つれづれ日記

~認知症に備えて~
(H26/11/21geocitiesから"goo"に引越)
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悠々旅行(4日目):名古屋城と岐阜城

2009-05-26 22:26:00 | 

00nagoyajyo_2  予定通り朝昨日と同じ二の丸東駐車場に車を入れ、城内に入る。9時開場に合わせ入ったので、まだ早いせいか人出はなかった。時間が経つにつれ人出は多くなり、韓国語・中国語もよく聞こえるようになった。名古屋城は、慶長15年(1610)、家康第9子の義直の居城として天下普請で築城開始、同19年(1614)に完成した。大坂城への備えとして造られた名古屋城は江戸城、大坂城に次いだ城の大きさであった。明治の廃城令にも拘わらず旧国宝24棟はじめ多くの建造物が残存していたが、先の大戦により昭和20年(1945)5月14日のB-29 の焼夷弾により天守を含むほとんどの建物を焼失した。現在、本丸辰巳櫓・未申櫓・南二之門、旧二の丸東鉄門(現在本丸東二の丸門跡に移築)・西鉄門二之門、御深井丸戌亥隅櫓の6棟のみが現存、天守・小天守は昭和34年(1959)鉄筋コンクリートで再建された。名古屋城天守(5重7階地下1階)は現存天守で最大の姫路城天守の3倍以上の容積を持つ。

00gifujyo  4時間を掛かって見回ったが、本日はこれから岐阜城に行き、夜は琵琶湖東岸近江八幡で泊まる予約をしているので、高速に載り岐阜に向かった。岐阜市内吉野家で牛焼肉定食の昼食を摂って岐阜公園駐車場に入れた。麓の居館跡辺りを見て廻った後、ロープウェイで山上に上がり、そこから山道を登って天守を訪れた。

 永禄10年(1567)斉藤龍興から奪取した織田信長は、稲葉山城の縄張りを破却し新たに岐阜城とし造営。信長は安土城に移るまで、金華山山麓の居館に住んだ。織田信長の孫秀信が入っていたが、慶長5年(1600)関ヶ原の戦い直前に東軍に攻められ落城。戦後家康の娘婿松平信昌が入るが、直ぐに居城を加納城に移し廃城。現在は石垣・堀・曲輪などが残る。昭和31年(1956)7月25日鉄筋コンクリート3重4階建ての天守が復興された。

 岐阜市内でガソリン満タン(56.96?)して、岐阜各務原ICで東海北陸道に載り、名神道に入って八日市ICで下り、事前にネット予約していた近江八幡市内のビジネスホテル西ノ庄に泊まった。