サルバトール・だれ?  by 澁澤寅彦

笑いは地球を救う。
妻Rは足下をすくう

1999/10 Part 3

1999-10-31 13:34:39 | Weblog
曲がる骨
at 1999 10/15 15:27 編集

中学の時、体育の時間に、サッカーをした。
前日の雨で、グランドはぬかるんでいた。

敵の動きに合わせて、向きを変えた瞬間、足が滑ってころんだ。
ころんだときに右手をついたのだが、鋭い痛みに見てみると、親指が真横につきだしている。

新任の体育の先生は、結構焦って、僕と二人で、Y接骨医(ほねつぎ)に行った。

ほねつぎの先生は「これは骨が曲がっただけだな。子供には良くあることだよ」
と言って、レントゲンも撮らずに、指をぐいぐいひねって、なんとなく元の位置に戻す。
(今思えば、レントゲン設備もなかったようだ)

家に帰って、母親に状況を話すと
「骨が曲がるなんてことがあるのか? あのYはやぶ医者だからだめだ。明日中央病院で見てもらいなさい。」

翌日中央病院でレントゲンを撮る。
先生「ああ、折れてますね。」


今も右の親指は左より3ミリくらい短い。



トイレのドア
at 1999 10/16 06:08 編集

日本に住んだことのあるイタリア人女性から聞いた話。

日本のトイレでは、ドアが外に開く。
こちらのトイレは、ドアが中に開く。
用を足していて、どういうわけか誰かがドアを開けてしまったとき、こちらでは手で押し返して途中でさえぎることができる。
日本では、誰かが引いてあいてしまったら、丸見えになってしまう。



僕が筋力トレーニングをする理由
at 1999 10/16 16:11 編集

1.肩幅が広くなれば、頭が大きいのが目立たない。(相対的に、小さく見える)

2.おなかの周りに肉がつく以上のスピードで胸・肩の筋肉をつけることで、中年ぶとりをわからなくする。



2000年担当者の悲劇 19 用語集
at 1999 10/17 04:14 編集

チェンジフリーズ
一度2000年対応が終わったソフトについて、新しい機能の追加等の作業を禁じること。
多くの企業で9月末をもって、チェンジフリーズを導入している。

休暇フリーズ
2000年問題が発生したときに、すぐ対応できるように、12月・1月に社員の休暇取得を禁じること。
特に、年末・年始については、自宅待機が要求されることが多い。

人事フリーズ
社員が転勤してしまうことで、2000年問題が発生したときに対応できる人がいなくなるのを防ぐため、99年の後半は人事異動を行わないこと。
会社への忠誠心に疑問がある場合は、年始までいたら、特別ボーナスを払うことを約束するケースあり。われわれ、本社からの派遣社員は対象外。
当地では、Golden Cuff (金の手錠)と呼ばれている。

宝くじフリーズ
年末前に宝くじで大当たりすると、会社を辞めてしまうおそれがあるので、社員に宝くじの購入を禁じるもの。
これを導入している会社があるとは、まだ聞いていない。



カラオケ
at 1999 10/18 04:44 編集

くも膜下出血で倒れるまで、母は地元のカラオケサークルに通っていた。
退院してから、自宅療養に切り替わったときも、そこの友人がたくさんお見舞いに来てくれた。
「早く元気になってね。良くなったら、好きなときに歌いに来てね。会費はいらないから。」
その後母はすっかり良くなってしまって、今では車も運転し、会社勤めも半日ではあるが開始した。
カラオケサークルの友人達は、こんなに良くなるとは思っていなかったのだろう。
「悪いんだけど、やっぱり会費は払ってね。」



ソシュール
at 1999 10/18 06:53 編集

丸山圭三郎のソシュールの授業はよくわからなかった。
ちょうど記号論がはやっていたときだった。
今でも覚えているのは、次の二つ。

「テーブルはそれに向かって座るからテーブルだ。それに腰掛ければ椅子になる。」

「虹の色は、見る人によって何色あるか決まる。日本人は虹は七色と教わっているから、七色あるように見えるが、ヨーロッパでは六色だ。エスキモーの一部では、色は明るい色と暗い色の二つしかないから、虹も二色にしか見えない。」

会社に入ってから、もう一度勉強しようと本を買ったが、結局良くわからないままほこりをかぶっている。
シニフィエ、シニフィアン.....



金属疲労
at 1999 10/18 20:31 編集

昨日買った電気スタンド。
会社の照明が暗いからと、自分の机用に買ったもの。
今日会社に持ってきて、スタンドの首を伸ばした瞬間、首の継ぎ目が折れた。買ったばかりなのに。
使っていないのに、金属疲労か。

僕も会社勤め14年で勤続疲労だ。



BJ
at 1999 10/19 06:04 編集

BJが会社をやめた。
BJはカナダ人で、本当に明るいやつだった。
会社ですれ違う同僚みんなに、「ハイ、ハワユウー」と毎日声をかけていた。(これは、イギリス人には無いことだ。)

一度、彼が水道会社に文句の電話をかけたことがあった。
新しい家に引っ越したばかりの時に、1年分の水道代の請求が来たというので、文句を言うのだと言っていた。

水道会社のカスタマーデスクの女性「こちら、テムズウォーターのXXXと申します。ご用件を承ります。」
BJ「ハイ、イッツミー(Hi ! It's me ! 僕だよ)」

横で聞いていた僕も、オーストラリア人のMもひっくり返った。
テムズウォーターのカスタマーデスクの人は、みんなBJの友人か??

友達の多い、明るい、いいやつだった。
また会社が少し暗くなった。



おなら
at 1999 10/19 15:01 編集

1.「おならをする」は、英語で「Break Wind」と言うらしい。
じゃあ、Wind Breaker(ウィンドブレイカー)は、屁こき虫?

2.おならは、空気より軽くて、上に上がる。
逆立ちをしながらおならをしたら臭くなかった。(人から聞いた話だが)



これで、君も英語ができるようになる。
at 1999 10/20 05:29 編集

そういって、のせられたしまったもの。

1.シルバーリードタイプライター

中学の時に、深夜放送のコマーシャルにのせられて、両親にねだって買ってもらった。
「タイプライターで英単語を覚えよう」
実際にタイプ打ちが早くなると、単語と指の動きとは反射の問題であり、そこに何が書かれているかなどは、全然頭に残らない。
おかけでブラインドタッチで打てるようになったものの、単語力の向上には役立たなかった。


2.英語のポルノ小説

変な単語ばかり覚えたが、学校の試験でも海外の生活でも使う機会がない。
但し、速読の能力、特にポイントを探しての拾い読みの能力がついた。


話は変わって、これはちょっと信じられそうだと思ったもの。

株式会社アルクから出ている「人間はみな語学の天才である」という本がある。
フランスの耳鼻咽喉科・音声医学の先生、アルフレッド・トマティスが書いたもの。
これによれば、
言語はそれぞれ使っている周波数が違う。
子供は産まれたときには、幅広く聞き取ることができるが、そのうちふだん聞いている周波数の音しか聞き取れなくなる。
フランス人が英語が苦手なのは、フランス語の周波数が低いのに対し、英語の周波数が高いからだという。

