前回の続き。
「小山怜央四段」誕生を記念して、かつてのアマチュア棋士の活躍を取り上げている。
そこで前回は、アマチュア棋士である天野高志さん(当時アマ名人)が、1990年の第2期竜王戦6組予選の1回戦で、佐藤秀司四段を破るという快挙を達成したことを紹介したが、実を言うと天野さんの活躍はここで終わらなかった。
なんとその後、2回戦で木下浩一四段、準々決勝で沼春雄五段に勝利し、準決勝進出。
次を勝てば5組昇級のみならず、決勝トーナメント進出の可能性も出てくる(もし勝てば決勝の相手は藤原直哉四段か郷田真隆四段)という大一番となった。
対するのは、これも佐藤秀司と同じく新四段になったばかりの丸山忠久。
のちに名人にまで上り詰めるマルちゃんだが、このころからすでに「強い」と評判で、郷田と並んでこの期の6組最強の刺客と言えた。
だが、ここでも天野さんは、すばらしい将棋を披露する。
おたがいガッチリ組み合う本格派の相矢倉から、先手の天野さんが4筋から戦端を開いて行く。
中盤戦、▲52歩とタラしたのが、いかにも筋のよい手で、自陣は堅陣で攻めの銀もさばけて先手ペース。
丸山も金銀の厚みで押さえこもうとするが、天野さんは歩を巧みに駆使して手をつないでいく。
図は▲45銀と打ったところだが、ここでは見事に攻めが決まって先手が優勢、いや勝勢と言っていいほどの局面かもしれない。
すわ! 天野さん、またも大金星か!
しかも、ここで若手バリバリで、将来のタイトル候補である丸山まで吹っ飛ばしたとなると、これは決勝トーナメント進出も夢ではない。
いやそれどころか、本戦でも活躍が見込めるし、まさかの「アマ竜王」もあるんでねーの?
なんて、まさしく「竜王戦ドリーム」の未来が広がったが、ここから丸山の、そうはさせじのねばりがすさまじかった。
必敗の局面から、じっと△27歩と受ける。
▲54銀、△37馬に▲63角成と窮屈だった角にまで活躍されるが、△28歩成、▲64馬、△73歩、▲59飛に△47歩成と、懸命に上部を開拓。
ねらいはもちろん、このころ丸山が得意としていた入玉だ。
それでも、▲24の歩に上部を押さえられ、先手の馬と飛車も生きている中、入れるかは微妙だが、ここからなりふりかまわず、もがいていくのはまさにプロの意地。
▲31銀、△12玉、▲55馬からの攻めにも必死の防戦で、とにかく上に昇ろうとする。
なんとかそれが実って△34玉と、ついに包囲網を突破する道が見えてきた。
それでも▲71角が痛打で、相変わらず後手が苦しいが、とにかくはいずってトライを目指す。
そうして喰いついているうちに、天野さんに悪手が出たわけでもないのに、少しずつ局面がアヤシクなってくる。
流れ的に、寄せに行くか、それとも相入玉を目指すかも判断がむずかしかったのかもしれない。
そうしてついには、双方の玉に寄せがなくなり持将棋に。
天野さんからすれば、勝てた将棋をドローに逃げられた形だが、ここはマルちゃんの執念をほめるべきだろう。
あらためて、指し直し局。
こうなると、さすがに勢いはマルちゃんにあるということで、得意の角換わり腰掛銀から仕掛けの斥候でリードを奪う。
だが、天野さんもここで引き下がるわけにはいかない。
プロにはプロの意地があろうが、アマチュアにはアマチュアの矜持があるのだ。
△49角と好位置に放って、なんとか喰らいつく天野さんだが、次の手が「ザッツ丸山忠久」という手だった。
▲77金打が、当然とはいえしっかりとした受け。
今では「負けない将棋」永瀬拓矢王座が指しそうだが、その元祖である「激辛流」といえば丸山忠久である。
その後も、なんとか手をつなげようとする後手の駒を、と金と馬で責めていき先手陣に寄りはない。
最後はまたも入玉模様に持ちこんで、天野さんを「完切れ」に持ちこみ勝利。
後手が放った4枚の金銀を完全に空振らせた、見事な脱出劇だった。
ここにアマチュアによる5組昇級という快挙は阻止されたが、天野さんの強さは疑いようがなく、ただただ拍手。
もともと私はプロがアマに負けても、さほど「情けない」とか思わないタイプだけど、これ以降ますます、その考えは強いものとなった。
むしろ「アマなんかに」みたいな考え方って、失礼なんでねーのとか。
仕事や勉強に追われながら、ここまでやれるって逆にスゴくね?
一方の丸山も、いつもの「ニコニコ流」だけでなく、陰に秘めた「根性」も、また大きな武器であることを示した。
とても熱い戦いで、このころはまさかアマチュアからプロになる人が出るなんて想像もつかなかったが、長くファンをやっていると、色々と楽しいものが見られるもんだなあ。
(丸山が見せた「根性」の一局はこちら)
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小山怜央さんがプロ編入試験に合格した。
これで見事、四段になっただけでなく、奨励会を経験していない「純正アマチュア」からのプロ誕生ということで話題性も充分。
中村太地七段の解説を見ていると(徳田拳士四段戦と岡部怜央四段戦)、内容的にもすばらしいもののようで、文句なしというか、とにかくおめでたい話だ。
まあ、アマタイトル多数に、対プロ勝率に、編入試験も合格と、これだけの超難関をいくつもクリアしてるのに、なんでフリークラスなんて中途半端なことするのかとか言いたいことはあれど、それはまた別の機会に。
小山四段、期待してます!
とまあ、こんなお祭りがあれば、今回の話題はアマチュア棋士の活躍しかないということで、アマプロ戦の思い出を取り上げたい。
1990年の第2期竜王戦6組1回戦。
佐藤秀司四段と天野高志さんの一戦。
竜王戦と言えば、アマプロ公式戦の先駆けともいえる棋戦。
今でこそ公式戦でアマがプロを破っても、それほど騒がれることもなくなったが、かつては
「素人と玄人にもっとも差があるのが、相撲と将棋」
と言われていた余韻もあってか、「負けたら恥」とまでは言わないまでも、そのプレッシャーはプロ側には相当なものだった。
実際、アマプロ戦でも非公式戦ではアマチュア棋士も結果を出すこともあったが、公式戦ではまだ爆発した人はいなかった。
そこに風穴を開けたのが、まさにこの竜王戦での天野さん。
しかも相手が、のちに新人王戦で優勝し、B級2組まで上がっていく実力者の佐藤秀司となれば、そのインパクトは充分。
「アマチュアがプロに勝っても、おかしくはないんだぞ」
という空気感を作ったのが、とても印象的だったのだ。
将棋の方は、相矢倉から後手の天野さんが工夫を見せて、やや力戦っぽい戦いに。
図は佐藤秀司が▲77銀と▲86から引いて、6筋に備えたところ。
後手の攻撃陣は理想形で、3&4筋のタレ歩も不気味だが、玉形は先手に分がある。
ここから中盤のねじり合いだが、天野さんがうまく指しまわしてペースをつかむ。
△96歩、▲同歩、△97歩、▲同香、△95歩、▲同歩、△96歩、▲同香、△85銀。
▲86の銀がいなくなって、手薄になった9筋から手をつけるのが、感触のいい攻め。
流れ的には△65歩と仕掛けたからには、そこから行きたいが、金銀4枚に飛車角までいて、先手が全力で受けている場所をコジッていくのは、いかにも率が悪い。
まずは天野さんが戦果を挙げたが、佐藤は薄い場所を突破されたなら軽く流すべしと、端は無視して▲46銀と取る。
△96銀に▲44歩とタタいて、△同金、▲45歩。
△43金と先手で位を取ってから、▲34歩と今度はこっちにビンタし、△同銀に▲35歩。
いわゆる「ダンスの歩」のような手筋で、これで後手の銀が見事に死んでいる。
次に▲34歩と取られた形が玉頭にせまっており、かなりのプレッシャーのようだが、天野さんは落ち着いていた。
