「さばき」の大サーカス 久保利明vs羽生善治 2007年 第65期A級順位戦

2022年10月10日 | 将棋・名局

 久保利明のさばきは将棋界の至宝である。

 ということで、前回は「さばきのアーティスト」こと久保利明九段の、芸術的な振り飛車を紹介したが、今回も久保のさばきを見ていきたい。 

 

 2007年の第65期A級順位戦

 羽生善治三冠(王位・王座・王将)と久保利明八段の一戦。

 名人挑戦をかけた戦いは、羽生がここまで4勝2敗で、5勝1敗首位を走る郷田真隆九段を追っている。

 一方の久保は波に乗れず、ここまで1勝5敗降級のピンチ。

 ここで敗れれば、ほとんどA級陥落が決定するという、双方ともに負けられない戦いなのだったが、この将棋は久保の芸術的指しまわしが冴えまくったのだった。

 後手になった久保のゴキゲン中飛車に、羽生は▲36銀型急戦で対抗し、むかえたこの局面。

 

 

 

 羽生が飛車を成りこんで、次に▲41角のねらいなどがあるが、ここから久保のワンマンショーがはじまる。

 

 

 

 

 

 

 △14角と打つのが、さばきのファンファーレ。

 金取りを見せつつ、△32連絡をつけている振り飛車らしい攻防手。また、遠く▲69にあるにもねらいをつけているのもポイントだ。

 羽生は▲36歩と軽く突いて、△同歩▲58歩角道を遮断する。

 ならばと久保は△22銀と打って、一転して先手の飛車を殺しにかかる。

 

 

 玉形に差があるため、飛車をただ取られるわけにはいかない羽生も、▲43角と強引に刺し違えにかかるが、△31金▲同竜△同銀▲52角成△同金▲33銀成の総交換に。

 

 

 

 先手は金桂2枚替え駒得になり、敵の囲いも乱しているが、後手はを先に好位置に設置し手番ももらっている。

 このあたりの攻防で、どちらが得したかはむずかしいが、後手は△37歩成▲同金△57歩成▲同銀と軽く成り捨てを入れてから△28飛と打ちこみ。

 このままでは△58角成があるし、飛車のタテの利きで▲21飛の打ちこみも消されている。

 そこで先手は▲25歩の手筋で、大駒の効果を半減させようとする。

 

 

 

 

 角のブランチャーを防ぎながら、次に▲21飛のねらいもあって、まだまだねじり合いは続きそうに見えたが、ここからの久保のがすさまじかった。

 と、その前に、まずは渋い手をここで見せておくのが、振り飛車の呼吸。

 

 

 

 

 

 

 

 △51歩底歩で固めておくのが、「ザッツ振り飛車党」という先受け。

 これで自陣は相当耐えられる形になり、攻めに専念できる。

 羽生は▲21飛と反撃するが、そこで△32銀とぶつけるのが、△51の底歩と連動してピッタリの返球。

 

 

 

 

 ▲同成銀と取るしかないが、△同角▲22飛成△76角と気持ちよすぎるさばき。 

 

 

 

  これまで△58の地点をねらっていたが、ジェットコースターのような大回転で、今度は先手陣の急所である△87に照準を合わせている。

 とはいえ、ここで▲39金と飛車を殺す手があり、それで先手が優勢なように見える。

 

 

 

 本譜も羽生はそう指したが、その次の手が久保のねらっていた快打だった。

 

 

 

 

 

 

 ▲39金△34角と打つのが、盤上この1手ともいえる、またもやピッタリの第二弾。

 ▲79桂と受けるしかないが、△25飛成と死んでいたはずの飛車が生還しては、後手も笑いが止まらない。

 

 

 

 

 2枚の「筋違い角」による、あざやかな空中ブランコで、まさに「加古川大サーカス」とでもいうような、さばきの大嵐。

 あの最強羽生善治が、ここまで好き勝手かきまわされるとは、なんたることか。

 この将棋は、決め手も見事だった。

 

 最終盤、先手が▲53金と打ったところ。

 次に▲62銀や、が入れば▲71竜からトン死をねらう筋などあるが、ここで感触の良い良い決め手がある。

 

 

 

 

 

 

 

 △21竜と交換をせまるのがトドメの一着。

 ▲同竜の一手に△同角と取って、を逃げつつ、遊んでいるが手持ちの駒になっては後手の勝ちは決定的だ。

 以下、▲51飛△61香▲52銀という、元気も出ない重い攻めに、△75桂と打って決まった。

 

 

 

 以下、考えるところもなく△87から殺到して圧倒。そのまま押し切った。

 2枚角の躍動が、なんだかチェスビショップの動きみたいで、後手だけ違うゲームをやっているかのような錯覚におちいってしまいそう。

 会心の指しまわしで大敵を屠った久保は、8回戦で深浦康市、最終戦では佐藤康光と、やはり手強いところを連破し残留を決める。

 ひとつでも負ければお終いのところに、こんな名局を披露するのだから、久保の精神力も恐ろしい。

 まさに「さばきのアーティスト」の底力を見せた形と言えよう。

 

 ■おまけ

 (久保の芸術的さばきといえば、この将棋

 (久保将棋に魅せられたら、ぜひ大野源一九段の振り飛車も見てください)

 (その他の将棋記事はこちらから)
 

 

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さばかれた世界 久保利明vs羽生善治 2005年 第63期A級順位戦 その2

2022年10月04日 | 将棋・名局

 前回の続き。

 2005年の第63期A級順位戦

 羽生善治四冠久保利明八段の一戦は双方5勝2敗という、名人挑戦をかけた直接対決

 生き残りのためには、負けるわけにいかない大一番だが、序盤は「さばきのアーティスト」の魔術が冴えまくり、久保がペースを握ることに成功する。

 

 

 △14角と打って、振り飛車がこれ以上ないほど、うまくいっている。

 平凡な▲21竜△58角成から殺到され、寄せられてしまう。

 かといって飛車を渡すわけにもいかず、進退窮まっているように見えるが、ここでアッサリとあきらめるようでは四冠王の名が泣く。

 ましてや順位戦ともなれば、そう簡単に投げるわけにいかないということで、あれこれと手を尽くすのだが、ここからは羽生の腕の見せどころだ。

 まず▲37金と打って、△同竜と取りの形にしておいてから▲14竜と、逆モーションでこちらのを取るのが、いかにも「ひねり出した」という手順。

 

 

 

 

 △14同歩▲37桂で、駒損が残りるうえに遊んでいたもさばかせて、これは後手がおもしろくない。

 そこで△26竜とかわすが、▲16竜とぶつけるのが、またも不思議な形。

 

 

 

 

 こんなところで竜交換を求めるなど、見たこともないやりとりで、なんだか「不思議流」と呼ばれた中村修九段の将棋みたいだ。

 △29竜と駒を補充しながら敵陣に入るが、そこで▲45角と放つのが、また面妖な手。

 

 

 

 攻守ともに、利いているのかどうか微妙だが、このふんわりした感じが、羽生将棋の真骨頂で、依然後手が優勢ながら簡単には土俵を割らない。

 クライマックスはこの場面。 

 

 

 やはり久保優勢な局面で、一目は後手が勝ちである。

 次に必殺の一手があるからだ。

 

 

 

 

 

 △89角と打つのが、カッコイイ寄せ。

 ▲同金△69飛成と取って、▲同玉△68金まで詰み。

 ▲同玉しかないが、やはり△69飛成と取られて、▲同金頭金だから取れない。

 決まったようにしか見えないところだが、まだ勝負は終わってないのだから、将棋を最後まで勝ち切るのは、本当に大変な作業である。

 ましてや、相手があの羽生善治となれば。

 次の一手が、これまた実にしぶといのだ。

 

 

 

 

 ▲78飛と、この日2度目の自陣飛車で耐えている。

 大駒を自陣で受けに使うときは、「飛車」のイメージでというが、まさにそんな形だ。

 羽生玉をここまで追いつめ、あと一歩、それこそ指一本分でも伸びればそれで倒れているような王様だが、そのわずかが届いていない。

 なにかはありそうなこの場面で、久保は残り4分になるまで懸命に考えたが、ついにとどめをさせず△19竜とゆるむ。

 それでもまだ後手が優勢だったが、玉頭戦のもみ合いの末、ついにうっちゃられてしまった。

 以下、羽生が逆転で勝利し2敗をキープ。その後、藤井が敗れ、最終戦も勝った羽生が名人挑戦権獲得を果たした。

 久保には残念だったが、敗れたとはいえ序中盤を圧倒したさばきは、まさに神業級のすばらしさ。

 そこからの羽生の曲線的なねばり腰と合わせて、両者の力が存分に発揮された、名局と言っていいのではあるまいか。

 

 

 (久保が魅せた「さばき」の大サーカス編に続く)

 (その他の将棋記事はこちらからどうぞ)

  

 

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さばくのは俺だ 久保利明vs羽生善治 2005年 第63期A級順位戦

2022年10月03日 | 将棋・名局

 久保利明のさばきは将棋界の至宝である。

 よくスポーツ選手などがインタビューで、リオネルメッシロジャーフェデラーのようなあこがれのアスリートについて熱く語ったあと、

 

 「でもプレーの参考にはしません。すごすぎて、とてもマネできないので(笑)」

 


 なんて締めることがあるが、将棋界だとそれは「久保のさばき」にあたるのではあるまいか。

 あれはねえ、ホントにマネなんてできませんぜ。

 

 2005年の第63期A級順位戦

 羽生善治四冠久保利明八段の一戦。
 
 名人挑戦をかけたリーグ戦は、羽生と久保の双方5勝2敗という直接対決

 2敗にもうひとり藤井猛九段もいるため、生き残りをかけた大一番だ。

 後手の久保が得意のゴキゲン中飛車に振ると、羽生は▲36から速攻でくり出して行く。

 むかえたこの局面。

 

 

 


