サルバトール・だれ?  by 澁澤寅彦

笑いは地球を救う。
妻Rは足下をすくう

手に職を

2000-07-30 20:55:35 | Weblog
履歴書送っても、一向に返事がない。
38歳にもなると、年齢で引っかかって、転職先も見つからない。

今朝の会話

私「やっぱり手に職がないとこれからは難しいね」
妻Rは、黙って私の手の上にパンを一切れ乗せる。
「手に食.....」

自立した女 妻R

2000-07-29 18:40:19 | Weblog
私は自立した女よ。
旦那にお金を入れてもらわなくても、一人でやっていけるわ。

そういって彼女は、(自分で)キャッシュカードや小切手でジョイント口座からお金をおろして買い物をするのであった。


イギリスの銀行口座にはジョイント口座というものがあり、口座は夫婦の共通口座になる。夫婦それぞれにカード・小切手が発行されるので、旦那がお金を使わなくても、奥さんが
いつの間にか使っているという状況が十分可能です。


やぶ医者

2000-07-27 05:42:43 | Weblog
ロンドンには日本人が多いことから、日本人向けに日本からお医者さんを連れてきた病院がいくつかある。
2週間前に、首にしこりができた妻Rは、家の近くの「Gメディカル」に行った。
その日担当だったY先生は、「血管の上にできていますね。動脈瘤のおそれがあります。」エコーを撮った後、「良く見えませんね。変化があったらまた来てください」とのこと。
動脈瘤なんて命に関わる病名を軽々しく使い、また、「変化があったらまた来てください」と言われても、次に変化があったときには、もう死んでいるかも知れないのに.....
と、妻Rは、ぷんぷん怒っていたが、同時に、かなり弱気になって、メール友達に「短いお付き合いでしたが、楽しかったです」などと、Eメールを送っていた。

友人からの薦めもあって、今日は別の「Nクラブ北診療所」のT先生に見てもらった。
「これは、扁桃腺が腫れているんですね。放っておいて大丈夫ですよ。動脈瘤?その可能性はないですね」と、あっさり。妻Rは、すっかり気分が良くなると同時に、Y先生への怒りがまた沸いてきた。

そうは言っても、「Nクラブ北診療所」に最近までいたS先生も、診察するときにパソコンの画面をのぞき込みながら診療するのだが、とある患者さんが、ふと画面をのぞき込んでみると、そこにはパソコンベースの「家庭の医学」が展開されていたという。

お医者さんが少ないことから、専門外の診察もしなければならないので、ある程度は同情すべき点もあるが、「死ぬかも知れない」と無用の心配をさせるのはいかがなものか。

ちなみに、妻Rは、子供時代に二つ上の姉がかかった病気(はしか、水ぼうそう等)にすぐ罹っていたのだが、顔がぽっちゃりしていた(人間関係に配慮した表現)ことから、姉がかかったおたふく風邪にかかっていたかどうかは誰にもわからない。

これは、当社の大柄の女性L氏が産休あけに会社に出てきても、誰も出産のために休んだと気づかなかったのと似ている。



Mさんの話

2000-07-26 06:54:22 | Weblog
僕がこのロンドンの証券現法に来たとき、副社長にはMさんがいた。
これまで何度も登場しているM副社長とは別人で、現在は東京の証券子会社にいらっしゃる。
なんと、このMさんは、僕の高校の大先輩である。最初にMさんにあったのは、会社に入って3年目に、本店に転勤になったときで、当時はMさんは、外債の売買をしていた。僕は、隣の係りで、CD・CPの現先をやっていた。

同じ高校だと知ったMさんは、「***のあんころもち知ってるか?」と聞いてきた。彼の実家があんころ餅屋なのだ。「知りません」と言った次の瞬間、僕の評価は××になっていた。隣の係で良かったと思ったものだ。
その後約6年を経て、ロンドンで再会することとなったのだ。

僕の最初の仕事は、日系企業のユーロ債の引受だった。ロンドンとは言っても、日本人相手の仕事であり、いろいろウェットな部分もある。
半年ほどしてから、M副社長に部屋に呼ばれた。
「**君。お客さんから靴に酒をつがれて、「飲んだらマンデートやる」と言われたら、君は飲むか?僕は飲むよ。高校の後輩だから言うけれど、君はこの仕事向いてないよ。」
1ヶ月後、係替えがあった。