△62香と、じっと力をためたのが好手。
天野さんが端に手をつけたのは、分厚い6筋をこのロケットパンチで一気に粉砕してやろうとのねらいだったのだ。
このままではたまらんと、佐藤は▲75歩と軽く受けるが、かまわず△66歩と取りこんで、▲同銀に△77歩がいかにも筋のよい「焦点の歩」。
どれで取ってもイヤな感じで、おぼえておきたい感覚だ。
▲同金直に、一気に行くのかと思いきや、そこでいったん△37歩成とするのが軽妙な手。
▲同飛に△25銀と、6筋に爆薬をセットしたまま、このタイミングで銀を助けるのが絶妙の呼吸。
よく藤森哲也五段のYouTubeで、
「ある方面で戦果をあげたら、そこを深追いするんじゃなく、次は反対側からせまるのが将棋の基本です」
なんて解説してるけど、6筋と見せて9筋、また6筋と見せて今度は2筋、3筋と、まさにこの「藤森メソッド」の通りの展開。
以下、▲17桂から暴れてくるのを丁寧に面倒見て、足が止まったところに、△66香、▲同角から△64香と、本日2本目のジャベリンが急所をつらぬいては勝負あり。
腰の重さが売りの佐藤秀司も、これではねばりようがなく、天野さんが金星を挙げた。
この結果は当時、かなりの衝撃をあたえたもので、△62香の局面は何度も専門誌に取り上げられた。
大げさではなく、今回の歴史的快挙を作った道をたどっていくと、その最初の一歩のひとつに、間違いなくこの天野さんの活躍は入るであろう。
歴史はつながり、大きな果実を実らせた。
小山さん、あらためて、おめでとうございます。
(天野さんと丸山忠久との準決勝に続く)
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前回の続き。
1990年、第49期B級2組順位戦の2回戦。
羽生善治竜王と吉田利勝七段の一戦は、横歩取りから、吉田が序盤で意味不明のような「一手パス」を披露し早くも波紋を呼ぶ。
図から△86歩、▲同歩、△同飛、▲87歩、△84飛で、手番が入れ替わっただけの同一局面に。
もらった手番を生かすべく▲75歩と伸ばすが、吉田は△54飛から△24飛と、またも不可解な1手損でゆさぶりをかけてから、△42角と引いて▲75の歩をねらいに行く。
「一手パスして、相手に指させた手を時間差でとがめに行く」
羽生が、今期王将戦第1局でも披露した一手損角換わりが出現してからは、ひとつのテクニックとしてすっかり定着したが、このときはそこまでハッキリと「言語化」されていたわけではなかった。
2006年の第64期A級順位戦。羽生善治三冠と谷川浩司九段の名人挑戦プレーオフ。
かつて「一手損角換わり」が出てきた当初の基本図がこれで、角換わり腰掛銀の「先後同型」に見えて、後手が「一手損」しているため「△85歩」と伸びてないのがポイント。
当時、角換わりの「先後同型」は後手が受け身になり苦しいと言われていたが、この形だと例えば▲75歩と桂頭を責められたときに「△85桂」と反撃する味があって、むしろ後手が有望。
「一手パス」というマイナスをプラスに転じるワザが可視化された戦法で大流行した。
空中戦のスペシャリストである吉田は、経験からこの辺りを勘どころをつかんでおり、しっかりと研究してあったようだ。
これに惑わされたか、▲77桂と指した手が悪手で、ここから後手がリードを奪う。
ひねり飛車のような形で、自然な手のようにも見えるが、羽生によるとこのまま持久戦にして1歩得を主張するつもりが、意外と先手玉が固くならないのが誤算だった。
それよりもバランスを重視した布陣を敷くべきで、このあたりは経験値と構想力で吉田に一日の長があったというべきか。
羽生の迷走はまだ続き、この▲56歩という手も悪手。
意味としては、将来8筋にいる金で角を責められそう。
そのとき5筋が突いてあれば、▲79角と逃げた手が次に▲45歩の飛車銀両取りのねらいがあって先手が取れるということ。
そう説明されればいい手のように聞こえるが、羽生によると、ここではとにもかくにも▲86歩と、局面をほぐしに行かなければならなかった。
ここから△74歩、▲同歩、△95歩、▲同歩、△74金とテンポよく進出され、にわかに飛車が危ない。
こうなると▲77桂の形が、たたっているのは明白だ。
プレスをかけられて息苦しい先手は、▲39玉と、とにかく固めてチャンスを待つが、△21飛に▲72歩が△71飛の転換を阻止するだけというつらい手。
その裏をついて△73桂と活用し、ますます後手好調。
先手はねらわれそうな大駒を処理すべく、▲79角の早逃げ。
押さえこみを喰らって苦しげだが、こういう局面から若さにまかせてねばりまくり、うっちゃりを決めるのは羽生の十八番。
まだまだ、これからに見えたが、次の手が羽生の希望を打ち砕く痛打だった。
△98歩と打って、この将棋は「オワ」。
▲同香の一手に、△75歩、▲96飛、△84金で先手はどうしようもない。
飛車が完全に死んでいる。
後手の見事な締め技に、なんとか場外に逃れたくても、歩打ちの効果で▲98飛と逃げることができない!
先手陣は△69飛と打たれる手が、メガトン級の破壊力なのに、それを受ける形もない。
なんという見事な指しまわし。まさにスペシャル炸裂。
20歳にして、すでに棋界の頂点に立つ天才相手に、57歳のベテランがこんな将棋を指せるというのが、すさまじいではないか。
以下、勝勢になった吉田は、あまりにうまくいきすぎたせいか明快な決め手を逃し、先手も挽回のチャンスがめぐってくる。
ここからの羽生の馬力もすさまじく、必敗の将棋をものすごい勢いで追い上げ、ついに「逆転か!」という場面まで持ってくる。
後手が△79飛成と角を取ったところだが、ここが羽生にとって最後の勝負所だった。
先手の猛追で、まだ後手が勝ちながら、実戦的な雰囲気はかなりアヤシイ。
野球で言えば、7点ビハインドを2点差まで追い上げ、9回最後の攻撃で先頭バッターが出塁したような感じ。
さあ、次も続けよと言うところで、ここでは▲35角と打つのが勝負手だった。
上下に効きまくり、雰囲気は満載で羽生好みの手と思われたが、苦しい展開に時間を使わされ、残り3分になっていたため、迷った末に選べずゲームセット。
▲63とと銀を取ったのが凡手で、これでは局面にまぎれがなく、吉田を楽にさせてしまっている。
△79竜は実は一手スキになっており、△17銀と打ちこんで、先手玉は詰んでいる。
そんなに難しい筋でもなさそうだが、羽生はこの詰みが見えてなかったそうで、最後まで調子が狂わされっぱなしだった。
それもこれも、やはり吉田による玄人の技の賜物であろうか。
これでまさかの開幕2連敗を喫した羽生は、その後8連勝するも時すでに遅く、Cクラスに続いて、ここでもまた足止めを喰らってしまうのだった。
(A級順位戦編に続く)
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「手を渡す」ことが、将棋ではいい手になることがある。
双方とも指す手が難しかったり、また不利な局面で相手を惑わせたりするため、あえて1手パスするような手で手番を渡す。
私のような素人がやると単に1ターン放棄しただけになり、ボコボコにされるだけだが、強い人に絶妙のタイミングでこれをやられると、ムチャクチャにプレッシャーをかけられる。
そういう混乱と恐怖を生み出す手が抜群にうまかったのが、昭和なら大山康晴十五世名人、平成では羽生善治九段だった。
2000年の第48期王座戦。藤井猛竜王が羽生善治王座から2-1とリードを奪っての第4局。