 ▲35歩と打って、一目後手が困っている。

 飛車の行く場所がないし、かといって△同角▲同銀△同飛▲36歩と一回受けてから▲21飛成で先手が大優勢。

 後手が困っているようだが、実はこれが久保のしかけたで、すでに振り飛車のさばけ形

 羽生はレールの上に載ってしまった自覚こそあったが、気づいた時にはすでに軌道修正が不可能だったそうだ。

 

 

 

 

 

 △27歩、▲同飛、△26歩、▲同飛、△23歩できれいに受かっている。

 ▲同銀不成△35飛▲36歩△55飛を取って、▲同角には△26角飛車を取られて駒損してしまう。

 本譜は▲34歩と取るが△26角と取って、包囲網を突破することに見事成功。

 

 

 

 

 敵の駒を引きつけるだけ引きつけて、戦線が伸び切った瞬間、一気にを仕掛ける。
 
 まるでドイツ軍の名将エーリヒフォンマンシュタインが得意とした「機動防御」のようであり、もうシブすぎる指し回しなのだ。

 ▲24にあるの処置に困った羽生は▲28飛自陣飛車を打つが、後手から△49飛がきびしい打ちこみ。

 以下、▲26飛△47飛成▲58角が、いかにも苦しいがんばり。

 

 

 

 

 △38竜▲23銀成△57金と打って▲59歩の受け。

 そこから△58金、▲同歩、△23金▲同飛成とわかりやすく清算して△14角と打つのが指がしなる一着だ。

 

 

 

 将棋の本をサクサク読むコツ

 「むずかしい手順はどんどん飛ばす

 ことだが(お試しあれ)、ここをあえて載せてみたのは、流れるような久保のさばきを味わってほしいから。

 あの完封されそうだった飛車が、気がつけば先手陣のド急所をねらう位置にいるのだから、もう笑いが止まらない展開ではないか。

 四冠王だった羽生相手に、ここまでかきまわせる「さばきのアーティスト」も見事だが、ただ順位戦はここからが長い

 これまでは久保のワンマンショーだったが、ここからは羽生が魅せるターンで、そう簡単に勝負は終わらないのだ。

 

 (続く

 

 

 

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素晴らしきヒコーキ野郎 羽生善治vs広瀬章人 2011年 第52期王位戦 第6局

2022年09月18日 | 将棋・名局

 が乱舞する将棋は楽しい。

 角という駒は、同じ大駒でも、わかりやすく攻撃力が高い飛車ほどには、使いやすくないところがある。

 だが、その分というわけでもないが、急所に設置すれば、その「位置エネルギー」によって、爆発的な威力を発揮し、一撃で相手陣を破壊できることもある。

 

 「飛車のタテの攻めは受けやすいが、角のナナメのラインは受けにくい」

 

 という格言もあるほどで、ある意味「腕の見せ所」が試される駒でもあるのだ。

 そこで今回は、そんな角が激しく舞う空中戦を見ていただきたい。

 

 2011年の第52期王位戦

 広瀬章人王位に、羽生善治王座棋聖が挑戦したシリーズは、広瀬の2連勝スタートから、3勝2敗と防衛に王手をかける。

 むかえた第6局も、序盤から広瀬が巧みな指しまわしを見せ、作戦勝ちに持っていくことに成功。

 

 

 

 図は羽生が△45銀と進出させたところだが、ここで広瀬が巧みな構想を披露する。

 

 

 

 

 

 

 ▲64歩と突いたのが、筋のよい好手。

 後手が進撃させてきたにねらいをつけた、見事なカウンターだ。

 羽生は△33桂とヒモをつけるが、▲65銀とこっちも繰り出していく。

 △64歩に、さらに▲74銀と出て、△73歩と打たせた形は、後手のがまったく使えなくなり、気持ちいいことこの上ない。

 そこから、数手進んで、この場面。

 

 

 

 

 △82がヒドイ形で、羽生がいかにも苦しそうだが、実は後手陣には、もうひとつ不備があったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ▲78角と打つのが、あざやかな遠見の角。

 これで、後手は△23の地点を受ける術がない。△22飛には▲34歩が、きびしすぎるのだ。

 まるで、天野宗歩升田幸三という、見事な角使いで広瀬が才能を見せ、これには控室も、

 

 「早い終局もあるのでは」

 

 広瀬防衛が濃厚のような空気になったそうだが、なかなかどうして、羽生はそんなやわなタマではない。

 広瀬によると、一見妙手の角打ちは悪手で、ここからの羽生の構想に舌を巻くことになる。

 

 

 

 

 △94歩と、裏窓からのぞいていくのが、しぶとい手。

 以下、▲23角成に、△93角と活用し、▲79飛△66角とぶん回していく。

 ▲77桂△56歩と突いて、いやらしくカラんで、先手も気持ち悪い。

 

 

 

 

 あの眠っていたを、ここまで活用できる腕力はさすがの羽生。

 以下、▲56同歩△25桂と跳ねて、やや不利ながらも、これで後手も勝負形に持ちこむことができた。

 

 

 

 

 そこからも熱戦は続いて、この△37角とブチ込んだのもスゴイ手。

 この手が好手かどうかや、実際の形勢判断などまったくわからないが、羽生の「負けてたまるか」という、ド迫力な戦いぶりは伝わってくる。

 そこからも、ねじり合いを制して、羽生がタイスコアに押し戻す。

 最終局でも「振り穴王子」の穴熊を、木っ端みじんに吹き飛ばし、23歳で王位を獲得し、「神の子」と呼ばれた広瀬章人からタイトルを奪取するのだった。

 

 ■おまけ

 (「振り穴王子」と「広瀬王位」誕生まではこちら

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「勝率」よりも「勝負強さ」 鈴木大介vs羽生善治 2006年 棋聖戦挑戦者決定戦

2022年09月12日 | 将棋・名局

 


 「勝率が高い棋士よりも、勝負強い棋士になりたい」


 

 そんなことをいったのは、将棋のプロ棋士である鈴木大介九段であった。

 勝負の世界では、たくさん勝つというのが当然大事だが、それと同じくらい、いやむしろそれ以上に、

 「ここ一番で勝つ」

 ということが重要になってくる。

 もともとは島朗九段が言っていた言葉らしいが、年齢の違いはあれ、ポジション的にトップを走る「羽生世代」に挑む形の「追走集団」にいた棋士たちからすれば、特にその気持ちは強いだろう。

 実際、鈴木大介は、

 


 「僕が羽生さんと戦ったら、10番やって2、3番入るかどうか」


 

 そういうリアルな告白の後、こう続けたのだ。

 


 「でも、その勝ちを決勝戦とか挑戦者決定戦で当てることをイメージして戦っている」


 

 勝率では劣っても「いい位置」で勝てれば、その差は埋められるという鈴木流の勝負術であろう。

 今回は、その鈴木大介の思惑が、ピタリとハマった一番を紹介したい。

 

 2006年、第77期棋聖戦挑戦者決定戦

 相手は2年連続の挑戦をねらう羽生善治三冠

 鈴木のゴキゲン中飛車に、羽生は「丸山ワクチン」で対抗。

 角交換型の将棋によくある、おたがい仕掛けるのが難しい中盤戦だったが、鈴木が好機にを打ちこんで局面を動かす。

 を作られ、押さえこみの態勢に入られそうな羽生は、あれやこれやと手をつくして局面の打開を図るが、歩切れにも悩まされ、なかなか好転の兆しがない。

 

 

 

 この▲53金と打ったのもすごい手で、羽生の苦心のあとがうかがえる。

 △53同金なら、▲45に取られそうなを跳ね出して勝負ということだろうが、いかにも強引だ。

 鈴木は冷静に△27と、と取り、先手も▲52金△同金くらいでも攻めにならないから、▲62金、△同飛に▲53角成

 

 

 

 苦しいながらも懸命の食いつきで、玉の薄い後手も気持ち悪く見えるが、ここで鈴木大介は自分でも会心と認める一手を見せる。

 

 

 

 

 △44角とぶつけるのが、振り飛車党なら手がしなる、あざやかな駒さばき。

 ▲62馬△同角と取って、自陣の飛車と後手のとの交換の上に、働きの弱かった△33も使えて、後手大満足だ。

 それでは勝ち目がないと見て、羽生は▲44同馬として、△同歩に▲53金

 △72金の受けに、▲62金と飛車を取り、△同金に▲85歩と突いて、勝負勝負とせまるが、△59飛と打ちこんで後手がハッキリ優勢。

 

 

 

 以下、玉頭でもみ合って、羽生が▲82歩と打ったところ。

 

 

 

 ▲81歩成からの一手スキで、「最後のお願い」という手だが、鈴木大介はすでに読み切っていた。

 

 

 

 

 

 △72桂と打つのが、とどめの一着。

 詰めろを防ぎながら、次に先手がどうやっても、△84桂根本を払ってしまえば後続がない。

 ▲92角成のような手にも、△52金寄で受け切り。

 手がなくなった羽生は▲81歩成から、▲74角成として以下形を作り、最後は鈴木が先手玉を即詰みに討ち取った。

 これで鈴木は、1999年の第12期竜王戦以来のタイトル戦登場。

 序盤、中盤、終盤と振り飛車側がどれも圧倒した、すばらしい将棋だった。

 本人も、

 


 「今後、これ以上の将棋が指せるかなあ」


 

 そう漏らすほどの最高傑作。

 この内容を、羽生相手の挑戦者決定戦で発揮したのだから、まさに鈴木大介の勝負強さが、見事に結実した一局であった。

 

 


 ■おまけ

 (鈴木大介が竜王戦で藤井猛を翻弄

 (鈴木大介が順位戦で見せた渾身の勝負術

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「タテ歩棒銀」のたたき合い 羽生善治vs米長邦雄 1989年 棋王戦

2022年08月25日 | 将棋・名局

 「ねじり合い」の強さは、そのまま棋力に相当する。

 将棋の強さには序盤の知識やセンス、中盤の大局観、終盤の寄せの力などあるが、中でも試されることが多いのが「接近戦」での腕力。

 特にゴチャゴチャした未知の局面で、どんな手をひねり出せるかは才能が問われるところで、先崎学九段の言うところでは、

 