先週Mさんが出張でロンドンにいらっしゃった。相変わらず御元気そうでした。ご実家のあんころ餅は相変わらず繁盛しており、まもなく小田急線のキオスクで売り出されるそうだ。


副業の禁止

2000-07-25 05:37:06 | Weblog
親会社は銀行なのだけれど、就業規則に「副業の禁止」というのがある。
給料が増えない状況では、アルバイトでもやろうかと思うのが人情だ。
日本に帰ったら、イタリア語の通訳か、翻訳でもやりたいなと思っているのだが、人事部に許可を申請することになるのだろうか。

大学時代に同じ寮だったT君は、福井の地銀にUターン就職したのだが、彼によれば、彼の周りはほとんどが兼業農家なので、田植えなので銀行休みます。稲刈りなので銀行休みます。と言ったことが、当然のように起きているそうだ。


体脂肪計

2000-07-24 06:45:47 | Weblog
うちの会社では今、体脂肪率を測定するのが流行っている。
総務課・主計課の太り気味の人たちがダイエットをすることにしたので、記録にと、体重と体脂肪率を測定し始めたのだ。

主計課に移った僕も、体重計に乗ったのだが、身長はフィート・インチ、体重はストーン・パウンドで言われるので良くわからない。
最初に計ったときの体脂肪率は15%だった。
その時点で体脂肪率がもっとも少なかったのは、M副社長の14%だった。M副社長は、最近ダイエットで10キロ以上落とし、体脂肪率のトップに躍り出たのだが、どうも動機が怪しいとみんなで噂している。
「ダイエットに成功したら、****していい」などとカラオケ屋のおねえちゃんと約束したのではないかとにらんでいる。
今までのズボンが合わなくなったので、サスペンダーでズボンを吊っている。今まで以上に、部下のところに「痩せただろ」とお腹を見せに来る。
「会社に入ったときは58キロだった。あと10キロ痩せなきゃ」と言うに至っては、思春期の少女のダイエット願望に近いものを感じた。176センチで58キロは痩せすぎです。

3.5マイルレースの2日後、再度体重計に乗る。
なんと、体脂肪率は14%に落ちていて、M副社長と並んでトップに立ってしまった。これでM副社長がさらにダイエットに励まなければよいがと思ったのだが、ふと、当社の派遣日本人で一番痩せているIさんがまだ測定していないのに気がついた。仕事中のIさんを無理矢理引っ張ってきて、体重計にのせる。なんと、体脂肪率11%。周りのイギリス人はみんなひっくり返る。その後しばらくは、主計課では「体脂肪率が低いとどうなるか」という話題で盛り上がった。
「体脂肪率が少ないと言うことはどういうことだ」
「長距離競走では、走りながら体脂肪を燃やす必要があるから、長距離にはむいていないと言うことだ」
「じゃあ、俺は地球を何周でも走れるな」と、太りすぎの主計課長が言う。
Iさん本人によれば、すごく疲れやすいと言うことで、家を出て会社に着いた頃には、既に疲れ果てていて、仕事ができない状態だそうだ。



3.5マイル  その後

2000-07-24 06:44:25 | Weblog
走る2-3日前、体調がすごく悪かったのだけれど、「完走した人にはGoodie Bag(おみやげ/記念品)がもらえるんだよ。お菓子が入っているんだよ」と言ったとたんうちの妻Rの目の色が変わった。
「死んでも完走しなさい。お菓子、もらってきなさい」

予想に反して、カバンの中身は、リンゴとオレンジと、Tシャツだった。妻Rはがっかりしていた。

左足の人差し指の先に血豆ができていた。
昔、毎日のように走っていたときも、両足の人差し指にしょっちゅう血豆ができていた。靴が合っていないのだから、買い換えればよいのだが、貧乏性の僕にはできなかった。

大会の2日くらい後、僕はもらったTシャツを着ていた。食事の後、足の血豆をいじっていたら、いきなり血豆が破れて、血が噴き出し、ズボンとTシャツに血しぶきを振りまいた。
それを見ていた妻Rは、「子供だってそんなことしないわよ。石鹸ですぐ洗えば落ちるから、自分で洗ってらっしゃい」

血は、きれいに落ちた。良かった良かった。



ちんちんふる

2000-07-23 21:08:03 | Weblog
Somerset の方まで買い物に行きました。
サービスエリアのインフォメーションコーナーで、National Trust(英国のチャリティーで、歴史的な建物等の保存を行っている) のリストをもらう。
今回は時間が無くて行けなかったのですが、Somerset に、ちんちんふるガーデン(Tintinhul Garden)というのがあるらしい。ここを訪れた男性はみんな、****を**そうです。