重なっている部分はあるものの、日本語よりアメリカ英語が高く、イギリス英語は更に高い。
イギリス英語が聞き取りにくいと感じていた6年前に、アルクの運営しているトマティスセンターで周波数聞き取りテストを受けた。
すると、アメリカ英語が終わるあたりで、僕の聞き取り可能曲線はすとんと下に落ちていた。
「これでは聞き取れませんね」と言われた。
日本の英語の授業ではアメリカ英語を教えるし、アメリカ文化の影響で、街中で聞こえてくるのもアメリカ英語だ。僕もラジオのFEN(在日米軍向けのラジオ放送)で耳を鍛えようとしていた。

「どうしたら聞こえるようになりますか」

そこのトレーニングセンターでは、人工的に高周波の音を作り出して、それに耳を慣らす訓練を行う。耳が慣れた段階で、それから英語のレッスンを行った方が、その後の伸びが格段に違うのだそうだ。
「聞き取れない音は、発音できませんから」

「家庭でできる訓練はありますか。」
「モーツアルトのバイオリン協奏曲を聴いて下さい。但し、CDの場合は、高周波の方をカットしていますので、できればレコードの方がいいですね。音大の学生さんも英語を習いにいらっしゃいますが、やはり上達が早いですね」

その後イギリスに行くこととなったので、結局バイオリン協奏曲は買わずに終わった。

この本は科学読み物としてもおもしろい。
(当時は1800円でした)



クレアチン
at 1999 10/21 08:00 編集

日本の女性は、やせている。
やせているのに、さらにみんなダイエットしている。
アメリカでは、マドンナなどの影響から、多少筋肉がないと、美しくないということで、ジムに通ったり、クレアチンを飲んで筋肉をつけようとする人が増えているそうだ。
イギリスでも、クレアチンはジム売店でも売られるようになった。

女性のからだのどこに魅力を感じるか。
入社して配属された支店の一年先輩の男性と話したことがある。
その人は、ひざの裏側にひかれるといっていた。
僕は、前を歩いている女性のふくらはぎに、目が行くことが多い。
それは、決してダイエットしすぎの棒のような足ではない。

(形は似ているが、ケンタッキーフライドチキンはきらいです。)



靴は茶色、ベルトは
at 1999 10/22 03:54 編集

靴が茶色の時は、ベルトも当然それに合わせて茶色。
ところが、ローテーションの関係で、黒いベルトをすることがある。
ベルトはスーツのズボンに通しっぱなしなので、靴を選ぶ時にベルトの色を確認してから選ぶ必要がある。
ほとんどのベルトが茶色で、靴のほとんどが、茶色であることで安心していると、ベルトと靴が色違いとなることがある。(これまでに2回あった。)
ミラノで茶色の靴に黒のベルトで会社に行ってしまった時は、午前中は良かったものの、そんな組み合わせをしている事実に気分が悪くなり、昼休みに家に戻ってベルトを替えた。(家は会社から歩いて10分のところにあった)
ロンドンで黒色の靴、茶色のベルトになってしまった時は(歩いて10分、走れば3分の家には戻らず)、「そもそも、家に黒いベルトが少なすぎるのが良くない」と、昼休みに会社の近くの紳士服屋にベルトを買いに行った。

手ごろな黒のベルトを買って、会社に戻る。
気分はそう快。

ふっと気がつくと、そのベルトは、リバーシブルで、金具をひねると黒のベルトが茶色のベルトとして使えるものだった。

これは便利。



2000年問題担当者の悲劇 20
at 1999 10/23 03:50 編集

夜中1時過ぎ、家に戻る。
エレベーターの所で、若い男の人と一緒になる。

私「仕事か? 夜遊びか?」
彼「仕事だよ。君は?」
私「仕事だよ。」
彼「何やってんの?」
私「2000年問題だよ。」
彼「ゲッ...」(いやそうな顔)
私「君は何やってんの?」
彼「インターネットバンキングの新しいウエッブページ作りだよ」
私「ふーん。(うらやましそうな顔)夜勤なの?」
彼「今週は午後4時から、12時までなんだ。来週は昼のシフトだよ。」
私「ふーん。(僕は朝8時半から会社にいたぞ)」

二人とも5階でエレベーターを降りる。彼のフラットは、4軒となりだった。


火をつけてやろうかとも思ったが、自分ちも燃えるからやめた。




日本経済新聞
at 1999 10/23 03:36 編集

社会人になったら、常識。日本経済新聞。
一部、140円。月極4,383円。

ロンドンでは
一部£2.80(約500円)
月極£70(約12,400円)

高くて自分では購読できない。会社で取っている日経を日本人で回し読みする。
自分の番が来る頃には、日本では翌日版が出ている。

日経を読まない人もいる。

よその会社では、会社が個人の日経購読料を払ってくれるところもあるらしい。

社会人の常識は、うちの会社の常識ではないらしい。



ワイヤレスウーマン
at 1999 10/24 15:40 編集

妻 「私、早くワイヤレスになりたいわ」
私 「...(彼女はこれまで、何かとケーブルでつながっていて動いていたのか?)」
妻 「うっとうしくて、引っかかるし、手入れが大変で」
私 「...(ワイヤープラのことか?)」
妻 「歯ブラシも何種類か必要だし」

妻はあごのかみ合わせが悪く、矯正のワイヤーを上の歯につけている。



君もまだまだ
at 1999 10/25 01:59 編集

M副社長「この点は検討しなかったのか? 君もまだまた脇が甘いな」
私 「脇が臭いより良いでしょう」

イギリス人男性一人あたりの男性化粧品消費量は、ついにヨーロッパでトップになった。
デオドラント商品のマーケットは1億7千万ポンドで、さらに毎年7%伸びているそうだ。
ロールタイプ、スプレータイプ、スティックタイプ。脇の下に塗りやすいようにいろいろなタイプが出ている。

イギリス人がおしゃれになったのか、脇の下の匂いがひどいことにようやく気づいたのか。




粉飾決算
at 1999 10/26 05:39 編集

世界で一番粉飾決算が多いのは、オランダ。

粉飾決算

英語で Window Dressing

Window Dressing

日本語で、窓飾り

飾り窓 

アムステルダム 
オランダ




(実際にはWindow Dressingは粉飾決算までは意味は強くないと思いますが)



赤ワインと言えばイタリア
at 1999 10/27 08:05 編集

Y「赤ワインと言ったら、やっぱりフランスだよね」(Yはフランス留学上がりで、フランスびいき)
私「いや、赤はやっぱりイタリアだよ」(僕はイタリアから転勤してきて1年目で、イタリアびいき)
Y「ボジョレーとか、ボルドーとか有名だよね」
私「バローロとかバルバレスコも有名だよ」
Y「ボジョレーはボトルがなで肩だけど、ボルドーはいかり肩なんだよ」(逆だったかもしれない。フルボディーとハーフの違いだったかもしれない。なで肩といかり肩しか覚えていない。)
私「ふーん」(チェッ、イタリアにはそう言うのは無かったな。)
Y「フランスにはシャトー(chateau)というのがあちこちにあって、そこで美味しいワインができるんだよ。」
私「イタリアにだってシャトーはあるよ」
Y「本当?どこに?」
私「ピサ」(ピサの斜塔(シャトー))


