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ども!俺、誰よりも。そーおめーなんかよりもてんそーファンの。
タナカセーイチっていーやす。またやるんですってね!
うわぁ=もうぅセーイチうれしすぅ!
もウうぅ~そう誰よりもそーそーおめーなんかよりも
ぜんぜんすんごいセーイチちょううれしっすぅ====!
だって。おもしろいものがどんどんどんどんなくなっていってる「今」だから。
このセーイチとかいうファンはうざすぎてきらいだが。
そうゆうわけで。公表されるやまたまたどこに潜んでいたんだか
アレ以来影をひそめていた「Tファン」たちの熱い「声=歌」が、
またまた再び久しぶりに、私の生活の中のいろんなところ、そーこの前なんて、
映画館の便所でウンコしてる時にも、聞こえてきたりして、
おめーらこそが復活じゃん。つーことを知っては、
またも敗北感を味わいながらの悔しい思いのタダイマ付近の感じ。
しかしその不純な無駄なものがないきれーな「Tファン」たちの存在が、
誰もとめられずにつきすすむ俺を駆立てるのエンプティタイムのタダイマ付近の感じ。
前回で書いたように「T」というのは、ファンであろうがメンバーであろうが、
みんな「T」「the T」であることを悟った私だけど、
そんな巷で聞こえる「Tファン」の無駄のない美しい「声=歌」を聞けば聞くほど、
「Tのメンバー」で「歌」担当の負けず嫌いのSeboの魂は、
その本性に火がつき、どうしてもそいつらの「歌声」に打ち勝ち、
再び優勝を奪いとらねば気がおさまらぬという、
WBCでのイチロー気分を与えてもらい、
この「SM」マニアの早熟エロ男子の私としては、
ノーヒットの不安に緊張しながらも、
とてもチンコが気持ちいいタダイマ付近の感じだス。
ここだけの話。
今や私の中での「Tファン」という存在は
「 Tメンバー」よりも勝ち数が多く、
WBCのイチローの俺として言わせてもらうと、
「Tファン」は宿敵韓国のようだ。
今まで何度も何度もたたかってきてるけど、昨日も勝ちはしたものの、
その歴史や実力やメジャー選手の数でも、
もっと圧倒的にウチの方が勝って当然にもかかわらず、
その全試合における勝敗は、
何とウチの方がダブルスコアーで負け越しているとゆー悔しさ。
「Tファン」恐るべし!
というわけで、私は、「 Tメンバー」に、ここで一度改めて、
俺たちメンバーもどんだけ「Tファン」であるのかどうか確認する必要があんぞ!
というモンがあんだけど、またまたわけわからぬモンなこといってる。とか
またまたメンバーたちをまたまた混乱させるとまたまたいけないので、
またまた口には出さずにいる。からしての、あいかわらずのここだけの話。
うーなんていえーいばいえいのだろう。
とにかく、今現在も、「 Tメンバー」よりも「Tファン」のが、
より「T」だというのは悔しい。
でも、メンバーの中で、そんなことで
悔しがってるようなヤツは俺以外見当たらない。
よくみればみんな。ドーンとしてて。安定してて。落着いてて。カッコイー。俺以外。
よっぽどみんな苦労が多かったのか。俺以外。
でも、それは「Tファン」である以上に
「Tメンバー」で在ることに重点をおいてるので、
安定してて。落着いてて。カッコイー。んだろう。
しかし、悔しいかな、私はそのバンドの
「歌手=リードボーカル」である。WBCのイチローである。
その期待(「Tファン」の歌声)と真っ向から立ち向かい
リード歌う役担当の者でもある。
しかも、イチロー選手は戦うための楽器(バットとグラブ)を持つけれど、
コッチはほとんどケツの穴まで晒さねばいけない、
身一つの丸裸の「肉声」だけで勝負しなければいけない「歌手」という選手だ。
ゆえに、再びLiveをやるにおいて今のメンバーに一番必要で大事な意識は、
「Tメンバー」の心よりも「Tファン」の心。たとえば、