帰る途中には、おなじみのStonehenge を横目に見ながら通り過ぎる。
この近くには、石ではなく木でできたWoodhenge と言うのもあるらしいので、ちょっと寄り道。紀元前2000年のものと言うことで、当然、木は残っていないのだが、木のあったところに、コンクリートの杭が立てられていて、当時の様子を想像させる。

私「石でできていれば、Stonehenge、木でできていれば、Woodhenge。」
妻R「ふん、ふん。」
私「おかねの形をしているのは?」
妻R「????」
私「ぜにがたへんじ(銭形平次)」
妻R「......」


ミッション・インポッシブル 2

2000-07-22 07:05:36 | Weblog
早速見てきました。
手に汗握る、力のはいる作品でした。
相手役の女性は、松岡きっこと河童を足して2で割ってきれいにしたような魅力的な女性でしたが、やはり、トム・クルーズはかっこいい。

私「やっぱり、トム・クルーズは僕に似てかっこいいね。」
妻R「あんたのどこがトム・クルーズなのよ?」
私「二人とも、名前が「と」で始まって、「ず」で終わっているよ」
妻R「.........」

げいは身をたすける

2000-07-17 08:35:56 | Weblog
7月15日産経新聞より
◆産経抄
 JR埼京線の車内で、女性会社員(二八)が無職男性(二一)にナイフで脅され、男の自宅に連れ込まれて暴行されたと訴える事件があった。男性は逮捕されたが、実はこれがウソ。女性は現金十六万円を盗み出してもいたという。
 ▼いま、満員電車の恐怖におびえている男性は少なくない。ある日突然、隣の女性に「この人、痴漢です」と叫ばれる。何もしていないのに、いつぬれぎぬを着せられて逮捕されるかもしれぬ。人生が狂わされるかもしれぬという恐怖である。
 ▼潔白な男性も、そういう時はしどろもどろになったり、真っ赤になって何もいえなくなったりする。どんな場合でもそうだが、自分がシロであることを証明するのは難しい。何しろアリバイ(現場不在証明)が成り立たないからである。
 ▼このごろは美人局(つつもたせ)のような犯罪を仕掛ける女性たちもいる。二人の女性がまん中の座席をあけておき、中に座った男性を一人が「あなた、触ったでしょ」と“告発”する。そしてもう一人が「わたしは見ました」と証言して、示談金を巻き上げるのだという。
 ▼痴漢はいうまでもなく卑劣な行為であり、女性には許すことのできない犯罪だが、一方では“魔女狩り”に似たえん罪も多い。偶然、体が接触することもあるだろう。全く身に覚えがないのに駅事務所に突き出され、時として逮捕されて名誉や仕事を失う…。
 ▼そんな悲劇に巻き込まれた時はどうすればいいか。とにかく断固として強い態度に出ることだという。ふだん予行演習をしてぬれぎぬを拒否する声を上げられるようにし、場合によっては弁護士を呼ぶ。きっぱりとした姿勢で、自分の人生を守ることではないか。

私「こんな状況になったらどうしよう?」
妻R「やってませんって、強く主張するのよ」
私「でも、相手は二人で口裏合わせるんだよ」
妻R「言い張るしか、仕方ないでしょ」
私「良い考えがある。「そんなことやるわけないでしょ。だって僕はゲイなんだから」って言えば良いよ」
妻R「そうね。そして私も「そうなんです。結婚してしばらくしてからわかったんです」と口裏を合わせればよいのね」
私「そうそう。」
妻R「でも、そんなこと言って、わたし偽証罪に問われないかしら」
私「大丈夫だよ。僕を守るためだろ?」
妻R「本当は、やってたりして....」
私「.......」



3.5M

2000-07-16 08:11:51 | Weblog
12日水曜日、Chase Corporate Challengeに参加しました。Battersea Park の中の3.5M(3.5マイル。3.5メートルではない)を走るレースで、いろいろな会社から約1万人の参加者がありました。
最近旅行に行ったりしてトレーニングをサボっていたので、月・火とジムに行ったのですが、膝の調子が思わしくなく、十分に準備が出来ませんでした。初めてのレース参加と言うこともあり、緊張から消化不良になっていました。
いつもの心拍数モニターを着け、160を越えたらスローダウンしようと決意して走り始めたのですが、あっという間に165。きっと緊張しているせいで、そのうち下がるだろうと思っていたのですが、結局最後まで下がらず、最後の直線のスパートでは200にまで上がりました。

