詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

ジェフリー・アングルス「騙る語り」

2018-04-01 08:52:46 | 詩(雑誌・同人誌)
ジェフリー・アングルス「騙る語り」(「ミて」141、2017年12月31日発行)

 ジェフリー・アングルス「騙る語り」は「寓話」なのかと思って読み始める。

彼等は
人間に見える

 「人間に見える」と書かれているので「人間ではない」と思って読み始める。「正体」は何なのだろう。

問題の原因は
そこにある
道を渡るとき
テーブルに座るとき
目の前で待っているとき
何の見分けもつかない

 「人間に見える」。でも「人間ではない」。しかし、その「見分けはつかない」。では、どうして「人間ではない」と言えるのか。

また
コンビニでぶつかるとき
口をすぼめて 謝るとき
耳元にやさしくささやくとき
何も気がつかない

 「見分ける」が「気がつく」と言いなおされている。「見分ける」は「視覚」の問題。だから一連目には「目の前で」と、「目」も書かれている。(「連」は実際にはなくて、ひとつづきの展開なのだが、私の感想を区別するために、便宜上「連」と呼んでおく。以下も同じ。)「気がつく」は「意識」の問題ということになるか。「耳」のあとに「優しく」ということばがある。「優しく」というのは「目」には見えにくいか。でも「耳」で聞きとれるか。簡単には言えない。「耳」から進入してきて「気(持ち)」に触れるので、「優しい」ということばが動くのか。わからないが、一連目と比較すると、二連目には「接触」が書かれている。「ぶつかる」「謝る」「ささやく」は、「距離」がなくなる感じである。接触は、「気(持ち)」に触れることになる。

また
人の肩に手をかけるとき
黒い手帳を取り出すとき
密かな観察を書き記すとき
何も読み取れない

 「気がつかない」と「読み取れない」は似ている。でも、書き分けているのだから、そこに「違い」があるはずだ。どんな違いだろうか。
 二連目の「接触」は「瞬間的」で、「距離」もあった。「人間に見える」何かと、「私(筆者/ジェフリー・アングルス)」のあいだには「隔たり」があった。三連目では、「隔たり」に変化がある。「手をかける」は明確な接触である。「触れている」ということを意識させる。そのあとの「黒い手帳」はすこし意味が強くて「取り出す」という動詞を見落としそうになるが、「取り出す」の方が重要だ。「取り出す」は「なか」から「取り出す」である。「人間に見える」何かは、その「なか」から手帳を「取り出し」、そこに「密かな観察」を「書き記す。ここでも「書き記す」が大事だ。「接触」してきた何かが、「私」から見つけ出した「何か」を、その「内部」に「取り込んだ」のである。「書き記す」は「書き込む」であり、「取り込む」でもあり、それは「取り出す」と向き合っている。「私」は「取り込まれた」のである。
 どんなふうに「取り込まれた」のか、それを「読み取れない」。
 「読む」は「文字」を「読む」。変更のきかないもの、動かしがたいもの、である。

あとで
独りきりになったら
彼らと交わした言葉と
素直に結んだ約束を
考えなおすだろう

 「考えなおす」という動詞が出てくる。「考える」だけではなく、「考えなおす」。「なおす」は「修正」である。それまで「考えてきたこと」を別な視点から点検しなおす。「人間に見える/彼ら」が何を「書き記したか」は「読み取れない」。だが、「私」自身を振り返れば、そこに「書き記された」ことがある。それは「私」を見つめなおすことである。
 私は「見ていた」(一連目)。しかし、実は「見られていた」。私は「気がつかなかった」(二連目)。しかし「彼ら」は「気づいていた」。私は「何も読み取れなかった」。しかし、「彼ら」は「私」をしっかりと「読み取り」、しかも「取り込んでいた」。「取り込んでいた」とは書かれていないが(三連目)。
 どこに?
 「彼ら」の「枠(規定)」のなかに、である。

だが
もう遅すぎる
証拠はすでに採用されて
有罪か 無罪か
もう判決が
出ている

 「有罪」か「無罪」かは、ある「基準」によって決まる。「枠(規定)」をあてはめて判断される。「書き込まれた」瞬間に、もう「判決」が出ている。というよりも、想定された「判決」にそって「証拠」が集められた(書き込まれた)ということになるだろう。
 この最終連には、そして「私」がない。「私」を引き受ける動詞がない。
 「私は」何も見分けがつかない(一連目)
 「私は」何も気がつかない(二連目)
 「私は」何も読み取れない(三連目)
 「私は」考えなおすだろう(四連目)
 判決が出ている(五連目)
 強引に「私は」を主語にすると、