「どんなTファンよりも、俺こそ、そのバンドの最大のファンだ!」
くらいな「T」への愛がないと、
共に修羅場を勝ち残って来た「Tファン」との決勝戦=再対決において、
ヤツらに打ち勝ちみごと優勝する事は、容易なことではない。
だってこれは「S=自分のソロ-バンド」ではなく「T」なんだから。
しかしそれは、他の「Tメンバー」にも同じこと。
そんなことを、チームメイトのメンバーたちに伝えねばならぬと思うのだが、
彼等は私に優しいので、まぁ~たわけのわからぬこと言ってるぅ。
とまた私を心配し、私はまたまた彼等を混乱させてしまうだろう。
となるだろうことについて、強い自信がある。
何故なら私はイチロー。私は誰よりも自信家だからだ。
そんな自信家であるなら、隠密に一人で解決しなくてはいけない。
自信家であるせイチローは、どんなことにも強い自信を持つゆえに、
このように誰よりも自信なき弱者とも簡単に成れるほどの
強い自信さえも持つのだ。
だからみんな、自信家には成らない方がいい。
みんなにはそれは出来ぬゆえに。
SもMもしっかり楽しめるドスケベになるなどむりむりふふふふ。
ゆえに。
リードボーカル担当の私にとって、
前回の北京(神戸?)のようにヤツらに優勝を奪われ、
金をとったやつらより銅もとれずの格下の「T」のくせに、
その金をとったヤツらからは平気で金をもらうさらに格下の「T」となるような、
そんな屈辱的な「T」であってはならぬのだ。の侍じゃぱ~んのココロ。
それは、「T」のリードボーカリストである私のココロ。
この時よりもそのココロ今つよしうじき
しかし。
いくらみんなが私よりも素晴しい「T」を歌おうと、
「リード」ボーカリストにはなれぬだろう?
なりたくても、それはなれぬだろう?それを誰よりもみんなは知ってるからなぁ
っっははははははははははははははははははは母母母母母母母母ぁ===!
だって私は、「T」の「リード・ボーカリスト」ゆえに、ホントーわ、
今現在の「Tファン」や「Tメンバー」にとって
まだまだ未知なる先の先の「T」を、
歌える事が出来るんだぜ。はははははは。
これが前回での悔しさと感動を同時に味わった
せイチローの今回のLiveへの気力の核と書く。
しかしそれ(先のT)を歌うことは、自分一人では出来ないことも知っている。
何故なら。それは「S=個」ではなく「T=全体」だからだ。
それは、「Saybow&the Wipers」や「G+S」では出来ても、
「 T」では、通用しないことを誰よりも知ってるせイチロー。
それは、「先」よりも「今」を歌えることこそが大事の「T」だからだ。
「T」は「T」ゆえに、決して変わってはいけないものがある。
それは、「まったく変わってないじゃん!」
つーことで生まれる感動とその価値において、
「T」に勝てるもんなどあるかぁ。という感じのものだろうか。
かたいはなしだろーけども、
固く勃起した話ということだから良いので書き続けよう。
ゆえに、「先」を知る勃起し続ける私は、再び「T」をやることで、
「まったく変わってないじゃん!」
である私に変わらなくてはいけない。チンコの具合を。
まったく変わってしまってるともいえる今の私は、
まったく変わっていない私に変わるのだ。すごいだろ。俺のチンコ。
固さをソレに合わせて自由自在に変えられるなんて。
これが「T」の「リード・ボーカリスト」誰にも出来ない芸当だ。
「T」は「先のT」など望んでいない。常に「今のT」こそが必要なのだ。
「T」とは、まずもって「Live」であるからだ。
Liveとは、みんなとやるものだからだ。
ソコで一緒に「自分」が今を生きてる事にみんなで感動する運動だからだ。
今回その「今=Live=生きてる」が行われる、
「クロコダイル」という運動場(Liveハウス)は、
古くからある「T」発祥の場所でもあり、
いろいろな店が潰れていくこの不況の時代の中で
その運動場は「今」でもなお健在だ。
