サルバトール・だれ?  by 澁澤寅彦

笑いは地球を救う。
妻Rは足下をすくう

WTC

2001-09-29 07:54:20 | Weblog
日本の新聞にも出ていたけれど、ブロードウェーのミュージカルはガラガラ。
ジュリアーニ市長は、地域経済の復興のために、買い物をしましょう、ミュージカルに行きましょうと言っていた。
ニューヨーク滞在もあとどのくらいになるかわからなので、妻Rは、先週後半からミュージカルを見まくることにした。
先週末に5本の作品が打ち切られたが、彼女はそのうちの一つの最終公演に行った。
KISS ME KATE
超満員だったらしい。
それ以外の作品は、がらがら。
土曜日に二人で行ったオペラ座の怪人も、空いた席が目立った。
今週に入って、妻Rはさらに熱心に通うようになった。
プロフェッショナル・コンシューマーの彼女は、一番安い席の切符を買って、幕間に空いている良い席にスルスルと移動するという作戦で、非常にエンジョイしている。


WTC

2001-09-26 18:52:00 | Weblog
あの事件を挟んで、2週間は走っていなかったのだが、また日曜から走り始めた。
セントラルパークで走る人は、かなり減った。
犠牲になった人がたくさんいたのか。
久しぶりの走りで、体が重い。
広い芝生の敷地を見ると、「ここに落ちたら犠牲者は少なかったのに」などと考えてしまう。
公園からの戻り道、クリーニング屋の店頭には「警官・消防士の制服クリーニング無料」の張り紙。みんなが出来る範囲での協力をしている。
家の近くの消防署。犠牲者を多く出していて、入り口は写真、寄せ書き、花。
飾られる花はあまりに多く、交差点のはす向かいの花屋の店頭より多い。


WTC

2001-09-24 10:00:37 | Weblog
来週はまた、オフィスの移動。
もともといたオフィスは、1階が仮の遺体安置所になっている他、窓ガラスが割れるなど、使えるようになるには9ヶ月から1年掛かる見込み。
今度は、そのオフィスからわりと近いところにある、グループ会社のオフィスに移る。既に三ヶ所目の仮住まいである。
金曜日に、PC他のセットアップに行く。
途中の道から、WTCの瓦礫が見える。まだ煙が出ている。テレビで見るのと同じ瓦礫がそこにはあり、無神経な観光客は写真を撮るのに忙しく、疲れきった警察官、軍隊の人、消防士と対照的だ。
新しいオフィスはビルの53階。マンハッタンの南に向かう窓からは、自由の女神が見える。スタテン島と行き来するフェリーが何隻も見えるが、あれは瓦礫を運ぶ船だろう。
あの日は、近づいてくる飛行機が、炎をあげるビルが、この窓からはっきり見えたそうだ。
あの事件で助かった人の中には、高層ビルのオフィスには戻りたくないという人がたくさんいる。うちの会社の人達も、少なくとも当面は高層ビルはこりごりだという感じだ。


WTC

2001-09-21 10:38:12 | Weblog
思えば、12年以上も海外をさまよう事になったのは、湾岸戦争のせいだった。
イタリア留学が終わって、ミラノ支店の手伝いを1ヶ月だけやって帰国の予定だったのだが、湾岸戦争で飛行機の移動が禁止され、そのままずるずると、ミラノ支店勤務となり、さらにロンドン・シカゴ・ニューヨークと流れてきた。
ロンドンでは、ドッグランドの爆弾もあった。
そして今回のこの事件。
「イタリアに留学したいか?」と聞かれたときは、「はい」と答えたけれど、「イタリアに留学したいか?そのかわり、12年以上日本には戻ってこれないぞ」と言われていたら、「はい」とは言っていなかったのではないか。



WTC

2001-09-16 14:07:50 | Weblog
暗い話 1

WTC、WFCからは、ハドソン川を挟んで、ニュージャージーが見える。
多くの人は、ニュージャージーからフェリーを使って、WTC、WFCに通っていた。
今は、このフェリーは、遺体をニュージャージーに運ぶのに使われている。
ニュージャージー川のフェリー乗り場の近くには、駐車場がいくつもある。
テロから二日くらいの間に、ここでは多くの高級車が盗難にあった。
二度と戻ってこない持ち主、マンハッタン島が孤立して、脱出できない持ち主。
そんな持ち主の不幸に付け込む泥棒。


