詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

藤田晴央『空の泉』

2021-01-06 10:27:17 | 詩集


藤田晴央『空の泉』(思潮社、2020年12月25日発行)

 藤田晴央『空の泉』は妻を亡くしたあとの日々を描いている。巻頭の詩は「三月」。

波にうばわれた死者たちの岸辺をも
病に息絶えた人の庭をも
ひとしく三月があゆんでゆく
ゆらゆらとかげろうのように

 藤田は、しかし、亡くなった妻のことだけを思っているのではなく、「亡くなった人」のすべてのことを思っている。しかし、そういう抽象的(?)なことを思うにしても、やはり、いちばん身近な妻のことへと思いが傾いていく。

足元で
水仙が
一枚の葉を持ちあげている
濡れた葉っぱは
亡き人のしたためた手紙

 「一枚」が「ひとり」を連想させる。「手紙」が身近を強く感じさせる。

雪がとけて北の野辺に
三月はたたずむ
じっと耳をすまして

かさり と
まるでその音が聞こえるように
またひとつ
朽ちた葉を持ちあげて
水仙がのびてゆく
死者のたましいと
生きている者のたましいをつなぐ
花たち

あたらしい道しるべのかたわら
三月があゆんでゆく
やわらかな風に揺れる手紙を残して

 もう一度「手紙」が出てくる。手紙はひととひととをつなぐ。その「つなぐ」ということばを藤田は「死者のたましいと/生きている者のたましいをつなぐ」と書いている。水仙の葉っぱは「手紙」であり「たましい」なのである。
 この「たましい/手紙」は「噴水」では、伐採した庭の木の切り株をとおして、こう書かれている。切り株は、切られる前と同じように土の中から水を吸い上げて、いつまでも濡れている。その、木が吸い上げる水が……。

ある日
伐り口から
さあっと
水が吹きあがった
水は垂直にのぼり
かつての木の高さまでのぼり
青空に向かって
枝のように分かれて散った

 この美しいイメージは、巻末の「空の泉」につながる。亡くなった妻は「土の下」にいるのではなく、空にいる。そして、そこから「泉」を湧きださせている。それは「雪」となって舞い降りてくる。「雪」になって、というのは妻が「秋の暮れ」に亡くなっているからだ。秋から冬へ。季節が変わって、雪になって地上へ帰ってくる。

ふりあおぐ頭上に
たましいの泉があり
私は
湧きでるものに
のどをうるおしている

 これは、藤田の見た「幻想」である。「噴水」に、もう一度戻ってみる。詩は、こう閉じられている。

そのように
人間の死後に
水がふきあがっているとしたらどうであろう

濡れた伐り口を眺めていると
あるはずのない
落ち葉が舞い落ちた

 「あるはずのない」ということばが、藤田の書いていることが「幻想」であると告げている。
 しかし、それはほんとうに「あるはずのない」ことなのか。
 「さざ波」には、それとはまったく逆のことばがでてくる。春、田んぼに水が張られる。他の一枚一枚が「水鏡」になって光る。

気がつくと水鏡に
あなたの顔が映っている
空にあなたがいるわけもなく
あなたは
自ら浮かびあがっている

待ちかねた春だから
そんなことがあってもいい
あなたは生きていたころのまま
春のおとずれをよろこんでいる

 「そんなことがあってもいい」。
 この「そんなことがあってもいい」は「そんなことがあってほしい」という強い欲望から生まれている。強い欲望なのに、それを、静かにおさえて「そんなことがあってもいい」とつつましく語っている。
 そのつつましい調べが、詩集のことばをつらぬいている。
 亡くなった妻。それは土に帰ったのではない。土に帰ったあと、水になり空へのぼっていった。そして、「空の泉」となって、水を地上へふらせてくる。冬ならば、雪。雪は妻からの手紙である。それを受け止めながら、藤田は妻と「たましいをつなぐ」。
 そんなことがあってもいい。

 この「そんなことがあってもいい」という一行は、どのあざやかなイメージよりも美しい。切実さがあふれているからだ。「正直」がそこにあるからだ。










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