それが、今回の「T」のLiveを暗示してる。
何故クロコなのかを。
またLiveで「新曲」を求める「Tファン」も多いだろうけど、
今回においては、いままである「旧曲」を
「クロコダイル」でやってた頃のように
新曲気分でソレらを歌うことにこそ、意味があるように思える。
前回行われた久しぶりの「T」のLiveでは、「夢」を実現させた。
しかしそれは「夢」ゆえに、「T」はまだまだ「夢」の中で眠っている。
そして、「T」は「みんな」であるゆえに、眠っているのは「みんな」でもある。
眠ったままでは嫌だというなら、その「夢」を実現ではなく、
みんなでその「T」を「夢」から「現実」に叩き起こす必要がある。
「新曲」をつくり発表する機会を得るのは、その時、
みんなが「T」を夢から叩き起こし、
「T」を「夢」ではなく、「今」に生きるものとさせることで、
はじめて「T」は、新生する。
そこまでの力が、私たちみんなである「T」にあるのか。
「新生」するということは、再び「原点」にたどりつくことだ。
「新曲」をやることで「新生」することにはならない。
「新生」したいのなら、「新曲」を考える前に、
まずもって再び新鮮な思いで「旧曲」を歌えるかどうかになる。
いつでも基本にもどれる事。それが、本当の実力というものだ。
そして、すべては基本から新しいものは産まれる。
私たちの潜在意識にはまだまだ使っていない力が半分以上その奥に眠っている。
みんなの本当の実力は、まだまだ半分以上が、眠っている。
過去の「旧曲」を「過去」ではなく「今」とさせることで、
眠っていたみんな=「T」は、夢から目覚め、
真に生き返り「新生」することになり、「新生」すると、
あとは自然に「次=先」に流れはじめ「原点」に戻る。
この「原点=基本」に戻ることが「新生」なのである。
まずもって「新生」することが「新曲」を産むはじまりなのだ。
みんな一緒に夢をみるのではなく、みんな一緒に夢から目覚め、
そこに、「今」を生きている「自分」の「生」な存在があることを感じ、
この生き生きとした自分は、
自然に「先」に向って進みはじめているような体感を得るようなLiveこそが、
本当の意味での「復活Live」になるんだろうにも。
またそれは、その時のバンドの力ではなく、
その時そう感じる事の出来た自分の実力であり、
そう感じた自分の受信機のアンテナの優れた感度の実力でもある。
それが、まだまだ「夢」という「WINDOW」の中で眠る、
「T」という全体=みんなの中の1部であるリードボーカル担当の私の今の。
思ぉ~うこと。だ。
つまり。タダイマ付近の感じ。ソレをココで伝える事は、
今の私の仕事の核でもある。
さぁー私たちみんなは、今回のクロコでのLiveでは、
果たしてどんくらいの
「T」の復活Liveとさせることが出来るのだろうか。
今ある私たちの力は、
果たして「自分」を「夢」から目覚めさせ、
ついに「先=次」に進む「真なる自分」となって
「今」を生きようとさせる「実力」を
そろそろ出し始めるのだろうか。
そしてそのバンドは、東京の基地=発祥地から再び飛び出て、
遠い地に住むみんなのところまでも出かけていけるだけの大きな力を
持つほどのものになるのだろうか。
それとも、またまた
夢の中だけでの現象にとどめるようなものになるのだろうか。
それは、「Live」をやってみなければわからない。
その時の「今」をみなければわからない。
とにかくそれが、私たちの「今」の「実力」になる。
ゆえにだからといって実力以上のことをしてはいけない。
今の実力は今の実力以上に今はならない。
それは「無理」をするだけのことになるからだ。
常に自分の「今の実力」に添ったところで「今」をやらずに、
無理を続けていると、「今」が過酷なものとなり、
次第にソレは山となり、結果必ず不幸になる。
実力以上なことはやらずに、
やる毎に「今の実力」を出して行けば、