がちがちに巻いたサポーターのおかげで、何とか完走できましたが、サポーターを外したら歩けなくなりました。
タイムは聞かないでください。

アイロン

2000-07-12 05:49:23 | Weblog
久しぶりに、ズボンのアイロンがけでもするかと、スチームアイロンをコンセントに差す。
しばらくして、さぁ、使おうかと思ったら、ランプが消えている。「あれっ、おかしいな」と、触ってみたら火傷した。
使える温度に達したら、ランプは消えます。ご注意ください。

2000/7 Part 2

2000-07-11 01:29:15 | Weblog
アイスランド日記 6月29日 
at 2000 07/07 07:34 編集

今日こそ、クジラを見に行く日。
8時前に電話をしてこいと言ったのに、やっぱりしてこなかった。レセプションに聞くと、今日は問題無しとのこと。少し風があるけど大丈夫だろうか。

今日のツアー会社は、クジラの目撃率が95パーセントを誇り、かつクジラが出なかったときは、無料で再度ツアーに参加できるという、良心的なもの。そうは言っても、我々には時間がない。明日が最終日だというのに、またクジラを見に来るわけには行かない。
明日はグリーンランド日帰りの予定だ。

ちゃんと9時に迎えが来た。国際線の飛行場のあるKeflavikの海洋研修センターというような名前のほったて小屋で、クジラについてのスライドを見る。
その後、いよいよ船に乗り込む。

風は結構強い。乗客はみんなワクワクで、まん中の船室ではなく、後ろのデッキに陣取る。
かなりしっかり着込んでいるのだが、それでも寒い。みんな我慢している。

やがて沖合にでると、さらに風は強くなる。波もしっかりでてきた。クジラの影はどこにもない。

元気な人たちは、前のデッキに移る。我々も移ったのだが、揺れが激しい。船がそもそも好きでない僕は、早めに船室に退散する。このままでは船酔いすると思い、眠ることとした。
妻Rは、頑張る。そのうちクジラを見つけて僕を呼ぶ。彼女は、潮吹きも、尾ひれも見たらしいが、僕が行ったときには、もう背びれがかすかに見えるだけだった。

僕は安心して眠りに戻る。妻Rはさらに頑張るが、そのうち船酔いでダウン。トイレに直行。僕の隣で眠りにはいる。
そのうち「イルカが見えます」の声。妻Rは、つられて見に行ったのだが、また気持ち悪くなってトイレに直行。僕は見に行く元気もない。
戻ってきた妻Rは、再び僕の横で眠りにはいる。
気がついたら、船室は船酔いで死にそうな顔をした人で一杯になっていた。

なぜお金を払ってこんな拷問に遭わなければならないのだ。時既に遅し。

3時間の船旅は長かった。ようやく港に戻ったときは、本当にほっとした。
ホテルまでのバスでも、すっかりダウンしていた。

明日のグリーンランドツアーの連絡がまだ来ていなかったので、レセプションで確認してもらう。
な・な・なんと。予約が一杯で、取れないとのこと。追加のフライトを飛ばそうとしていたが、パイロットが確保出来なかったらしい。
「そんなの2日前に判っていたことじゃないか。早く言えよ」という言葉をぐっとこらえて、別のツアー会社のグリーンランドツアーを聞いてもらう。こちらも一杯。
他の行き先はどうかとすすめられる。

あまりに呆れてしまって呆然としていたら、レセプションの反対側では、元F1ドライバーのナイジェル・マンセルがチェックインしていた。
こんな道路があれたところでは、フェラーリは走りにくいだろうと考えながら、取りあえずパンフレットをもらって部屋に戻って作戦会議。

怒りっぽい妻Rは、やはり腹を立てた。ロンドンを出発する前から楽しみにしていたから、無理もないのだが。そうは言っても仕方がないし、早くしないと明日一日丸々空いてしまうので、急いで考える。
最終的に、アイスランドの南の氷河地区への飛行機によるツアーにすることにした。