暗い話 2

テロの首謀者が取り沙汰され始めると、アラブ人、インド人に対する攻撃が一部で始まった。
マンハッタンでターバンを巻いて歩いていたインド人が、襲われたと言う話を聞いた。
近所のスーパーの近くで働いているインド人は、いつも大きなターバンを巻いているが、最近はターバンの周りに布を巻いて、ターバンを見えなくしている。
あまりに頭が大きくなったその姿は、滑稽で悲しい。


WTC

2001-09-16 13:26:07 | Weblog
無力感

僕はこのテロの中で、誰かの役に立っているのだろうか。
爆発音がして、両側のビルのガラスが落ちてきて、みんなと一緒に走り出したとき、前の人を突き飛ばしはしなかったが、後ろを振り返って、倒れている人はいないかと、見回す余裕は無かった。
家についてテレビをつけて、ボランティアの消防士、医師、看護婦が募集されているのを見ても、僕は参加できない。(ボランティアで駆けつけて、その後、崩れ落ちたビルの下敷きになって亡くなった消防士の人達もいる)
輸血用の血が必要だと言われて、市民が夜中過ぎまで行列をしているのを見ても、90年代に英国にいた僕は、こちらで献血ができない。(狂牛病のおそれがあるから)
瓦礫の撤去に参加しているボランティアも、防塵マスクが足りないから、もう人数は間に合っているとの事。
結局、銀行員なんて何の役にも立たない。
水・木・金と、夜中に家に戻って、土曜も、日曜も出勤しても、やっているのは、オフィスを失ったうちの会社の業務を、いかに早く復旧させるかと言うこと。テロの被害にあった人には、何の役にも立っていない。
とりあえず目の前に仕事がある間は、気が紛れていろいろなことを忘れていられる。家に戻って、ふっとやることがなくなると、無力感で気分が悪くなる。
金は出すが、兵隊は出さない日本のように、募金をする。
何もできない罪悪感から、募金をすることで逃れようとしているのか。


WTC

2001-09-16 13:23:39 | Weblog
テロの翌日には、水がスーパーの棚から無くなり、ガソリンの価格も一部で4倍になっていた。
周囲との橋・トンネルが閉鎖されて、マンハッタン島は完全に孤島となっていた。
ようやく近くのスーパーに水が並んだ。橋も一部が開いたようだ。
テロから何日たったのだろう。今日は何曜日なんだろう。
すごく長い時間が経ったような気がする。

テロの翌日夕方に入った、取引先ののオフィス。
ミーティングの途中で、突然避難命令。
同じブロックの、グランドセントラル駅で、避難命令が出たそうだ。
仕方なく、次の仮のオフィス、グループ会社のオフィスに向う。結局最初のオフィスは一日しか使えなかった。
途中でロックフェラーセンタービルを通り過ぎるが、このビルも今日、避難命令が出たそうだ。
途中で和食レストランに入るが、そこも、館内アナウンスで、グランドセントラル駅の爆弾騒ぎの話をしている。
新しいオフィスの窓からは、ロックフェラーセンターが見える。あのビルがやられたら、一発だな。
ロックフェラー近辺から避難した人は、こちらでの滞在先に向って歩いてきたようだ。妻Rは、それを窓から見ていたのだが、誰も何が起きているかを教えてくれないし、館内放送はないし、かなり不安だったようだ。私の携帯電話も全くつながらなかったし。

高いビルを見ると、気分が悪くなる。エレベーターで高くに上がると気分が悪くなる。
妻Rはテロの日からずっとおなかが痛いと言っている。ヨルダン人の同僚が泊まった日から、目が痛いと言っている。
同僚が埃だらけの真っ白な姿で入ってきたのだが、コンクリートの粉で目をやられたのかも知れない。彼も目を真っ赤にしていたし。

深夜から雷を伴う激しい雨が降り出す。(飛んでいるはずの無い)飛行機の音かと思って、ドキッとする。



WTC

2001-09-14 20:46:06 | Weblog
午後3時。親密商社の米国事務所に仮のオフィスを構えることになり、久しぶりに外に出る。
8番通りは、静かで、タクシーがちらほら走っているだけ。
近くの消防署には、亡くなった方の死を悼む花束が並んでいる。
一刻も早く助けに入ろうとして、次の爆発に巻き込まれ、再度助けに入って、今度はビルの倒壊に巻き込まれ、再度助けに入り、別のビルの倒壊に巻き込まれ.... 悲しいですね。
テレビで助かった人のインタビューをやっていたが、1WTCの爆発で2WTCから避難した人達は、しばらくして「安全だから戻って良い」とのビル管理事務所からの指示を受けたと言う。
それに従わなかった人は助かって、きっとうちの銀行の人達はまじめだから、一刻も早く戻ろうと、WTC2 に戻って、二番目の攻撃に巻き込まれたのではないか。
現地の新聞にも、窓から外に出て、窓枠にしがみついている人の写真、飛び降りて落ちていく人の写真が載せられていた。
昨日の光景が(はるか昔のような気がしているが)再びよみがえってきた。
気分が悪い。昨日はうなされていたらしい。