目的に辿り着くことが出来なかろうと、
常にそれは「優勝」に向っている自分であり、
常に元気で幸福でいられる。だから、
常に「今の実力」を頑張れば良いのだ。
そういったところでの負けず嫌いのせイチローである。
実力以上に自信家のアホな私ではなし。
「T」のLiveというのは、
常にその時私たちみんなの中にある「今の自分」を、
どこよりも「自分」になった「自分」で
「自分」を知ることのできる運動=行為でもある。
そこらへんが「T」の「面白味」だろーと思えるのだのせイチロー。
5月のクロコが、メジャーのせイチローなら、
4月のグッピーは、もっとマイナーの「t」自分的の、
セーイチ(横浜ベイスターズの内川聖一)だ。
メジャーリーガーイチローと
横浜ベイのセイイチではずいぶん人気度違うだろうが、
昨日の韓国戦でホームランを打ったセイイチを
バカにしてはいけない。
「Tファン」としての私には、どちらのLiveもとても意味があって面白く、
どちらも人気もんである。
ゆえにそのLiveでの本当の値段(入場料)の額は、
その時のみんなの実力で決まる。
であるならその入場料は、安いよりも高額であればあるほど嬉しい。
と当然のように思えてしまえる実力を持つみんなは、
それだけでも、大したヤツらであり、
だからこそ、俺の永遠のライバル宿敵なのである。
4月も5月も、必ず勝つぞぅ負けないぞー!
つーことだから、みんなも負けるなよ。
浮かれてるだけじゃやられちまうぜ。
金はらって来るからには、その気でこねーと、
つまらねーもんになっちまうぞ。
つづく。
「だからぁゲバラとピアフ=男と女」の話を書きたいのだが中々書けない。いつか書こうっと。
ども!俺、誰よりも。そーおめーなんかよりもてんそーファンの。
タナカセーイチっていーやす。またやるんですってね!
うわぁ=もうぅセーイチうれしすぅ!
もウうぅ~そう誰よりもそーそーおめーなんかよりも
ぜんぜんすんごいセーイチちょううれしっすぅ====!
だって。おもしろいものがどんどんどんどんなくなっていってる「今」だから。
このセーイチとかいうファンはうざすぎてきらいだが。
そうゆうわけで。公表されるやまたまたどこに潜んでいたんだか
アレ以来影をひそめていた「Tファン」たちの熱い「声=歌」が、
またまた再び久しぶりに、私の生活の中のいろんなところ、そーこの前なんて、
映画館の便所でウンコしてる時にも、聞こえてきたりして、
おめーらこそが復活じゃん。つーことを知っては、
またも敗北感を味わいながらの悔しい思いのタダイマ付近の感じ。
しかしその不純な無駄なものがないきれーな「Tファン」たちの存在が、
誰もとめられずにつきすすむ俺を駆立てるのエンプティタイムのタダイマ付近の感じ。
前回で書いたように「T」というのは、ファンであろうがメンバーであろうが、
みんな「T」「the T」であることを悟った私だけど、
そんな巷で聞こえる「Tファン」の無駄のない美しい「声=歌」を聞けば聞くほど、
「Tのメンバー」で「歌」担当の負けず嫌いのSeboの魂は、
その本性に火がつき、どうしてもそいつらの「歌声」に打ち勝ち、
再び優勝を奪いとらねば気がおさまらぬという、
WBCでのイチロー気分を与えてもらい、
この「SM」マニアの早熟エロ男子の私としては、
ノーヒットの不安に緊張しながらも、
とてもチンコが気持ちいいタダイマ付近の感じだス。
ここだけの話。
今や私の中での「Tファン」という存在は
「 Tメンバー」よりも勝ち数が多く、
WBCのイチローの俺として言わせてもらうと、
「Tファン」は宿敵韓国のようだ。
今まで何度も何度もたたかってきてるけど、昨日も勝ちはしたものの、
その歴史や実力やメジャー選手の数でも、
もっと圧倒的にウチの方が勝って当然にもかかわらず、
その全試合における勝敗は、
何とウチの方がダブルスコアーで負け越しているとゆー悔しさ。
「Tファン」恐るべし!