激戦のさなか、△65桂の存在や馬の質駒など様々な懸案材料のある中、じっと端に味をつけるのが「羽生の手渡し」。
1手の価値があるか微妙なところだが、これで相手を惑わせ、プレッシャーのかかるカド番の将棋をはね返した。
前回はC級1組順位戦で、ベテラン剱持松二七段にまさかの敗北を喫した将棋を紹介したが、今回は羽生将棋から意表の「手渡し」を見ていただきたい。
ただし主役になるのは彼の方ではなく……。
1990年の第49期B級2組順位戦。
羽生善治竜王と吉田利勝七段の一戦。
羽生といえば、のちに24歳で名人になるがC2、C1とそれぞれ1期ずつ足止めを喰らうなど、それまでの道程では意外な苦労があった。
このB級2組でも、ちょうど初タイトルの竜王を獲得したこともあって、
「今度こそ1期抜け」
期待は高まるが、初戦で伏兵の前田祐司七段に敗れてしまう。
順位下位ということもあって、早くも剣が峰に立たされた羽生だが、続く第2戦でも大苦戦を強いられるのだ。
吉田の先手で始まった将棋は、相掛かりで▲36銀と出る形から中盤で千日手に。
先後入れ替えで指し直しになったが、羽生は先手を得たものの、持ち時間は1時間と吉田は3時間9分で差があり、一概に得ともいえないところ。
「序盤は飛ばして行こう」と意識していた羽生に、吉田がいきなりワザをかける。
それがこの局面。
まだ序盤のなんてことないところだが、ここで吉田は羽生をして、
「私には100年考えても思い浮かばない着想です」
そう言わしめた手順を披露する。
△86歩、▲同歩、△同飛、▲87歩、△84飛。
この図を上のものと見比べていただきたい。
そう、なんとこの両局面、まったく同じ形なのである。
違うのは手番が後手から先手に移っただけ。つまり、この局面の吉田は一手パスしたわけなのだ。
将棋のテクニックにおける一手パスは、パスではあるけど端歩を突いたり、遊び駒を動かしたりと、
「手番は渡すけど、いい手でとがめられないと次は一気に行きますよ」
といったような無言のプレッシャーをかけるものが多い。
後手から次に△65歩、△75歩、△86歩、△49角など様々な攻め筋があるところ、堂々と「やっていらっしゃい」と。
どっこい、この吉田のパスはそういったかけ引きや、意味があるのかどうかも不明な、まさに純正一手パス。
こんな手が、果たしてあるのだろうか。
「一手パス」による駆け引きを大きな武器とする、あの羽生が困惑するのだから、本当に不思議な手順。
羽生は▲87歩と打つ前にトイレに立ったそうだが、単なる尿意だけによるものではなかったはずだ。
ただこれこそが、57歳のベテラン吉田利勝の見せたワザだった。
吉田は先手なら相掛かり、後手なら横歩取りの空中戦に独特の感覚を発揮する異能派で、その指しまわしは「吉田スペシャル」と恐れられていた。
そのスペシャリストからすれば、ここで先手に有効手がないというのが見えていたわけで、現に羽生本人も、
「指されてみて自分の指す手が難しいので、二度ビックリ」
そう、羽生はすでに罠にかかっていたのだ。
手番を生かすべく、羽生は▲75歩と伸ばすが、吉田は△54飛から△24飛とゆさぶりをかけ(またも一手損!)、△42角と引いて▲75の歩をねらいに行く。
「一手パスして、相手に指させた手を時間差でとがめに行く」
という、のちの一手損角換わりなどに共通する手管だ。
(続く)
前回の続き。
1988年、第47期C級1組順位戦。
剱持松二七段と、羽生善治五段の一戦は中盤のねじり合いに突入。
この△63歩という手が、いかにも羽生らしい実に悩ましい打診。
馬を逃げる場所がむずかしく、いきおい先手はここでラッシュをかけることになるが、それは羽生の待ち受けるところ。
相手があせって前のめりになり、体の軸がぶれた瞬間にタックルを決め、そのまま一気に持って行ってしまうのだ。
……というはずだったが、なんとここで羽生にミスが出る。
剱持は▲23香と、露骨に打ちこんでいくが、△13玉とかわしたのが疑問で、ここは堂々△23同銀と取るべきだった。
△13玉に▲21香成、△64歩と馬を取ったところで▲37桂打が好手で、またも剱持がリードを奪う。
△24玉、▲11成香、△23玉にも、あせらずに、じっと▲64歩と取っておく。
歩切れを解消しながら、後手玉が左辺に逃げ出したとき、うっすらと拠点にもなっている。
なにより、ここで攻め急がない姿勢が見事で、河口俊彦八段も、
「力をためて味わい深い」
私も子供のころ並べて、
「強い人は、こういう手が指せるんやな」
深い意味が、わかっていたわけではないが、その「大人の手」とでもいうべき落ち着きに、シビれたものだった。
ここまでくれば、ハッキリと羽生が苦しいのがわかってきた。
▲64歩に△11角と取るが、▲25銀と上部から圧をかけて、ここで完全にまわしをつかんだ。
以下、△24歩に(少し長いので飛ばしてください)▲14銀、△同玉、▲15香、△23玉、▲12銀、△22玉、▲11銀不成、△31玉、▲54桂、△44角、▲13角、△21玉。
剱持に気持ちのいい手順が続いて、羽生は絶体絶命。
とはいえ、こういう崖っぷちから、信じられない勝負手や妙手を繰り出して、ありえない逆転勝ちを数多つかんできたのが、若手時代の羽生だった。
まだわからんぞの期待もあったが、次の手が冷静な勝ち方だった。
▲23歩とタラすのが、「羽生マジック」を回避する落ち着いた手。
ここは▲33歩と打っても勝ちだが、河口八段によると、△11玉、▲32歩成、△同金。
ここで詰んだとばかりに、▲12銀、△同玉、▲31角成とすると、△13歩で「アッ!」となる。
▲同馬は△21玉。
▲同香不成は△23玉で、どちらも詰まない。
▲13同香成は、△11玉で打ち歩詰め。
実際は△13歩には▲同香成、△11玉に▲32馬で先手玉は詰まないから、先手の勝ちは動かないのだが、もしこれで自陣が詰めろとかになっていたら、たしかにあせりまくるところだ。
実際、△13歩の局面で▲13同香成を入れず単に▲32馬と取ると、いきなり△17飛と打ちこむ手がある。
▲同桂、△同角成、▲同玉、△25桂、▲同桂、△26銀、▲同玉、△37銀、▲17玉、△28銀打、▲18玉、△17香まで、計ったようにピッタリと詰んでしまうのだ!
こういうのを見ると、強い人に二枚落ちとか四枚落ちで、なかなか勝てない理由がわかる。
将棋の終盤戦は、本当に最後の最後まで罠だらけなのだ。
その点、▲23歩なら△同銀に▲22銀成として、△同角、▲同角成と△44にいる角を排除できるのが自慢。
後手は△44の角が、攻防に効いているのが最後の望み。
先手が寄せをグズれば、駒をたくわえた後、上記のように△17から打ちこんで一気にトン死筋へ持っていくねらいもあったが、それも消されてしまった。
以下、△同玉に▲11角できれいな寄り形。
△44の角がいなくなって、先手玉はもう怖いところがない。
△31玉、▲13香成、△32金に▲33歩とたたいて、とうとう受けがなくなった。
途中、▲13香成がまた、相手玉にせまりながら、▲15への逃走ルートも作った一石二鳥の手。
将棋の終盤戦は1度勝ちになると、確変のように次から次へと良い手が連鎖して生まれるもので、それすなわち「勝ち将棋、鬼のごとし」。
絶望的な形勢だが、羽生はさらにそこから、投げずに指し続けた。無念だったのだろう。
この日は羽生が敗れたから、というわけではないだろうが、他のカードも星が伸びない棋士が全員勝ち、大内延介九段がしみじみと、
「劇的なことって、あるもんだねえ」
そういうイレギュラーなことが、まま起こるのが、順位戦というものなのである。
(羽生のB級2組での戦い編に続く)
