星降るベランダ

めざせ、アルプスの空気、体内ツェルマット
クロネコチャンは月に~夜空には人の運命の数だけ星がまたたいている

玉山(ユイシャン)

2015-04-25 | 持ち帰り展覧会
~この世にアイスクリームがあることは素晴らしいことだわ~
と思う季節がやってきた。かつて「エルヴィス・プレスリーは、毎日1ガロンのアイスクリームを食べたために、激太りして亡くなったんだよ」と私に教えてくれた友達がいた。二人はその時サーティーワンにいた。自分たちがその後同じ運命をたどるとは、思いもしなかった。

アイスクリームは、ブロッコリー化する木々の緑と同じく、私にとっては初夏を予感する春の季語。PCの壁紙もこの絵にしましょう。 

       
           林玉山(リン・ユイシャン)「故園追憶」1935(展覧会チラシより)

いい絵だなぁ。いい展覧会だったなぁ。昨年の今頃、兵庫県立美術館でみた「東京・ソウル・台北・長春~官展にみる近代美術」展に出品されていた隣国の近代絵画は、私にとってすべて初めて見るものだった。ちょうど隣国との関係が悪化に向かっていた頃だったので、担当の学芸員さんは、さぞかし大変だったと思う。なにせ、日本統治下の3地域で開催された官設の公募展である。長春は、借りることができなかったのだろう、官展入選作ではなく、当時審査員を務めていた日本人画家の作品が展示されていた。

「故園追憶」は、後に台湾の国民的画家となった林玉山(リンユイシャン、1907~2004)が、日本で絵を修行中に、故郷の台湾を思いながら描いた風景画である。
     
この絵の前では、本当に心が遠くに、異国の地というより、自分の過去の、いや生まれる前の時の、遠い夏休みに、心が飛んでいくような気持ちになった。

画家の名前の玉山(ユイシャン)というのは、調べたら、実在する山の名前であった。台湾のほぼ中央にある標高3952㍍の高山。なんと富士山より高い山が小さな島にあった。
1885年~1945年の日本統治下では、富士山よりも高いので、日本では新高山(ニイタカヤマ)と呼ばれていた。あの、1941年12月2日の、日米開戦日時を伝える海軍暗号電報「ニイタカヤマノボレ一二〇八」のニイタカヤマである。

戦時中に小学生だった母は、ニイタカヤマがどこにあるのか知らなかった。習った記憶はないという。ニイタカヤマは、もはや暗号電報の言葉としてしか存在しない。これは当然の事だ。もし、外国人が富士山に適当な名前をつけて、以後この名で呼ぶようにといわれても、私は断固拒否するだろう。富士山は富士山。玉山(ユイシャン)はユイシャンだ。エベレスト山はチョモランマ山かサガルマータ山、メナム川はチャオプラヤー川と、現地の名前で呼ばれるのが正しい。名付けることには意味がある。


コメント (3)
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