4年くらい前の話です。


ドレスダウンデー
at 1999 10/28 08:11 編集

何年か前の夏に、うちの会社でも毎週金曜日はドレスダウンデーにすることに決まった。
当時、シティーの金融機関の間でチャリティーとして始まったもので、普段着で来る分(スーツで来なくて良いから)節約できるので、それをチャリティーに回そうという趣旨だった。
当社はチャリティーのことはすっかり忘れて、ドレスダウンデーだけ導入した。

もっとも、日本人派遣社員にしてみれば、スーツとパジャマとゴルフウェアーしか持っていない人がほとんどだから、カジュアルデーになったら逆にお金がかかって、チャリティーに回すお金が無くなってしまったのも事実だが。

ドレスダウンデーの最初の日は、さすがにみんな力が入っていた。
M副社長は、仕事中いなくなったかと思うと、いきなり変なガウンを着て登場した。

「あれっ、ドレス(ガウン)デーじゃなかったの?」



ドレスダウンデー その2
at 1999 10/29 05:51 編集

今年は8月は毎日ドレスダウンデーになった。暑かったこともあり、若い女性は結構薄着をしてきた。中には、水着か・下着かとみまちがえるような服を着ている人もいて、おやじ軍団と、おやじ予備軍を喜ばせていた。
ところが、会社の中はがんがんにクーラーが効いているので、そのうち、カーディガンをはおったりしてしまう。
M副社長は、総務担当のI課長に命じて、冷房を弱くするように指示を出した。

北風と太陽



ミカ・ハッキネン 
at 1999 10/31 16:16 編集

今日から冬時間ということをすっかり忘れていて、朝7時の目覚ましで目を覚ますと、テレビではまだF1の中継をやっていた。(冬時間の朝6時だ)
いつも日曜に早起きするわけではないが、昨日は夜6時半には寝ていたので、早く目が覚めたのだ。(7時に目覚ましをセットしたので、夜7時に一度起こされた)

みんなコートやセーターで出歩いているの中、昨日まで夏時間だったのがそもそもおかしい。それでも、日照時間の短いイギリスでは、太陽に当たる時間を増やさないと、みんな「かっけ」になってしまうのだろう。

イタリアに行った最初の年は、冬時間に戻る日をだれも教えてくれなくて、学校に1時間早く着いてしまった。門の鍵も開いてなくて、近くの公園でぼーっとしていた。(みんなつめたい) 

夏時間の午前2時になったところで、冬時間の午前1時と読み替えるらしいが、テレビ番組とか、飛行機とかどうしているのだろう。午前1時のニュースは二回やるのだろうか。


たいがいのものはイタリアを応援するのだけれど、F1だけはフェラーリを応援しない。僕がイタリアにいたときはマクラーレン・ホンダが参戦していたし、しかもセナがいたから、マクラーレンを応援していたのだ。(その後セナも亡くなり、ホンダもいなくなり応援するところが無くなってしまったのだが)

マイケルシューマッハーは、セリーヌディオンに似ている。



SWIFT
at 1999 10/31 16:32 編集

火曜と水曜は、SWIFT(銀行・証券会社の間でのメッセージのやりとりに使うシステム)の研修に出た。

講師で来ていた人は、昔は別の会社でシステム担当だったそうだが、その時マシーンルームが火事になったそうだ。

マシーンルームの中の機械がすべて燃えるか、溶けるかしてしまったそうだが、金曜の夜の火事で、バックアップテープも外部保管してあったことから、バックアップサイトで土日にシステムのセットアップを行って、月曜日に間に合わせたそうだ。

当時彼の会社が使っていた火災感知機は、煙感知器でも熱感知器でもなかった。
マシーンルームの中をモニターしていて、モニターに炎が映ったら、ハロンガスが出てきて消火する仕組みだった。
ところが、その時の火事では、そのモニターが最初に熱で溶けてしまったので、いつまでたっても炎は認識されず、そのまま全部燃えてしまったらしい。



狂牛病
at 1999 10/31 16:50 編集

EUが、イギリスの牛肉の禁輸措置を解除したにもかかわらず、フランスが引き続き禁輸していることが問題になっている。
イギリスとフランスはそもそも仲が悪いのだが、フランスの家畜用飼料の原料に人間の排泄物を含む下水汚泥が混入していることが明らかになったことから、さらに騒ぎが大きくなっている。

大手のスーパーでも、「フランス製品のボイコット・英国製品を買いましょう」キャンペーンを展開していた。

この結果、一週間あたりの英国産リンゴの売り上げが倍になったとファイナンシャルタイムズに出ていたが、英国産牛肉の売り上げが倍にならないのは、イギリス人もまだどこかで信用していないからなのかもしれない。

1999/10 Part 2

1999-10-14 13:31:18 | Weblog

テレビ初出演
at 1999 10/05 08:03 編集


胸囲増強競争の相手、K君と、ペアで高校3年の春休み「クイズグランプリ高校生大会」に出場した。
宿泊先は、その2年後燃えてしまうこととなる「ホテルニュージャパン」
一回戦はトップで通過するが、二回戦は最下位で脱落。
一回戦の賞金4万3千円を得て、帰ることになる(僕は高校生大会では賞金は図書券で渡されると思っていたのだが、現金だった)。
K君がタクシーで帰ろうというところを、貧乏性の僕は「歩いて帰ろう」と主張し、当時の新宿のフジテレビから浜松町のモノレール乗り場(羽田行き)まで地図を見ながら歩いて帰った(6-7キロくらいあったか)。

(その後、僕は貧乏性なのではなく、本当の貧乏なのだと判明した)



整体二日目
at 1999 10/06 01:19 編集


気持ち良くて、少しうつらうつらすると、いきなり痛いところをグリグリ。
こんなに痛いけど、いいのだろうか。
「うっ、ふっ、ふっ、ふっ。今、秘孔を突いた.お前はもう死んでいる.」
「グェッ、ギャッ、ドビャー」

(北斗の拳)



日本に来て困る事
at 1999 10/06 01:29 編集

日本に来て困る事。
ハンカチを持ち歩かないので、トイレで手を拭くのに困る。
イタリアも、イギリスも、ハンカチは鼻をかむもの。トイレには、ペーパータオル、あるいはハンドドライヤーがついていて、ハンカチは使わない。
仕方が無いので、トイレットペーパーを使って、手を拭く。

ヨーロッパに旅行に行って、ハンカチを日本へのお土産にしようとしても見つからない。また、向こうのポケットティッシュは、紙が硬い。ペーパーナプキンのようなもの。行くときは日本のポケットティッシュを持って行きましょう。



ローレンスピーターの法則
at 1999 10/06 01:56 編集

「降格人事の無い会社では、実績の上がらない人ばかりになる」

実績を上げて、課長に昇格する。そこでも実績を上げて、部長に昇格する。ところが、部長のポストは、本人にとって荷が重過ぎて、実績を上げられない。
しかし、降格人事が無いため、その人は、そのポストに留まってしまう。
(自分の能力以上のポストに昇格してしまって、実績が上がらないのに、そのポストに居座る)

会社の中のすべてのポストで、この現象が起きるわけで、結果的に会社は実績を上げられない人の集まりとなる。


うちのコンピューター部長から聞いた話。日本の会社で良くありそうな話。



逃げる血管
at 1999 10/06 07:48 編集

高校のときは、年に二度くらい献血車が学校に来た。
保健体育の先生は、生徒に協力を要請する.
「女子は月に一度血を出しているが、男は出していないから、献血に参加するように」
純粋だった僕は、必ず献血に協力した.