レセプションで無事に申し込み完了。取りあえずほっとする。
船酔いがまだ残っていて、めまいがするので、夕食はホテルのレストランでビュッフェディナー。



アイスランド日記 6月30日 最終日 その1
at 2000 07/08 20:57 編集

いよいよ最終日。
飛行機ツアーのピックアップは12時なので、ゆっくりとチェックアウトの準備をする。
昨日見かけたナイジェル・マンセル一家の姿はどこにもない。まあ、お金のある人はルームサービスで食べているんだろう。

11時にチェックアウト。妻Rは売店で絵はがきを買って、友達に書いている。僕は友達が少ないので、葉書は出さない。(年賀状も、クリスマスカード、引っ越し連絡も出さないでいるうちに、少ない友達は限りなくゼロになった)

12時少し前に車が到着。ホテルの近くの国内線の飛行場に向かう。
全部で20人くらいの参加者が、二台のセスナ機に分かれて乗り込む。

内緒にしていましたが、私は高いところは嫌いです。
こんな8人乗りの飛行機なんて、乗りたくはありません。
席が足りなくて、一人副操縦席に乗れと言われたのですが、私は石のように固まっていて、動きませんでした。

動き出したかと思うと、あっと言う間に離陸。「世界で一番過酷な天候の中飛んでいるのだから、アイスランドのパイロットは優秀よ」と、ドイツ人のおねえちゃんが言っていましたが、そうは言っても、怖いものは怖い。
天気は快晴。微風。ところが、微風でもセスナ機は揺れる。左右にお尻を振ったり、突然エアポケットで降下したり、ドイツ人のおばさんと私の二人だけキャーキャー言っている。
妻Rは、そんな私を見ているのが怖いという。
(昔、豊島園のバイキングに乗ってしまって、いつもは一番端っこに乗って立ち上がって万歳する妻R(当時はまだ、彼女R)が、私が恐がりだというので渋々まん中の席に乗り、気がついたら私が丸くなって青ざめて震えているのを見て、「この人死ぬんじゃないかしら」と怖くなったことがあった)

眼下に広がる、広大な荒れ地、Hekla火山と、その噴火の跡など、言葉に表せない圧倒的な風景なのだが、どこかで怖がっている私には、百パーセント楽しめていなかったかも知れない。

それにしても、天気が良くて良かった。風の強い日だったら、きっと「降ろしてくれ」と叫んでいただろう。

2時間くらいのフライトの後、飛行場とは名ばかりの広場に到着、大型ジープに乗り換える。

最終目的地は、欧州最大の氷河。その氷河が海に迫っているところにJokulsarlonという湖がある。この湖の中を、小さな氷山の間を抜けて船が行くのである。

船は風変わりな水陸両用トラック。湖に浮かぶ氷の山は、神秘的なブルーである。
1、2、3
みんな、写真を撮りまくりの状態。これは絶対お奨めです。

再びバスで、飛行場まで戻る。この飛行場のあるあたりは、最初にノルウェー人がたどり着いたところだそうだ。当時は非常に美しい土地で、「美しい土地」という名前だった。ノルウェー人は最終アイスランドのどこに定住するかを決めるために、棒きれを海に投げて、「これが流れ着くところを、神の思し召しによる定住地としよう」と言ったという。その後、連れてきていた奴隷たちに、棒きれを探しに行かせたのだが、当時はまだ荒れ地だったReykjavik で棒きれが発見されたときは、奴隷達はがっかりしたそうだ。
この土地は、その後農業が栄えたのだが、火山の噴火と、それによる洪水(噴火により、山の上にあった氷が溶けて流れてきた)により、きれいさっぱり流されてしまい、土地の名前も「砂漠」となったそうだ。
Reykjavik は、これまで地震にも噴火にも見舞われていないので、棒きれに従って移住したのは正しい判断だったと言えよう。

いざ離陸すると言うときに、左のプロペラが回らない。小心者の私は、さらにびびる。
今日Reykjavik に戻らなければ、ロンドンに帰れない。それ以前に、飛行中にプロペラが止まったらどうするんだ。

何とか左のプロペラも回り始めて、無事離陸した後、私は程なく眠りに入った。怖いときには眠るに限る。死んだときは死んだときだ。

途中激しい揺れで1度目が覚めたが、それ以外は眠ったまんまで、無事Reykjavik に戻る。
帰りはホテルまで送ってくれないと言うので、近くの丘の上のPerlanという温水貯蔵庫件レストランに向かう。下にあるタンクにお湯が入っていて、町に供給しているらしい。展望台でアイスクリームを食べながら休憩。その後バスでホテルに向かう。



