TPP協定は、今通常国会では承認はできません。しかし、安倍、山口自公政権が諦めているわけではありません。北海道大学の名誉教授で大田原 高昭さんの講演録です。1万字近い講演録ですので、何回かに分けて掲載します。
この講演は、4月18日生協九条の会北海道が企画した会での講演録です。
2016年4月18日 生協9条の会北海道の会
TPPはこれからでも止められる!
太田原 高昭
1.協定は選挙公約と国会決議に明白に違反している
今日のこのタイトル「TPPはこれからでも止められる」は、昨年の11月にTPPの「大筋合意」が報道されて以来、私がずっとあちこちの講演で掲げてきたものです。生協9条の会の会報に先日載せていただいた文章も、この見出しで書きました。大筋合意されて協定書の調印まで済んでいるのに、「まだそんなこと言ってるのか」といわれることもあるんです。だけどいま、TPPの審議、止まってますよね。いつまで止めれるか、この先、何が起こるかはわかりませんけれども、とにかく、止めて止めて廃止にまでもっていきたいと念じておりますし、その可能性があると信じているのです。
これからでも止められると私が思っているいちばんの根拠は、協定が、自民党の選挙公約と国会決議に明白に違反しているからであります。だから国会でまともな審議に入れば、おそらくまともに答弁できないことばかりだろう。そしてやはり、冒頭からそうなっておりますね。この国会で私が心配だったひとつに、民進党がどんな態度で議論に入ろうとするかということがありました。といいますのは、TPPはもともと民主党政権のもとで足を踏み入れた――菅内閣がTPPに参加を言い出し、野田内閣が参加方針を決めたものです。いまでも民進党の中はなかなか大変で、賛成派と反対派が混ざり合っている。ですから、どんな姿勢で審議に入ることになるのか、それが気がかりだったのです。いま仕掛けているのはもっぱら手続き論、入り口論議ですよね。しかしその入り口で、「交渉経緯をまず明らかにせよ」という質問にたいしてでてきたのが、あの、ぜんぶ黒塗りの資料です。おかげで民進党の攻めに少し勢いがついた。そこに、これは明らかに敵失ですが、西川委員長の内幕本なるものの校正刷りがでてきましてね、そこに相当、黒塗りして国会議員に示さない実情がいろいろ書いてあるということで、審議ストップになってしまった。
で、今日、再開されるというので、どんなかたちで再開となるのかと、私は朝からテレビを観ていました。民進党の質問の番だったのですが、民進党は、熊本で大災害が発生した現時点にTPP論議に入るのは優先順位が違うんじゃないかと、ここは政治休戦をし、場を予算委員会に移して災害対策の集中審議をしようと申し入れたようですね。しかしこれには安倍総理が、今国会中にTPP承認へ一歩でも近づけたいと強い意向を示し、強引に審議再開となっているらしい。それにたいして民進党は、「そんなことで災害対策がちゃんとできるのか」と、もっぱら議論の中味を災害のほうに持っていこうとしている。民進党に続く共産党の質問がどういうかたちで進むのかわかりませんが、そんなわけで今のところ、TPPそのものの議論は事実上、ストップしたままです。
政府はこの間、「TPPは結果がすべてである」「結果で判断してほしい」という答弁をしてきています。だがそれより先に、じっさい何を協定したのか、どういう協定書に調印したのかが、わからない。新聞報道によると、協定書全体は英文で6800ページと膨大なものですが、そのうち政府が日本語に翻訳しているのは2700ページだけです。これで議論しろというのは、もともと無理でありまして、各政党、各団体がいっしょうけんめい翻訳してはいるのですが、国会で議論するにはやはり政府が公式に提供する文章が不可欠です。その意味でも、まだ審議に入れる段階ではないのです。