というわけで、私は、「 Tメンバー」に、ここで一度改めて、
俺たちメンバーもどんだけ「Tファン」であるのかどうか確認する必要があんぞ!
というモンがあんだけど、またまたわけわからぬモンなこといってる。とか
またまたメンバーたちをまたまた混乱させるとまたまたいけないので、
またまた口には出さずにいる。からしての、あいかわらずのここだけの話。
うーなんていえーいばいえいのだろう。
とにかく、今現在も、「 Tメンバー」よりも「Tファン」のが、
より「T」だというのは悔しい。
でも、メンバーの中で、そんなことで
悔しがってるようなヤツは俺以外見当たらない。
よくみればみんな。ドーンとしてて。安定してて。落着いてて。カッコイー。俺以外。
よっぽどみんな苦労が多かったのか。俺以外。
でも、それは「Tファン」である以上に
「Tメンバー」で在ることに重点をおいてるので、
安定してて。落着いてて。カッコイー。んだろう。
しかし、悔しいかな、私はそのバンドの
「歌手=リードボーカル」である。WBCのイチローである。
その期待(「Tファン」の歌声)と真っ向から立ち向かい
リード歌う役担当の者でもある。
しかも、イチロー選手は戦うための楽器(バットとグラブ)を持つけれど、
コッチはほとんどケツの穴まで晒さねばいけない、
身一つの丸裸の「肉声」だけで勝負しなければいけない「歌手」という選手だ。
ゆえに、再びLiveをやるにおいて今のメンバーに一番必要で大事な意識は、
「Tメンバー」の心よりも「Tファン」の心。たとえば、
「どんなTファンよりも、俺こそ、そのバンドの最大のファンだ!」
くらいな「T」への愛がないと、
共に修羅場を勝ち残って来た「Tファン」との決勝戦=再対決において、
ヤツらに打ち勝ちみごと優勝する事は、容易なことではない。
だってこれは「S=自分のソロ-バンド」ではなく「T」なんだから。
しかしそれは、他の「Tメンバー」にも同じこと。
そんなことを、チームメイトのメンバーたちに伝えねばならぬと思うのだが、
彼等は私に優しいので、まぁ~たわけのわからぬこと言ってるぅ。
とまた私を心配し、私はまたまた彼等を混乱させてしまうだろう。
となるだろうことについて、強い自信がある。
何故なら私はイチロー。私は誰よりも自信家だからだ。
そんな自信家であるなら、隠密に一人で解決しなくてはいけない。
自信家であるせイチローは、どんなことにも強い自信を持つゆえに、
このように誰よりも自信なき弱者とも簡単に成れるほどの
強い自信さえも持つのだ。
だからみんな、自信家には成らない方がいい。
みんなにはそれは出来ぬゆえに。
SもMもしっかり楽しめるドスケベになるなどむりむりふふふふ。
ゆえに。
リードボーカル担当の私にとって、
前回の北京(神戸?)のようにヤツらに優勝を奪われ、
金をとったやつらより銅もとれずの格下の「T」のくせに、
その金をとったヤツらからは平気で金をもらうさらに格下の「T」となるような、
そんな屈辱的な「T」であってはならぬのだ。の侍じゃぱ~んのココロ。
それは、「T」のリードボーカリストである私のココロ。
この時よりもそのココロ今つよしうじき
しかし。
いくらみんなが私よりも素晴しい「T」を歌おうと、
「リード」ボーカリストにはなれぬだろう?