 「玉頭戦が強いことは、将棋が強いということ」

 

 そこで前回は豊島将之九段が見せた「魔術」を紹介したが(こちら)今回は天才同士の「ねじり合い」の熱局を見ていただきたい。

 

 1989年の棋王戦。米長邦雄九段羽生善治六段の一戦。

 先手になった羽生が、相掛かりから「タテ歩棒銀」という今ではあまり見ない戦法をえらぶ。

 端から果敢に仕掛け、米長がそれを受ける展開に。

 19歳と若さあふれるうえに、このころ竜王戦で初のタイトル挑戦を決めていた羽生は、とにかく勢いがあり、飛車銀交換の駒損ながら、角を大きくさばいていくという強襲を見せる。

 

 

 気持ちの良い前進だったが、米長も好機に作ったが手厚く、序盤のやり取りは後手がペースを握った印象。

 羽生は▲84香から猛攻を再開し、そこから6筋から8筋にかけて、力の入った攻防が展開され、むかえたこの局面。

 

 ねじり合いのさなか、△71玉△73桂△81玉と自陣を整備するタイミングが絶妙で、玉形の差があり一目後手が優勢である。

 馬をどこに逃げていいかも、ハッキリしないところだが、ここから見せる羽生の力業が本局の見どころである。

 

 

 

 

 ▲23角とつなぐのが、意表の受け。

 ただヒモをつけただけで、角桂交換の駒損も必至とあってはただの苦しまぎれのようだが、これで容易にはつぶれない。

 △67桂成▲同角成に後手は△44角と攻防の急所に据えるが、そこで▲61銀と打つのが、米長九段も感嘆したド迫力の追いこみ。

 

 △53角と金を取ったところで、今度は▲84歩と急所に平手打ち。

 

 このあたりは、こまかい手の意味よりも、ぜひ羽生の勢いを感じてほしい。

 苦しいながらも「勝負、勝負」とせまっていく様は、実戦的で実に迫力がある。

 △84同銀に▲72銀不成と取り、△同玉に▲69香と打つのが、「下段の香に力あり」という、またいかにも雰囲気の出た手。

 

 

 米長の感想では、どうもこのあたりで、ひっくり返っているよう。

 次に▲45馬がきびしいから、△66歩とタタくが、そこで▲63銀と打つのがまた強烈。

 

 

 △同玉には▲45馬から▲55桂で寄りだから、△83玉と逃げるが、▲66馬△65銀▲84馬、△同玉、▲85歩、△同桂、▲65香、以下先手勝ち。

 

 この将棋、△55桂▲23角のところでは後手優勢で、その後も米長にさしたる悪手があったとは思えないが、いつのまにか逆転していた。

 それは具体的な善悪がどうよりも、とにかく猛獣のような羽生の噛みつきが、どこかで米長の急所に喰いこんでいたのだろう。

 固い壁を、力ずくで引っぺがしてしまうような勝ち方であり、若いころ「攻め100%」と呼ばれた塚田泰明九段の将棋を評して、

 

 「塚田が攻めれば道理が引っこむ」

 

 と言われたが、まさにそんな感じ。

 まだ荒削りだった羽生の魅力と、米長のベテランらしい円熟味がよく出た、実におもしろい一局であった。

 

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悪手のジェットコースター・ムービー 藤井聡太vs出口若武 2022年 第7期叡王戦 第3局

2022年05月26日 | 将棋・名局

 叡王戦の第3局はメタクソにおもしろかった。
 
 藤井聡太叡王(竜王・王位・王将・棋聖)に出口若武六段が挑んだ、第7期叡王戦五番勝負。
 
 挑戦者決定戦では「藤井のライバル」候補である服部慎一郎四段を破っての檜舞台で、日の出の勢いの出口だが、開幕からは2連敗。 

 まあ、相手が相手だから、そこはしょうがない(とか本当は言っちゃいけないんでしょうケド)としても、ストレート負けは本人的にも観戦している方としても、これはマズイわけである。
  
 結果はともかくも、まずは1勝しなければ、出てきた甲斐がないというものだが、その想いが通じたか剣が峰の第3局で、出口はすばらしい将棋を見せたのだ。
 
 終盤に入るところでも、両者評価値ほぼ50%と、「名局決定」な力の入り様なだけでなく、その後は出口リードを奪う展開に。
 
 いわゆる「藤井曲線」をくずしたのが、まず「すげえ!」といったところだが、最終盤では勝ちまで見えてきた。


 
 
 
 
 
 すさまじかったのがここで、まだ形勢的にはギリのところだが、後手とくらべて、わかりやすい指し手が見えないという意味では、先手が苦しいようにも見えた。
 
 その証拠に、ここから目が回ることになる。
 
 ▲21飛、△31金打、▲11飛成、△52銀、▲65香、△47銀成、▲75角、△43玉、▲31角成、△同金、▲同竜
 
 
 
 
 

 回転木馬のごとく、目まぐるしく局面が動いたが、信じられないことに、ここまで藤井叡王は悪手疑問手を連発している。
 
 あくまで、中継に映っていたAI基準だけど、▲21飛はまだいいとしても、まで読まれてあわてて指した▲65香は、素人の私が見ても、いかにもパッとしない手だ。
 
 ▲75角も疑問のようで、こう打つなら▲31角成は騎虎の勢いだが、どうも暴発のよう。

 △同金、▲同竜の場面はハッキリと後手に形勢の針はかたむいた。
 
 さあ、ここである。
 
 後手玉は簡単な詰めろだが、先手玉もアヤが多く、いかにも逆転のワザ攻防手がありそう。
 
 解説の藤森哲也五段が指摘する、△57成銀、▲同玉、△75角の王手飛車で竜を抜く筋が見えるけど、竜取ったあとが、先手玉も楽になって、これはむずかしいか。

 単に△75角もありそうだけど、▲35桂、△同歩、▲34金からの王手ラッシュもメチャクチャに怖いなあ。
 
 でも、ここを突破できないようだと、タイトルなんて取れないぞ!
 
 藤井聡太に恨みはないどころか、将棋界のためにもどんどん勝ちまくってほしいが、私は一応関西人であるし、なによりいい将棋はたくさん見たいのだ。
 
 なんで、とにかく、この一局は出口が取れ! 第4局や!
 
 なんて、こちらのテンションもMAXレベルに達したが、惜しむらくは、この場面。

 もし出口六段に残り5分でもあれば、きっと正解手を見つけ出し、シリーズはまだまだ続いたことだろう。
 
 だが、超絶難解な死線をくぐり抜け、さらにまた、次から次へと門番のように立ちふさがる難題難局面を突破するには、1分という時間は絶望的に短かった。
 
 秒に追われて選んだ△42銀が敗着で、これは受けになっていない。

 ここでのAI推奨手は△42角

 

 

 に当てながら▲42金を消し、かつ△86角の飛び出しを見た絶好手だったようだ。

 銀打には、▲22竜と逃げたのが冷静で、△88角の形作りに▲35桂から後手玉は詰み。
 
 これで3連勝となり、藤井叡王が初防衛に成功。堂々と五冠王をキープしたのだった。
 
 いやー、最後は本当に残念だったけど、でも、すんごいおもしろかった。久しぶりに燃えたよ。
 
 このところ、藤井叡王の将棋は勝っても負けても、こういう評価値でんぐり返りなジェットコースター将棋は少なかった。

 王座戦の大橋貴洸六段戦は、終盤にドラマがあったみたいけど、ブレが一瞬すぎて、わけがわからなかったし。
 
 やはり、将棋は悪手こそがおもしろいと考えるタイプの私には、この一局は大満足

 好局だったなあ。出口の出来も良かったし。ホレましたよ。

 泣くな、若武、キミには明日があるで!
 
 あと、この将棋でおもしろかったのは、△52銀の局面での最善手が▲22歩だったこと。
 
 
 
 
 
 
 
  これには、藤森五段と木村一基九段も、
 
 
 「いやー、これは人間には指せない」
 
 
 定番のうなり声をあげてましたが、たしかに。
 
 解説でも言ってたけど、この手自体がなんにもないし、次に▲21歩成と成っても、まだなんでもない。
 
 その次、▲31とと取って、はじめて攻めになるんだけど、その間完全な「ゼット」になってしまうというのが、オソロシすぎる。
 
 この2手の間、後手は自陣を見ずに攻めまくれるのだ。
 
 「ゼットからの猛攻
 
 は終盤で、だれもがヨダレをたらす勝ちパターンなのである。しかも、先手は歩切れと来たもんだ。
 
 たしか、似たようなケースで米長邦雄永世棋聖の将棋を、前に紹介したことあるから、よかったらそれも読んでいただきたいですけど、あれより全然、藤井玉は危険だし、相手は終盤力に定評のある出口若武だし。
 
 いやいやいやいや、あれは無理ですわ! こんなの全盛期の大山名人や、羽生さんでも、指せないんでねーの?
 
