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★三谷幸喜は日本の宝なの!★

2006-01-15 | ・nTinDEEP


え~みなさまご無沙汰しておりやすが。
どーしたんだ?え?何やってんだ?一体おめーわ。ええ?
新年になって、なんか、いつもよりもいつもの新年付近な感じよりも
じみーじゃないか?ええ?
そのなにクリスマスから正月にかけてのこのー、
UDJのHPおよびあたらしく出来たブログ?ですか。本来だったら、
何となく一番盛り上がるHPの時期なんじゃないのか?
それが、去年のクリスマスは、毎年制作していた
UDJのクリスマス・カードも制作されず、
TENSAWの《《eve@i》》はあったものの、何となくUDJとしてのHP的には、
クリスマスから正月にかけての展開、更新もあまりされずに、
じみーな感じ?

とかそんなこと思うこともなかったんだけど、気づかなかったんだけど、
そーいえばそーかぁー。言われてみればそうだなぁー。
的な感じのそれに対する感じだったんだけど、いえね、
言われたわけで、そんな事を。

TENSAWとか ReMixとかsaybowとかのファンがいるのは知ってるけど、
UDJ+ArtworxのHPとこのブログ-UBAのファンっているんだよね。

という気持ち、それを今年の新年付近のUDJのサイトは描いてるわけなんだ実は。
去年、毎年つくってたUDJのクリスマスカードはつくられなかったけど、
クリスマス付近にココでつくってた絵。全部今年のUDJのクリスマスカード。
で、29日のブログでの絵・作品「2006+HNY」ってゆーんだけど、
あれが、UDJの年賀状になってやす。

とゆーか、実を言うとね、
クリスマスカードとか年賀状とか、
あえて考えて創らなくてもいーんだ。絵。って。絵。創るのって。
創造。って。とゆーのがわかったんだ。

だから、今年の正月はネットから少し離れて、
本読んだり、DVD見たり、CD聞いたり、映画見に行ったり、
SMクラブ行ったり、ヒマラヤ登頂したり、横浜ベイスターズの4番打ったり、
キリストにお年始送ったり、釈迦とサッカーしたり、パンツ洗ったり、
北朝鮮の天変地異を予想したり、マフラー編んだり、霊界行ったり、
結婚相談所で結婚相手を探してもらったり、もー遅いあきらめろと言われたり、
ちょっとリフレッシュするために、ゆっくり休んで
そーゆーよくわからないことをしてたりしてたんだ。

そんな話よりも、今年のはじめに私が一番驚いたのが、
「古畑任三郎ファイナル」のイチローと、
一昨年のNHK大河
「新撰組!」のファイナル、
「新選組!! 土方歳三最期の一日」の予想以上の素晴らしさ。

正月。「古畑任三郎ファイナル」のイチローの
あの難しい役を見事に自然体で演じきった演技力については、
もー日本中の日本人みんなが、本当に度肝を抜くほど驚いたと思う。
それは、私にはまさに神懸かり的だったんだ。

そのことについて画霊・横尾忠則は、こんなことを言ってる。


「古畑任三郎」に出演していたイチローの存在感には驚きましたね。
素人がいきなり演じれる芝居ですかね。
いくらイチロー自身の役だとしてもあそこまで演じれません。
普段の自然体がそのまま役の自然体になっている。
自然体で生きている人間は演技する必要がないことがわかります。
自然体で生きていない役者はわざわざ臭い演技をしなければならないので、
本人も解放されないけれども、見ている人間も解放されません。
イチローの演技(?)は見る者を解放してくれました。


とね。

まさにそのとうりなわけです。そーゆー事なわけだす。
本当に、自然体で生きている人間は演技する必要がない。
まるで神戸のTの私だ。(笑)

「古畑任三郎」のイチローの神懸かり的な演技は、
そういうことを、教えてくれたわけですね。

でも、横尾さんも気づいてないところがあるわけです。

イチローも神懸かり的だったけど、さらに神懸かりな人は、
その神懸かり的なイチローに神懸かり的な演技をさせた張本人でもある、
あの物語を創った作家の三谷幸喜なんです。

それは、天才の男が天才の男に送るエールだった。

それはあの物語の中に散りばめられてる、
男・三谷幸喜の、男・イチローに対する愛情と尊敬ね。
あの物語に登場するイチローという男の描き方ね。

イチローは、まず、その三谷幸喜の台本を読んで、おそらく
涙が出るほど感動したんだと思うんだよね。
最初その役の名前はハチローだったんだって。それを、イチローは、
そのまんまの名前でやりたい!と言ってイチローになったんだって。

あのイチローの演技力は、
三谷幸喜によって描かれたイチローの世界が、あまりにも理解された、
メジャーリーガーとしての自分のアイデンティティそのものであったことに、驚き感動しちゃって、嬉しくてハチローじゃなく自分を演じたい!
とさせた力なんだと思います。