それ以外にも、福井の駅前で献血車を見つけると、献血していた.
当時は200ccの献血で、二ヶ月に一度以上やれなかったのだが、二ヶ月たつと、献血車を捜し求めては献血していた.

結局、合計で11回献血した.10回過ぎたところで、日本赤十字から感謝の手紙と、赤い血の一滴を形どったバッジが送られてきた.

ところが

その後東京に出て、病院で血液検査を受けたり、静脈注射をしようとした時に、血管が細くなって、しかも腕の奥の方に引っ込んでしまって、なかなか注射できなくなっているのに気がついた.「血管が逃げる」と言うらしい.
それからはしょっちゅう病院のお世話になっていたので、それ以上血管を「逃がさない」為に、献血に協力できなかった。ごめんなさい。



成人映画
at 1999 10/06 22:42 編集

大学受験のため、上京。叔母に東京駅まで迎えに来てもらい、取っておいてもらった新宿南口のホテルに向かう。
東京にずっと住んでいる叔母は、「アングル」という雑誌(週間で発行され、都内及び近郊の映画、劇場などの催し物を紹介する雑誌)を置いて帰っていった。
試験の前日ということで、いまさら慌ててもしょうがないと思い、ぱらぱらとページをめくっていた。
すると、小田急ハルクの裏で、成人映画3本建てというのが目についた。
東京は1年前に新宿から浜松町まで歩いただけだったので、全く土地カンが無かったが、そこまでは、歩いて10分くらいのようだ。
僕は、決意して、一人で映画館へと向かった。
切符を買って中に入る。
純粋な田舎の高校生が、初めて成人映画を見た記念すべき夜だった。

客席はまばら。適当な場所を見つけて座る。
しばらく見ていると、すぐ右横の席に男の人が座った。
みんな照れくさいから、わざと席を離して座っているのに、こんなにガラガラなのに、何で隣りに座ってきたのだろう。
一瞬気になったが、無視してスクリーンに向かう。
ところが、隣りに座った男性は僕の右の太ももに手を這わせたかと思うと、さらに中心部へと手を伸ばしてきた。
(なんじゃこりゃあ)
僕は右脇を固めて、ひじで一生懸命ガードする。
相手は、さらに力を入れて、手を割り込ませてこようとする。
(このまま身体を任せてしまうと、どうなるのかな)
と、一瞬変な考えも頭に浮かんだが、明日は大事な入試と言うことを思い出して、邪念を振り払いさらに抵抗する。
相手はようやくあきらめて、席を立った。
僕は恐くなって、それでも一本目だけはしっかり見てからホテルに戻った。
あのとき身体を任せていたら、今僕はここにいなかったであろう。



リオのカーニバル
at 1999 10/06 23:17 編集

ミラノ支店でのある年の冬、O副支店長は取引先の社長からエッチビデオをたくさん仕入れてきた。
日本人男性社員5名は、それぞれ1本ずつ持ちかえり、翌日、内容検討会を行う事にした。
僕が選んだのは、「リオのカーニバル」。情熱的なタイトルだ。
夕方家に帰り、そそくさと食事を済ませて、ビデオをセットする。
「いやー、O副支店長が今日中に見て明日感想を聞かせろってうるさくってね。ワッ、ハッ、ハッ、ハッ。」
と、妻にはわけのわからぬ言い訳をし、再生ボタンを押す。
妻は、男どもの軽薄さにあきれつつ、僕と同じソファーに腰をおろし、縫い物を始める。
いきなり強烈なリズムと、激しい踊りで始まる。
「これはすごい。(ウッ、フッ、フッ、フッ。楽しみだ)」
しばらく踊りが続く。次々と踊りのグループが通り過ぎて行く。
なかなか、お楽しみが始まらない。
「よし、必殺早送りだ。」(「目をつぶらない話」ご参照)
3倍速だ。踊りがどんどん流れて行く。
夜になり、昼になり。
また夜になり、また昼になり。
でもお楽しみは始まらない。
「おかしいな」
また夜になり、また昼になり。
そのまま、製作担当者等の名前が画面に流れ始めた。
「なーにー!!」
そして最後に画面には
「製作 NHK」



ブレーキは右、アクセルは左
at 1999 10/07 08:44 編集

ミラノ支店勤務となって、自家用車を買うことになった。
街中は、道も狭いし、それまでペーパードライバーだったこともあり、オートマ車を買うことにした。
お金も無いし、当然中古車を探す。
ところが、イタリアにはオートマ車は、あまり無い。フェラーリの国イタリアでは、みんなが「自分はF1のドライバーだ」と思っているので、ギアチェンジの楽しみを捨てたくないのだ。信号待ちでは、左右ににらみをきかし、スタートダッシュに命をかけるのだ。
そんなわけで、なかなか無かったのだが、地元の(売ります・買います)の新聞に出ていた投稿を見つける。
さっそく本人にコンタクトすると、支店のところまで持ってきてくれた。
右足の不自由な大学生だった。(確かに、片足の不自由な人にはオートマ車だ)
ところが、左足での操作を用意にするために、なんと、アクセルとブレーキが逆についていた。(実際はアクセルは普通に出ていて、その後ブレーキの左側までZ型に曲げられているのだ)
「調子はいいぞ、乗ってみろよ」と言われたが、ペーパードライバーが、いきなり左ハンドルで、しかもアクセルとブレーキが反対についている車に乗れるわけが無い。
結局試乗せずに買うことにした。条件は、受け渡しまでにアクセルとブレーキの位置を普通に戻しておく事。
受け渡しの日、アクセルとブレーキはちゃんと戻っていた。めでたし、めでたし。



プーちゃんが止まらない
at 1999 10/07 20:49 編集

イタリアで買った車は、プジョー205。かなぶんみたいな車。愛称は「プーちゃん」
ある年の冬休み、スキーに行った。
休暇が終わって、ホテルの駐車場から車を出す。
朝早くて、路面が凍結しているが、ノーマルタイヤだ。
「やばいな」と思いながら、ブレーキを踏みながら、少しずつ坂を降りて行く。
ところが、ブレーキをいっぱいに踏み込んでも、坂道を勝手に下って行く。
「おかしい。そんなにすべりやすいのか」
さらにブレーキを踏み込むが、それでも止まらない。

はっと気がつくと、左足でブレーキを力いっぱい踏んでいたが、右足がアクセルを踏み込んでいた。



プーちゃんが止まった
at 1999 10/07 21:16 編集

ミラノから車で30分も走ると、スイスに入る。
スイスに日帰りで行ったときの帰り道の事だ。
イタリアとの国境に向かうスイスの山道で、突然オーバーヒート。
車を脇に止めてボンネットを開ける。妻と二人で、あちこちいじるが良くわからない。
その途中で、ドアロックのスイッチをさわってしまって、ドアにかぎがかかったのだが、それに気づかず、ボンネットを閉めてしまう。(閉め出されてしまった!!!)