 藤井聡太といえば、これまで幾度も、
 
 
 「これは人間には指せない」
 
 
 という壁を軽やかに乗り越えてきたけど、ここで▲22歩はさすがに指せなかった。
 
 「完璧超人」というイメージはあるけど、できないこともあるんだなあと、ちょっと不思議な気分に。
 
 でもこれは、逆に言えばまだ「のびしろ」があるということでもあり、
 
 「藤井八冠王
 
 が誕生する一局では、もしかしたら成長の果てに、この▲22歩のような決め手が飛び出して、伝説を作るかもしれない。

 そういうことを考えていると、ますます未来に期待がかかってくるのであって、この青年からは目が離せなくなるのだ。 

 

 ★おまけ 米長邦雄永世棋聖が見せた「ゼット」での踏みこみは→こちら

 

 

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電光石火作戦 米長邦雄vs大山康晴 1986年 第44期A級順位戦 その2

2021年12月05日 | 将棋・名局

 前回(→こちら)の続き。

 順位戦史上に残る大激戦の末、米長邦雄十段棋聖加藤一二三九段大山康晴十五世名人の3人のプレーオフとなった、1986年の第44期A級順位戦

 パラマス方式で、まずは大山と加藤一二三が戦って、これは大山が勝利。

 

 

 

 中盤で加藤にチャンスがあったが、なぜかその手に両対局者ともに気づかないという椿事があり、大山が優勢に。

 上の図は最終盤の局面だが、▲53銀とせまった手に、△66角、▲同角、△53金と、角を犠牲に攻め駒をクリーンアップするのが好判断。

 「受けの大山」の力を見せて、挑戦者決定戦にコマを進める。

 続けて、米長との最終決戦だが、当時の雰囲気では、これが相当に「米長有利」と思われていたらしい。

 大山は、たしかにリーグの星は走ったが、体調は万全ではないだろうし、逆に米長は死に体から天国まで、意地の大逆走した勢いがある。

 また、王将戦棋王戦などタイトル戦で勝っていたイメージもあり、米長の弟子であり、この将棋を観戦した先崎学九段いわく、

 


 「大山シンパと先生の親戚の人以外は世界中の誰もが米長先生が勝つと思っていた」


 

 この日は天候が有名で、3月だというのにものすごいになり、交通網が完全にストップ。

 なので、大一番なのに観戦者が少なく、控室の棋士やスタッフはヤキモキしたそうだが、この「大雪の決戦」で、大山康晴は一世一代の勝負術を見せつける。

 

 

 大山の三間飛車に、後手の米長はめずらしい矢倉で対抗。

 この局面、先崎の見立てによると、後手が指せそうと。

 次に△74飛とゆさぶれば、先手は▲77歩しかなく、これでは効かされすぎな上に、▲89桂が使えなくなりヒドイ。

 そこから△64銀とぶつけて、▲54の歩を奪回しながら、どんどん盛り上げていけば、これはもう、後手が自然によくなるでしょうと。

 ところがここで、大山からすごい手が飛んでくる。

 

 

 

 

 ▲25歩、△同歩、▲17桂が、まさかの奇襲

 当時の感覚では、振り飛車側からを跳ねて仕掛けるなど、まったくありえないことであった。

 ましてや大山と言えば、

 

 「最初のチャンスは見送る」

 

 という語録があるくらいな、石橋をたたいて渡らない慎重派のはずなのに……。

 控室も騒然となったそうだが、それ以上におどろいたのが米長だった。

 そもそもこの勝負自体、先も言ったが勢いは完全に米長にあり、『先崎学&中村太地 この名局を見よ!』という本の中でも先崎は、

 


 「片方は指し盛りで、もう片方はがん明け。米長先生は負けると思っていないわけだ」


 

 そこに、この「飛び蹴り」。

 ここで米長のペースは完全に狂わされ、ボロボロになってしまう。

 

 陣形の差がありすぎる上に、△73に取り残されたもひどく(大山もそこに目をつけての開戦だった)、後手が苦しげに見える。

 △43金と上がったのが、早くも敗着で、ここで先手に決め手が出る。

 

 

 

 

 ▲24角、△同金、▲52銀で先手必勝。

 △42金には▲53歩成が「ダンスの歩」のような小粋な手筋。

 

 

 △同金に▲41銀成で、角がきれいに死んでいる。

 米長はどうも、この歩成を見落としていたらしく、このあたりも、らしくないところ。

 以下まったくのノーチャンスで、米長は病み上がりだったはずの大山の軍門に下り、「63歳で名人挑戦」という大記録を達成させてしまう。

 『この名局』によると、▲17桂には△74飛▲77歩を利かせてから、△13桂と受ければこれからの将棋だったが、米長からすれば、せんない解説だろう。

 まさかのうえにも、まさかの結果だったが、敗因は先崎いわく、

 


 「生涯の油断」


 

 それを見抜いて、とっさに頭突きをカマした大山の勝負術も見事だった。

 このエピソードを読んだとき、米長邦雄のような百戦錬磨の男が、名人戦の挑戦者決定戦で「油断」することもあるのだなあと、不思議な気分になったものだ。

 これは余談だが、この日は名人挑戦のかかった一番ということで、開始前から深夜の決戦になることが予想されていた。

 そこで若手棋士や奨励会員が買い出しに出て、お弁当カップ麺を大量に購入し兵站を整えていたわけだが、それがなんと、まさかの「ワンパン」で午後9時には将棋が終わってしまった。

 熱局を期待したのにアテが外れたこと、師匠である米長邦雄の拙戦もあって、なんと先崎少年は買い置きのカップ麺を、4個も立て続けに胃の腑へと流しこむことに。

 おかげで、猛烈な腹痛に見舞われたそうで、今となっては笑い話だが、そのときのショックの強さが、うかがいしれるエピソードでもある。

 先チャンによると、局後にスナックまで歩いていたとき、一緒にいた米長が目に涙をためながら、こうもらしたそうだ。

 


 「今日は負けるとは思わなかった。俺の運命が変わったんだ」


 

 

   (羽生善治と谷川浩司の熱戦編に続く→こちら

   (63歳挑戦者、大山康晴の戦いぶりはこちら

 

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大雪の決戦と「生涯の油断」 米長邦雄vs大山康晴 1986年 第44期A級順位戦

2021年12月04日 | 将棋・名局

 「勝ったと思ったときが危ない」

 

 というのは、将棋を観戦していて、解説者などからよく聞くセリフである。

 私など子供のころは、

 「勝ったと思うということは、現実に【勝ってる】わけだから、別に危なくなくね?」

 単純にそう思っていたが、いざ自分が指してみたりすると、「勝ったかも」と邪念が入った瞬間に気がゆるんだり、緊張したりして、おかしくなってしまう。

 時間はあるのに、なぜか手拍子で指しそうになり、が出たせいでフルえて手が伸びなかったりと、ロクなことがない。

 でもこれは、自分のような素人だからなんだろうなあ、と感じていたわけだが、いろいろと将棋の本などを読んでいると、そういうことでもないらしい。

 かつて鈴木大介九段は、

 


 強い人は勝つまでよろこばず、負けるまで悲観しない。

 弱い人は勝つ前によろこんで、負ける前に悲観する。

 僕は勝つ前によろこんじゃう。


 

 

 「勝つ前によろこんで」散々辛酸をなめたであろう鈴木九段でも、自虐をふくめて戒めなければならない。

 A級棋士で、タイトル挑戦2回に、NHK杯優勝経験もあるダイチ君でもこうなのだから、そりゃ私なんかがゆるんだり、ブルブルになるのも当たり前だろう。

 ましてや対局前から「勝てる」と確信していては、思わぬ落とし穴が待っていることになる。

 前回は、伊藤沙恵里見香奈の入玉型の激戦を紹介したが(→こちら)、今回はそういう、痛恨の「油断」について。


 
 1986年の第44期A級順位戦は、かつてないほどの大盛り上がりを見せた戦いだった。

 その主役は2人いて、ひとりは大山康晴十五世名人

 通算1433勝。名人18期をふくむ、タイトル獲得80期

 棋戦優勝44回永世名人永世十段永世王位永世棋聖永世王将の称号も持つスーパーレジェンド大山も、すでに63歳でキャリアの晩年も晩年である。

 それでも、なにげにA級をキープしているのがすごいが、この年の順位戦は苦戦が予想されていた。

 というのも、1984年2月にNHK杯優勝するも(60歳越えてます!)同年5月にガンが発覚。

 すぐ入院し、手術を受けることになったが、翌年の第43期順位戦は休場を余儀なくされる。

 その翌年に復帰するも、体調面での不安は当然あるだろうし、休場のせいで「張り出し」と順位も最下位

 これでは復活どころか、ふつうに「降級候補」だったわけで、

 「A級から落ちたら引退する」

 と公言していた大山にとって、それは人生の、いや将棋界全体の一大事であった。

 そんな波乱を含んでいたせいか、この期のA級は史上まれな激戦になる。

 挑戦権はもとより、3名の降級(前期休場していた大山の参加で『11人いる!』になっていたため)もだれも決まらず。

 私は星取の計算が苦手なのだが、なんと途中まで「全員5勝5敗」で並ぶ可能性もあったという。

 そうなると、前代未聞の「11人プレーオフ」になる。

 パラマス方式だから、順位下位のふたりは全員ぶっこ抜きの「10連勝」が必要になり、指し分けは落ちない規定だから、「降級者ゼロ」で、「来期の降級が5人」になるそうな。

 さすがにそうはならないが、それでも結果を見れば、6勝4敗3人5勝5敗5人4勝6敗3人

 森安秀光八段勝浦修九段青野照市八段の3人が4勝しながら落ちてしまったのだから、いかにきわどい争いだったか、うかがいしれるところだ。

 ここでもうひとりの主役になるのが、米長邦雄十段(今の竜王)・棋聖

 米長は1984年、十段・棋聖・王将・王位の四冠王になり、

 

 「世界一将棋の強い男」

 

 としてブイブイ言わしていたが、そこをピークに絶不調におちいってしまう。

 タイトルを次々と奪われただけでなく、順位戦でも1勝4敗という、キャリアで初めてともいえる低空飛行を披露。

 挑戦どころか、これでは降級一直線の星。

 このころの米長は相当に落ちこんでいたそうだが、そこから歯を食いしばって高度を上げていく。

 転機となったのが、6戦目の有吉道夫九段戦で、この将棋も中盤にド必敗になる低調ぶり。

 

 図は米長が▲56桂と打ったところで、ここでは後手の有吉がハッキリ優勢。

 A級陥落の影におびえる米長は、目の前が真っ暗になっていたろうが、ここで有吉に逸機が出る。

 △56同飛と決めに出たのが疑問で、▲同銀、△79と、▲29飛、△66金、▲57歩、△55歩

 

 

 まさに「火の玉流」の猛攻で、▲47銀なら△65桂で寄りだが、▲同銀(!)と取る強手があった。

 以下、△同角に▲41銀と打ち返して、ここで攻守所を変えることに。

 

 

 