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「そういや、藤井聡太って、大番狂わせっていうのがないよな」
先日、ラーメン横綱で昼飯を食ているとき、そんなことを言ったのは友人キュウホウジ君であった。
藤井聡太五冠がケタ違いに強いのは、もはや周知の事実であるが、感心するのは取りこぼしというのが、ほとんどないこと。
特に全盛期ほどの力がなくなった印象のある中堅ベテランに、しっかりと勝てるのが地味にすごくて、かつてのトップ棋士でも痛いところで「熟練のワザ」にかかってしまうことがあった。
たとえば若手時代の森内俊之九段は、B級2組順位戦で、開幕から8連勝しながら、56歳のベテラン佐伯昌優八段に完敗を喫したことがあった。
1993年、第51期B級2組順位戦の9回戦。佐伯昌優八段と、森内俊之六段の一戦。
中盤戦、先手の佐伯が▲65歩、△同歩に▲64歩とタラしたのが機敏な手で、後手の2枚の銀が動きを封じられてしまった。
以下も佐伯の指し手が冴えまくり、まさかの圧勝劇を見せる。
しかも佐伯はここまで8連敗。
とっくに降級が決まっていたその一方、森内はあの藤井聡太五冠でも破れなかった順位戦26連勝という記録を継続中だった。
今考えても、森内に負ける理由がまったくない戦いであり、まさにこれ以上ない「死に馬」に蹴られたことになる。
これで森内は、なんと順位わずか1枚の差で村山聖六段に、9勝1敗の頭ハネを喰らってしまう。
森内の黒星が、何度見ても意味不明の表。
「ま、ここは問題ないっしょ」
という相手にやられた記憶はあまりなく、そこが感心する。
そこで前回は羽生善治九段が、かつて「島研」でしのぎを削った島朗九段との熱戦を紹介したが今回は、かつて相当に話題となった、ある番狂わせを紹介したい。
舞台はといえば、もちろん順位戦になるのが、昭和の将棋というものだった。
1988年の第47期C級1組順位戦。
剱持松二七段と、羽生善治五段の一戦。
前期、2期目でC級2組をクリアした18歳の「天才」羽生は、当然このC1でも昇級候補の筆頭だった。
その期待に応え、まずは開幕2連勝と快調にすべり出すも、第3戦で佐藤義則七段に敗れて大きく後退。
佐藤はかつて、棋聖戦の挑戦者決定戦にも出たことのある実力者だが、数年前にB2から落ち、このときも40歳と盛りは過ぎていたため、かなり意外な結果だった。
早くも昇級に黄信号がともったが、そこから泉正樹五段、浦野真彦五段という、全勝で走る競争相手をたたいたのはさすがで、4勝1敗で前半戦を折り返す。
続く6回戦の相手は、54歳のベテラン剱持。
順位が悪いので、残り全勝するしかない羽生だが、まずここは大丈夫だろうと思われたところから、これが思わぬ波乱を呼ぶ一戦となるのだ。
先手になった剱持の四間飛車に、羽生は左美濃から、銀を繰り出して仕掛けていく。
中盤の、この局面。
まだ互角のわかれだろうが、ここでは▲73歩成や▲55角。
また現代風に、左美濃の急所をねらって▲27飛と回るなど手が広く、振り飛車がまずまずに見える。
どの手も有力そうだが、河口俊彦八段の『対局日誌』によると、剱持は61分じっくりと想を練って、▲73歩成とする。
後手は△76歩と止めるが、そこで手に乗って▲27飛とするのが好調子。
△69飛成に▲63と、と捨てて、△同金に▲72角と打つ。△53金に▲81角成。
△89竜と後手も駒を補充するが、そこで▲59歩としっかり固めておく。
金底の歩つきの美濃囲いが固く、▲27の地点に設置された波動砲も後手玉に強烈な圧をかけており、やはりまだ微差ながら、一目は振り飛車がさばけているような局面だ。
羽生は1回、△22玉とバックステップで大砲の威力を緩和し、▲91馬に△66角と、こちらも高射砲を設置。
▲45桂、△52金引、▲64馬の活用に△44桂と、美濃の急所であるコビンをねらいにする。
かなり、せまられている形だが、ここでまず、先手に大きなチャンスがおとずれている。
ここでは1回▲37銀と受けておいて、△57歩成に▲25歩と攻め合えばよかったと。
先手玉は、最後△49と、から△39角成と来られても、▲18玉と逃げた形が、▲27にある飛車の守備力が絶大で、どうやっても詰みはなく、ハッキリ1手勝ちだったのだ。
ところが、剱持は単に▲25歩と突く。
これで勝ちなら話は早いが、△同歩と取られたことろで、手が止まってしまう。
なにか錯覚があったようで、50分の長考で▲24歩とたらすが、ここで羽生の目がキラリと光る。
すかさず△36桂と急所のダイブを決めて、▲18玉に、△26銀とかぶせて、先手玉はにわかに危険な形におちいった。
控室の検討では「逆転だ!」と、色めきだったそうだが、剱持の▲37銀打が力を見せた手で、踏みとどまっている。
△27銀成、▲同銀、△87竜に、▲36銀直と桂をはずして、先手玉は相当安全になったが、そこで△63歩が、いかにも羽生らしい実に悩ましい手。
馬を逃げる場所がむずかしく、いきおい先手はここでラッシュをかけることになるが、それは羽生の待ち受けるところ。
こういうアヤシイ打診で相手のあせりをさそうのは、羽生にとって得意中の得意という展開だ。
(続く)
「最後は羽生さんが勝つゲーム」
将棋について、こんな言葉を残したのは藤井猛九段であった。
ネット中継のどこかで聞いたような気がするので、ややうろ覚えだが、
「将棋とは1対1で、盤と20枚の駒を使って戦い、最後は羽生さんが勝つゲーム」
みたいな言い回しで、かつては「一歩竜王」の伝説となった竜王戦七番勝負で勝利をおさめ、羽生の「2度目の七冠ロード」を阻止したこともあるという藤井猛が言うと、なにやらただの賞賛や自虐ではすまない凄味が感じられる。
そんな羽生将棋は、少年時代からその強さが、特に終盤力が圧倒的で、どんな不利な局面におちいっても、
「でも、結局は最後、羽生がなんとかするんでしょ」
みたいな空気感が支配的。
実際、羽生はその期待(諦観?)に応えて、あざやかな絶妙手を駆使し、勝利をおさめるのだ。
そこで前回は村山聖九段との激戦を紹介したが、今回はこれもまた伝説となった研究会を主宰し、羽生に多大な影響をあたえたであろう先輩との一局を見ていただきたい。
1989年のオールスター勝ち抜き戦。
島朗竜王と羽生善治五段との一戦。
島と羽生と言えば、かの有名な「島研」でしのぎを削った間柄であり、のちに何度もタイトル戦で顔を合わせることにもなる。
オーソドックスな相矢倉から、派手な駒交換になり、後手の羽生が一気に攻めこんでいく。
島は馬と竜を駆使してしのごうとするが、羽生もうまく手をつないで先手の矢倉を壊していく。
むかえたこの局面。
先手陣はうすく、竜が強力なようだが、それを責められると
「玉飛接近すべからず」
格言通り、先手先手で寄せられてしまう可能性も高い。
とはいえ先手からも、▲41銀と掛ける形が矢倉攻略の基本のキであり、状況によっては一撃で仕留められてしまう恐れもあるところ。
歩切れなのも痛く、後手優勢ではあるが油断できないところで、次の手をどうするか難しい局面だが、ここで羽生が鬼手を放つ。
△86銀と打つのが、意表の一手。
歩があれば△86歩だが、無い袖は振れないわけで、ならばと銀をタダでというのがすごい発想。
ひょえーと声が出そうだが、今ならそれこそ藤井聡太五冠が指しそうな手ではある。
▲同竜の一手に△85香と打って、竜が逃げられないから(△89竜で1手詰み)、これで決まっているようだが、島も▲77角としぶとく受ける。
島といえば妙にあきらめのよいときもあり、「早投げ」のイメージも強いが、こと一旦ねばると決めたときには、このように万力でロックしたかのごとく、しがみついてくる。