水だけだったら通りかかった人に水をもらえば済むかと思ったが、閉め出されたとなると、専門家の助けが必要だ。
道路脇の非常電話を探し出すが、壊れている。
しかたなく車に戻り、通りかかった車を止めて、助けを呼んでもらうことにした。

日は暮れてくるし、車の通りもあまり多くない。
たまに通りかかった車に手を振ると、イタリア人は手を降って返しながら通り過ぎて行く。(おあいそしているんじゃないんだよ。)
ますます薄暗くなり、心細くなってくる。
「このまま、一晩ここで過すのかもしれない。山の夜は冷え込むし、凍え死ぬかもしれない。狼が出てきて、食われるかもしれない。」
妻は強い。
「遅くなったら、石でドアのガラスを破って、ドアを開けて中に入れば良いじゃないの」

そのうちオランダ人が止まってくれた。
状況を説明し、非常電話を見つけて助けを呼んでくれと頼む。

しばらくするが、誰も来ない。
「何もしないで行っちゃったのかもしれない」

もう一台止める。今度はドイツ人。
状況を説明しているところで、助けが到着。(日本のJAFのようなもの)
先を曲げた針金でドアロックをはずし、その後タンクに水を入れて無事終了。
スイスフランが無かったので、イタリアリラで支払う。

わかったこと
オランダ人とドイツ人は親切だ。
うちの嫁さんはしっかりしている。



デパートの謎
at 1999 10/07 23:02 編集

1. お客さんより、店員のほうが多い。
2. 売り場のおねえさんの「いらっしゃいませ~」は、1オクターブ高い。声の高い人ばかり採用しているのか。



野村證券新宿西口支店
at 1999 10/07 23:12 編集

京王線の改札を出てすぐのところにある支店。店内は狭く、お客さんがいっぱい。

となりに座っているおじさんは、支店備え付けの日経を真剣に読んでいる。
と、読み終わるとそのまま出ていってしまった。(新聞読みに来ただけかぁ~)

しばらくして老夫婦が入って来て、空いている椅子を見つけて座った。
しばらく、二人で話していたかと思うと、そのまままた出ていった。(歩き疲れて一服しに来ただけか~)

この支店、もうかっているのかな。



成田空港にて
at 1999 10/09 14:27 編集

成田空港、北ウィングの外にある交番。
外人さんもたくさん来るのだろう。

壁には、「KOBAN」の文字がくっきりと。



手を洗わない話
at 1999 10/10 04:47 編集

田舎出身の僕は、手の汚れについてあまり気にならない。
食事の前に手を洗うことはほとんど無いし、それは食べるものがサンドイッチであってもそうだ。(おにぎりの場合はどういうわけか手を洗う傾向がある)

新約聖書のマルコによる福音書第7章において、イエスキリストの弟子が食事の前に手を洗わなかったことについて、パリサイ人から問いつめられるくだりがある。
キリストは「人の身体に入るものは人の心を汚すものではない。胃袋に入ってやがて外に出てしまう。人の身体から出てくるものがその人を汚す。すなわち、人の内側から、人の心から出てくる邪悪な考えによってね人は悪いことをするのであり、それによってその人を汚れたものとするのだ」と答えた。

これを読んでから、ますます自信を持って手を洗わずに食事をしている。



きれい好きな私
at 1999 10/10 15:27 編集

血液型O型の僕は、会社の机の上も、家の机の上も(机の周りも)、散らかし放題に散らかしている。

妻「あなた、少しは片づけなさいよ」
私「僕、きれい好きだもん」
妻「だったら、尚のこと片づけなさいよ」
私「僕のきれい好きは、きれいな所にいるのが好きなのであって、きれいにするのが好きなわけではないよ」

こう言って10年間の結婚生活で、部家の掃除を逃れてきた。



火山式ファイリング法
at 1999 10/11 03:27 編集

僕の机の上には、書類の山がある。
3年ほど前のファイナンシャルタイムズに、「火山式ファイリング法」が紹介されていたが、これはまさしく僕の実行している手法である。

ポイントは、ただひたすら、書類の山を作ることだけ。
重要なものであったら、そのうち相手から催促があるから、自然と書類の山の上の方に積まれることになる。
下手に整理すると、どこにしまったかわからなくなるが、このファイリング法では整理もしないから、すべての書類は山の中のどこかに必ずある。

ファイナンシャルタイムズの記事のあと、僕は堂々と書類を山積みにしている。

注意すべき点は一つだけ。
書類の山は一つだけにすること。



老人性痴呆
at 1999 10/11 15:11 編集

時差ボケがひどい。
昨日は朝4時に目が覚めた。(日本時間正午)
今日は朝3時に目が覚めた。(日本時間午前11時)

私「じさ(時差)ボケだ」
妻「じいさんボケじゃないの?」



レオン・ポール・ファルグ
at 1999 10/12 14:23 編集

Devant un bon camembert a' bonne et forte odeur il s'exclama :Les pieds du Bon Dieu !

フランスの詩人。
フランスのチーズ、カマンベールについて、
「良い、強い匂いのカマンベールは、神様の足のようだ。」と言ったらしい。

神様であっても、足の匂いはかぎたくない。



風船ガム
at 1999 10/13 14:33 編集

小学校の時、ガムがふくらませられなかった。
それほどガムは好きではなかったから、まあいいかと放っておいた。

高校に入り、友達は風船ガムをふくらましては、割って音を立てていた。
負けず嫌いの僕は、こっそり練習するがふくらまない。
やがて、それは風船ガムじゃないからふくらまないのだとわかった。
(うちの親は、昔からロッテのグリーンガムと、クールミントガムしか買ってくれなかったので、それ以外のガムを買おうという気がしなかったのだ。)

ところが、風船ガムを使っても、やっぱりふくらまない。友達にコツを聞いて、舌先に力を入れてとんがらせても、やっぱりふくらまない。

「ガムをくちゃくちゃするのは、みっともない。人前でやることではない。」
そう自分に納得させて、風船ガムを作るのはあきらめた。

10年経過

結婚してしばらくして、舌であごをなめられるか比べていたとき、妻から言われた。
「あなた、舌短いわね。」

「が~ん」
なんと、僕の舌は短くて、先が丸くて力が入らず、それで風船ガムを作れなかったのだった。

「子供の時に嘘ついて、閻魔大王に舌切られちゃったんじゃないの?」

これ見よがしにガムをふくらませる妻。

「ガムをかむ女は嫌いだ。



ガムをかむ男はもっと嫌いだけど」



アメリカ風チョコレートケーキ
at 1999 10/14 06:15 編集

舌の短い私は、どうも味覚にうといようだ。舌先がないことで、味を感じる「味蕾(みらい)」が欠けているようだ。

ミラノにいたときに、妻がチョコレートケーキを買ってきたことがあった。
イタリアにはない、アメリカ風のケーキ屋ができたと言うことで、試しに買ってきたものだった。

妻「味はどう?」
私「変わった味だね、ヨーグルト風味だよ。」
妻「....ちょっと食べさせてみて」





妻「あなた、これ腐ってるわよ」



2000年問題担当者の悲劇 18 アメリカンエクスプレス
at 1999 10/14 15:48 編集

1999年4月
私のアメリカンエクスプレスカードの有効期限が近づき、新しいカードが送られてきた。
新しいカードの有効期限は、99年の5月から2000年の4月。これまでずっと3年で切り替えていたのに、今回は1年しかない。
アメリカンエクスプレスは、この時点では2000年問題にまだ自信がないのだとわかった。