 ここから勢いにのって、米長が逆転を決めるのだが、では有吉はどうすべきだったのか。

 △56同飛では、△53金と取る好手があった。

 

 

 ▲同桂成は△同角

 ▲44桂は△同金で、どちらも桂のコンビネーションをいなす形で、駒をさばいて調子がいい。

 ▲44桂、△同金に▲77角という手はあるが、これには△55桂という反撃や、△79と、▲44角、△33金打と受けておく手でも、問題なく有吉が必勝だった。

 まさしく、執念の勝利をもぎ取った米長は、ここから一気に加速。

 連勝モードに入り、最終戦ではなんと名人挑戦の目があるほどに、まくり返すことになるのだ。

 もしあそこで、有吉に順当負けしてたら……。

 本人のみならず、周囲のファンも、さぞやゾッとしたことだろう。

 一方の大山はと言えば、なんとこちらは前半から好調に飛ばしていく。

 病み上がりの心配もなんのそので、ラス前まで6勝3敗自力で挑戦権獲得の目もあったのだから、その回復力たるやおそるべしだ。

 最終戦で谷川浩司棋王に敗れたものの、同星だった加藤一二三九段二上達也九段に敗れ、米長もくわえて、これで3者とも6勝4敗でゴール。

 降級、挑戦権、どちらも大盛り上がりだった順位戦は、舞台をプレーオフに移すことになるのだった。

 

 (続く→こちら

 

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「藤井システム」のマスターピース 佐藤康光vs羽生善治 1995年 第8期竜王戦 第3局

2021年07月05日 | 将棋・名局

 「藤井システムには、羽生善治の影響がある」

 

 というのは、よく言われることである。

 これは勝又清和七段の将棋講座や、なにより藤井猛九段本人が、ネット中継のトークなどで、何度も披露している話。

 ここで興味深いのは、藤井はほとんど自力で「システム」を構築し、「升田幸三賞」を受賞しているが、羽生は「歴史的名手」にかけては、それこそ数えきれないほど披露しているものの、新手や新戦法、いわゆる

 

 「羽生システム」

 「羽生流○○戦法」

 

 のようなものは発明してないし、升田幸三賞にも無縁である。

 これは芸術の世界などでよく言う、「から」と「から10」のちがいというもので、将棋界ではよく

 

 「創造型」

 「修正型」

 

 という言い方をするが、その意味では藤井は「創造型」の天才で、羽生は「修正型」の天才。

 この2つが、かみ合ったときに起る化学反応は、それはそれはすごいもので、まさに歴史を変えるほどの爆発力を発揮するのだ。

 前回は、丸山忠久九段の見せた「激辛流」を紹介したが(→こちら)、今回は「システム前夜」の、ある将棋を見ていただきたい。

 

 1995年の第8期竜王戦

 羽生善治六冠(竜王・名人・棋聖・王位・王座・棋王)と佐藤康光前竜王(当時は名人か竜王を失冠した棋士は「名人」「竜王」と呼ぶ、変な忖度があった)の7番勝負、第3局

 後手番羽生の四間飛車に、佐藤康光は得意の穴熊にもぐる。

 

 

 

 序盤で、まだ淡々と駒組が進みそうな局面に見えるが、ここで将棋界の大革命を誘発する手が飛び出す。

 

 

 

 

 

 △93桂と跳ねるのが、おもしろい一手。

 今なら、三間飛車における「トマホーク」や、関西の宮本広志五段が披露して、有名になった端桂のようだが、その元祖ともいえるのがこれ。

 

 

 

 2014年の第73期C級1組順位戦。永瀬拓矢六段と宮本広志四段の一戦。

 オーソドックスな対抗形から、▲25歩、△同歩、▲17桂と、宮本が端桂から突然に襲いかかる。

 玉頭戦になれば、深い位置の▲39玉型が働く形で、以下バリバリ攻めて強敵を圧倒。

 

 

 この形自体は、さかのぼれば林葉直子さんや、部分的には大山康晴十五世名人なんかも指してはいるけど、主に左美濃矢倉に対してで、居飛車穴熊相手にというのは存外見たことがない。

 以下、▲88銀△85桂と早くも飛び出して形を決めたあと、そこから一転、攻めるのではなく石田流に組み直し、じっくりと腰をすえる。

 

 

 

 意図としては、常に端攻めがある状態にして、先手にプレッシャーをかけようということだろう。

 たしかに、いつでも△96歩△97桂成がある状態だと、桂香を渡しにくいし、角筋にも注意を払っておかなければならない。

 穴熊得意の「自陣を見ずに攻める」展開にさせないということだ。

 そこから左辺で戦いがはじまり、後手はねらい通りに手をつける。

 もみ合っているうちに、むかえたのがこの局面。

 

 

 

 角銀交換で後手が駒損しているが、△85桂のボウガンが急所に刺さっており、強烈きわまりない。

 ▲98金と逃げても、△97歩など次々に追撃が来て、とても保たない形。

 まともな受けではどうしようもなく、アマ級位者レベルなら後手必勝といってもいい局面に見えるが、ここで佐藤康光が指した手がすばらしかった。

 

 

 

 

 

 ▲86金と上がるのが、ちょっと思いつかないしのぎ。

 これがならだれでも指すが、「ナナメに誘え」のを行くこの金上り。

 まさに、先入観にとらわれない指し手が武器である羽生の、お株を奪うかのような絶妙手だった。

 △97桂成には、▲98香の真剣白刃取りで、それ以上の攻めはない。

 

    

 後手はを攻めたからには、どこかで△96香と走りたいが、その瞬間に▲93角が一撃必殺で、ほぼ即死

 となると、これ以上の攻めがないのだ。

 △93桂から端の速攻という構想を、木っ端微塵に打ち砕かれた羽生。

 △63歩▲67飛に、△84歩を支えるが、△97にダイブできるはずの桂を、こうして守るようでは明らかに変調だ。

 佐藤は▲55角と急所に据えて、△28飛の打ちこみに▲74桂が、美濃囲いの急所であるコビンを攻める痛烈な一打。

 

 
 

 美濃囲いが、この角桂のスリングショットを、モロに食らっては受けがない。

 △同歩に、▲91角成

 △97銀と後手も必死に迫るが、かまわず▲93角と、これまたド急所の一手。

 

 

 

 △62玉▲84角成が胸のすく王手で、△73桂と合駒するしかないが、▲85金桂馬を取りはらって盤石。

 そこで△68飛成は、▲同金なら△98銀打で詰みだが、▲同飛が飛車の横利きで、▲98の地点を守ってピッタリ。

 しょうがない△29飛成に、▲98香で見事な受け切り。

 

 

 2枚のの圧力がすさまじく、挽回のすべもないまま羽生は完敗した。

 いかがであろうか、この将棋。

 羽生の△93桂からの趣向はおもしろかったが、佐藤康光はそれを完膚なきまで、叩きのめしてしまった。

 だがこの将棋は、単に振り飛車の敗局として、埋もれてしまうわけではなかった。

 藤井猛九段が、この将棋をひそかにチェックしていたからだ。

 当時の藤井システムはまだ未完成で、いくつかの「課題局面」を突破できずに悩んでいたが、なんとこの一局が、その突破口になったというのだ。

 それこそが、羽生の見せた「△93桂」の端ジャンプ。

 この手自体は、佐藤康光の剛腕によってはばまれたが、

 

 「居飛車穴熊相手に、早く桂馬を跳ねて速攻

 

 という、藤井システムのキモともいえる発想は、この将棋に大きな影響を受けたそうなのだ。

 また、△71玉型が、戦場に近くて反撃がきびしかったなら、

 

 「じゃあ、最初から居玉でよくね?」

 

 これら、「システムへの羽生善治の影響」というのは、藤井本人が各所で語っているところである。

 この将棋が1995年の11月7日。

 そして翌月の12月22日。

 

 

 

 B級2組順位戦の対井上慶太六段戦で、藤井システムの「完成形」がお

目見え。

 将棋界に革命が、勃発することになるのである。

 

 (大山康晴の晩年の受け編に続く→こちら

 (藤井システムと「一歩竜王」については→こちら

 

 

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「自分は消化試合、相手は人生がかかった大一番」の戦い方 大野源一vs米長邦雄 1970年 B級1組順位戦

2021年06月17日 | 将棋・名局

 「消化試合」をどう戦うかは、判断がむずかしいところである。

 そういうときのモチベーションは、人それぞれだろう。

 どんなときも全力という人もいれば、ここでムキになってもなあと、軽く流すパターンもありだ。

 その思想はそれこそ、人の数だけあるだろうが、ここにひとつ、この問題にある種の「正解」を出した棋士が、かつていた。

 前回は鈴木大介九段が、降級のピンチで見せた衝撃の勝負手を紹介したが(→こちら)、今回はまさにそこで、対戦相手の畠山鎮が直面した、ある「哲学」のお話。

 

 1970年B級1組順位戦の最終局は、後の将棋界に、大きな影響をあたえることになる1日だった。

 注目だった将棋は2局あり、ひとつが大野源一八段と、米長邦雄七段の一戦。

 もうひとつが、芹沢博文八段と、中原誠七段の戦いだ。

 この期のB1は、内藤國雄棋聖がすでに昇級を決めており、のこり1枠をかけた戦いを残すのみとなっていた。

 自力なのは大野で、米長に勝てば、文句なくA級復帰が決まる。

 大野が敗れると、芹沢と中原の勝った方が昇級

 米長はひとり蚊帳の外で、消化試合となっている。

 「名人候補」で今で言う藤井聡太王位棋聖のような存在だった、中原の戦いぶりも気になるが、それ以上に話題を集めたのが大野の躍進。

 なんと、このとき58歳

 大ベテランなうえに、大野は「振り飛車名人」として人気も高い棋士。

 当然、マスコミも大きく取り上げるはずで、現に米長自身すら、

 


 「大野さんがA級に復帰すれば、年齢が年齢なだけにニュースになる。敬愛する大先輩にうまく指されて負かされたいとチラリと思ったものです」


 

