自転車で図書館に向かう途中の住宅街の路上で、8才ぐらいの男の子と、6才くらいの女の子が、スケートボードで遊んでいた。すれ違う時、聞こえた男の子の声にドキッとして思わず振り返ってしまった。
「ハナちゃん、だいぶ上手になったね」
ハナちゃんの手はハッと止まり、じわーっと恥ずかしそうな笑顔になった。8才とは思えない優しい声の男の子の顔は、後ろを向いていて、残念ながら見えなかった。
…彼は、これからいったいどんな人生を送るのだろう。彼の言葉が何人の女を笑顔にするのだろうか?などと、つい思ってしまった。
海老茶筅髷(えびちゃせんまげ)の男は、小さい頃から、あんな声で、女の子に話しかけていたのかもしれない。
私が、海老茶筅髷の男に出会ったのは、昨年の春。芦屋市立美術博物館での「世界を魅了したやまとなでしこ~浮世絵美人帖」という展覧会だった。大正期に商社マンとして海外に出た片岡長四郎氏が主に海外で買い求めたコレクションから構成した展覧会だった。阪神淡路大震災の時、芦屋で倒壊した家屋から出てきた古い皮のトランク。開けたら中には300枚を越える美人画の浮世絵が入っていたという。ゴッホの絵に出てくる渓斎英泉や、歌川国貞(三代目歌川豊国)の、保存状態の良い色鮮やかな美人画が中心の展覧会だった。
この時、私は「笹紅」と「海老茶筅髷」という言葉を初めて知った。
まず、「笹紅」
浮世絵の中で、女性の下唇が緑のものがあった。笹紅とは、赤い紅を重ね塗りすると緑の玉虫色になり、唾液で湿らせると朱に戻る、という実に妖艶な遊女の化粧法であり、文化文政(1804~30)の頃、流行った。ただし、紅は高価で一回塗ると、今の800円くらいかかったので、高級遊女以外は、遠くから見ると緑に見えるように、墨を塗った上に紅をひいたという。ある時代限定の特異なファッションなのである。
この展覧会と同時期に、喜多川歌麿(1753~1806)の肉筆画「深川の雪」が岡田美術館で初公開されていたが、「深川の雪」が歌麿最晩年の作であると認定する決め手となったのが、笹紅だったと聞き、箱根まで確かめに行ってきた。確かに「深川の雪」の遊女達の下唇は、緑色だった。
そして、「海老茶筅髷」
「浮世絵美人帖」展なのに、所々に、女性達より豪華な衣装を身に纏った男が、女性と共に画面に出てくる。概ね、周りの女よりも目立っている。そして、何より、髪型が変。
髷の先が海老のしっぽのように、二つに分かれている。
手回し扇風機や、大きな金魚鉢の出てくる、歌川国貞のこの絵にも登場している。
「吾妻源氏見立五節句 皐月」~展覧会図録より
調べたら、浮世絵の一分野として、源氏絵と呼ばれるものがあるらしい。
その絵には、必ずこの海老茶筅髷の男が、登場する。
彼はもともと、柳亭種彦の「偐紫田舎源氏」という合巻(小説)の主人公として挿絵に描かれた男だった。文政12(1829)年~天保13(1942)年の14年間に38編が発刊され、大当たりをとった小説である。その絶大な人気は、種彦の筋立てと歌川国貞が描く挿絵が生み出したものだった。「源氏物語」をベースに時代を室町におきかえ、足利義政の妾腹の子で、美しく女性にもてる足利光氏が、将軍職をねらう山名宗全を、はかりごとで滅ぼすという物語らしい。町民の圧倒的支持をうけたが、大奥・将軍を連想させると当局の弾圧を受け、絶版を強いられ、作者柳亭種彦は天保の改革時に亡くなっている。小説は未完で終わったが、海老茶筅髷の男の人気は高く、どうやら、挿絵から独立して、浮世絵の題材として、このキャラクターが、一人歩きをしていったらしい。
海老茶筅髷男は、徹底してお洒落である。かつてジュリーが「魔界転生」で着ていたような南蛮風外套のような衣装も着こなしている。ただ、周りの人たちと何かがずれていて、ひとりのんびりとしている印象がある。周りの女達が日常仕事をしていても、彼は当然何もしていない。おそらく、彼の仕事は、優しい声で話かけること、だったと思う。
考えたら、当時一枚が掛け蕎麦一杯の値段の浮世絵を買ったのは、男達より、女達ではなかったのか。ならば、役者絵と同じように、絵草紙屋の店頭に、彼が登場する度に、買い求めた女達がきっといたはず。