1999年10月
妻のアメリカンエクスプレスカードが送られてきた。新しいカードの有効期限は、99年の11月から2002年の10月。3年だ。
ようやく2000年問題にめどがついたようだ。
めでたし、めでたし。

1999/10 Part 1

1999-10-04 13:26:53 | Weblog
風邪をひいた
at 1999 10/01 15:47 編集

日本に着いてから、妻と僕と、それぞれ時差ぼけに苦しんでいる.
妻は、明け方まで眠れず、僕は、10時ごろには、寝てしまう.
昨日の夜もそうだった.部屋の電気をつけたまま寝ていたのだが、夜中寒くて目がさめると、隣りには妻はまだいない.身体の右側にあった布団をかける.すると、それをさらにきちんと掛け直そうと、僕の左から引張る力がある.こわごわ左側をのぞき込むと、クーラーの前に何か小さな物がうずくまっている.
恐くなって又右側を向く.しばらくすると、この小さな物は、僕をまたぐと、部屋の電気を消して僕の右側の布団に入った.「なんだ、嫁さんか」
しばらくすると、妻は突然「うるさい」と叫んだかと思うと、立ちあがって部屋を出ていってしまった.(妻は時々寝言を言うが、夢遊病と呼ぶまでひどくはなかった.)僕には何も聞えない.一生懸命耳をすますが、何も聞えない.そのうち、妻の帰りを待たずに、眠ってしまった.

翌朝7時に目がさめる.頭が少し痛い。しばらくすると、激しい寒気。布団の中で丸くなって震えていた.それに気がついた妻に布団を3枚くらい掛けてもらう.体温はあっという間に38度3分.平熱が36度を切るくらいなので、この位の熱もかなりきつい.
頭痛薬と、アイスノンで、現在は36度7分まで下がった.まだ立ちあがるとふらふらする.

昨夜の恐い経験で、ショックで熱が出たのかもしれない.
妻に聞くと、あれは夜中の3時半くらいだったらしい.最近義父が「チェッ、チェッ、チェッ」と小刻みに継続して舌打ちする癖があることから、義父に「うるさい」と注意しようとしたのだそうだ.ところが、「チェッ、チェッ、チェッ」というのは義父の舌打ちではなく、柱時計が時間を刻んでいた音だったらしい.



いもあらい
at 1999 10/02 06:10 編集

「このあいだ「いもあらい」やったけど、何ともなかったんだよ.」
うちの母親は、時々わからないことを言う.
「でも、先生が納得いかないって言うから、今度は造影剤を入れて写真を取るんだって」

「いもあらい」が「MRI(Magnetic Resonance Imaging)核磁気共鳴診断装置、磁気を利用してからだの断面図を作成する機械・検査」のことだとわかるのに、2分かかった。
くも膜下出血の後の経過を見るために、検査を受けるものだ.

母親が倒れてからすっかり気が弱くなり、3ヶ月で15キロ痩せた父も、最近頭痛がすると言って、母と同じ病院で、「いもあらい」を受けたらしい.
脳の検査のベテランになっている母親は、父親の結果を見るなり、「あーら、きれいな脳みそ。百科事典に載せても良いくらいの、真っ白白の、脳みそ.どこも悪くないわ.」その後、お医者さんも続けて、「本当にきれいな脳みそ.どこも悪くありません.」

そんな両親から生まれた僕も、昔からの頭痛持ち.来週の月曜日に、僕も「いもあらい」をする予定です.



冷え性の話
at 1999 10/02 08:45 編集

熱下がりました。
朝起きて体温を測ったら、水銀体温計は35度6分。測る前から、35度6分だったので、実際は、もっと低いのかもしれない。
僕は昔から冷え性で、冬になると、しもやけ、「ゆきやけ」(ゆきやけについては、「母の思い出、しもやけ/ゆきやけ」をご参照)で苦しんでいた。
今回実家に帰って、母親も、母親の弟も体温が低いと言う事がわかり、母方からの遺伝だとわかった。
これに対して、妻は体温が高い。それで、虫が彼女に集まる事になる。
留学時代の安アパートでは、犬を飼っている隣りの家からのみがいっぱい入ってきたらしいのだが、食われるのは妻ばかり。今回の福井行きでも、蚊に刺されるのは妻ばかり。
冷え性もたまには良い事がある。



くつした
at 1999 10/02 11:41 編集

ルースソックスがまだはやっているようだ.
みんながみんな、ルースソックスなので、これは制服の一部ではないかと思うくらいだ.
中に一人、紺のぴったりしたハイソックスをした子がいたが、新鮮だ.(あぶない、あぶない.おやじになっている.自分ではまだまだ若いつもりでいても、世間では十分におやじの年齢.)
僕の子供のときは、ハイソックスが流行っていたが、ゴムの技術が遅れていて、いつのまにか足首まで落ちてきてしまう.
おしゃれな友達は、「ソックタッチ」という一種ののりみたいなものを使っていたが、貧乏だった僕は、「あれは皮膚がかぶれるから」といって、輪ゴムを靴下の上から巻いた.(でもすぐ落ちた.)
中学のときは、服装の規則が厳しく、靴下は、色は白か黒か紺。横のラインは2本まで.くるぶしのところのワンポイント刺繍は10円玉の大きさまで.
違反していると殴られた.U先生は、しょっちゅう怒鳴って、ひっぱたく恐い先生だった.
内田先生、校長先生になられたそうで、おめでとうございます.



自動巻きの時計
at 1999 10/03 17:57 編集

僕の腕時計は、自動巻きである。古い自動巻きで、腕を動かすことでねじが巻かれるもの。はずして寝ると、朝には必ず止まっている。はめて寝ても、死んだように眠った日は、翌朝止まっている。昼間でもボーっとしていると止まることがある(いけない、いけない。仕事しなきゃ)。
就職前に、ヨーロッパを貧乏旅行した。最後の旅行地ロンドンでは、8人部屋。怪しいスイス人と、怪しいスコットランド人(スコットランド訛りがきつくて、こいつの英語はほとんどわからなかった。)と知り合い、近くのパブに行った。
スイス人が、僕のしていたセイコーの時計を見ながら言う。
「日本の時計も良いが、スイスの時計も良いぞ。実は俺は、この時計を別の人からもらったんだ。その人は酒好きなんだが、金がなく、俺に「この時計をやるから、ビール一杯飲ませてくれ」と言ってきた。それで俺がこの時計を持っているわけだ。お前も俺にビールを一杯おごってくれたら、この時計をやるよ」
てなわけで、今僕はこの時計をしているわけだ。
当時のビール一杯はいくらだっただろうか。300円くらいだろうか。
時計の裏には、ドイツ語で文字が刻んである。
「ルドルフ ザンガ殿 永年勤続に感謝する。1962年7月28日。アドルフ・ザウバー・アルボン株式会社」
アルボンと言うのは、スイスの地名らしい。いつか時間が取れたら、アルボンの町を訪れて、家族にこの時計を返したい。

新しい時計も欲しいのだが、はずすと止まってしまうので、かわいそうで見捨てられない.