アイスランド日記 6月30日 最終日 その2
at 2000 07/10 00:51 編集

ホテルはもうチェックアウトした後なので、預けていた荷物をもらって、地下のサウナの更衣室で着替える。
時刻は、夜の7時。飛行機は、深夜2時の出発。まだまだ時間がある。
バスのドライバーのストライキがまだ続いているので、飛行場までの交通手段はタクシーしかない。レセプションに、今日帰る人がいたら、それに合わせてタクシーをシェアしようと言っていたのだが、どうも誰もいないようだ。これから楽しくなる金曜の夜に帰る人なんていないだろうと、諦めて、タクシーに乗った。飛行場の免税店は24時間営業だというので、それに期待して早めに行くことにする。

来たときは深夜だと言うこともあり、タクシー代が8000クローネだったが、帰りは5900だった。紙幣を6000出すと、ごそごそと紙を出してきて、数字を指さす。どうも飛行場までは6800だと言うことらしい。「そんなの最初に言えばいいじゃないか」と言いたいところをぐっとこらえて、7000出す。おつりをよこそうともしないが、まあ、許してやるか。

飛行場はがらんとしている。死んだようだ。チェックインにも早すぎるので、レストランに行くと、なんと午後6時半でしまっている。
仕方がないので、チェックインを試みる。出発の6時間も前なのにチェックインが可能なのも驚いたが、手書きの搭乗券を差し出されたのは、また驚いた。
出発スケジュールを見て思ったのだが、Icelandair の意地悪で、よその航空会社が深夜の便になっているわけではなく、飛行場の近代化が遅れているので、頻繁な発着がコントロールできず、結果的に昼夜問わず、まんべんなく発着するスケジュールになっているのだろう。

中にはいると、なんと、免税店が閉まっている。24時間営業じゃなかったのか。両替所のおばさんに妻Rが聞いたところによると、飛行機の出発時間に合わせて開くのだそうだ。次の10時半の飛行機に合わせて、8時半に開くという。そういえば、町中から飛行場向けのバスも、(ストでなければ)出発時刻の2時間半前にReykjavikを出発するスケジュールだった。

それからの3時間ほどは、開いたり閉まったりする免税店を眺めたり、ロビーの椅子で眠ったりしていた。
空はいつの間にかもやが出ていて、ドイツからの飛行機が着陸できずに別の飛行場に向かったとのアナウンスがあった。小心者の僕は気が気ではない。妻Rは、アナウンスが聞き取れていないのだろうが、免税店に行ったまま帰ってこない。
ようやく戻ってきたので、「ひょっとしたら、ここから飛ばないかも知れないよ」と言うが、「あなたがジタバタしてもしょうがないでしょ」と、相変わらすしっかりしている。

おなかがすいたので、レストランに行く。
時間は深夜0時の少し前。厚い雲と、地平線の隙間に真っ赤な太陽が見える。向こうの席では、あの太陽がこれから沈むのか、上っていくのか、真剣に議論している。
多くの人が太陽の写真を撮っていた。
地平線から太陽が隠れたのは、深夜0時5分だった。

ロンドン行きの飛行機は無事到着し、我々は午前2時に機上の人となった。
2時10分には、太陽は雲の上で燦々と輝いていた。

おわり



アイスランド日記 おまけ
at 2000 07/11 06:49 編集

25万人ほどの人口のうち、17万人がReykjavik 近辺に住んでいるという。
これだけ人口が少ないので、次のようなことが可能になる。

1. 車のナンバープレートは、アルファベット2文字+数字3文字
これで、車は26x26x1000=676千台まで大丈夫
2. 人の名前は、名前だけで、苗字がない。
電話帳も、名前の順番に並んでいる。
そうは言っても、それでは混乱するので、誰の息子か、誰の娘かで区別するようにしている。
泊まったホテルのお姉さんの名前は、Karen Thorsteinsdottir。Karen と言う名前で、お父さんはThorstein。末尾のdottir は、英語のdaughter (娘)にあたる。
息子の場合は、末尾がson になる。
Jefferson とか、Simpson と言う名も、元をたどればアイスランド/バイキングにたどり着くのかも知れない。
島の特産は当然さかな。国民の12パーセントが漁業に従事している。
アイスランドの硬貨の模様は、さかな。50クローネだけカニだが、それ以外は全部さかな。