 今で言えば「通算1000勝まで、あと少し」な、桐山清澄九段の戦いのようなものか。

 様々な因縁がからんだ一戦は、先手大野の中飛車で幕を開ける。

 米長は引き角から、銀を△73にくり出し攻勢を取るが、大野も力強く受け止めて、着々と反撃の態勢を整えていく。

 むかえたこの局面。

 

 

 角取りを△74歩と受けたところだが、この1手前の▲78飛が好手で、すでに先手がさばけ形

 ここで、振り飛車の心得がある。

 あまたのスペシャリストたちが、口をそろえて言うその極意とは……。

 

 

 

 

 ▲75飛、△同歩、▲53角成、△同金、▲71角、△52飛、▲53角成、△同飛、▲44銀

 長手順でもうしわけないが筋はいたってシンプルで、先手は飛車も角もぶった切って食いついていく。

 これぞ、久保利明藤井猛鈴木大介、中田功といったジェダイたちが伝える振り飛車の筋。

 そう、

 

 「飛車は切るもの」

 

 相手が攻めてきたところを、大駒を駆使してかわしておいて、スキありと見れば、一気にラッシュをかける。

 あとは美濃の耐久力にものをいわせて、小駒でベタベタくっついていく。

 これこそが、振り飛車の理想的な勝ちパターンなのだ。

 さすがは、久保利明の将棋に影響をあたえまくった、「元祖さばきのアーティスト

 この大一番でも、持ち味を発揮しまくっているが、ただし相手は中原誠と並ぶ若手のホープである米長邦雄

 「負かされたい」といいながらも、勝負師の本能は、そう簡単に割り切らせてくれないのだ。

 

 

 

 

 ▲44銀に、△43飛が「泥沼流」米長邦雄のうまいねばり。

 △52飛△51飛では、▲53金とか▲62銀とか、金銀で飛車をいじめられ、「玉飛接近」の形では、そのまま寄せられてしまう。

 そこでガツンと、飛車をぶつける。

 これで巻き返しとはならないが、一目、最善のがんばりなのはよくわかる。

 大野は▲同銀成と取って、▲82飛と自然にせまるが、後手も△52飛の力強い合駒。

 

 ▲81飛成としたところで、△51底歩を打って耐える。

 その後も大野の攻めを、2枚のを駆使して、なんとかしのぐ。

 それでも先手勝勢だが、最初は迷っていた米長も、ここまできたら負けられない。

 

 △48歩と打つのが、美濃くずしの手筋で、これがまた悩ましい。

 どう応じても味が悪く、先手の攻め駒の渋滞っぷりを見ても、いかにも「もてあましている」という感じがするではないか。

 それでもまだ、大野が勝っていたが、ついにひっくり返ったのが、この局面。

 

 ここでは▲55銀と王手して、△同馬位置を変えてから、▲52竜引と取れば先手が勝ちだった。

 

   ▲55銀、△同馬、▲52竜の局面。

 

 ところが大野は、単に▲52竜引としてしまう。

 すかさず、△39銀と打たれて大逆転

 

 

 

 以下、▲同玉△48馬と切って(この筋を消すのが▲55銀の効果だった)▲同玉に△57金、▲同玉、△45桂打でまさかの大トン死。

 

 

 以下、▲67玉、△68金、▲同玉、△46角、▲78玉に、△66桂から2枚のも足りてピッタリ詰みで、まさに「勝ち将棋、鬼のごとし」。

 こうして、大野の58歳A級復帰という夢は絶たれた。

 一方、芹沢-中原戦は、このころ芹沢必勝に。

 ところが、ちょっとしたアヤで芹沢が「米長勝ち」を察した途端に指し手が乱れ、そこから大逆転

 このあたり、米長の著者では

 


 「芹沢さんは気づかずに戦っていた」


 

 とあり、意見のわかれるところのようだが、他力がからんだ勝負では、場の空気から状況が読める(人の出入りが激しくなったり、逆に観戦者が露骨に興味を失うとか)ことがあるらしく、

 

 「知らされてはいないが、ほぼほぼ、わかってしまっていた」

 

 みたいな話はよく聞く。

 また、米長の大野への想いなども、書く人や時代によって温度差があったり、中身や解釈も違っていることが多いが、それが「伝説」というものだろう。

 ちなみに中原はこちらは本当に、なにも気づかず指し続けていたそう。

 それが幸いしたとなれば、いかにも人間らしいというか、できすぎた話のようだが、これで中原が逆転昇級を決め大名人へ大きく前進。

 もし大野が、あの将棋を順当に勝っていたら、中原のA級昇級は最低でも一年遅れていた。
 
 のちに「名人15期」を誇ることになる中原だから、ここで一回停滞したところで、歴史はたいしては変わらなかったろう。
 
 が、それはあくまで結果を知ってのはなしであって、現実はわからない。
 
 「一年を棒に振った」ダメージは尾を引いたかもしれず、その意味では大野だけでなく、もっと大きななにかを変えたかもしれない。
 
 もしかしたら、のちに中原に何度も名人位をはばまれることとなる、米長本人の運命すらゆるがしたやもしれぬ、「消化試合」でのがんばりだった。
 

 

 (「米長哲学」に関する議論編に続く→こちら

 

 (久保利明に感銘をあたえた大野のさばきは→こちら) 

 

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「スーパーあつし君」の詰将棋と終盤 宮田敦史vs北島忠雄 2006年 第64期C級1組順位戦 その2

2021年04月19日 | 将棋・名局

 前回(→こちら)の続き。

 2006年の、第64期C級1組順位戦

 北島忠雄六段宮田敦史五段の一戦は、終盤の千日手模様を宮田が鋭手で打開し、超難解なバトルが続いている。

 

 

 

 

 ▲89桂なら千日手だが、ここで▲73金が控室の検討陣も悲鳴をあげた、すごい手で、△同玉、▲85桂打△同飛▲同歩

 前回書いたように、ここで△77桂成▲同飛に、△同角成は、最後に手順に開けておいた▲86の地点に逃げこんで詰まない。

 北島は△77桂成、▲同飛に、△67金打とへばりついていく。

 ここで▲65桂などと反撃したいが、後手玉は上部が厚く、なかなか詰ますのは大変。

 そこで、一回▲69桂と受ける。

 

 

 これがまた、あぶないようながら最善の受けで、先手玉に詰みはない。

 今度、後手玉は上部に逃げ出したとき、桂馬△57の地点を押さえられているため、ここでゆるむと一気に寄せられてしまうかもしれない。

 つまり、▲69桂はただ受けただけのように見えて、なんと攻防の一手だったのだ!

 かといって、△77金飛車を取っても、▲同桂がやはり、を渡しながら△65の地点を押さえられることになり、自分の首を絞めるだけ。

 △58飛のような王手には、▲78銀打と合駒するくらいで、なんでもない。

 必死の北島は△78金打と、こちらから強引に王手する。

 これがまた、メチャクチャに危険ラッシュで、▲同銀は、△同金、▲同玉、△77角成

 そこで▲同玉△67飛▲86玉で、▲69がいるから、△77銀が打てず不詰。

 

 △77同角成に▲同桂も、△86桂と打って、▲69玉と▲87玉は詰むから、▲88玉とよろける。

 △78飛には、▲87玉、△98銀、▲同香、△95桂、▲同歩、△98飛成、▲86玉、△95竜、▲87玉、△86香、▲78玉、△98竜▲69玉で、ギリギリ詰まない。

 

 

 とはいえ、とんでもなく怖い形で、なにか読み抜けがあったらお陀仏だ。

 そこで宮田は▲97玉とかわす。

 これなら、△88の地点にを打たせなければ絶対に詰まない

 

 「ななめゼット」

 

 という形で、「銀冠の小部屋」が最大限に働いた形だ。

 今度こそ決まったようだが、北島は△77角成と取る。

 ここを金で取らなかったのは、を除去して△55の地点を空け、あわよくばそこから、ヌルヌルと逃げだそうというわけだ。

 ▲同桂に、△同金引

 

 

 

 

 秒読みでこんなことをされては、またもあわてまくるところで、事実、ここで上手の手から水が漏れたようなのだ。

 本譜は△同金引に、▲86角と打つ。

 

 

 

 これがまた、いかにも妙手っぽい手で、△87金、▲同玉、△78銀、▲98玉に△86桂と打つ筋を消しながら、△64の逃げ道を封鎖する、見事な、

 

 「詰めろのがれの詰めろ」

 

 になっているのだ。

 この超難解な終盤でに追われながら、よくもまあ、こんな美技を次々と繰り出せるものだが、実はこれが宮田のミスだったようだから、わからないもの。

 ここでは▲83飛と打って、△同玉は▲84銀から。

 △64玉には、▲82角からピッタリ詰んでいたのだ

 さほどむずかしい手順でもなく、落ち着いて考えれば、アマ初段クラスでも見つけられそう。

 激ムズなやりとりが長く続いたせいか、このシンプルな詰み筋が、意外な盲点になったか。

 一方の北島のしぶとさも、さるもので、必殺の角打ちに△87金と取って、▲同玉に、△77飛とせまる。

 ▲同角と手順に詰めろをほどいて、△同金

 そこで▲同玉△66角で詰みだから、▲86玉と、やはりこの生命線となったスペースに逃げこむ。 

 

 

 

 さあ、ここである。

 首の皮一枚で助かった北島だが、ここでどう指すか、また難解すぎる局面。

 攻めるなら一目は△66金だが、▲82角と打って、△同玉に▲83飛から物量にモノを言わせて詰まされる。

 また、△64角の攻防手も、▲75桂とか、いろいろ切り返しがありそうとか、もうわけがわからない。

 北島は一縷の望みをたくして、△64玉から大脱走を試みるが、すかさず▲82角の王手。

 これには△73桂とでも合駒すれば、まだ激戦は続いていたが(もう勘弁してぇ!)、北島はここで力尽き、△65玉と逃げてしまう。

 

 

 