△86香には▲同角で、これが▲34桂、△33玉、▲32銀成、△同玉、▲42金のような筋で、詰まされても文句は言えないという、危険きわまりない形。
羽生は竜を取らずに一回△42金寄と辛抱し、▲65歩の王手に△44銀。
そこで▲35桂がきびしい反撃で、△41金に▲43桂成で、後手陣も相当にせまられている。
逆転しててもおかしくない流れで、羽生は△89銀、▲87玉、△86香と王手で竜をはずして、▲同玉に△82飛。
王手しながら、飛車の横利きで受けにも利かした攻防手だが、ここで先手に絶対手といってもいい一手がある。
▲83歩と打つのが、是が非でも覚えておきたい手筋。
△同飛は飛車の横利きが消え、後手陣が格段に寄せやすくなる。
この歩のような筋が、読みとか以前に本能で指せるようになると、初心者から中上級者への壁を突破できたと言っていいのではあるまいか。
とはいえ、△83同飛と取るしかない羽生は、▲76玉に△94角と必死の追撃。
▲66玉で手順に先手の角道を遮断し、▲44角の王手を消したものの、△69竜、▲68香で、先手玉にまだ詰みはない。
ここで弾切れになった後手は▲34桂を防いで、いったん△33歩と手を戻す。
さあ、クライマックスはここだ。
島の手をつくしたがんばりに、ここではすでにムードがアヤシイ。
手番をもらった先手には大チャンスで、後手陣にいかにも寄せがありそうだが、次に指した手が痛恨だった。
▲52銀と打ったのが敗着。
この手は次に▲32金から入って、△同金、▲同成桂、△同玉に▲43、▲32、▲22と、金をペタペタ並べていけば詰むという一手スキ。
▲83歩の効果で、飛車の横利きを消された後手は△52同飛のような手段も失って、一目受けがない。
先手玉に詰みはなく、後手は持駒もないためワザもかかりそうにないようだが、ここでまさかの切り返しがあった。
△64歩と突くのが、盤上この一手のあざやかなカウンターショット。
これが、▲32金、△同金、▲同成桂、△同玉、▲43金に△同飛と取れるようにしながら、△65銀と出る詰み筋を作った、きれいな「詰めろのがれの詰めろ」なのだ。
この手があるなら、▲52銀では▲52金とするべきだった。
これなら、△64歩としても、▲32金からバラして、飛車の利きに入らない▲42金打から、▲31銀の順番で打って行けば詰む。
とはいうものの、こういうところは銀というのが形。
後手陣は、金を手持ちにしておいたほうが詰みやすそうだし、▲43の成桂にヒモをつけているのも、一目いい感じ。
また、なにかで△41の金を取る展開になったとき、▲41金より▲41銀不成と取りたいのが人情ではないか。
そりゃ時間がない状態で、ここの金か銀かの選択を迫られたら、とっさに銀を手にしてしまうよなあ。
▲52金と、▲43の成桂の組み合わせに、どうしても違和感があるのだ。
いやあ相当打てない、ここで金は。
AIならこれは一目であろうが、その意味では先入観にとらわれないAIと、「経験」が大きな武器であり、同時にそれが「思いこみ」を産んでしまうこともある人間の特徴を比較するのに、よい例となるかもしれない。
つまりは、それくらい難解で、紙一重の終盤戦だったということだ。
よく居飛車党からは
「矢倉はすべての駒が働くから楽しい」
という意見を聞くが、それが実感できる熱戦でした。いい将棋ッス。
(羽生の大番狂わせ編に続く)
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前回の続き
1989年のC級1組順位戦、羽生善治五段と村山聖五段の一戦は、将来の「名人候補」の対決らしい大熱戦になった。
図は先手の村山が少し不利ながら、手順を尽くして金銀の両取りをかけたところ。
これがなかなかの迫力で、こうなると先手の攻めも相当に見える。
村山らしい力のこもった切り返しだが、羽生はここから見事な組み立てで、この攻撃をしのいでしまう。
まず△25飛と打つのが、しのぎの第一弾。
歩がない先手は▲27桂と、つらい辛抱しかないが(これが▲24歩と打ち捨ててしまった罪)、これで遠く△85の銀にヒモをつけてから、今度は△72角と打てば、なんと両取りがピッタリ受かっている。
いや、受かっているどころか、これが▲54の銀に当たっており、しかもその先には飛車角両方とも、先手陣の急所である▲27の地点もねらっている。
もう、一石で何鳥落としたかわからないくらいの、利きに利きまくった絶好の攻防手になっているのだ!
まるで手品のようなしのぎに、見ているほうは茫然とするしかないが、羽生からすれば「ま、これくらいは」てなもんであろう。
村山は▲46金と戦力を足すが、一回△68角成として、▲45金、△33玉、▲85飛成に△23銀と味よく受けて先手が足りない。
以下、▲82竜、△67馬、▲35金に△54角と取って、いよいよ仕上げに入る。
手段に窮した村山は▲62竜と首を差し出すしかない。
大熱戦も、ついに幕を下ろすときが来たようだ。
先手玉には詰みがあるのだが、この手順がなかなかいいものなので、少し考えてみていただきたい。
△27角成から入って、途中くらいまでは私レベルでも思いつくが、そこからの流れにちょっとした味がある。
ヒントは銀の軽やかな舞。手数は逃げ方によるが、19手詰くらいです。
正解はまず△27角成として、▲同銀に△同飛成とこれも捨てて、▲同玉に△15桂。
ここまではわかるとして、▲16玉に△25銀と打つのがシャレた手。
ここでウッカリ△27銀と先に打つと、▲15玉で詰まない。
これは大逆転で、後手が負け。
いつも思うのは将棋の終盤戦はよく「スプリント勝負」など言われるが、実際に一番近いのは「弾丸摘出手術」「爆弾処理」「ジェンガ」といった作業ではないのか。
ここは先に△25から打って、▲同金に△27銀が正着。
こまかいようだが、これであらかじめ、金を▲25に寄せておくのがミソ。
▲15玉に△14銀と出て、▲26玉。
ここで△25銀を先に打った意味がわかる。
次の1手が、これまた詰将棋のように華麗な手で、拍手、拍手。
△36銀成と一回王手していた銀を成り捨てるのが、両雄の戦いを祝福するかのような、さわやかな収束。
ここを単に△25銀は▲27玉で「あ!」となる。
△36に銀を捨てて歩を前進させておけば(金が▲25に寄ってないと、ここで▲同金がある)、▲同歩、△25銀、▲27玉に△36銀と出られるから詰み。
△27角成を決行する前、羽生は時間を6分残していたが、消費わずか1分でサッと決断。
「余裕で読み切ってますよ」
という宣言みたいなものだから、単に詰ますだけでなく、村山に対するアピールの意味もあったのかもしれない。
こうして東西天才対決は羽生の勝利で終わった。
終局後、羽生が去ったあと盤の前にひとり残された村山は、ポツリとつぶやいたそうだ。
「なんて強いんじゃ……」
髪をかきむしり、顔をおおって、もう一度しぼり出すように、
「なんて強いんじゃ!」
この期、羽生は8勝2敗で締めくくりながら頭ハネを喰らうも、次の年はまたも村山に、佐藤康光、森下卓という競争相手を直接対決で吹っ飛ばして全勝昇級を決める。
村山はC1こそ4年かかったものの、B級2組は幸運もあって1期抜けを決める。
続くB級1組も2年でクリアし、羽生に2年遅れたものの、堂々のA級棋士になるのだった。
(島朗との熱戦に続く)
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藤井聡太と羽生善治のタイトル戦が、ついに実現した。
ということで、当ページはこのところ「羽生善治特集」になっており、主にまだ10代のころの将棋を取り上げている。
