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星降るベランダ

めざせ、アルプスの空気、体内ツェルマット
クロネコチャンは月に~夜空には人の運命の数だけ星がまたたいている

ビーム体験

2020-05-08 | 持ち帰り展覧会
昨年の今頃は、岡山県立美術館の「ロマンティック・ロシア展」で、彼女と会っていた。
   
     
          イワン・クラムスコイ「忘れえぬ女(ひと)」1883 
 
「ビーム体験」できる絵がある。
美術館で本物の肖像画を見た時、画面の人物の視線を受けとめてしまった、という体験。視線を受けとめた途端に彼らは私の心に住み着く。彼女は住み着いて30年以上経つ。
三度目の彼女の視線を受け止める。
彼女の左目の涙が確認できるくらい近づいた瞬間に、彼女から何かが溢れてくる。
前回も今回も、何かはわからなかったけれど、今回は気が付いたら私も涙ぐんでいた。

人と、外の世界との境界線は、皮膚である。
でも、一カ所だけそうじゃないと、中学生の頃、そう思春期の頃、思い始めた。
目である。視線の届くところまでが自分だと思っていた。
生意気の「生」は、あの視線が生み出していた。

あの頃は、興味ある異性に対していつも目からそっとビームを出していた気がする。
自分と視線が合った瞬間の彼らの顔を半世紀近くたった今も覚えている。
その後別に何か進展があったわけでもないのだけれど、
互いの視線を受け入れた瞬間、私の胸の何処かに彼らは住み着いた。

大人になってよほどの事がない限りビームがでるほどじっと人の顔はみなくなった。
仕事をしている時は、相手の目をしっかりみて話すようにしていたけれど、それは自分からより相手の視線を何とか受けとめようとしていたのだと思う。
退職してからは、他人としっかり目を見て話していない。だからなかなか顔を覚えられない。
どちらかというと、犬や猫の方と、目を見て話すことが多いような気がする日々である。

そんな中で、久しぶりの出来事。
2017年の秋、芦屋市立美術博物館での「小杉武久 音楽のピクニック」展のイベントに登場した、
高橋悠治さん。2階の階段上がった所で、彼に向かって、真正面から
 「ずっとあなたの♪サティを聴いています」
と長年の思いを告白した私の目からは、中学生の頃のように熱いビームが出ていた。
高橋悠治さんはしっかり受けとめてくれたから、私はその時の彼の顔を今でもすぐ思い出せる。
(そして思い出すたびにドキドキする)
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