 ここで宮田の目が、キラリと光った。

 そう、今度こそ、後手玉の詰みが見えたのだ。

 まず、▲75金から入る。

 △同歩と取るが、そこで▲74銀が、詰将棋の名手らしい、カッコイイ手。

 

 

 

 △同銀▲64飛から。

 △同玉▲73飛から簡単だから、△66玉しかないが、▲65飛と打って、△57玉に▲59飛で詰み。

 

 


 最後は飛車の形がきれいで、カオスな終盤戦の締めくくりがこうなるのが、また将棋の不思議なところ。

 以下、△58金とでもするが、▲49桂、△48玉に、▲37角成がピッタリ。

 

 

 

 これまた、馬の利きで▲59飛車取れない形が、詰将棋っぽくて美しい。

 ここがおもしろいところで、さっきの簡単な詰みは逃しながら、この妙手が必要となる長手数の問題は、あざやかに解き切ってしまう。

 変な言い方だが、その矛盾が一回転して、逆にすごみを感じさせる。

 水面下で、信じられないくらい深く読んでるからこその、ウッカリなのだろうから。

 この終盤の戦いぶりは、▲73金から、その読みと踏みこみの良さにおいて、

 「宮田敦史おそるべし

 との評価を、確固たるものにした。

 これほどの男が、いまだタイトル戦にも出られず、Cクラスにいるのは、体調をくずしてしまった時期があったから。

 あの羽生善治九段も、インタビューで、

 

 「体が万全の状態なら、もっと上に行ける棋士のはず」

 

 といった内容のことをおっしゃって、太鼓判を押したほどなのだ。

 この超絶技巧。久しぶりに、思い出させていただきました。

 「スーパーあつし君」。まだまだ健在やないですか。

 

 (羽生が王将戦で見せた大ポカ編に続く→こちら

 

  

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「スーパーあつし君」の詰将棋と終盤 宮田敦史vs北島忠雄 2006年 第64期C級1組順位戦

2021年04月18日 | 将棋・名局

 「宮田敦史は、やっぱりモノがちがうな」

 モニターの前で、思わずうなったのは、あるYouTubeの動画見たときのことだった。

 前回はアベマトーナメント出場決定をお祝いして、藤森哲也五段の「攻めっ気120%」の将棋を見ていただいたが(→こちら)、今回はある棋士の驚異的な終盤術を。

 

 ことの発端は家でゴロゴロしながら、香川愛生女流四段のチャンネルを見ていたときのこと。

 ふだんやっている将棋ウォーズ実況と違って、渡辺和史四段と、谷合廣紀四段がゲストに登場していた回だ(→こちら)。

 なんでも2人は香川さんとおさななじみだそうで、トークに花が咲いたが、そこでもう一つ企画として、こういうものもやっていた。

 「フラッシュ詰将棋

 一瞬だけ画面に映った問題を暗記して、それを早解きするというものだ。

 まず、1秒で図面がおぼえられるというのがすごいが、それを暗算で即座に解けるのが、またワザである。

 詰将棋を「鑑賞」するのは好きだが(すぐれた詰将棋には「芸術性」というのが存在するのです)解くのは好きでない自分は、もうこれだけで圧倒される。

 ところが、世の中には上がいるもので、

 「3問同時に出題されて解けるのか」

 というチャレンジには、さすがの若手プロ3人も苦戦し(その模様は→こちら)、そこで思わずこぼれたのが、

 

 「宮田先生はすごかった」

 

 宮田先生って、宮田敦史七段か。そういや詰将棋といえば、この人だよなー。

 なんて、おさまってたところに、そこでガバッとベッドに起き上がる。 

 え? てことは、敦史君は、これをやったってこと?

 マジかぁ?

 その内容は、こちらから確認していただきたいが、これがホンマにマジでした。

 解いちゃうんだよ、この人は。

 その様は一言でいえば、

 「アンタ、人間じゃない!」(なんか誤解されそうな言い回しだな)

 これには、深く、ふかーく、うなずかされたもの。

 しばらく聞かなかなかったが、これこそが、

 「スーパーあつし君

 との異名を取った天才の驚異だ。

 藤井聡太二冠が出てくるまで、「詰将棋選手権」といえば、この人のものだったが、その力は、今でもまったくおとろえていない。

 すごすぎですわ。マジで腰が抜けた。

 ということで今回は、そんな宮田敦史の超絶的な終盤戦をご覧いただこう。

 


 2006年の第64期C級1組順位戦

 宮田敦史五段と、北島忠雄六段の一戦。

 後手の北島が、当時大流行していた「一手損角換わり」から右玉に組むと、宮田は銀冠にかまえる。

 むかえた、この局面。

 

  後手の△65桂は、次に△77桂成からの詰めろで、先手はなにか受けなければならない。

 宮田は▲89桂と打つ。△77桂成に、▲同桂。

 北島はもう一回、△65桂のおかわり。宮田は再度、▲89桂。

 △77桂成、▲同桂に、みたびの△65桂。

 同一局面がグルグルと回っているが、これで次に宮田が▲89桂と打てば、もうループは止まらず、千日手になったはず。

 北島はそのつもりであり、局面の切迫度と時間に追われていることを考えれば、ここは「もう一局」が無難であろう。

 だが、信じられないことに宮田は、ここから、すさまじい打開術を披露するのだ。

 

 

 

 

 

 

 ▲73金と打つのが、控室の検討陣もどよめいた一撃。

 金のタダ捨てだが、△同角は勇躍▲65桂と取って、△55角▲77桂と受けておく。

 

 

 これで先手玉は詰まず、後手玉は▲65桂馬の存在感が絶大で受けがないから、宮田勝ち。

 そこで北島は△同玉と取るが、▲85桂打の継ぎ桂。

 

 

 

 △62玉▲73角から詰み。

 △72玉は、▲73銀、△同角、▲同桂成、△同玉に▲65桂と取るのがピッタリで、先手勝ち。

 △83玉が一番ねばれるが、▲73金とか、▲84銀、△同玉、▲62角みたいな形があぶなすぎて、とても指しきれない。

 そこで▲85桂打には△同飛と取るが、▲同歩と取り返しておく。

 先手玉はメチャクチャにあぶないが、△77桂成、▲同飛、△同角成、▲同玉、△67飛のような手には、▲86玉(!)

 

 

 手順にドアを開けておいた屋根裏に逃げ出して、後手にななめ駒がないから、きわどく詰みはない。

 この蜘蛛の糸をたよりに、千日手を打開したというのだから、宮田の読みと踏みこみがすばらしい。

 むずかしい手順だが、これこそが将棋の終盤の醍醐味と、宮田敦史はうったえかけてくるのだ。

 

 (続く→こちら

 

 

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将棋放浪記と攻めっ気120% 藤森哲也vs高野智史 2017年 第89期棋聖戦

2021年04月12日 | 将棋・名局

 藤森哲也五段が、アべマトーナメントへの出場権を獲得した。

 先日放送された、第4回アべマトーナメントの出場枠を決めるエントリートーナメントは、関西ブロックから小林裕士七段が勝ち抜き。

 2枠ある関東ブロックからは、まず梶浦宏孝六段

 そしてもうひとり、藤森哲也五段が予選を勝ち抜いて、この3人が見事、最後の1チームとして本戦出場を決めたのであった。

 中でも注目なのが、藤森五段の戦いぶり。

 藤森の「てっちゃん」といえば、私の世代だとお母様の「なっちゃん」こと藤森奈津子女流四段(ステキな人なんだな、これが)の息子さんというイメージだが、今のファンには楽しい解説や、YouTubeの方が思い浮かぶかもしれない。

 そんなエンターテイナー藤森哲也だが、今回は本業でも魅せてくれました。

 もともと、てっちゃんといえば、勝負強いタイプで、三段リーグでは最終日7番手からの大逆転で昇段。

 デビュー後も新人王戦2回と、加古川清流戦でもファイナリストになっており、優勝こそ逃したものの、そのパンチ力をアピールした。

 本戦でも、頼れるチームメイトとともに、選抜されたエリート達に一泡も二泡も吹かせてほしいものだ。

 ということで、前回は昇級祝いで高崎一生七段の将棋を紹介したが(→こちら)、今回は藤森哲也五段の快勝譜を紹介したい。


 2017年の第89期棋聖戦一次予選。

 藤森哲也五段と、高野智史四段の一戦。

 相居飛車から、先手の藤森が現代風の雁木に組むと、高野は△33桂&△42銀とそなえ、専守防衛の姿勢で迎え撃つ。

 むかえた、この局面。

 

 

 藤森が4筋から歩をぶつけ、桂交換をしたところ。

 先手は、

 

 「攻めは飛角銀桂」

 「玉の守りは金銀3枚」

 

 という基本通りのフォーメーション。

 なんとも美しい形で、

 「将棋の王道

 という感じがするが、後手も金銀4枚の利きもくわえて、厳重にロックをかけ、待ち構えている。

 まさにサッカーでいうイタリアの「カテナチオ」だが、ここから藤森は華麗、かつ力強い進撃で、固い門のカギをこじ開けていく。

 

 

 

 

 ▲35歩、△同歩、▲45歩、△同歩、▲15歩、△同歩、▲45銀

 

「開戦は歩の突き捨てから」

 

 という、お手本通りの仕掛け。

 これはもう、相居飛車の将棋を楽しみたい方には、ぜひともマスターしてほしい呼吸。

 単に▲45歩は、△同歩、▲同銀に△44歩で追い返される。

 ここは景気づけで、3筋1筋をからめて行くのが、のちの攻撃のを大きく広げるのだ。

 今度△44歩は、本譜の▲34歩で攻めがつながっている。

 高野は△45歩と取るが、▲33歩成と取って、△同銀に▲37桂がまた、リズムの良い攻め。

 

 

 3筋の突き捨てがまたも生きて、▲45桂ジャンプから▲33歩が、の持駒と連動して絶品。

 

 「桂はひかえて打て」

 

 これまた格言通りの攻めだ。

 後手も△46歩、▲同飛、△44歩と、争点をずらす手筋を駆使し、しゃがんで受けるが、かまわず▲45歩と合わせる。

 △55桂と、角筋を遮断しながら反撃に移るも、▲44歩と取りこんで、△同角、▲45歩、△53角。

 そこで、われわれも大好きな▲44銀の打ちこみ。

 

 

 まさに、塚田泰明ゆずりの

 

 「攻めっ気120%」

 

 という大突貫。

 師匠のキャッチフレーズが「攻め100%」だから、その勢いは2割増しだぞ!

