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【「追悼Live」は特別なLive】

2010-01-27 | ・nTinDEEP



本年2010年の「UDJコトバマ」の「捨てる」だけど。

「捨てる」という言葉はキツさがあるので、迷ったりもしたけど、
何しろ「コトバマ」なんで、それは感じたままじゃないとダメだろうというので、
そのまま発表したわけでもあんだけど、
ただ、それって、どうやら、「他」じゃなくて「我」ということみたい。
「他」ではなく、自分の中にある、ウンコを捨てる。みたいな。
それは自分の中にある無駄で不必要な粘着質な「執着」でもあるので、
「切り捨てる」くらいのキツさ強さ勇気がないと頑固な汚れはとれないよう。

ということで。話かわって。

「今年のTはLiveやり過ぎ」

と去年の年末、UBA=ココで、記した、去年1年のTのLive。
その中に、自分としては初めての体験ともなる「追悼Live」が在るのな。

そいつはしかも、4本もあったこと(クロコの2-Days Liveも追悼Liveなのだ=清志郎氏と川口厚氏の)、
さらに新年を迎えるとすぐに、大口ヒロシさんがまた1つ、Tに「追悼Live」をさせてくれて、
何しろ、そのこと自体が、
「今年のTはLiveやり過ぎ」であることを象徴しているもの。とも言えるんだけど、
初めて体験した「追悼Live」が4本もあることを象徴とするのは、
何か、不謹慎な感じかな。という細かいことはいーとして。

良かったなぁ、大口さんの追悼Live。
Tのメンバー4人にとって、ガキの時からいろーんな影響を受けて育ち今がある。
と言っても過言ではない、ゴールデン・カップスとウォッカ・コリンズと、
Tが一緒のステージに立てる、つーだけで何か意味あって面白いぞぅというのに、
その3つとも、Live良くて、特に、トリのムッシュ率いるウォッカ・コリンズは鳥肌実もんで、
曲がみんなかっこ良く、ぜんぜん古さを感じないむしろすんごい新鮮で、
かまやつさんは本当に「ロック」センスいーなぁ~かっきーなー、
その中に、マーちゃん(ベース)もいて、
俺の最もリスペクトする日本のロックアーティストの2人が一緒にいる事や、
ギターのタケやヒロシさんのかわりにドラムを叩くグリコの、
Tのメンバーもその中にいて、観ててうれしくなっちゃた。
だから、楽しいんで最後に出場者全員出てやるセッションに出るのも忘れて、
しっかり観客なっちゃってて客席で踊りながら盛り上がっちゃってて、
したら、おめーも観てないでステージ行けよと誰かに言われて、
あそーか、つーんで急いで客席から階段リて裏からまわってステージに行ったんだけど、
ステージ上でも観客気分でバックコーラスの一員なっちゃって盛り上がっちゃて俺、
これでショーケンいたら俺もーめちゃくちゃ完璧にうれしーのになんでいねぇ~んだぁ?!
とか、金も払わず、客席から舞台からまぁ~、一観客として、
ずいぶん贅沢な楽しみ方しちゃってるでないけ俺ったら。
それが、今年初めての俺のLiveである、大口ヒロシさんの「追悼Live」だった。

でその

去年、生まれて初めてなくせに「やり過ぎ」の去年のTのLiveの中で一気に4本、
そして、さらに新年迎えもう1本加え体験した「追悼Live」だけど。

それは不思議に、体験した全ていつも良くて、唄えちゃう。

そのことで、それは、自分にとって、意味深く価値あるように思える、
ちょっと特別なLive体験でもあるのだわ。

何が特別なんだろう。思い出してみる。

すると、そうそう。

そういうLiveでは必ず、唄うためにステージに出た時点で、
その追悼すべきその故人が、ソコに、目の前に、いる。こと強く感じるのな。

みんな涙で顔ぐじゃぐじゃにして号泣するほどに、感動し喜んでんのな。
今はもうあの世にいる自分のためにこの世で残る仲間たちが、
こうしてLiveをやってくれてる事に対して、もうわんわん泣いちゃって喜んでんの。