サングラスの話
at 1999 10/02 23:44 編集

日本人では、サングラスはまだ定着していないようだ。そもそも、目がまぶしさに強い日本人には、サングラスは不要なのかもしれない。
外人さんは、目がまぶしさに弱い。
ミラノ支店にいたときは、夏は社内の電気は消されていた。外の明かりで十分だというのだ。「暗くて仕事にならない」と日本人が電気をつけると、イタリア人はサングラスを出してきてかけ始めた。
イタリアの高速道路は暗い。ライトがついていないところが多い。われわれには何も見えないのだが、彼らにはちゃんと見えている。危なくてしょうがない。
ロンドンでも同じだ。気がつくと、天井の蛍光灯が間引きされている。
同僚のK君のオフィスでは、あまりに暗くて太陽電池式計算機が動かないので、パソコンの画面に計算機を近づけて仕事していた時期があったそうだ。
通算10年暗いところで仕事をしていた(特に、ロンドンのオフィスは地下にある)事から、僕もすっかり目が弱くなって、ひなたで目をしっかり開けられなくなっている。でも、サングラスをすると、なぞの東洋人になってしまうのだ。



サラダ記念日
at 1999 10/03 08:40 編集

高校の同級生に俵万智(たわら まち)がいた。彼女は電車で通っていた.高校の近くの駅、田原町(たわらまち)で降りて、通っていた.
高校では、試験の結果を点数順に30人くらい発表する.いきなり俵万智という名前が上位に出てきて、誰もがペンネームだと思ったし、しかもどうも女の子らしいということがわかると、みんなでどんな子かと見に行った.
彼女は演劇部だった.僕は筝曲部(お琴を弾く部)だった。
友達に誘われて学園祭の前に演劇部の大道具作りの手伝いをした事もあったが、高校3年間で同じクラスにもならず、ほとんど話をする機会がなかった.
昔も今と同じマッシュルームカットだった.

彼女は早稲田に進む。JRの高田馬場の駅の構内アナウンスのアルバイトをしていて、それが「ポパイ」だか「ホットドッグプレス」に取り上げられていた。
(僕が若者雑誌に踊らされてスネ毛の脱色をしている間に、彼女はその若者雑誌にデビューしていたのだ)

俵万智 歌人
「サラダ記念日」「かぜのてのひら」「チョコレート革命」
俵万智のページは、www.gtpweb.net/twr/をご参照



「ぼくの」事件
at 1999 10/03 10:12 編集

高校時代、最初は家から通っていた.
自転車で10キロ、国鉄で13キロ、最後が徒歩で2キロ.合計25キロの行程だった。
山奥に住んでいるから、行きは下り坂で調子が良い.信号もほとんど無い田舎だ。
帰りはつらい.だらだらとした上り坂が、果てしなく続いている.
冬は最低だ.雪は結構積もる.県道まではブルドーザーが来て雪をどけてくれるのだが、県道までの500メートルを、ひざまで雪に埋もれながら自転車をかついで行ったこともあった.朝は必ずチェーンが凍っている.まずはチェーンにお湯をかけて、とかしてからでかける.
片道1時間半の道のり.途中でパンクすると完全に遅刻。電車は一時間に一本.通勤時は2本.かなり疲れた.

2年生の秋から、叔母の家に下宿した.かなり近くなったが、それでも自転車で3キロ通っていた.
これを機に、ピアノを始めようと考えた.家が貧乏だったので、ピアノは習わせてもらえなかった.
まず、「バイエル」(みんなが使う初級教則書)を購入.そこには、紙に書かれた鍵盤が付録でついていた.黒鍵のところにはさらに厚紙を貼って本物らしくして、練習を始めた.だが、音が出ないとやっぱり練習にならない.違う鍵盤をたたいてもわからない.
そこで、中古の足踏みオルガンを買った.
ほとんど骨董品の、きれいなオルガンだった.
足踏みで風を送る音が大きくて、オルガンの音が聞えないくらいだった.
そのうち、独学での限界を感じ、習いに行こうと考えたのだが、貧乏下宿生の行けるようなところは無い.結局ヤマハのエレクトーン教室のグループレッスンに行くことになったのだが、指一本で和音をならし、、足でベースラインを演奏するエレクトーンを教わっても、オルガンは弾けないということにすぐに気がついた.

3年の春からは、学校から歩いて5分のところの下宿屋に移った.足踏みオルガンは叔母の家に置いていった.
学校に近くなったからと言って、その分勉強したかと言うと、そうとは言いきれない.毎日のように近くの本屋でマンガの立ち読みをしていた.この時期に速読の技術を身につけた.
こっそり買っていた篠山紀信「激写・135人の女ともだち」(小学館刊)を母親に発見されたのもこの年だった.
下宿屋のドアは、かぎをかけずに寝る.日曜日の朝、僕がまだ寝ている間に、母親が尋ねてきてこっそり部屋に入ってくると、枕元においてあった「激写・135人の女ともだち」を見始めた。(当時としては、少なくとも高校生には)過激な内容に、思わず母は「これお前のか」気まずい僕は、(あたかも徹夜の勉強で眠くてしょうがないようなふりをして)
「ぼくの…」



床屋の話
at 1999 10/03 11:44 編集

高校のときは、自分で髪の毛を切っていた。(床屋に行く金が無かった)
後ろ側の毛は頭を下げて切るのだが、なかなか難しい。結果的にマッシュルームカットになる。
うちの学校は身だしなみにうるさく、男子の髪の毛は、眉毛にかからず、かつ、耳を隠さず、また、後ろは詰襟にかからないようにという規定だった。
ぼくのマッシュルームは前は眉毛のちょっと上で止まり、横は耳だけが飛び出していた。
規定違反ではないものの、先生にはちょくちょく注意されていた。
卒業近くになって、さすがに先生に呼び出され、床屋に行けと言われた。
しょうがないなあと、下宿先の近所の田原町商店街にあった床屋に行った。
そこでは、なんとミニスカートとT-シャツのおねえさんが散髪してくれた。
「なあんだ、ずっとちゃんと床屋に来ていれば良かった」
チェッ



2000年問題担当者の悲劇 17
at 1999 10/03 18:42 編集

東急ハンズ新宿店に行く。
2000年問題関連の展示があり、関連商品が売られていた。
「食料や水は最低3日分は用意しておきましょう。電気・水道・ガス・物流等の機能が一時的に停止する事も考えられます。」
売られていたのは、乾パン、パンの缶詰、水で戻す野菜・おにぎり等、浄水器(風呂水もろ過する)、水を使わないシャンプー、乾電池を使った携帯電話充電器などなど。
地震・台風などの天災への備えがしっかりしている日本は、問題が発生してもあまり慌てる事はないのかもしれない。



パーマ屋
at 1999 10/03 19:30 編集

高校を無事に卒業。東京に出ることとなる。

厳しい校則も無い。まずやるべき事は、パーマをかけることだ。
母親にどこのパーマ屋(美容院とは呼ばない)がいいか、相談する。母のいきつけの「Oパーマ」に行く。

ここで注意。うちの田舎のパーマ屋のメニューは、おばさんパーマ、パンチパーマ、アイパー(アイロンパーマの略?男性用ストレートパーマ?)しかないと言う事。
必然的に、ぼくの頭はおばさんパーマになった。ブローしてセットするという発想が無いから、頭を洗うとタオルで拭いて自然乾燥のみ。出来あがりは、メデゥーサか、サザエさんかという頭になってしまう。

