ロンドン行きの飛行機で、
を読みました。
「屋根の上のバイオリン弾き」をもじった、面白い題名だと思ったのですが、前半にイディッシュ語についてたくさん書かれており、「屋根の上のバイオリン弾き」の原作者である、ショレム・アレイヘムが、イディッシュ語の作者ということで納得しました。
読後感は「これはどういう本だろう」というものでした。
これは著者も後書きで「これはいったい何についての本か、と聞かれたら、われながら分類しにくい妙な本だとは思いつつも、やはり「コトバ」を扱ったもの、としか答えようがないであろう」と書いています。
エッセイとしても面白いですが、参考図書の案内もあり、いろいろな示唆を与えてくれます。
特にバイリンガルについての記述は興味深いです。
バイリンガルと言う言葉が歴史的に「共通の公用語を満足に話せない知的に劣った少数民族」というイメージに強く結びついていたので、むしろ差別用語のような響きを持っていた(182ページ)というような記述は、日本でのバイリンガルと言う言葉の意味と大きくかけ離れています。
著者は、このようなバイリンガル(たとえばアメリカのユダヤ移民の英語と位ディッシュ語)を垂直的バイリンガリズムと呼び、カナダ人の英仏語のようなどちらも高い地位を持つ言語の場合を水平的バイリンガリズムと呼んでいます。
また、バイリンガリズムは多くの場合バイカルチュラリズムであるのですが、その国の文化に全く興味を示さないバイリンガルは、機能的バイリンガリズムと呼ばれるようです。(181ページ)
私が恩師西本先生に「君の外国語は記号だよ」と言われたのは、まさしくこのことです。
他にも面白いエピソードがたくさんあります。
ノートルダム寺院の中に「静粛に」という注意書きがあるが、これは仏語・英語・日本語で書かれている。これは、
・アメリカ人と日本人が特にうるさい
・静かにしろと言う簡単なフランス語すら読めない(読もうとしない)
ということであろう。(111ページ)
著者はロシア・ポーランド文学専攻ということで、英仏伊語の(+独西ちょっとかじつた)私にはぴんと来ない部分もありましたが、気分転換には良いと思います。
「屋根の上のバイリンガル―エッセイの小径」(沼野充義著)白水社 |
「屋根の上のバイオリン弾き」をもじった、面白い題名だと思ったのですが、前半にイディッシュ語についてたくさん書かれており、「屋根の上のバイオリン弾き」の原作者である、ショレム・アレイヘムが、イディッシュ語の作者ということで納得しました。
読後感は「これはどういう本だろう」というものでした。
これは著者も後書きで「これはいったい何についての本か、と聞かれたら、われながら分類しにくい妙な本だとは思いつつも、やはり「コトバ」を扱ったもの、としか答えようがないであろう」と書いています。
エッセイとしても面白いですが、参考図書の案内もあり、いろいろな示唆を与えてくれます。
特にバイリンガルについての記述は興味深いです。
バイリンガルと言う言葉が歴史的に「共通の公用語を満足に話せない知的に劣った少数民族」というイメージに強く結びついていたので、むしろ差別用語のような響きを持っていた(182ページ)というような記述は、日本でのバイリンガルと言う言葉の意味と大きくかけ離れています。
著者は、このようなバイリンガル(たとえばアメリカのユダヤ移民の英語と位ディッシュ語)を垂直的バイリンガリズムと呼び、カナダ人の英仏語のようなどちらも高い地位を持つ言語の場合を水平的バイリンガリズムと呼んでいます。
また、バイリンガリズムは多くの場合バイカルチュラリズムであるのですが、その国の文化に全く興味を示さないバイリンガルは、機能的バイリンガリズムと呼ばれるようです。(181ページ)
私が恩師西本先生に「君の外国語は記号だよ」と言われたのは、まさしくこのことです。
他にも面白いエピソードがたくさんあります。
ノートルダム寺院の中に「静粛に」という注意書きがあるが、これは仏語・英語・日本語で書かれている。これは、
・アメリカ人と日本人が特にうるさい
・静かにしろと言う簡単なフランス語すら読めない(読もうとしない)
ということであろう。(111ページ)
著者はロシア・ポーランド文学専攻ということで、英仏伊語の(+独西ちょっとかじつた)私にはぴんと来ない部分もありましたが、気分転換には良いと思います。