今の藤井聡太五冠が20歳だから、このころの羽生とくらべてみるのも、おもしろいかなーとか思っており、そこで今回もヤング羽生将棋を見ていただきたい。
これまでは格上のタイトルホルダーや中堅クラスの棋士との戦いが多かったが、今回は同年代同士の戦いを。
いわゆる「羽生世代」のレジェンド棋士が、10代のギラギラ感を漂わせたまま、最大のライバルにぶつかっていく様を、どうぞご堪能ください。
1989年、第47期C級1組順位戦の8回戦。
羽生善治五段と村山聖五段の一戦。
昨年度、C級2組を抜けた羽生と村山は、当然のごとくC1でも昇級候補バリバリで、リーグの目玉になることを期待されていた。
……はずだったが、そこは順位戦というもののおそろしさ。
羽生は途中、佐藤義則七段と剱持松二七段という中堅ベテランの棋士に苦杯を喫し、大苦戦のレースを強いられる。
一方の村山も、こちらは昇級候補にあげられている神谷広志六段と室岡克彦五段との直接対決に敗れ、すんなりとは上がらせてもらえない模様。
星の上では上位に室岡克彦五段、浦野真彦五段、西川慶二六段、伊藤果六段がいて、村山の場合など、さらに羽生と泉正樹五段の下まで叩き落されることとなった。
「名人候補」の2人が5、6番手に追いやられるというのが、特に人数の多いCクラスのおそろしいところだが(なんて息苦しい制度なんだ。いいかげんにしてほしい)、どっちにしろ、ここで負ければおしまいなのは両者共通しているところだ。
将棋のほうは村山先手で、羽生の横歩取りの誘いを拒否し、ひねり飛車に組む。
玉をしっかり囲った羽生が△93桂から動いていくが、ここからプロらしい押したりり引いたりの中盤戦に。
ワザをかけるぞ、かけさせないぞ、のこまかいやり取りは渋くて難解だったが、局面が動いたのはこのあたりだったと言われている。
先手が▲24歩、△同歩を入れてから▲45角と打ったところで、これが玉頭と、遠く△81の飛車もねらったするどい手。
専門的には、ここでは▲24歩を保留して、単に▲45角のほうが良かったらしいが、どこかで▲23に駒をぶちこむ筋もできるから、こう指したくなる気持ちはわかる。
次に▲43銀成と突っこまれると、これが飛車取りにもなっていてまいる。
羽生は1回△59と、を入れて▲39金に△85飛と、角のラインを外しながら横利きで玉頭をケアする。
村山は▲34角とせまる。ここで、ふつうに受けていてはダメと見て、羽生は△44桂と一発カマす。
きわどいタイミングでの桂打ちで、逃げてくれるなら打ち得ということだろうが、この瞬間がかなり怖いところ。
現にここでは▲23歩とたたいて、△同金に▲43銀不成と特攻し、△56桂と飛車を取られたときに▲同金(!)で先手もかなり有望だった。
飛車をほとんどタダのような形で取らせるのは思いつきにくいが、このジッと▲56同金がなかなかの手で、
「4枚の攻めは切れない」
の格言通り、後手も振りほどくのは大変なようなのだ。
村山も、もちろん見えていただろうが、薄いと見たか自重して▲46飛とかわす。
これも自然なようだが、ギリギリのところで我をゴリ押ししてきた△44桂が通ったというところは、先手が「ひるんだ」とも解釈できる。
なら桂を打った甲斐が局面的にも、またメンタル的な勢いの面でも大きく、ここでグイっと△33玉。
まるで木村一基九段のような顔面ブロックだが、これが力強い好手で、どうも、このあたりからは羽生ペースになってきたよう。
村山は苦しいと見たか、▲22歩、△同銀に▲45飛(!)の勝負手を放つ。
△34玉で角がタダだが、王様を危険地帯におびき寄せてから、▲85飛、△同銀、▲82飛。
この金銀両取りが強烈で、こうなると先手の攻めも、なかなかに見える。
△62の金を取られると、△34玉と上がらせた効果で、また△32の金取りの先手。
△85の銀を取らせるのも、竜の横利きが露出した玉に直撃してくる。
先手も相当せまっているように見えるが、そこは相手が天下の羽生善治。
ここからうまい組み合わせの手順で、先手の攻めをうまくいなしてしまうのだった。
(続く)
前回の続き。
1986年の新人王戦。
羽生善治四段と、中村修王将との一戦。
タイトルホルダーと未来のタイトル候補という好カードは、期待にたがわぬ好局となる。
双方、指す手が見えにくい局面で、△95歩と端を突いたのが、中村のセンスを見せた手。
専門的には「手として有効である一手パス」という、ややこしいものをひねり出さなければならないという、激ムズな中盤戦だったが、そこで見事な「正解」を出したのはさすがであった。
だが、それに対する羽生の応手が、またすさまじい。
▲95同歩が、「らしいなー」と声をあげたくなる一手。
といっても、端を突かれたから取っただけで、なにをそんなに感心するのかと思われる方もおられるだろうが、これは感嘆を呼ぶ手であり、同時にものすごく「羽生らしい」手でもある。
この難解な局面で遅いような、それでいて、あせらされる手を見せられたら、この手番を生かして、なんとか少しでも攻めたくなるのが人情だ。
そこを、じっと自陣に手を戻す。
デビューしたての若者が、タイトルホルダー相手に、
「どうぞ、好きに、やっていらっしゃい」
その、ふてぶてしさと、
「パスしたい局面で手を渡してきたなら、こっちも同じような手で返せば敵は困るはず」
という論理性を内包した、実に味わい深い一手なのだ。
将棋は好きだけど、あまり指すことはないタイプの「観る将」の方に私はよく、
「たまには実戦も、指してみるのもいいですよ」
オススメするのことがあるんだけれど、それはゲームとして面白いのはもちろんだが、それともうひとつ、実際にだれかと指してみると、この▲95同歩のような手の魅力がわかるようになるから。
これがねえ、自分で指してると、ホントしみじみ理解できる。
自分が先手だったとして、「格上」の人相手に△95歩みたいな手を指されてですねえ、それを堂々と取るのはムチャクチャに勇気がいるのだ。
だって、その瞬間になにをされるのか、わかったものではない。絶対、オレの読んでない手が飛んでくるに決まってるんだ。
そんな疑心暗鬼におちいりながら、なにかあせって単調な攻めの手を指して、あっという間に負けてしまう。もちろん、この局面の中村もそれを誘っている。
そこを完全に看破し、タイトルを持って勝ちまくっている先輩相手に、
「おう、来いよ、ビビってんのか?」
みたいな態度で▲95同歩と取れるのが信じられない。
よほど自分の読みに自信があるのか、それとも天才となんとかは紙一重なのか。
きっと両方なんだろうけど、なんかもう、とにかくシビれる一着なのであり、ぜひこの興奮を「観る将」の人たちにも味わってもらいたいですよ! いやマジで!
こんなことをされては、さすが温厚な中村王将も怒るというもので、△86歩、▲同歩に△85歩から騎虎の勢いで襲いかかる。
少し進んで、この局面。
玉頭を銀で押さえ、2枚の角が急所に利いている。
香も取られる形だし、並みならつぶれているところだが、なかなかどうして、先手もくずれない。
▲77金寄が、力強い受け。
金を連結させながら、頭を押さえている銀にアタックをかけ、これで先手陣はなかなか寄らないのだ。飛車の横利きも、なにげに頼もしい。
△同銀成は味を消してつまらないと、駒を補充しながら△95銀の転進に、今度こそ攻めるのかと思いきや、そこで▲47歩とまたも催促。
これがまた、強気というか、なんと言うか。
こんな受けになってるかどうかわからない手で、ここから一気に寄せられでもしたら、どうするんよ。△86香とか、メチャ怖いやん!
