で二百人もいたので、他の学年の先生はなじみのない人でしたが何故かそこにいて、
「今年はあなたを絶対泳がせてみせる」

その時学年で泳げないのは私と少し知恵遅れの女の子の二人だけ。
その先生はひたすら私たち二人についてくれて、
「怖かったら私に掴りなさい !」
と声をかけながらバタ足が出来るまで指導してくれました。
指導のおかげで私はその夏の終わりまでに25メートルが泳げるようになっていました。
気が付くと、いつの間にかその先生は私の水泳の時間には顔を見せなくなっていました。

いつの間にか忘れてしまっていた遠い記憶。
もうずいぶん昔の事だったのになぜ思い出すのだろう。

きっと自分はすばらしい教育を受けていたんだと思う。
子供の未来に目を向けてくれるすばらしい教育を。
遠い夏を思い出しながら、涙が出るのは何故だろう。





大切なもの

2009-02-16 | 子供のこと
子供たちが小さかった頃。
みんなを連れて帰省した帰りに電車の中にバックを忘れてしまったことがありました。
その中には自宅の鍵が入っていて、駅を出てから気がつき大慌て。

夕食の時間なのに自宅に入れない。
とにかく子供にご飯を食べさせなくては。
夜は八時までに寝かせなければ。
子供たちは電車の旅で疲れているはず。

駅で事情を話して探してもらっていると、八戸の新幹線内から見つかったとの連絡が。
結局全員で八戸まで戻り、夕食も食べて帰ってきました。
子供たちからは小さなお叱りの声。
ちょっとおまけの小旅行でした。

昨日は久しぶりに電車に乗ったので、なぜかそんなことを思い出しました。
今では荷物を持ってくれたりと、いろいろ気を使ってくれる子供たち。

両手だけでは足りなくて必死にがんばっていたあの頃は、私の宝物になりつつあります。





鈍行列車の旅

2009-02-15 | 青森
久しぶりに鈍行列車に乗り北へ行ってきました。
もしかしたらここに住み始めて初めてかもしれない。

窓から見る冬の青森は次々と姿を変え、広がる田んぼの中に羽を休める白鳥、雪に包まれた冬の装いの林、朝の駅前商店街。
北へと進むと青空は重い雲に覆われ、低く垂れ込める雲からは雨の雫が。
少し遠くへ行っていた冬は、また青森の空に戻ってくる気配を見せます。

途中の無人駅から乗り込んでくる乗客は、車内で車掌さんから切符を買います。
まるで常連さんのように和やかに挨拶を交わしながら。
私の知らない毎日の風景なのでしょう。

眺めが人の生活の香りを運んでくるので、ふと振り返るとそこには陸奥湾が広がっていました。
重たい空に暗い海。
ここに暮らす人はこの風景を眺めながら暮らしているのだろうか。
晴れて輝く海の日もあるのだろうか。
冬は人の想像までをも暗く色づけてしまいます。

この地にも、もう少しで輝く春はやってくるのに。
青森駅に到着すると、そこには久しぶりに会う人たちの笑顔が待っていました。





地球温暖化

2009-02-14 | 環境
白鳥が少しずつ北へ移動を始めました。
鳴きながら空を飛ぶ白鳥は、声でここを通ると教えてくれます。
声のするほうを見上げると、白いV字が青空の中で光っています。

二月は一番寒い時期なのに、今年はもう雪も消えかけて春のような日差しが現れた地面に注いでいます。
今年の春はせっかちなのでしょう。

近年グリーンランド氷床のボーリング調査から過去40万年の地球の温度変化が解明されたそうです。
それによると地球は大きな温度変化を繰り返しながら今に至っているようで、現在の気温は長いスパンで視ると平均的な温度のようです。
平均といっても氷河期などもあったのですからまだまだ高温の時期もあったのです。

青森県の三内丸山遺跡、あの巨大な柱が立てられた時、青森はそれほど雪が降らなかった。
そのころは海水面が今より30メートルも高かったと判っています。
縄文の人は暖かいこの地で豊かに暮らしていたのでしょう。

地球温暖化の説明で使われるデータは1850年から現在までの気温変動に関するもので、それ以前に地球がどれほどダイナミックな変化をしていたかはあまり出てきません。
急激に上がる温度変化のグラフは、危機感を煽り新たな消費へと向かわせる陰謀のように感じてしまいます。
それでも省エネの努力をしているのは、次の世代にも幸せな未来が来ることを願っているからです。