そう強く感じるわけ。そりゃ特別だ。

でもって、それだけではないの、そこからさらにはっきり感じんの、
「エネルギーもらっちゃったよおい。」という。何か、光を。
それは、感じれば感じるほど、自分が、どんどん良い状態になっていくの。
だから、良いLiveできちゃう。だから、毎回良かったんだ。そりゃ特別だ。

その時、自分だけでなく人の感動や喜びすべてが、あきらかに、人間にとって、
非常に非常に非常に非常に有効な「エネルギー」だということ、
それは思ったり考えたりすることではなく、感じることで得られる特性を持ち、
それはまた、今の時代に生きる私たちにとって、ある意味、石油よりも重要な、
とてもとてもとても必要な「エネルギー」....なんだこれって要するに、
「光」じゃん。そりゃぁ石油じゃねーべさ。とかを、自分にわからせちゃう力。



自分のそんな感覚が自分に対してわからせちゃう感じ。

自分も他人も自力も他力もみんなもともとは自分の内に在る感覚。

すべては、私たちの内なる、心。魂。によって創造されていることを、
「実感」として「強く感じさせおせーてくれる力」がある。とかを。

そんな特別な「追悼Live」を、それまで1度の体験もなかったにもかかわらず
「やり過ぎ」の去年のTのLiveの中、4本もやった。

しかしそれは、それだけ知人仲間が逝ってしまった。
という淋しい悲しいことでもある。

しかしそれはまた、自分はそろそろ、年齢的に、「そういう時期」に入ってきてる。
ということを逝ったその人たちから教えてもらっちゃうもの。でもある。

それは、じわじわと「死」が自分に近づく感覚の時期。でもあり、
「死」をリアルに感じられるようになる時期。でもあって、
「死」は決して悲しむべきものではなく「死」することの本来の意味は、
「感動」なんだぁ。ということをその時自分の感覚は伝える。

これからどんどん、自分の知人仲間たちが、私たちのいるこの世から去り、
これからどんどん、自分の知人仲間たちが、あの世に逝ってしまい、
そして、その人たちに対して、あーやってLiveで唄うことも、
珍しいことではなくなってくるだろう。
それは、いつか自分もそろそろそー逝くという事でもあり、
だったらいー体験いー発見積んでるなぁ。と。

あきらかに自分は、そういう時期に入ってきてる。のか。

そこで。「あの世」の存在を確信する自分が久しぶりに登場。

私たちの今いる、縦+横+高さ、の3次元からなる「この世」と比べ、
縦+横+高さからさらにも1つ「意識」というものが加わった、
4次元からなる「あの世」の世界。

まさに、その1つ加わった次元、自分の「意識」が、
その空間、縦+横+高さを形成するという、それは、まさに、
自由なる創造的なる(思い)の世界。それがあの世。霊的なる実相世界。

私たち誰もがみる「夢」、あれが4次元なる世界。

その世界は、時間も空間も超越して、
自分の無意識も潜在意識も含めた「自己の意識」のままに自由自在に展開される。


と何故断言出来る。断言もなにも、そう感じるんだから仕方が無い。

何故「あの世=死後の世界」が在ると断言できるのか。証明してみろ。

「在るから在る」それが証明だ。

それは、自由と創造からなる世界。そりゃぁ自分としたらまさに「天国」

しかし。それは自由なる心=思いの世界だから、どんな思いも存在するので、
「天国」という「陽」の世界だけでなく、「地獄」という「陰」の世界も存在してる。

もちろん俺の行きたい「あの世」は、
「地獄」ではなく「天国」の方の「世の中」ゆえに、だったら、
死ぬまでに自分の心=魂を、その世界の波動=あいで磨き護り維持して、
出来るだけソイツを生長させておく必要あって面倒くさそーだけど、