それでも平気の平左。少し前まで中学生だった少年とは、思えない図太さではないか。
そして最後に羽生は、すばらしい寄せを披露する。
図は、中村が、△56馬と寄ったところ。
中村、羽生ともに秘術をつくした熱戦となり、形勢は超難解。
先手は手番をもらった、この一瞬でラッシュをかけたいが、相手は「受ける青春」中村修のこと。
そう簡単にはいかないようで、たとえば、▲42とは、自然な△同銀には、▲同成銀、△同金に▲51飛が、馬取りと▲31角の両ねらいでうまいが、ここは△同金で取るのがミソ。
▲同成銀、△同銀に、▲52飛の馬銀両取りには、今度は△53銀打で受け切り。
また、▲54角、△31金に▲71飛とせまる手も見えるが、これには△86香とされて、受けがなくなる。
そこで▲31飛成とボロっと金を取って、△同玉なら頭金だが、△13玉とかわされて詰みはない。
このなんなり手がありそうなところで、スルリと抜け出すのが、「不思議流」「受ける青春」中村修の真骨頂。
大名人中原誠をはじめ、幾多の棋士がこのイリュージョンに惑わされたものだが、羽生はしっかりと見えていたのだ。
▲43と、と捨てるのが絶妙手。
といっても、攻めのカナメ駒である、▲53のと金をタダで捨てるなど、まったく意味がわからないが、△同金に▲41成銀と入るのが、継続の好手。
金を上ずらせて、その裏にすりこむ成銀。
といわれても、子供のころの私はまったく意味がわからなかった。
金や成駒のような手が一段目に行くのは、利きが弱くなって一番使えないはずなのだが、なんとこれで後手はすでに防戦が困難なのだ。
先手は次に、▲52飛の王手馬取りがあり、△32金と埋めても、やはり▲52飛で馬取りと▲31角があって後手がまいる。
また後手が、どこかで△86香と攻めてきても、▲同金、△同銀に▲31角が王手銀取りで抜けてしまう。
おそろしいことに、どうやっても後手が勝てない形になっているのだ。
「負けなし」と言われる▲53のと金を捨て、成銀をわざわざ働かない位置に移動するのが絶妙とは……。
中村は△42金打と抵抗するが▲51飛と打って、以下、中村の猛攻を冷静に受け止めて勝ち。
▲43と、からの寄せは当時絶賛され、またタイトルホルダー相手に競り合いを制したことからも、
「羽生少年、おそるべし」
という評価は、ここに確固たるものとなったのであった。
(羽生の大ポカ編に続く)
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前回に続いて、羽生善治のデビュー当時の将棋について。
羽生は少年時代から、えらいこと強かった。
将来タイトルを取るようになる棋士は、そもそも皆そういうものだが、そこからさらに上を行くスターとなると、もうひとつ求められるものがある。
それは、ただ勝つだけでなく、観戦者を「おお!」と感嘆させる妙手の類。
「藤井聡太の▲41銀」
などといった、
「コイツは、モノが違う」
「この注目を集める将棋で、こんな手を指せるとは、【持ってる】な」
こうして、周囲に圧倒的な印象を残していくことによって、さらなるビクトリーロードが開けるのだ。
2021年の竜王戦ランキング2組。
藤井聡太王位・棋聖と松尾歩八段との一戦で飛び出した、伝説の「▲41銀」。
△同金ならそこで▲84飛。△同玉なら▲32金を決めてから飛車を取れば、後手玉の逃げ道がふさがっていて先手が勝つ。
もちろん、羽生も若いころから、その種の手をバンバン披露しており、今回はそういう将棋を。
1986年の新人王戦。
羽生善治四段と、中村修王将との一戦。
若くしてタイトルホルダーになった中村といえば、同じ「花の55年組」である高橋道雄や、南芳一、塚田泰明、島朗らと並ぶ若手トップの存在。
羽生を今の藤井聡太になぞらえれば、さしずめ「藤井四段」が菅井竜也王位か斎藤慎太郎王座と戦うようなものである。
ここを負かせば「本物」とお墨付きをもらえるわけだが、もちろん先輩としても簡単にゆずるわけにいかず、その通り将棋の方も双方持ち味の出た熱戦になるのだ。
戦型は、相矢倉「脇システム」から、後手の中村が馬を作って、攻めの銀もさばいていくと、羽生も力強く反撃に出る。
図は羽生が、▲43銀と打ちこんだところ。
これで、守備の金を1枚はがされることが確定で、ちょっと怖い形だが、こういう突貫をなんとも思わないのが、中村修の強みである。
△52歩と打って、簡単にはつぶれない。
「受ける青春」と呼ばれる中村修はこういう手を積み重ねて、しれっと、しのぎ切ってしまうから油断できないのだ。
▲32銀成と金を取るのは一瞬気持ちはいいが、△同玉で後続手がない。
ゆえに、▲52同角成しかないが、よろこんで△同飛と取って、▲同銀成と攻め駒がソッポに行くのが、いかにも感触が悪い。
ただ、うまく行ったように見えて、この局面では後手の指す手が、存外むずかしい。
当然、なにか攻めたいところだが、下手なところに手をつけると、相手に駒を渡したりして、むしろ反動がきつくなったりする。
たとえば、△36歩、▲26銀、△46馬は、▲48飛、△19馬に▲53歩成とされ、次に▲43歩からのと金攻めが受からない。
相手を動かせ、△46馬と歩を取らせてから反撃すれば、一気に決まるというわけ。
一方先手も、やりたいのは当然のこと▲53歩成。
だが、たとえば△73桂などしたところで、いきなり成っても△51歩がおぼえておきたい手筋で、これはうまくいかない。
先手も後手も、相手が指したところで、カウンターに好手があるという。
なにかこう、手番をもらったほうが指し手に窮しており、この将棋を観戦していた河口俊彦八段によると、
「不思議なことに一手パスしたいような局面である」
なら、手番をもらった中村が苦しいことになるが、さすが、ここでうまい手をひねり出す。
△95歩と、端を突いたのが、中村のセンスを見せた手。
後手は(先手も)一手パスをしたい。
かといって下手なパスでは、相手にそれをとがめられて不利におちいる。
そこで、「パスだけど有効手」をひねり出したのが、この端歩の突き捨てで、▲同歩と取らせれば大きな利かしだし、▲53歩成は、やはり△51歩で無効。
また他の手なら端からラッシュをかければいいわけで、河口老師も絶賛の1手だったが、これに対する羽生の応手が、また見事だった。
(続く)
「藤井聡太五冠の将棋は完成度が高い」
というのは、棋士や評論家の間で、よく聞かれるセリフである。
過去の名棋士とくらべて、「強さ」や「才能」に関しては、いろんな意見や身びいきがあるだろうけど、こと
「年齢に比べての完成度」
と言われると、これはもう藤井聡太のそれは、谷川浩司や羽生善治の若手時代よりも、ハッキリと上回っていると言っていいだろう。
その理由は簡単で、昔と比較して情報量や勉強方法などが、段違いに進化したから。
谷川浩司九段の若手時代と言えば、インターネットはおろか、安価なパソコンやデータベースも存在しなかった。
他人の棋譜を見ようと思ったら、わざわざ将棋連盟まで足を運んで、自分で探してコピー(下手すると手書きで写して!)を取らなければならなかった。
ましてや関西所属の谷川など、情報の面では圧倒的不利な状況であり、どうしても将棋の洗練度を上げるのに時間と手間がかかったのだ。
また羽生がデビューしたころも似たようなもので、平成になるころはデーターベースこそ、かなり充実。
情報面では進歩を遂げたが、インターネットはまだ出たばかりで、メールすら使っている人はほとんどいない。
もちろんスマホなどなく、すぐれたAIなども望むべくもない。
やれることといえば、棋譜並べと詰将棋くらいで、あとはすべて手探り。
なので羽生も谷川も、序盤戦術では経験豊富なトップ棋士に差をつけられるも、その後に抜群の終盤力でひっくり返す勝ち方が多かった。
藤井聡太も、もし昭和にデビューしていたら、おそらく、そういう戦い方になっていたことだろう。
それは、ドラマチックではあるが「荒い」ようにも見えたわけで、藤井聡太は、その時期が短かった印象があるのだ。
ということで、前回は羽生善治「四段」のデビュー戦を見ていただいたが、今回も、まだ若き「野生時代」における羽生将棋を見ていきたい。
1986年、第45期C級2組順位戦の1回戦。
森信雄五段との一戦。
「中学生棋士」
「未来の名人」
としてプロ入りした羽生の順位戦デビュー戦だが、この将棋がいきなり大苦戦でスタート。
森の振り飛車に、後手番の羽生は急戦で対抗。
6筋での斥候から、やや振り飛車さばけ形に見えるところ、羽生も美濃囲いの弱点である端に味をつけ、背後をうかがう。
図は森が▲65歩と打ったところ。
△63金などと逃げると、▲55歩で銀が死んでしまう。
かといって△65同銀と取るのも、▲同銀、△同金に、▲11角成や▲62歩、▲63歩と連打してから、▲54銀など好調な攻めが続く。
すでに後手が困っているようだが、ここで羽生が勝負手を繰り出す。
△86歩、▲同歩、△75歩(!)が、おどろきの手順。
▲65歩に、どう対応しても不利なら、そもそも無視すればいいじゃん、と。
まるで「パンがなければケーキを食べればいいのよ」と言い放ったアントワネットのようだが、やむを得ないとはいえ、ここで金取りを放置して手を進める度胸も並ではない。