子供たちが大人になっても、生まれてきて良かったと思えるように。






郷土愛

2009-02-13 | 青森
いろいろなブログを読むのが好きです。
お気に入りにして更新を楽しみに待っているものもあります。
そんな中のひとつ

八戸から

このページを読むと書く人の故郷に向けた愛情が伝わってきます。
過去は記憶の彼方に仕舞って置くものではなく、何かの折に手のひらに載せて暖めてあげなければ凍り付いてしまうものかもしれません。
日本中の地域が疲弊している今、それでも生まれ育った故郷に向ける思いは変わらずあり、その眼差しを向けてくれます。
町はそこに住む人のものだけではなく、そこに関わりを持ち想いを向けてくれる全ての人のものなのでしょう。

私も自分の住む町がより良くなってほしいと願っています。
自分のためだけでなく、子供たちのため、そして目には見えなくともここにあるたくさんの想いのために。
今出来る事はほんの少しのことかもしれないけれど。


図書館の本

2009-02-12 | 思うこと
よく図書館を利用します。
科学の本が好きなので、住んでいる町の図書館以外に近隣の町の図書館へ行くこともあります。
科学の本を読む人は少ないのか、新品の本に当たることが何度もあります。

新しい本はスピンが曲がったままで紙に跡がくっきりついているのですぐに判ります。
スピンとは読みかけのページにはさむ紐のことです。

発行年の少し古いそんな本に当たると、この本は何年も私のことを待っていてくれたのかと嬉しくなってしまいます。
たくさんある蔵書の中から自分の手に取るということは、何かの御縁があるのかもしれません。
日本だけでも毎日たくさんの本が発行されているのですから。

図書館を覗くとその町の個性が感じられます。
蔵書の傾向や新しい本の量、図書館の大きさ、本が読まれているのかどうか。
子供向けが多ければ、きっと子供を大切にする町なんでしょうね。
多くの本が読まれているようならその町はステキな人が多いのでしょう。

普通にある施設ですが町の顔がとてもよく解ります。

続 青森芸術の真髄

2009-02-11 | 青森文化芸術
音楽もまた芸術のひとつです。

楽しいとき、寂しいとき、辛いとき。
そのときどきの自分の気持ちを見事に表してくれる曲がありました。
恋愛をしていたときはもちろん恋の歌です。
そしてその曲を聴いていると今でも、恋をしていたときの気持ちを思い出します。

音楽というのは人の心を音で表現したものなのですね。
「耳には聞こえないものを聞こえるようにすること」
まさにぴったりの表現です。

子供が小さい頃はCDプレイヤーにお菓子を詰め込まれたりしたので音楽を聴く機会も少なかったのですが、今はデジタルカードで鑑賞できるので便利な世の中になりました。
でも音楽は生で聴くのが一番です。
感動も迫力も音の響きも録音したものとは全く違います。

毎年ゴールデンウィークには津軽三味線全国大会の弘前大会と金木大会、それに津軽三味線日本一決定戦が青森県内で開催されます。
去年は日本一決定戦を見に行ってきました。

どなたの演奏もすばらしかったのですが、優勝した方の演奏はその音に鳥肌が立ちました。
体中に、心に、響くものでした。

今年も春にはまた、あの感動を味わいに行ってきます。


青森芸術の真髄

2009-02-10 | 青森文化芸術
芸術はたとえば、眼には見えないものを見えるようにすること。耳では聞こえないことを聞こえるようにすること。

友人からもらった言葉です。
よく、「絵を観て涙があふれてくる」 というを聞きますがそんなことが本当にあるのか疑問に思っていました。
あれは自己表現の一つなのだと思っていました。

ところがここ二年の間にそのようなことが立て続けにありました。
ひとつは青森市の棟方志功美術館にある小さい版画。
もうひとつは三内丸山遺跡にある縄文土器でした。

それは涙があふれてくるようなものではなく、その絵や土器の世界に深く入り込み、絵の中の世界に遊んだり、土器を作っている人の心の中に入り込み、そのときの気持ちをまざまざと感じる、そんな白昼夢のようなものでした。
ただとても大きな感動を感じました。

今まで涙を流すような感動というのは芸術に限ったものだと思っていましたが、私の感じたそれはたとえば満開の桜に涙が出てくるような、すばらしい夕焼けに言葉を失うような、降ってきそうな星空に心満たされるような、そんな感情ととても似たものでした。

芸術というのは自然を表現することから始まった。
そう考えると自然も芸術も同じ感動を与えてくれることに納得できます。

「絵を見て涙が・・」
今まで味わってみたいと思い続けていたことは、自分のすぐ隣にある当たり前の幸せだったのですね。