入学式の記念写真があった。同じ大学に進んだ高校の友人3人で撮ったもの。見事なサザエさん頭の写真の存在をすっかり忘れていたのだが、ふとした弾みで、妻の手に渡ってしまった。
「ふっ、ふっ、ふっ。いいのあなた、そんなこと言って。あの写真みんなにばらすわよ」

うちの奥さんは、とてもやさしいすばらしい奥さんです。



のっぴきならない話
at 1999 10/03 20:09 編集

最近自分の日本語があやしい。
聞いてわかるが、自分で使えない言葉が増えている。(聞いてもわからない言葉も増えている)
「のっぴきならない」
時々聞くが、良くわからない言葉だ。
自分で使おうとするが、良い例が思いつかない。

「101匹ワンちゃん」
「93、94、95匹。」
「6匹足らない。(ろっぴきたらない)」

「ハムスター7匹ください」
「6匹しかないんですよ」
「6匹ならいらない。(ろっぴきならいらない)」

だれか、使い方を教えて。



中古車
at 1999 10/03 20:54 編集

貿易関連の友人から聞いた話

日本のトラック会社(日産だったか、日野自動車だったか)が、むかし北朝鮮政府にトラックを輸出した事があったそうだ。
受け渡しは、港ではなく、ピョンヤン市。そこで、北朝鮮の港まで貨物船で運び、そこから先は、陸路を運転していったらしい。
ピョンヤン市につくと、先方の政府高官は、
「私達は新車を注文したのに、あなたたちは中古をもってきました(港からピョンヤンまで走ってきたので中古ということ)。よって、お金は払えません。いやなら、持ちかえってください。」
帰りの船の費用も考えて、結局泣く泣く、トラックは置いてきたらしい。




at 1999 10/04 07:47 編集


爪をむしる癖がある。いらいらしてくると、いつのまにか爪をむしっている。
年に3回くらいしか、爪きりを使っていない。
いつも両手の爪の先はがたがた。爪が無くなるまでにむしらないだけ、僕のいらいらもまだ症状は浅いということか。
一時帰国も2週間目に入り、爪は伸び放題に伸びている。
あまりに伸びすぎたことにいらいらして、爪をむしり始めている。



「いもあらい」行ってきました
at 1999 10/04 13:06 編集

「いもあらい」やってきました.(「いもあらい」については、「いもあらい」ご参照)
台に寝かされ、脚、上半身、頭で固定され、目隠しされ、トンネルのような機械に入っていく(目は見えていなかったので、想像だが).SF映画のようなものだ.
30分間いろいろな(騒)音が聞えてくる.道路工事の削岩機のような音もある.
それほどうるさいものではないものの、身体が固定されていて逃げられないというのは不快.検査後頭が痛くなった.



体積
at 1999 10/04 13:18 編集

妻は一足先にイギリスに戻り、僕は妻の実家に滞在している。
昨日の夜の話。
おかあさん「お風呂入れたんだけど、お湯入れすぎちゃったから、私、先に入るわね。」
30分位して、おかあさん、お風呂から出てくる。
おかあさん「お湯が多いけど、あふれても気にしないでね」

ゆぶねに、ゆっかりつかる。
お湯、あふれませんでした。



謎の東洋人 3
at 1999 10/04 14:00 編集

今日は午後から取引先にご挨拶。
10日間のばしたひげを、残念ながら剃り落とす。
今回も、やっぱり謎の東洋人ひげになってしまい、鼻の下は、まばらなまま終わった。
留学時代にのばしていたときは(最初単身留学だった事もあり)、まばらなひげと眉毛をまゆずみで書き足し、3分写真で写真を撮って留守宅に送った。
妻には、即座に見破られた。
今朝、「いもあらい」に行く途中に京王線で見かけた若いサラリーマンは、しっかり眉毛を書いていた。
僕は時代を10年近く先取りしていた。



整体に行ってまいりました。
at 1999 10/04 19:54 編集

午前中に行った脳ドックの待合室に置いてあった「HANAKO」に紹介されていた店。
西武新宿の「東洋中国気功整体院」。
40分のコースは、極めて気持ち良かった。

新たな発見。

その1
1. 普通の人は、押されても痛くない場所であっても、
2. 少しこってくると、押されると痛い
3. こりすぎると、押されても痛くない

最初押されても痛くなかったところが、治療が進んで、筋肉がほぐれてくると、押されると痛むようになった。

その2
右と左は、つながっている。
背中の右側のマッサージが終わると、左側の筋肉もリラックスしていて、始った頃痛くなかったのに、押されると痛くなっていた。

勢いをつけて首をひねられるのは(ゴキッ、ゴキッ)、あまり気分の良いものではないが、首が軽くなったような気がする。
明日も行こう。



ビジネス用ハイソックス、ルースソックス
at 1999 10/04 20:23 編集

僕は会社に行くときはひざのすぐ下までのハイソックスだ.
イタリアでは、「足を組んだときにスネ毛が見えるのは下品だ」との考え方がある。
(必ずしもみんながそう考えているわけではないようだが)
気がつくと、イタリアには紳士用ビジネスハイソックスがたくさんあった.ひざの下に使う靴下用サスペンダーなるものも売られていた。
色もデザインも豊富で、ネクタイや、シャツの色とコーディネートすることが可能である.
時々ゴムが強すぎるものがあって、靴下を脱いでしばらく、ゴムの跡がかゆくてしょうがない.ゴムの弱いものもあって、ズボンの内側でルースソックス状態になっていることがある.



ジャイアント馬場
at 1999 10/04 21:22 編集

高校に入っても、僕の身体は貧弱だった。筝曲部なんかに入ったから、体が鍛えられる機会は限られている。(部室の畳の上で、柔軟体操はしていたが)
ある時、同級生のK君と話をしていて(彼も貧弱だった)、「次の体力測定までにどちらが胸囲を増やせるか」と、競争をする事になった。
そうは言っても、田舎の貧乏高校生。雑誌の広告につられて「ブルー・ワーカー」を買うお金も無い。必然的に、腕立て伏せをやることになる。
毎日毎日、一日に何回も暇を見つけては腕立て伏せをして、この時は僕が勝った。
大学に入り、体育実技の時間の体力テストに、また腕立て伏せがあった。毎日毎日、一日に何回も暇を見つけては腕立て伏せをした。
偏った運動をすると、偏った筋肉がつく。
腕立て伏せをすると、脇の下の後ろ側の筋肉がつく。それ以外に運動をしなかったから、胸のほうには筋肉がつかない。その結果、

1. 後ろから見ると逆三角形の体が出来たが、前から見ると、引き続き貧弱。腕も肩も弱弱しい。
2. 脇の下が、前を向いている。
3. わき毛が、前に向かってはえる。
4. 仰向けになって頭のほうから見ると、見事な台形

故ジャイアント馬場の胸板のようだ。
現在ジムにて、修正中。



女嫌い
at 1999 10/04 22:18 編集

「僕は、女嫌いなんだ」







「男はもっと嫌いだけど」