そんなに難しいことじゃないべ。

でも人によっては、大変だという人もいる。大変つーか大半がそうか?
無駄なウンコな執着なもんばかり持っちゃってて中々捨てられずなヤツがか。

そんな粗い波動は、重くて飛翔出来ない。上にかえれない。
何重ものカタイ鎧をきて、がらがらうるさく音をたてて、
何かに怯えて窮屈に生きててもしょうがない。

そんなもんは「捨てる」もので、だから捨てれば良いだけ。

捨てればすっきりと身軽になって、気持ち良いほどに飛びまわり、
すーっとソコにかえれちゃう。ただいま=って。

自由になるということは、そういうこと。裸になること。
そのものだけになること。

そして本来の「自分の家」にかえりついたときの感動は、
どれだけのものかを想像すると、うわっ!それだけで力つく。

とにかく、感じるままに書いてるだけ。だから是も非も無い。
在るのか無いのか。在るのは、感じる自分と自分の感覚だけ。
それだけで十分。すべてを得る。

新年早々にまたも、体験させられることになった、
大口ひろしさんの「追悼Live」も、Live参加時間は18分ほどのものだったけど、
そんだけでも、そんな感覚を強く得られるほどに、
やっぱり自分には特別なLiveだったので、
そのことに、何か、感動してしまう。大口さん、有難うっす!

ショーボートのカウントダウンLiveについては、次回にでも?
けっこー記憶うすれてるなぁー。しかし。
これは「追悼Live」ではないので、こんな変なこと書かない安心しろ(笑)。





残念ながら大口さんの「追悼Live」の画像記録はなく(あっても勝手に掲載できないのかぁ)
そのかわりショーボートのカウントダウンLiveの俺の画像はったった。

(画像提供はいつもありぎゃとSELMさま)



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2 コメント

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追悼ライヴ (だんまや)
2010-01-27 19:27:02
確かに2曲だったすけど、すげーカッチョ良かったっす。T。客席(センターの一番後ろでは大合唱でした。センセーションっ!)そうすよねー、追悼ライヴ多かったすよね(自分もたくさん悲しい思いをしました)。あたしは2階にあがれない身分だったのでSAYBOWさんにご挨拶できなかったすけど(探したんすけど)、あの日も、何かにつつまれてるかのような、いい気持ちでした。ウォッカ・コリンズではタケさんベース弾けば良かったのに。あ、生き神さまがベースでした(カッチョイー)。かまやつさんもスゲーし。SAYBOWさん、ちょっとふっくらしました? けどマサさん? はないっすよねー(苦笑)。ヒロシさんからも、Tからも力もらいました。めげそーな自分ですが、音楽の力、まだまだ信じてます。
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Unknown (saybow)
2010-02-08 19:17:53
>確かに2曲だったすけど、すげーカッチョ良かったっす。T。
確かに「2曲」だけのLiveであるなら、すげーカッチョ良ぅいーLiveをTはどこのバンドよりもやれる。とゆー自信が自分にはあるなぁおい。うむ。しかし。晦日の高円寺での初の試みでもあった「カウントダウンLive」のような2曲どころの騒ぎじゃねぇ長時間のLiveでは、俺はおめーらに負けてたんでくやしったらなかった(笑)。

>2階にあがれない身分だったのでSAYBOWさんに
>ご挨拶できなかったすけど(探したんすけど)
ご挨拶など来なくていーが(笑--俺は本当は世界一の人見知り野郎だ内緒だぞってしってるか)、なにしろ。俺は、「観客になっておめーらと一緒に楽しんだ!」事の意味は自分にとってとても大きいんだったのだだんまやぁ!

>めげそーな自分ですが、音楽の力、まだまだ信じてます。
その「音楽(の力)」つーのは「自分(の力)」つーこと。で。
「まだまだ信じてます」とかいーやがっておめーわバカか?
信じようと信じまいと、「おめーわおめーの何者でもない」ということのシアワセをおめーわまだ知らないだけの話じゃんかなぁ。何しろおめー以上におめーを信じつーか愛す存在が「絶対」にいるんだぞ。そいつわおめーのトーちゃんカーちゃん含めそのもっとおーもとの「親」まで「絶対」にいる。つーことなんで「男」だったら信じる信じないまだまだそーだこーだ言わずに、生きてるだけで自分はすばらしーと思わんかい。

ん~~。そんなこんな言われるすべてがしかし。俺も同じだぁ。
おめーに言ってるんだがしかしそいつわつまり俺だぁ。自分に言ってることになってる。

一緒なの。俺もおめーも。おめーも俺もTなのな。それを知ったんだぁおせーてもらったんだぁ俺わぁなぁ。Tからおめーらから。

だからこれからももっともっともっとおせーろ。これからも俺わおめーらにギャラはらわんがいひひひひひひ。

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