 △同銀、▲同歩、△同金に▲15香と走るのが、これまた居飛車党の必修科目ともいえる香捨て。

 これで貴重な一歩が補充できるうえに、香を上ずらせて、後手の守備力もけずっている。

 △15同香しかないが、そこでむしりとった一歩を使って、▲33歩が絶好打。

 


 「攻めの藤森」の持ち味が、これでもかと発揮されている。

 △22金に、俗に▲32銀と打ちこんで、ガリガリ攻めていく。

 まるで、『将棋放浪記』で紹介されている棋譜みたいだが、プロ相手に、それものちに新人王戦優勝することになる高野智史を、こんなサンドバッグあつかいできるのが、すさまじい。

 今、早めに△73銀△73桂とくり出す急戦が流行っているのは、相居飛車の後手番は、どうしてもこういう形になりやすいから。

 そりゃこんな目にあわされれば、その前に動こうと、必死になるわけである。

 そういや、羽生善治森内俊之矢倉戦とか、谷川浩司佐藤康光とか、丸山忠久郷田真隆角換わりとかって、いつもこんな感じだったなあ。

 クライマックスは、この場面。

 

 

 藤森の百烈拳が急所にヒットしまくりで、ここでは先手が勝勢

 ただ、駒の数が少なく、歩切れということもあって、足が止まると一瞬で指し切りになる恐れもある。

 後手玉が、左辺に逃げ出す前になんとかしたいが、次の手がまた「筋中の筋」という手で、勝負が決まった。

 

 

 

 


 ▲64歩と突くのが、これまたぜひとも指に、おぼえさせていただきたい好感覚。

 △同歩しかないが、▲55角と藤森流に言えばブッチして、△同歩に▲63桂がトドメの一撃。

 

 

 

 角取りだが、△62角頭金

 △53角▲32金打で、ピッタリ詰み。

 以下、数手指して高野が投了

 攻められっぱなしで一度もターンがまわってこない、典型的な「後手番ノーチャンス」という将棋だった。

 最後の▲63桂が、『将棋世界』で藤森が連載していた講座に、紹介されていた手。

 なので、これを見ていただこうと思ったのだが、今回あらためて並べ直して、あまりにもきれいな攻めが決まっていたので、ちょっとくわしめに取り上げてみた。

 てっちゃんはよく、『将棋放浪記』で、

 

 「勝つことも大事ですが、皆様が楽しんで上達できるように、できるだけ基本に忠実で、筋のいい、きれいな手をお見せしていきたいです」

 

 そう言ってるけど、これこそまさに、そんな将棋だった。

 連結のいい囲いから、の突き捨て、1筋の香捨て、▲44銀の俗筋から、最後は切れ味のいい寄せでフィニッシュ。

 ホント、この棋譜を何度も並べるだけで、アマ初段くらいにはなれるんじゃないだろうか。

 それくらい、お手本のような攻め筋なのだ。

 てっちゃん、強いぞ!

 

 (「スーパーあつし君」の終盤力編に続く→こちら

 

 

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砂をつかんで立ち上がれ 高崎一生vs有吉道夫&村中秀史 2009年&2010年 C級2組順位戦

2021年04月06日 | 将棋・名局

 高崎一生七段が、B級2組に昇級した。

 高崎といえば、小学生名人戦で優勝という実績からスタートし、奨励会時代から、

 「平成のチャイルドブランド

 と呼ばれ、広瀬章人佐藤天彦とも並び称された実力者だった。

 そんな高崎だが、順位戦では苦労が多く、C級2組時代は昇級の一番を、大ベテランに止められたり。

 また、C1でも毎年好成績をあげながら、9勝1敗頭ハネで涙をのんだこともありと(9割勝ってむくわれないなんて、なんて制度だ!)、苦難の道を余儀なくされる。

 それが今回、ようやっと昇級することになった。実におめでたい。

 私はこういう力のある棋士を、10年以上もCクラスにおいておく意味なんて、ないと思っている。

 なので、「藤井フィーバー」で世間の注目が集まっている今こそ、こういった点をどんどん改善してほしいものだ。

 前回は西山朋佳女流三冠(奨励会は残念でしたが引き続き応援してます!)の強烈な投げ槍を紹介したが(→こちら)、今回は昇級のお祝いで、高崎七段の将棋を。


 2009年、第67期C級2組順位戦

 有吉道夫九段と、高崎一生四段の一戦。

 この一番は当時、将棋ファンのみならず、一般マスコミの注目も集める一戦となった。

 それはここまで7勝2敗の高崎が、勝てば昇級というだけでなく、有吉にとっても人生のかかった大勝負であったからだ。

 棋聖獲得の経験もあり、A級21期、棋戦優勝9回

 その激しい攻めは「火の玉流」と恐れられ、通算1000勝越えも達成している、まさに関西のレジェンド棋士である有吉道夫。

 だが、このときはすでに73歳(!)で、往年の力はなく、C級2組でも降級点2個と追いつめられていた。

 ここで3つ目を取ってしまえば、他者の結果も関係してややこしいが、強制引退となる可能性が高かったのだ。

 そして有吉は今期ここまで、まだ2勝

 これに敗れると、3つめのバツがついて、将棋界から去れなければならないかもしれない。

 ドラマチックなうえにも、ドラマチックな舞台が整った勝負は、後手の高崎がゴキゲン中飛車にかまえる。

 むかえた、この局面。

 

 形勢は、パッと見で高崎が指せそうか。

 自分だけを作っているし、先手の▲15歩という手が、あまり1手の価値がないように見える。

 つまりは先手が、指し手に困っている、ということではないか。

 なら、△42金とでも自陣を整備しておけば、自然に差が広がりそうなところだが、高崎は△28馬としてしまう。

 なにか錯覚があったのだろう、これには▲17角で馬が消されて、おもしろくない。

 

 

 △同馬、▲同桂に、再度△28角と打ち直すが、そこで▲23桂が意表の一手。

 

 △同金▲43飛成

 △同飛▲41角で困るから、かまわず△19角成とするが、▲11桂成、△同飛に▲25桂。

 

 

 ただ取られるだけの駒だったはずの桂馬が、きれいにさばけては、実際の形勢はともかく、先手の気持ちがいいのはたしかだろう。

 高崎も、もちろん有吉側の事情は知っていたわけで、このあたりでは、やりにくさを感じていたのかもしれない。

 ややギクシャクしている高崎に対して、有吉の方は元気いっぱい。

 負ければ、将棋を取り上げられるかもしれないプレッシャーを、まるで感じさせない勢いで、若手昇級候補を追いつめていく。

 一方の高崎も、負けるわけにはいかないのは同じで、からアヤをつけ、なんとか先手玉にせまっていく。

 むかえた最終盤。

 

 高崎が△87香と放りこんだところ。

 形勢は先手優勢だが、後手も決死の喰いつきで、玉に近いところなので慎重な対応が必要。

 ▲87同金△99飛成△97香成で怖いところもあるが、次の一手が決め手になった。

 

 

 

 

 

 ▲65角と打つのが、ほれぼれするような美しい手。

 受けては△87香△98飛に利かしながら、玉頭への殺到も見た、お手本通りの攻防の角。

 先手玉は、さえ渡さなければトン死筋はないため、条件がわかりやすく、これで勝ちのコースが見えた。

 手段に窮した高崎は、△99飛成から△88香成とするが、▲83香のカチコミから、▲32と、の左右挟撃でまいった。

 以下、有吉の正確な寄せに、高崎投了。

 有吉道夫、奇蹟の引退回避

 戦前の予想では、まあふつうに高崎が勝つのだろうと思っていたが、こんなことが起こるのも勝負の世界である。

 このとき高崎は、自分の背中越しにカメラのシャッター音が聞こえるという、将棋の敗者がさけられない屈辱を味わった。

 この敗戦はかなり応えたようで、のちのインタビューなどでも、あまり思い出したくないような反応を見せていたもの。

 だが、そこで屈しなかったのが、高崎一生の立派なところだった。

 翌年の順位戦でも白星を集め、8回戦を終えたところで7勝1敗。

 ラス前の9回戦に勝てば、昇級が決まるという一番を、またもむかえた。

 相手は今ではYouTubeでもおなじみの村中秀史五段

 この人もまた、実力のわりに順位戦で苦労を強いられている棋士の一人だが、この強敵相手に高崎はすばらしい将棋を披露する。

 

 相穴熊から、先に竜を作られているが、振り飛車側も成桂が敵陣に侵入し、穴熊流の接近戦の下ごしらえはできている。

 3筋に味もあり、どうせまるかというところだが、次の手が落ち着いた一着だった。

 

 

 

 

 ▲25歩と突くのが、この際の好手。

 ここでは▲34歩が目につくが、すぐにやると△24角が飛車取りでうるさい。

 そこで、じっと歩を突いてプレッシャーをかけておく。

 次こそ▲34歩で角が窒息するから、△45歩、▲同飛、△44銀とほぐしにかかるが、堂々▲46飛で問題ない。

 後手はそこで△35銀とできればいいが、それには▲42飛成(!)と抱きつかれて、先手の攻めが早い。

 

 

 次に▲32竜から▲43銀とか、からみついて、先手玉が鉄壁ということもあり、攻め合いで後手が勝てない。

 これでペースをつかんだ高崎は、その後は▲24歩、△同歩、▲23歩と、手筋を駆使して村中の穴熊を攻略。

 一度地獄を見たエリートが、すばらしいリカバリーを見せ、見事C1への切符を手にしたのだった。

 

 (藤森哲也の「攻めっ気120%」編に続く→こちら

 

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