サルバトール・だれ?  by 澁澤寅彦

笑いは地球を救う。
妻Rは足下をすくう

玉川上水緑道 (更新)

2005-08-18 20:58:06 | Weblog
木曜日。お休みをいただいておりました。

散歩でもするべぇ、と、妻Rと電車で多摩都市モノレールの玉川上水駅に。
そこから玉川上水沿いに、西武多摩湖線の一橋学園駅までの約7キロを歩きました。
1654年に玉川兄弟が作ったと言われています。

かなり暑い日で、雑木林の間を歩いていくのですが、汗で身体がべたべたになりました。

途中で、東京都薬用植物園に寄りました。

薬草やハーブや毒草が栽培されていて、きっと中を歩くだけで健康になるだろうと妻Rが行きたがっていた場所ですが、蚊がぶんぶん飛んでいて、結構刺されました。
出がけに防虫スプレーをしてきたのですが、汗で流れてしまったようです。
私の左の頬に留まった蚊を、妻Rが力いっぱいビンタ。
私はしばらくの間、何が起きたか分かりませんでした。

私「父親にもぶたれたことは無かったのに....」
母にはしょっちゅう引っぱたかれていましたが。


ところで、モノレールに乗っていた時の親子の会話

娘「あのマンション、大きいねぇ。私、マンションの高いところに住みたいなぁ」
父「だめだよ。高いところは、高くて金持ちしか買えないんだよ」
娘「どうやったら金持ちになれるの?」
父「バカしか金持ちになれないんだよ。だから我々は金持ちになれないし、低いところに住んでいるんだ」

あれで納得しているのかどうか不明。

イサムノグチ展

2005-08-18 01:11:16 | 外国語
「イサムノグチ展」が開催されるらしい。
地下鉄のキオスクにポスターが貼られていた。

行ってみたら「イサムの愚痴展」で、愚痴がいっぱい並んでいたりすると笑えるかも知れない。

9月16日から11月27日まで。東京現代美術館

以下に、2002年2月6日の日記を引用する。
ダジャレは音の遊びであり、本来であれば文字にした瞬間消えそうなものであるが、それを読んでも面白いのは実は音読しているからである。
速読への壁はこの音読の呪縛から逃れることであると書いている。

他方、今回の「イサムノグチ」については、アクセントが異なるので、聞くダジャレでは無い。
文字にされて、カタカナであることから異なる意味に取れると言う点で、異なるジャンルのダジャレである。

このジャンルの古典的なものは、「ここではきものをぬぐ」であろうか。
「ここでは着物を脱ぐ」「ここで履き物を脱ぐ」
声にしてしまえば違いは明白なのに、文字にされることで複数の意味を持たせているのである。




常時接続 
at 2002 02/06 20:52 編集

妻R「それで、そのジョージって人は誰なの?」
これを耳で聞けば、面白いかどうかは別として、駄じゃれだということが分かる。(常時とジョージ)
これが書かれているのを見た時に駄じゃれと認識するかどうかは、その人の読み方に依存する。
音読する人はもちろん気づくだろうし、音に出さないまでも、唇を動かす人、或いは、頭の中で音読している人も気づくであろう。

10年以上も前に速読の練習をした時、目標は音読の呪縛から逃れることであった。音読する限りは、音読のスピードを超えられない。
当時は、唇も動かしてはいなかったが、頭の中で声に出して読んでいた。
当時の速読の練習は、口では意味の無い音を発しながら、文章を読むというものであった。これで、かなり速度が上がった。
その後、止めてしまったので、またスピードは戻ってしまったが。

「常時接続」を「joujisetsuzoku」という音に直さずに読んでいる人は、駄じゃれだとは気づかなかったはず。

昔、英語の先生が、「書くと話す、読むと聞くは同じ」と言っていたことがある。
確かに、英文が書けるなら、英語が話せるなと思ったし、自分も英作文の練習だけしていたら、何時の間にか、話せるようになっていた。(聞けるかどうかは別として)
しかし、今思うと、「読むと聞くは同じ」と言う場合は、音読を想定しているに違いない。
伝統的な速読の、音に囚われない読み方と、聞き取りとは大きく違うし、今流行の、フォトリーディングによる速読などは、全く違う。