あのイチローの演技力は、
天才作家三谷幸喜の愛するイチロー選手のために創った物語が、
何で俺の事がこんなにわかるんだ!と同じ天才のイチローの心を響かせ、
力を持たせたものなんだと思うわけだす。

イチローも凄いけど、三谷幸喜だって凄いんだね。
私は昔から、三谷幸喜は凄い!って言って来たけど、
新年早々それをさらにまた痛切に感じたのは、
「古畑任三郎ファイナル」だけじゃなかったわけで、
「新撰組!ファイナル」でもある、誰も描かなかった、
近藤勇が処刑されたからの土方歳三のその後から最期までの物語なんだす。

それわそれわ本当に素晴らしい男の物語だったわけだす。

それは、土方歳三と榎本武揚との男と男の対決の物語でもあったんだけど、
二人のキャラクターの描き方は、とてもとても深く、
何か今の日本や今の男について、考えさせられてしまわざるを得ないほどの
圧倒的なパワーを持った物語でもあったんだよ。
昔はあったんだあーいうスケールの大きい男のあいの物語。
誰も死んでしまって土方独りだけで頑張ってる姿だけじゃなく、
死んでいなくなってしまったあの愛すべき仲間たちが登場する邂逅シーンの
鳥肌たつほどに何と暖かい感じ。短い時間なんだけど、
私は今までテレビドラマであれほど映画並みに芸術的に
人間を暖かく愛おしく描いた快いシーンを見た事ないもん。
それほど名シーンなんだよね。

そのシーンでは近藤さんの話になるんだけど、
もう偉くなりすぎてしまってみんなとはダベラズむこーのほーの偉い部屋にいて、
カリスマんなってしまってて登場しないんだ。
だから、近藤さんは登場しないんだと思ってたんだ。だけど、
それはほんの3秒間ほどの短さだと思う。
それが、最後の最期の最高のところで登場するんだよ。近藤さん。
霊界から。(笑)いろいろバカなヤツらから批判されてたけど、
香取慎吾じゃなきゃダメだったんだ近藤の役!
ってことがよーくわかる。素晴らしいんだ。あの死んだ土方の和ませ方!

敗者だけが見ることのできる、絶望の淵から顔を覗かせた「希望」。

みんな見てないとしたら、見なきゃダメだぁ、あんな素晴らしい物語。
日本にはこんなに素晴らしい物語を描く天才作家がいるんだ!
と言う事、知って欲しいからさ。

正月、新撰組!の総集編放送されてたけどさ、やっぱ凄いって。
去年、義経おもしろいと思って一応見てたけどさ、
あの義経をまもる弁慶とその仲間たちの描き方と、
新撰組の仲間たち一人一人の人間の描き方だけみても、
そのレベルが全然違うんだから。
それは義経だけじゃなく、他の今までの大河大体同じだったんだ。
登場人物の一人一人の「人間」の描き方。



三谷幸喜がやった新撰組!での一人一人の「人間」の描き方は、
みんな本当に生きてるみたいにリアルに描かれてて、
今でも一人づつのそれぞれの物語を思い出せ、それに泣けちゃうんだから。
生きちゃうの。生かしちゃうの。そのれぞれの役の人みんなが。
本当に神懸かりなんだ。

神の視界なんだよもう。

三谷幸喜はあんな風貌であんな感じであるので、
分からない人には永遠にわからないと思うけど、
だまされちゃ行けないんだ。
男の世界を描かせたら、あんなに真に男っぽい作家はいないし、
何しろ、今失い続けている、日本人にしかない独特な明るさ、
そのなんともいえない優しく暖かかった古き良き平和な感覚を
三谷幸喜という芸術家は、大事にまもり続けて私たちに与えてくれる、
我々日本人にとっては国宝級の芸術家なんだから。
それを私は声を大にして言いたい。

正月、実は、私は三谷幸喜にまたやられてしまっていたわけです。
それは今の自分にとって、なんか深く考えなきゃいけないほどの、
ネットも起動させる事も忘れるほどの何も書けない状態だったんだす。



三谷幸喜の第三作目の監督作品である
有頂天ホテルは、やっと本来の三谷幸喜にたどり着いた、
という目出度い映画になってるはずだよ。
それまでの二作は、どーしょもない世間に、
代弁者となって訴えてた彼らしくない社会派映画だったんだから。

とにかく三谷幸喜って人は、北野たけしよりもその意味的に、
日本の芸術家として、日本の宝なのだす!

あの風貌あの空気に騙されぬように。

やっぱしほぼ日でも「新選組!! 土方歳三最期の一日」、
とりあげてた。当然だけどあそこわ。