軽薄そうな口先男は、嫌いだけれど、浮世絵展に行ったら、きっと私は、海老茶筅髷男を捜すと思う。
「ハナちゃん、だいぶ上手になったね」
ハナちゃんの手はハッと止まり、じわーっと恥ずかしそうな笑顔になった。8才とは思えない優しい声の男の子の顔は、後ろを向いていて、残念ながら見えなかった。
…彼は、これからいったいどんな人生を送るのだろう。彼の言葉が何人の女を笑顔にするのだろうか?などと、つい思ってしまった。
海老茶筅髷(えびちゃせんまげ)の男は、小さい頃から、あんな声で、女の子に話しかけていたのかもしれない。
私が、海老茶筅髷の男に出会ったのは、昨年の春。芦屋市立美術博物館での「世界を魅了したやまとなでしこ~浮世絵美人帖」という展覧会だった。大正期に商社マンとして海外に出た片岡長四郎氏が主に海外で買い求めたコレクションから構成した展覧会だった。阪神淡路大震災の時、芦屋で倒壊した家屋から出てきた古い皮のトランク。開けたら中には300枚を越える美人画の浮世絵が入っていたという。ゴッホの絵に出てくる渓斎英泉や、歌川国貞(三代目歌川豊国)の、保存状態の良い色鮮やかな美人画が中心の展覧会だった。
この時、私は「笹紅」と「海老茶筅髷」という言葉を初めて知った。
まず、「笹紅」
浮世絵の中で、女性の下唇が緑のものがあった。笹紅とは、赤い紅を重ね塗りすると緑の玉虫色になり、唾液で湿らせると朱に戻る、という実に妖艶な遊女の化粧法であり、文化文政(1804~30)の頃、流行った。ただし、紅は高価で一回塗ると、今の800円くらいかかったので、高級遊女以外は、遠くから見ると緑に見えるように、墨を塗った上に紅をひいたという。ある時代限定の特異なファッションなのである。
この展覧会と同時期に、喜多川歌麿(1753~1806)の肉筆画「深川の雪」が岡田美術館で初公開されていたが、「深川の雪」が歌麿最晩年の作であると認定する決め手となったのが、笹紅だったと聞き、箱根まで確かめに行ってきた。確かに「深川の雪」の遊女達の下唇は、緑色だった。
そして、「海老茶筅髷」
「浮世絵美人帖」展なのに、所々に、女性達より豪華な衣装を身に纏った男が、女性と共に画面に出てくる。概ね、周りの女よりも目立っている。そして、何より、髪型が変。
髷の先が海老のしっぽのように、二つに分かれている。
手回し扇風機や、大きな金魚鉢の出てくる、歌川国貞のこの絵にも登場している。
「吾妻源氏見立五節句 皐月」~展覧会図録より
調べたら、浮世絵の一分野として、源氏絵と呼ばれるものがあるらしい。
その絵には、必ずこの海老茶筅髷の男が、登場する。
彼はもともと、柳亭種彦の「偐紫田舎源氏」という合巻(小説)の主人公として挿絵に描かれた男だった。文政12(1829)年~天保13(1942)年の14年間に38編が発刊され、大当たりをとった小説である。その絶大な人気は、種彦の筋立てと歌川国貞が描く挿絵が生み出したものだった。「源氏物語」をベースに時代を室町におきかえ、足利義政の妾腹の子で、美しく女性にもてる足利光氏が、将軍職をねらう山名宗全を、はかりごとで滅ぼすという物語らしい。町民の圧倒的支持をうけたが、大奥・将軍を連想させると当局の弾圧を受け、絶版を強いられ、作者柳亭種彦は天保の改革時に亡くなっている。小説は未完で終わったが、海老茶筅髷の男の人気は高く、どうやら、挿絵から独立して、浮世絵の題材として、このキャラクターが、一人歩きをしていったらしい。
海老茶筅髷男は、徹底してお洒落である。かつてジュリーが「魔界転生」で着ていたような南蛮風外套のような衣装も着こなしている。ただ、周りの人たちと何かがずれていて、ひとりのんびりとしている印象がある。周りの女達が日常仕事をしていても、彼は当然何もしていない。おそらく、彼の仕事は、優しい声で話かけること、だったと思う。
考えたら、当時一枚が掛け蕎麦一杯の値段の浮世絵を買ったのは、男達より、女達ではなかったのか。ならば、役者絵と同じように、絵草紙屋の店頭に、彼が登場する度に、買い求めた女達がきっといたはず。
軽薄そうな口先男は、嫌いだけれど、浮世絵展に行ったら、きっと私は、海老茶筅髷男を捜すと思う。