 「私は」何もできない

 ということになる。「私は何もできない」が省略されていることになる。
 こんな状況に追い込まれてしまったのはなぜか。
 「彼らは/人間に見える」にもどって読み直してみる。(考えなおしてみる)。
 「彼らは/人間に見える」は「彼らは人間ではない」を含んでいる。だが、それは「人間以外の何か」を指すとは限らない。

 彼らは人間に見えないが、人間である。

 これを「反対側」から言ったのが「彼らは/人間に見える」なのである。「有罪か無罪か」断定されたとき(きっと有罪である)、そういう暴力をふるう人間は人間には見えない(自分にとって仲間には見えない)。けれど、その「彼ら」も「人間である」。
 「彼らは人間に見えるが、人間ではない」と始まった「寓話」は、「彼らは、私には人間には見えないが、人間である」と、逆の「結論」にたどりついて閉じられる。
 どこが「区切り」と言えない「ずるずる」と動いてしまう感じが、「連」をつくらずに「また」「あとで」「だが」という短いことばで動いているところが不気味である。「人間に見える」を通り越して、「日本の状況」に見えてくる。

 つまり。

 この「寓話」は、いまの「日本」を語っていようにも読み取ることができる。
 安倍は「人間に見える」。けれど、別の名前(呼称)が必要である。「総理大臣」ではなく「独裁者」という「呼称」が。
 安倍の気に入った人間だけを優遇し、そうでない人間は「有罪」と判断して切り捨てる。そのために「黒い手帳」をもった人間を組織し、「密かな観察」を「書き込み続ける」。そういうことが始まりつつある。
 つい最近、文科省の前次官が学校で講演したところ、その内容を文科省が調査するということがあった。自民党の国会議員が問い合わせるように圧力をかけたのである。その際、「前川は不祥事で辞任した人間である。風俗店に通っていた人間である」という一方的な「見方(枠)」を押しつけている。つまり「有罪」判決を押しつけて、調査をすすめている。
 こういうことは、どんどん増えてくるだろう。
 国税庁長官をやめた佐川の場合は、もっと問題が深刻である。学校で、「先生」の求める「回答」にあわせて答えるという訓練だけをしてきた人間が、その「習性」を捨てきれずに、「安倍の求める答え」にあわせて「答え」つづけている。証人喚問では、自民党の丸川が、これまて「安倍の求める答え」を誘導するように、質問を繰り広げている。
 不気味なのは、「事件」がすべて、森友学園(佐川)、加計学園(前川)と「学校」がらみであることだ。
 「学校」とは、「自分で考える力を育てる」場所である。しかし、安倍がつくろうとしている学校は、佐川に代表されるように、「先生の求める答え」以外は答えないという人間を育てるための学校である。「洗脳」するための学校である。森友学園を優遇したのは、「教育勅語」を幼稚園児に暗唱させるという「洗脳教育」がお気に入りだったからだろう。
 「洗脳」と「密告」で「独裁」は完全になる。
 「人間の仮面」をかぶって、「独裁」が進んでいる。
 「エイプリルフール」ではない。「警鐘」として、この「寓話」を読み直す必要があると思う。





*


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目次

森口みや「コタローへ」2  池井昌樹『未知』4
石毛拓郎「藁のひかり」15  近藤久也「暮れに、はみ出る」、和田まさ子「主語をなくす」19
劉燕子「チベットの秘密」、松尾真由美「音と音との楔の機微」23
細田傳造『アジュモニの家』26  坂口簾『鈴と桔梗』30
今井義行『Meeting of The Soul (たましい、し、あわせ)』33 松岡政則「ありがとう」36
岩佐なを「のぞみ」、たかとう匡子「部屋の内外」39
今井義行への質問47  ことばを読む53
水木ユヤ「わたし」、山本純子「いいことがあったとき」56 菊池祐子『おんなうた』61
谷合吉重「火花」、原口哲也「鏡」63

谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(下)68


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