うちの会社が入っているのは、2 WFC。隣の 1WFC は、昨日煙を出していたが、被害がひどいので、取り壊すことになったらしい。
3 WFC も傾いているようだ。われわれの 2 WFC も、被害はひどい。
オフィスには戻れないかもしれない。



WTC

2001-09-13 14:27:33 | Weblog
夕方、シカゴにいたときの同僚のヨルダン人が家に来た。
彼は、出張でNY に来ていて、World Trade Center にあるホテルに泊まっていた。
最初の爆発で避難して、打ち合わせをする予定だった近くのビルに移った。
途中で二度目の爆発も聞いた。
目的のビルに行くと、そこでも避難命令が出ていて、しばらくロビーでうろうろしていると、WTC が倒壊したための煙で、ビルの周りは真っ暗になった。
かれは、ベンチに置いていたかばんを取りに戻って、避難するのが遅れたのだが、真っ暗な中、中二階のロビーから一回に飛び降り、足を痛め、その後周囲にいた人とともに、ガラス窓を椅子で叩き割って、煙の中を逃げて来たと言う。
ホテルを探すが、何処もいっぱいで、レンタカーを借りようとしても、どこも車がなく、また、タクシーで外に逃げようとしても、乗せてくれない。(一度マンハッタンから出たら、中に入れないだろうということで、乗車拒否にあった)
9時間歩き回って、つかれきった彼は、シャツもズボンもかばんも真っ白だった。
煙と埃にやられた彼は、目は真っ赤で、何度も咳き込んでいた。
高血圧の薬をホテルに置いてきたといって、心配していた。
シャワーを浴びてもらい、汚れた服を洗濯した。
胃の調子が悪いと言う彼は、夜も何も食べず、ベッドに入った。
不思議に静かな夜だった。窓を開けて寝るのだが、車の音も聞こえてこない。
翌日、朝も何も食べず、彼は、運転を再開した電車で New Jersey に移って、レンタカーを借りてシカゴに帰っていった。こんなところには、いられないと言って。


WTC

2001-09-13 02:23:54 | Weblog
今朝はなんとなく会社に行きたくなくて、ベッドでぐずぐずしていて、家を出るのが遅くなり、さらに地下鉄も20分も来なかった。
終点の、World Trade Center 駅に着いたときは、9時5分前で、ぎりぎり遅刻しない時間かなと思っていた。
駅からはそのまま地下を経由して、Two World Financial Center (WFC2) に向うのだが、爆発があったと言われて、別の地上への出口に誘導された。
地上に出て驚いた。
目の前のWorld Trade Center(WTC)が燃えている。燃えているのが、WTC1 なのか、WTC2 なのかわからない。
火事なのか、爆弾なのか、よくわからない。
最近支店のディーリングルームが、WTC2から、WTC1に移ったところなので、どちらにしても、同僚の安否が気になる。
パトカー・消防車がどんどん集まる。野次馬も集まる。
しばらくボーっと燃えるビルを見ていたのだが、そのうち、窓から人が飛び降りたのが見える。
野次馬からも悲鳴があがる。
一人、また一人と、飛び降りていく。
先日の歌舞伎町の火災とは違い、飛び降りる人は60-70階の高さから飛び降りていると思う。中が熱くて、苦しくて、わずかな可能性にかけたのだろうが.....
見ているのが辛くなったのと、自分の無事を会社・家に伝えなければと、ビルを後にした。電話を見つけないといけない。近辺の公衆電話は行列だったので、出来るだけ遠くに行かないといけないな。と思いながら、わき道にそれた。その時、大きな爆発音と、悲鳴。振り向くと、二つ目のビルの真ん中から火が出ている。
目の前の道は、両側のビルのガラスがショックで割れて、地面に散乱している。
みんな走り出した。第三・第四の爆発があるかもしれないと、走り出した。
散乱しているガラスの上で転ぶ人もいる。
現場は西側なので、東に逃げる。風が煙を南に追いやっていたことと、家が北にあることから、北東に向う。
中華街の途中で、ようやくあいている公衆電話を見つけ、自宅に電話。無事を告げる。会社からまだ僕が来ていないと電話を受けて、テレビで爆発を見たので、妻は心配していた。
中華街のあたりでは、何が起きたのかわからずに見ている人達。
通りかかったバスに乗り、家に向う。
バスの中では、逃げてきた人が何人かいた。携帯電話はつながりにくくなっているようだ。
ラジオを聞いている人が、爆発したビルの一つの上部が崩れたとみんなに伝える。
救急車と消防車で混雑する道を1時間かかってようやく家に着いた。
ハイジャックされた飛行機がビルにぶつかっていったと言っている。
テレビでは、WTC2が崩れていく場面を映している。
あっというまに、マンハッタンの南側が煙に覆われていく。
あのまま野次馬で見物していたら、煙・ほこりに巻き込まれていただろう。
会社に電話したが誰もいない。無事に避難しただろうか。
シカゴに電話したら、避難命令が出ているSears Tower の隣のビルで、まだ仕事をしている。
アメリカのマーケットはクローズになったのだが、欧州が開いているので、避難命令を無視してミニマムの人数で業務を継続しているのだそうだ。
ようやく、こちらの同僚にも連絡がついた。彼も会社に来るのが遅かったので、そこから社長宅に避難。
社長と他の人達は、マンハッタンの南のスタッテン島に避難して無事とのこと。しかし、WTC1、WTC2の人達の情報は入ってこない。
まだハイジャックされた飛行機が4台飛んでいると言っている。
滞在先の隣は、World Wide Plazaという結構高いビル。
物音がするたびに、飛行機かと思って緊張する。
東京のニュースでは、うちの銀行の生存者の確認が遅れているようだ。
気分が悪くなって、横になった。

