@時は豊臣秀吉が天下をとる最後の砦「北条家の討伐」である。豊臣秀吉vs徳川家康、さらに家康と信頼が深かった北条家との戦い。敵を知り、敵を混乱させ、悪情報を流し、心情をゆるがせ、最後には身内を犠牲に意表を突く策で味方に取り込む事がうまかった秀吉。恰も味方側の都合の良い噂と予測情報(騙し合い)で多くの書状を送りつけ味方側につける巧みの技は実に晴らしい。まさにこの「小牧・長久手の戦い」と「北条家討伐」にはとことん敵を調べ尽くし秀吉の数多くの書状が行き交いしただろうと想像できる。「宣戦布告状」など家康と北条家への書状も決して同じものではなく、ましてや家康・氏直双方が結託しない様に時差(家康には3日間で、氏直には10日間)で届けていることなど綿密に計算された戦略を取っていたとされる。 現代の書状「電子メール」は時差なく、素早く相手に届く。だから即効性もあり効果的でもあるはずだが、実際どうだろうか。 政治家が「文字の読み間違い」、「思わず口が滑る失言」など日本は真に「平和ボケ」で直接現場の真剣身・真剣さが薄れ、それこそ「我が身・保身」政策を貫き始めている感もする。 発信・発言する人(政治家はもちろん)は言葉、文章、内容等をもっと慎重に、丁寧に、判りやすくしてもらいたいものだ。 (国民全てが理解できる文章とは小学6年生レベルが最適だと言う。ましてや、やたらカタカナ・英単語を使う人も多いが意味を本当に理解して使っているか疑い深い)
『孫子・謀攻』に「彼を知り己を知れば百戦殆からず。彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆し(敵と味方の実情を熟知していれば、百回戦っても負けることはない。敵情を知らないで味方のことだけを知っているのでは、勝ったり負けたりして勝負がつかず、敵のことも味方のことも知らなければ必ず負ける)」とあるのに基づく。(出典:故事ことわざ辞典)
『北条氏の滅亡と秀吉の策謀』森田善明
- 小田原合戦・敗北の真相とは
- 北条家は伊豆、相模、武蔵、下総、上総、下野、上野、常陸などの領土を治めていたが、 多くの戦国大名も創出し4代目の氏政から地方武士が台頭し始め小競り合いが増えた。1584年の秀吉Vs家康の小牧長久手の戦いでは、秀吉が関東・下野に集まった佐竹家、結城家、宇都宮家らと結託し、北条氏の家康直接支援を食い止めた。家康は敗北するが、秀吉は九州征伐を行うために秀吉の娘で家康と和睦交渉する。時同じく1585年天性大地震により秀吉側の多くが被災し戦闘能力が減り、家康成敗を中止し、1586年家康と和睦。家康は北条家に対しも温情を傾け努力するが、秀吉の北条家討伐は変わらなかった。
- 北条家に対して秀吉は「上洛拒否」と「名胡桃城強奪事件」を捏造し、無理やり合戦を強要、北条家を滅ぼした。真相は双方共に北条氏を滅亡するためのこじつけ理由で秀吉等が結託した策謀だった。
- 「上洛拒否と名胡桃城強奪事件」の真相
- 当初北条家5代目氏直の上洛は12月上旬で当初秀吉は承諾していたが、11月24日には「上洛が遅い」言いがかりをつけた
- 上洛拒否(延期)の理由は「北条氏の財政難」
- 1578〜88年に国家総動員して周りの城の大普請をしており、上洛費用は毛利輝元の例でも大きな合戦と同じ莫大な費用と品々を揃える事で無理があったが、何とか上洛を果たす。
- 名胡桃城強奪はそもそも秀吉の裁断で分け与えた城をあたかも北条家の家臣が攻め落とし強奪したとしたが、その調べた秀吉家来も事実隠滅を図るため消された。この最大の受益者は領土を確保した真田昌幸であり、秀吉と結託したことにあった。
- 「北条討伐=宣戦布告状」宣戦布告の2つの理由
- 北条家が真田の所有する城を強奪した事
- 北条家の代表がなかなか上洛しなかった事
- 宣戦布告状は家康には三日後、北条家には10日以上もかけた
- それは家康と北条家が事前に相談しないように時差を於いた秀吉の策であった。宣戦布告状は1587年11月24日に予告、1590年春、進撃開始。22万の大軍をもって秀吉の武威を他諸国の武将等に見せつけるための演出(上洛させるため)で、多くの有力な武将が小田原に謁見にきた。睦奥南部信直、相馬義胤、下総結城晴朝、常睦多賀野重経、佐竹義宣、下野宇都宮国綱、奥羽伊達政宗、出羽最上義光など
- 「小田原城下」
- 秀吉の本陣は天守閣もある聚楽第を思わせる豪華な石垣山城
- で各地の名産品、舶来品等商人も多く京田舎の遊女などもいた。
- 「北条氏滅亡」
- 1590年7月11日北条氏4代目氏政(53歳)と弟氏照(51歳)死罪、二人の首は5日後には京都での晒し首となっていた
- 北条氏5代目氏直は高野山に追放、結局領地全てを没取され、最高指導者4名が処刑された。
- 「徳川家康と織田信雄の国替え」
- 小田原合戦後、即座に家康には関東(北条家の旧領)に移封
- 信雄には家康の旧領に移封させ、大阪の周りを自分の家臣と親族で固めた。
- 「小牧長久手の総勢勢力」
- 秀吉勢=上杉景勝(越後)、佐竹義重(常陸)、木曾義昌(信濃)、毛利輝元(中国)
- 織田・徳川勢=北条家(関東)、長宗我部元親(四国)根来衆・雑貨一揆(畿内)、佐々成政(越中)
- 「天性大地震」1585年11月29日
- 断層地帯=飛騨、美濃、尾張、伊勢等
- 現代のマグネチュード8程度
被害地域=近江国、山城国、若狭国、美濃国、伊勢国、摂津国 40日以上の微震が続いた