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大政奉還後の徳川慶喜「弟への手紙」

2018-08-30 07:54:42 | 歴史から学ぶ

@「大政奉還」に思う慶喜の心境と弟への思いを託す手紙(略文文中に記載・写真添付)。 慶喜の「大政奉還」を決断した思いはこれを読むと「世界の中の小さな世界、日本」を感じていたのだろうか、世界の動きを十分理解した上での決断は鎖国武家社会の誰もが驚愕し、完全なる孤独・慶喜不信だったことと思う。だが、現代の我々にとって、この決断は近代化への早道の一歩であり、重大な決断をした慶喜に敬意を評したい。その後の成り行きは薩長土肥の士族の展開になるが、そのまま慶喜始め高級官僚 「川路聖謨、岩瀬忠震、大久保忠寛、永井尚志、水野忠徳」らが尊皇・開国国家を築いたらどうなっていただろうか。多分近代化の波は素早く、経済も安定し、まず持って戦争・世界大戦には成らなかったのではないかと思う。有能な人材を生かし切れなかった明治新政府要人は「自我欲」が強烈で最終的に殆どが「暗殺・刺殺」されているのも頷ける。ここに歴史的に知られていない慶喜の弟・徳川昭武も視察・留学含め約6年半の外地の知見・経験値が活かされないまま生涯を終えているのは寂しい。歴史的に消さられた優秀で天才的な人物は、まだまだ多くいることを思い、今後も探ってみたい。

「プリンス昭武の欧州紀行』宮永孝

  • 1867年、慶応3年パリ万博使節として派遣された徳川昭武(慶喜の弟・水戸藩徳川斉昭の第18子)はパリ万博に慶喜の代理、親善大使として歴訪、留学1年半の欧州の紀行書である。日本の「大政奉還」で留学を中止し急遽帰国、第11代水戸藩主となり新政府に仕えるが知見を生かした大きな業績はない。
  • 「出港日」1867年2月7日横浜出発、上海・香港・サイゴン・シンガポール・セイロン・紅海アデン、その後蒸気機関車でアレキサンドリア、スエズ港から地中海マルセイユに到着、その後蒸気機関車でパリに、4月11日約2ヶ月で到着する。
  • 「同行者」外国奉行向山隼人氶、小姓頭山高石見守、勘定奉行渋沢栄一その他医師、通訳警護役(水戸藩士5名)等含め総勢33名、イギリス人アレキサンダー・シーボルト(通訳)も同行した。
  • 「船」フランス郵船「アルフェ」(1500トン、3本マスト)、その後蒸気船「ガンジーズ」に乗り換えて紅海に向かう、スエズ港からは「サイド」にてマルセイユに向かう。
  • 「視察」幕府の横須賀製鉄所のモデル「ツーロン軍港」・溶鉱炉・反射炉・兵器廠、特に潜水夫の海底作業に驚嘆する。特にリエージュの製鉄工場には特に感心したとある。その際に「これからの世界は鉄の世界です」と鉄を用いない国は弱国となり、鉄による富国強兵を痛感した。同行したシーボルトの日本人感は「日本人は大いに外見にこだわる、だから礼儀を尽くすことが大切だ」と諸外国の人々に言った。ロンドンで驚嘆したのは新聞社の印刷機械、2時間で14万枚の新聞印刷、また陸海軍の軍需施設と最新のアームストロング砲、砲弾などイギリスの兵器と騎兵による敵人進撃、歩兵の一斉射撃にも興味を持った。
  • 「1867年11月9日大政奉還」将軍慶喜からの手紙には「日本の将来を思うに、内輪の騒動をやっている時期ではないので、止むを得ずこのようにしたのだから誤解せぬように。とにかくお前は折角ヨーロッパへ出かけたのだから留学の目的を十分達成するようにしなさい。私も次第によっては、ちょうどロシアのピョートル1世が海外視察をしたように海外に出かけたい希望を持っている。だから日本国内が騒乱の最中だからと言って、慌てて帰国する考えを抱いては困る」
  • 「パリ宿泊地」グランドテル・ド・パリ(現在のル・グラントテル・2ヶ月で7万フラン)その後財政難となりパッシー区ペルゴレーズ街53番地のアパート(年額4万フラン)に引っ越しする。金銭は日本出発時にメキシコ5万ドル(27万5千フラン)を両替していたが底をつきオランダに留学中の幕府家臣川路聖謨や赤松大三郎にオランダ商事から5万ドルを工面してもらう。
  • 「パリ万博」
  •             注目されたのは七宝焼、蒔絵、キセル、浮世絵との美術工芸品、さらに畳敷き茶屋の三人の日本娘の芸者姿(かね、すみ、さと)による茶・お酒(日本酒・みりん酒)サービス、売上も6万5千フランになる。また芸人一座(軽業・曲芸師:コマ回し・手品)も参加した。
  • 「パリ生活」は観劇・舞踏会・夜会・競馬・馬車で市内見学、その他兵器貯蔵庫、凱旋門・寺院・裁判所・下水道を見学するが、平日はほとんど学習でフランス参謀中佐レオポルト・ビレットからの帝王学始め語学、乗馬、射撃、礼式、画学の毎日で朝7時から夜10時まで日程が決められ勉学した。
  • 「帰国」1868年10月19日出発、11月3日横浜着。着後、水戸藩11代藩主、1874年には陸軍少尉になり1876年には米国万博御用係となり渡米、のちヨーロッパ再訪、パリ留学生活となる。1881年、帰国ご松戸の戸定に隠居、58歳没となる。
  • 「謁見・視察先」
  •             フランス皇帝ナポレオン3世・チュリルリー宮殿舞踏会・ブローニュの森・軍事演習
  •             スイス・(ベルン)・ジュネーブ・ダルムシュタット・マインツ・ボン・オランダ(ゼフェナール)・ハーグ・ライデン・アムステルダム・アントワープ・リエージュ・サンマリドワニ・ブリュセル
  •             イタリヤ(サンミッシェル)モダーヌ・スーザ・トリノ・ミラノ・フィレンツエ
  •             マルタ島(ベレッタ)
  •             イギリス(カレーよりドーバー)・ウーリッジ・ポートマス・オールダショット
  •             フランス(シェルブール)・ノルマンディー・カン・ルマン・ブレスト・ナント・サンナゼール・ツール・ルーアン・オンフルール・ルアーブル・ボルドー・ツールーず・
  • 「パリ万国博覧会」(1867年5月1日から7ヶ月)
  •             会場は陸軍士官学校とエッフェル塔の間の広場40ヘクタール
  •             165,800m2、建物楕円形直径488m x  短径385m
  •             来場者数は110万人(有料)
  •             出展者は6万人、出品物28,000トン
  •             出展者フランスが大部分・イギリスが6分の1
  •             プロシア、ベルギー、オーストリア16分の1
  •             ロシア、アメリカ、イタリヤ、オランダ、スイス32分の1
  •             その他日本、シャム(タイ)清国など
  •             主な展示物で注目は、電気通信・機械機器・武器など
  •             日本からの展示物は、漆器、冬期、武具、衣装、金工品
  •             日本画、和紙、木材、昆虫類、酒、醤油、茶、人形、屏風
  •             佐賀・薩摩出品は、陶器(有田焼)、磁器(徳利)が中心
  •             琉球からは砂糖、反物、篠細工、泡盛
  •             (幕府とモンブラン卿・薩摩の出典で外交対策問題となる)
  •             世界最古の万国博覧会はロンドンで1851年に開催