なりたくても、それはなれぬだろう?それを誰よりもみんなは知ってるからなぁ
っっははははははははははははははははははは母母母母母母母母ぁ===!
だって私は、「T」の「リード・ボーカリスト」ゆえに、ホントーわ、
今現在の「Tファン」や「Tメンバー」にとって
まだまだ未知なる先の先の「T」を、
歌える事が出来るんだぜ。はははははは。
これが前回での悔しさと感動を同時に味わった
せイチローの今回のLiveへの気力の核と書く。
しかしそれ(先のT)を歌うことは、自分一人では出来ないことも知っている。
何故なら。それは「S=個」ではなく「T=全体」だからだ。
それは、「Saybow&the Wipers」や「G+S」では出来ても、
「 T」では、通用しないことを誰よりも知ってるせイチロー。
それは、「先」よりも「今」を歌えることこそが大事の「T」だからだ。
「T」は「T」ゆえに、決して変わってはいけないものがある。
それは、「まったく変わってないじゃん!」
つーことで生まれる感動とその価値において、
「T」に勝てるもんなどあるかぁ。という感じのものだろうか。
かたいはなしだろーけども、
固く勃起した話ということだから良いので書き続けよう。
ゆえに、「先」を知る勃起し続ける私は、再び「T」をやることで、
「まったく変わってないじゃん!」
である私に変わらなくてはいけない。チンコの具合を。
まったく変わってしまってるともいえる今の私は、
まったく変わっていない私に変わるのだ。すごいだろ。俺のチンコ。
固さをソレに合わせて自由自在に変えられるなんて。
これが「T」の「リード・ボーカリスト」誰にも出来ない芸当だ。
「T」は「先のT」など望んでいない。常に「今のT」こそが必要なのだ。
「T」とは、まずもって「Live」であるからだ。
Liveとは、みんなとやるものだからだ。
ソコで一緒に「自分」が今を生きてる事にみんなで感動する運動だからだ。
今回その「今=Live=生きてる」が行われる、
「クロコダイル」という運動場(Liveハウス)は、
古くからある「T」発祥の場所でもあり、
いろいろな店が潰れていくこの不況の時代の中で
その運動場は「今」でもなお健在だ。
それが、今回の「T」のLiveを暗示してる。
何故クロコなのかを。
またLiveで「新曲」を求める「Tファン」も多いだろうけど、
今回においては、いままである「旧曲」を
「クロコダイル」でやってた頃のように
新曲気分でソレらを歌うことにこそ、意味があるように思える。
前回行われた久しぶりの「T」のLiveでは、「夢」を実現させた。
しかしそれは「夢」ゆえに、「T」はまだまだ「夢」の中で眠っている。
そして、「T」は「みんな」であるゆえに、眠っているのは「みんな」でもある。
眠ったままでは嫌だというなら、その「夢」を実現ではなく、
みんなでその「T」を「夢」から「現実」に叩き起こす必要がある。
「新曲」をつくり発表する機会を得るのは、その時、
みんなが「T」を夢から叩き起こし、
「T」を「夢」ではなく、「今」に生きるものとさせることで、
はじめて「T」は、新生する。
そこまでの力が、私たちみんなである「T」にあるのか。
「新生」するということは、再び「原点」にたどりつくことだ。
「新曲」をやることで「新生」することにはならない。
「新生」したいのなら、「新曲」を考える前に、
まずもって再び新鮮な思いで「旧曲」を歌えるかどうかになる。
いつでも基本にもどれる事。それが、本当の実力というものだ。
そして、すべては基本から新しいものは産まれる。
私たちの潜在意識にはまだまだ使っていない力が半分以上その奥に眠っている。
みんなの本当の実力は、まだまだ半分以上が、眠っている。
過去の「旧曲」を「過去」ではなく「今」とさせることで、
眠っていたみんな=「T」は、夢から目覚め、
真に生き返り「新生」することになり、「新生」すると、