マンハッタン南部の電話は混乱しているようだが、ここは大丈夫。
日本とアメリカの間の電話もつながりにくいようだが、電子メールは大丈夫。



避難訓練

2001-09-11 00:56:13 | Weblog
妻Rのおばあちゃんは、山梨で入院しているのだが、そこで避難訓練があったそうだ。

看護婦さんたちが3階から袋みたいな滑り台から脱出の訓練をしているのを見て、患者さんたちは
「私たちを捨てて自分たちだけ逃げる訓練をしているわ。車椅子の患者がいっぱいいるのに、体が不自由だから、滑り台なんか出来るわけが無い。どう見ても看護婦さんだけが逃げる訓練だ」


アガシ

2001-09-08 04:18:53 | Weblog
会社のO君は、昨日は会社が終わってから、USオープンテニスに行きました。
同僚のS君は、Tシャツを買ってきてくれと頼み、僕は、アガシのサインをもらってきてくれと頼みました。

翌日。
O君はS君にTシャツを渡しています。「25ドルです」
そのあと、彼は私のところに来て、メモ用紙を一枚手渡しました。そこには、「US Open 2001 Agashi」と書いてありました。
私「これって、君が書いたんじゃないの?」
O君「違いますよ」
私「じゃあ、ここにちょっと書いてみな」
O君「いやですよ」
私「アガシのつづりが違うよ」
O君「エッ....」

アガシは、Agassi です。



輪ゴム

2001-09-07 22:49:23 | Weblog
朝、新聞が届けられるのですが、輪ゴムが巻いてあります。
出掛けにドアの前に置いてある新聞を拾って行き、地下鉄の中で読むのですが、この輪ゴムをはずさなければなりません。
5ミリ幅のちょっと太目の輪ゴムを、私は手首に巻いて行きます。
若い子が手首にひもを巻いているのに似て、ちょっと格好いいかななどと思ったりして。
眠くなると、これを引っ張って、目を覚まします。
先日は夜寝る時もしたままでした。
その感触が腕時計をしているようでもあり、翌日は時計をしていくのを忘れました。


内職

2001-09-06 07:18:00 | Weblog
会社から電話をする。

私「何やってるの?」
妻R「内職」
私「???」
妻R「指輪を買うと高いから、自分で作っているの」
私「ふ~ん。じゃあ、もう買わなくて良いってことだ」
妻R「違う、違う。3つ買う予定だったのが、2つで良くなったってこと」
私「....」


大きな頭

2001-09-05 01:55:39 | Weblog
自分の頭が大きいことは子供の頃から気にしていて、親戚から「かぼんす」と言われていたのが、小学校に入って「仮分数」のことだと分かった時は、子供心にも傷ついていた。

じゃあ、この大きい頭が何かの役に立つことがあるに違いないと、妻Rと話し合った。

10分後。
妻R「日差しの強い日の日よけになって、隣の人が、頭の日陰に入って涼しい」

10分考えてもこのくらいか。

妻R「身を投げた時に、まっさかさまに頭から落ちて、確実に死ぬ」

大きな頭の使い道について、皆様のご意見いただきたく。