伊賀上野が元気になればいいなあ!

上野の城下町、どうなっていくんだろう、、、見守る元気はないけれど、静かに生きていこうと思う(笑)。

迎春準備は

2008-12-27 15:00:10 | みなさんにおしらせと独り言
いかがでしょう。
思うように事が運ばぬのは世の慣わし!

昨日の風景から
伊賀鉄道「上野市駅」ではいつの間にか、こんな「関西風しめ縄」が飾られていました。たまたま会社から、記者さんたちの取材現場を垣間見てたのですが配布物の準備をしていて行けなかった。夕方になってやっとデジカメに収めることができました。せめて「心」だけでも迎春気分を。

伊賀市在住の方の手作りしめ縄で、『右側が太くなるのが関西風』だとか。長さ2.5m、太い部分の直径20cm、ダイダイ・フクラソウ・シダ・ユズリハが添えられ『代々、福を次代に譲り渡す』そうですよ。

ほかに、会社に届いた友人手作りの迎春リース


我が家に届いた同じく迎春ミニリース
とてもとても外には飾っておけませんので、私のたからもの!とさせていただきます。


気分だけは、いつでもお正月来て!です。別に大掃除しなくても正月はくるだろうし・・・でも「お餅」は食べたいし・・・

縁は異なもの

2008-12-27 01:03:42 | その他
2○年前、大阪御堂筋沿いの某音大に通っていた。
学生の特権(親の有難い加護の元に)で、勉学のためと銘打って「演奏会」に行きまくっていた時期がある。学割という(これも特権)最低料金で演奏会ホールの最上階の一番後ろの席に陣取っていた。演目の後半にもなれば、S席やA席に「空き」があるのを見つけては、3階席最上段から特等席に移動していたものです。(だって、特等席を無駄にはしたくなかった・・・)
その頃の大阪では、シンフォニーホールや大阪厚生年金ホールがクラシック演奏会のメッカだったし、学校からも近かった。とくに大阪厚生年金ホールは伊賀の上野への帰り道(近鉄電車利用)にも近かった。

そんな甘い学生時代から○○年たって・・・
1968年に開館された大阪厚生年金会館(ホール)の建設に当初から関わられていた方とお目に係るチャンスがあった。用地探しからホール建設に係るご苦労を聞いたことがある・・・

高度成長期にどんどん作られた『厚生年金保険被保険者および家族の福祉増進を目的として設立された、厚生年金会館、厚生年金休暇センター、厚生年金病院など』

国設民営のこれらの施設のお陰で、私は「いい青春時代」を音楽と共に過ごさせてもらった。(当時の私はそんなことは知るよしもなかったけど)

そして、芸術文化発信拠点や市民の憩いの交流施設は無駄! と国会で一刀両断され、今ここにきていよいよ伊賀の施設も売却!ですか

「叩き売り」されるのを黙って受け入れるわけにはいかない! これまで利用してきてくださった方々や施設で働く職員を放っておくわけにはいかない! と必死になって守ろうとしている人たちが、伊賀にはいます。
国が決めたこととはいえ、これって・・・納得できない