とはいえ現実に、金をなんの代償もなくボロッと取られるのはかなり痛い。
▲64歩、△76歩、▲88角に、羽生は△77桂と、筋悪な手でねばりにかかる。
一目、変な形だが、飛車を責めながら角道を遮断して、ちょっとイヤな手ではある。
飛車を逃げ回るようでは、後手に挽回をゆるしてしまうが、ここで先手に好手があった。
▲65銀とぶつけるのが、いかにも感触のよい手。
私レベルなら飛車取りにビビッて、反射的に逃げてしまいそうなところだが、
「逃げる手以外に、なにかないか?」
「今、まるまる金得だから、飛車を取られても、そんなに痛くないかも」
「それに△69の成桂は重い形だし」
「△69桂成と取らせれば、▲88にある角道が開通するし、なにかワザがかかりそうだぞ」
なんてことを、あわてて指さないで考えてみることが、アマ級位者が有段者になる道への一歩であろう。
▲65銀に△69桂成なら、▲54銀が好調子。
羽生は△65同銀と取るが、▲同飛とさばいて、△77の桂を空振りさせて、気持ちいいことこの上ない。
森は今では『聖の青春』の村山聖九段をはじめ、山崎隆之八段や糸谷哲郎八段などを育てた存在として知られるが、かつて1980年の第11期新人王戦で決勝に進出。
そこでも、後に竜王獲得にA級9期とバリバリのトップ棋士に成長する、島朗四段を破って優勝している。
見事なジャイアントキリングで、その隠れた実力者ぶりを、ここぞとばかりに見せつける展開となっている。
ますます苦しくなった羽生は、端をなんとか突破し、角も入手して必死に逆転のタネをまくが、森は乱れず、寄せの網をしぼる。
むかえたこの局面。
先手は竜が強力なうえ、▲54桂も自然な攻めで、玉も左辺が広く、問題なく優勢に見える。
このあたりの差が、まだ「荒い」と評されたゆえんだが、実は話はここからが本番なのだ。
続く2手こそが、若き日の羽生将棋の真骨頂だった。
△93角、▲57桂、△82金が、すごいがんばり。
とにかく竜を追い払って、どこかで△64飛と眠っていた大駒をさばいて勝負ということだろうが、角打ちはともかく、△82金はいかにも異筋。
セオリーにない手で、一目はいい手には見えないが、逆に言えば常識に反している手とは
「相手が読んでいない手」
である確率が高く、そういうサプライズで相手のペースを乱すのが、羽生流の逆転術だった。
事実、この局面で森が誤った。
△93角には、▲57桂ではなく強く▲84銀と打って合駒すべき。
また金打にも、▲74竜などゆっくり指せば、先手玉は左辺が広くて攻め手がなく、やはり先手が勝ちだった。
そのはずが、森は▲42桂成、△同金に▲53竜と一気の寄せをねらう。
これがまさかの、弟子の糸谷哲郎八段も
「なにやってんですか、師匠!」
悲鳴をあげるという暴発で、△同金、▲45桂に△41桂と受けて、後手陣は一発ではつぶれない。
それでもまだ、先手にチャンスがある終盤だったが、落ち着いて行けばいいところを、勝ちをあせり、前のめりになる姿勢では、羽生少年の圧倒的終盤力に足元をすくわれるのは見えている。
その後は森の乱れに乗じて、羽生がひっくり返し、最後はなんと玉が△92の地点まで転がっての逃げ切り。
序中盤での荒削りな部分を、魔術めいたアヤシイ勝負手と、一度ひっくり返せばテコでも動かせない終盤の底力。
それこそが羽生将棋。
デビュー2年目くらいから「順当勝ち」が多くなった藤井五冠とちがって、このハラハラさせるような戦いぶりこそが、昭和から平成にかけての「天才」に頻出する勝ち方だったのだ。
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羽生善治九段が王将戦の挑戦者になったとなれば、ここは当然「羽生特集」を組まねばなるまい。
羽生と王将戦と言えば、やはり「七冠王フィーバー」が思い出されるので、「七冠王達成」の一局を取り上げようか。
とは思ったのだが、このときの王将戦七番勝負は谷川浩司王将の不調もあって、内容的には残念なことに、あまり見どころがないものであった。
あらためて並べてみても、4連勝で決着だし、どうもなー。といって、その前年のあと一歩だった「七冠王ロード」はもう書いちゃってるし、どうしたもんか。
と、そこでふと思い出したのが、羽生と言えばたしか「デビュー戦」も王将戦だったはず。
調べてみたら、そうでした。はー、なんか色々と縁がある棋戦なんやねーとか、なつかしくなりながら今回はこの一局と、あとはせっかくなので、いくつかにわけて低段時代の将棋も見ていきたい。
羽生をはじめとするトップ棋士は藤井聡太五冠について、
「あの年齢にして、完成度の高さがすごい」
そう評することが多いが、羽生の若手時代の戦いぶりと、くらべてみるのも一興ではないでしょうか。
デビュー戦というのは、注目を集めるものである。
藤井聡太四段のように開幕29連勝という、はなれわざを見せる人もいれば、囲碁の中邑菫初段のように、注目を集める中敗れて、悔しい思いをする棋士もいる。
1986年の王将戦。
羽生四段は、宮田利男六段と対戦することとなり、これがプロ一戦目。
プロ入り前から「名人候補の逸材」との呼び声の高かった羽生少年だったが、これは将棋界だけでなく、鼻の利くマスコミにも伝わっていたよう。
河口俊彦八段の『対局日誌』によると、『毎日グラフ』『フォーカス』といった一般誌も取材にかけつけたというのだから、その注目度も、なかなかのものだったのである。
将棋は宮田が先手で、相矢倉。
図は先手が▲74銀成としたところ。
端から攻めようという後手だが、歩が少ないのが悩みどころ。
角取りでもあり、ただ逃げてるだけでは▲84成銀とか▲82角成といった「B面攻撃」に悩まされそうだが、ここで羽生がキレのいい攻めを見せる。
△96歩、▲同歩に△98歩と打ったのが宮田が軽視した攻め。
▲同香と取って歩切れの後手に手がなさそうだが、そこで△45歩と、こちらの歩を取る手がある。
▲同桂に△97歩できれいに攻めが続く。
盤上を広く見た、リズミカルで気持ちの良い手順だ。
だが宮田も、かつては王座戦の挑戦者決定戦に出たことのある実力者。
相手の攻めが一段落したところで、▲44歩と取りこみ、△同金に▲24歩と手筋の突き捨て。
△同銀に▲71角と飛車金両取りに打って、△43金引に▲44歩、△42金引、▲26桂、△33銀、▲45桂。
このあたりの宮田の指しまわしは、矢倉戦のお手本のような流れ。
非常に綺麗な手順で、見ていて参考になるところだ。
歩と桂を利かすだけ利かして、△92飛と逃げたところで、▲82角行成ともたれておく。
後手が指せそうだが、勝負はまだ先といったところ。
おもしろい戦いだが、その後、宮田に一矢あって羽生が優勢になるも、先手も必死に食いついてこの局面。
▲41銀が、これまた絶対におぼえておきたい手筋中の手筋。
後手玉は、次に▲32銀成と取って△同金は▲34桂。
▲32銀成に△同玉は、▲43銀から詰みになる。
これには「逆転か」の声も出たそうだが、次の手がしぶとく、そう簡単ではない。
△12玉と寄るのが、しのぎのテクニック。
「米長玉」と呼ばれる形だが、戦いのさなかに、サッと寄るのが玄人の技。
ここまでの手順が、将棋の基本編だとすれば、これは応用編。
今度はアマ有段者クラスが、参考にする手筋である。
これで後手玉に王手がかかりにくくなり、絶対に詰まない「ゼット」の形を作りやすく、かなり、ねばりのある玉形なのだ。
一気の攻めがなくなった宮田は、▲47銀と一回受けるが、羽生は△46馬と取って▲同銀に、△36桂の王手飛車。
▲57玉、△28桂成に▲32銀成、△同金、▲34桂と詰めろが入るが、そこで△33銀と打って盤石。
宮田は▲72飛と打つが、△48銀、▲47玉、△42歩で攻めは届かない。
足の止まった先手は、ここで▲55歩。
空気穴をあけ、なんとか上部脱出をもくろむが、ここでいい手がある。
△45銀と打つのが、さわやかな決め手。
▲同銀には△37飛と打って、▲48玉には△38成桂。
△37飛に▲56玉だと△67飛成と取るのがうまい。
▲同玉に△57金と打てばピッタリ詰み。
デビュー戦で見事な絶妙手を放った羽生は、さすがのスター性だが、ここでおもしろいのは周囲の反応。
△45銀に感嘆した河口八段が、島朗五段(当時24歳)に
「羽生君をどう思う?」
訊いたところ、
「みんなたいしたことない、と言ってますよ」
△45銀への反応も、
「いい手ですけどね。あのくらいは……」
まあ、プロレベルなら指せるでしょうと。
「島研」についてや、のちの独特ともいえる韜晦趣味的発言とくらべると、ずいぶんとトガッていておもしろいが、それだけトップ棋士を意識させているともいえる。
現代だと、こういう発言は下手すると「炎上」を生みかねないが、それでも血気盛んな若手というのは、時代は変わっても、こんなもんかもしれない。
今のキャラクターからは想像しにくい、島のこういうつっぱりを、私はどこかほほえましく感じるのである。
(続く)
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