アメリカの共和党トランプ候補、フィリピン次期大統領の主張を通じて感じることは、既成政党と政権による政治が行き詰まり、多くの国民から否定されていることではないかと思いまます。既成政党による政権運営、政策にうさん臭さと、怒りを感じ取り、変化を望んでいることがこのような政治現象を作り出していると。また、一人の人物の圧倒的な政治権限が自国と、世界を一瞬で変えるくらいの力を有していると考える点でも特徴があるように感じます。
ではなぜ、このような排外主義、暴力的な主張を行うような人物を国の政治指導者として選出しても「よい」というのでしょうか。
特に、アメリカ大統領が国際的に持つ政治経済、軍事分野での絶大な力をアメリカ国民が意識して、選出しようとしているのか?今のアメリカ国民の多数が、そのような自国が持つ国際社会での影響力を、考慮して政治指導者を選ぶゆとりはないことを示しているのだと思います。
先進工業国のアメリカ、イギリス、ドイツ、日本、フランスなどの超富裕層、多国籍企業、大手金融機関が政治を政治資金で買収し、自らの主張と利益追求のために政治代理人として、アメリカ共和党、民主党、イギリスの保守党、日本の自民党、フランスの二大政党を育成しました。そのことへの国民的な批判が顕著となり、トランプのような一見すると「狂っている人物」を選出するような政治状況を演出しています。アメリカの政治経済、軍事を支配する支配層にとっては彼らの「本音」をさらけ出すトランプは「恥」であり、国際的に演じてきたアメリカの主義主張の正当性がトランプ当選、主張で他国から遺棄され、アメリカの政治支配が終了し、崩壊することを一番恐れているのでしょう。
フィリピンの政治経済を牛耳っているのは、いくつかの少数家族によるものであったそうです。現アキノ大統領もその一人でした。アメリカ大統領選挙における既成政党、政治勢力への不満と似ています。
いずれにしても、資本主義の政治経済が、行き詰まり、その矛盾を激化させ、政治経済問題を解決する方策を見出し得ないくらい深刻化させていることが共通しています。1%の富裕層と99%の貧困層、多国籍企業と大手金融機関・資本による自国民(消費税、富裕層の租税回避と脱税容認、法人税率の引き下げ競争、非正規労働、解雇と慢性的な失業、国による教育の放棄)と他国の収奪、そのための政治支配と彼らの保護を利益確保を目的とした軍隊保持・膨大な軍事費、資源国の政治支配と軍事介入、収奪――これに対する政治的批判が顕在化しているのだと思います。
安倍、トランプ、ロドリゴ・ドゥテルテが問われているのではなく、民主主義という制度が問われているのだと思います。憲法による立憲主義、三権分立、選挙制度、両院制―――最後は、国民一人一人が政治参加し、堕落した自民党、公明党のような政治屋に任せずに、懸命な選択を行う以外に、閉塞した政治経済を打開する方策を見出すことはできません。
「憤怒の政治」
フィリピンの大統領に選出されたロドリゴ・ドゥテルテ氏は「フィリピンのトランプ」と呼ばれる。22年間ダバオ市長を務めた彼は「犯罪者の死体を物干しに干してやる」などの過激な発言をはばからない暴言問題の主役だ。米国では多くの暴言で世論の非難を受けているにもかかわらずドナルド・トランプ氏が有力候補を抜いて事実上共和党候補に確定した。ブラジルではハイチ難民に向かって「ごみがブラジルに入ってこようとしている」と述べて議論になったジャイル・ボルソナロ議員が有力な大統領選候補者に浮上している。