あとは自然に「次=先」に流れはじめ「原点」に戻る。
この「原点=基本」に戻ることが「新生」なのである。
まずもって「新生」することが「新曲」を産むはじまりなのだ。
みんな一緒に夢をみるのではなく、みんな一緒に夢から目覚め、
そこに、「今」を生きている「自分」の「生」な存在があることを感じ、
この生き生きとした自分は、
自然に「先」に向って進みはじめているような体感を得るようなLiveこそが、
本当の意味での「復活Live」になるんだろうにも。
またそれは、その時のバンドの力ではなく、
その時そう感じる事の出来た自分の実力であり、
そう感じた自分の受信機のアンテナの優れた感度の実力でもある。
それが、まだまだ「夢」という「WINDOW」の中で眠る、
「T」という全体=みんなの中の1部であるリードボーカル担当の私の今の。
思ぉ~うこと。だ。
つまり。タダイマ付近の感じ。ソレをココで伝える事は、
今の私の仕事の核でもある。
さぁー私たちみんなは、今回のクロコでのLiveでは、
果たしてどんくらいの
「T」の復活Liveとさせることが出来るのだろうか。
今ある私たちの力は、
果たして「自分」を「夢」から目覚めさせ、
ついに「先=次」に進む「真なる自分」となって
「今」を生きようとさせる「実力」を
そろそろ出し始めるのだろうか。
そしてそのバンドは、東京の基地=発祥地から再び飛び出て、
遠い地に住むみんなのところまでも出かけていけるだけの大きな力を
持つほどのものになるのだろうか。
それとも、またまた
夢の中だけでの現象にとどめるようなものになるのだろうか。
それは、「Live」をやってみなければわからない。
その時の「今」をみなければわからない。
とにかくそれが、私たちの「今」の「実力」になる。
ゆえにだからといって実力以上のことをしてはいけない。
今の実力は今の実力以上に今はならない。
それは「無理」をするだけのことになるからだ。
常に自分の「今の実力」に添ったところで「今」をやらずに、
無理を続けていると、「今」が過酷なものとなり、
次第にソレは山となり、結果必ず不幸になる。
実力以上なことはやらずに、
やる毎に「今の実力」を出して行けば、
目的に辿り着くことが出来なかろうと、
常にそれは「優勝」に向っている自分であり、
常に元気で幸福でいられる。だから、
常に「今の実力」を頑張れば良いのだ。
そういったところでの負けず嫌いのせイチローである。
実力以上に自信家のアホな私ではなし。
「T」のLiveというのは、
常にその時私たちみんなの中にある「今の自分」を、
どこよりも「自分」になった「自分」で
「自分」を知ることのできる運動=行為でもある。
そこらへんが「T」の「面白味」だろーと思えるのだのせイチロー。
5月のクロコが、メジャーのせイチローなら、
4月のグッピーは、もっとマイナーの「t」自分的の、
セーイチ(横浜ベイスターズの内川聖一)だ。
メジャーリーガーイチローと
横浜ベイのセイイチではずいぶん人気度違うだろうが、
昨日の韓国戦でホームランを打ったセイイチを
バカにしてはいけない。
「Tファン」としての私には、どちらのLiveもとても意味があって面白く、
どちらも人気もんである。
ゆえにそのLiveでの本当の値段(入場料)の額は、
その時のみんなの実力で決まる。
であるならその入場料は、安いよりも高額であればあるほど嬉しい。
と当然のように思えてしまえる実力を持つみんなは、
それだけでも、大したヤツらであり、
だからこそ、俺の永遠のライバル宿敵なのである。
4月も5月も、必ず勝つぞぅ負けないぞー!
つーことだから、みんなも負けるなよ。
浮かれてるだけじゃやられちまうぜ。
金はらって来るからには、その気でこねーと、
つまらねーもんになっちまうぞ。
つづく。
「だからぁゲバラとピアフ=男と女」の話を書きたいのだが中々書けない。いつか書こうっと。
みておくれ。