協定中味が十分わからないながら、いちばん問題とされてきた農業分野にかんして窺われる結果は、惨憺たるものです。農林水産物の81%が、関税撤廃となります。特にその中で、国会が「重要5品目」を指定して、それは関税交渉の例外にするということが、自民党、公明党を含めた国会決議だったのですね。ところが例外どころか、それらがぜんぶ俎上に乗りまして、「重要品目の30%は関税撤廃」、残ったものも「関税削減」ということになりました。またコメにかんしては関税には触れていないけれど、「関税ゼロ、無条件で新たにアメリカから7万5000トンを輸入する義務を負う」と、そこまで言っているのです。これらはみな、明白に国会決議に違反しています。
ご存知のように農産物の重要5品目――コメ、ムギ、乳製品、豚肉・牛肉、甘味資源=北海道ではビート――はぜんぶ北海道の基幹作物そのものですね。ですからこのままでは北海道の作物が「根こそぎ」やられるということです。それだけでありません。地域によっては、この5品目以外に基幹作物というべきものがいろいろあるのです。ついこの間、北見に行って話しをしてきましたが、北見の最大の基幹作物はタマネギです。これが関税撤廃の対象です。いまの輸入量が少ないから影響はないというんだが、それは関税があるからこれまで輸入が少なかったという面もあるわけですね。また日高に行きますとウマ(軽種馬)、これも重要品目ではないということで、関税撤廃です。これらにどんな条件変化が及ぶのか、見通しが立たない。それらをとりあげて「がんばって何割は守った」とかいうのが政府答弁でありまして、私は、「これが従来の国会決議に反するかどうかは政府が答弁することではなく、国会でお決めいただきたい」といっているところであります。まともな議論をすれば、これらが国会決議違反であることを、逃れることができないはずなのです。
大筋合意でTPPは「もう終わった」、そして「あとはその影響をどうして少なくするよう手厚い政策対応をするかだ」という方向に、全国紙の論調が揃ってきています。いまなお徹底抗戦の立場は、道新をはじめ地方新聞だけに見られる傾向といえましょう。日本の新聞を観察している外国人記者の目にも、そう映っているようですね。
この全国紙の論調に対応しているのが、保守勢力の選挙対策ですね。いま、TPPに反対してきた農協を主要ターゲットにして、「決まったことにグダグダやっていてもしょうがないじゃないか、できるだけ手厚い政府の対応を引き出すべきだ」という働きかけ、道内でもそういう猛烈な攻勢がかけられてきております。で、農協もだいぶんぐらついてきている。そういう条件闘争に転換するなんてことをやれば、甘利さんに代わった石原大臣に「やっぱり最後はカネ目でしたね」って馬鹿にされますよと言っているのですが、どうもそういう話になってきている----。
2.交渉経過、協定書をめぐる疑問の数々
全文翻訳と細部の検討が終わっていない膨大な協定文書と、黒塗りの交渉報告書とでは、まだわからないことだらけなのですが、農業について「惨憺たる」結果の見当がついてきていることを上にお話しました。この項では、別の角度から、水面にまだはっきり浮かんでいないいくつかの疑問をとりあげてみましょう。
まず、生協運動に深くかかわる「食の安全、安心」の視点から、TPPでそれが守られるものか、という疑問があります。
たとえば、輸入農産物には必ず添加物の問題が伴います。輸入農産物というものは長い船旅をするのですから、何らかの消毒とか防腐行為をしないとそもそも無理です。もちろん輸出の場合も同じ。ですから日本でも、「こういう薬は認める」「認めない」ということでやっているわけですが、その基準について、ずっと以前から、「日本の基準はきつすぎる」という文句を、とくにアメリカからいわれてきました。日本の消費者運動のレベルが高くて、ひとつひとつの薬をしっかり吟味してきた成果ですね。結果として、日本はたとえばアメリカより、だいぶん高い水準にあります。文句よりむしろ、日本に学んで他の国もそこに引き上げるべきものですね。しかし外国からの、この「基準を下げろ」という要求が、今回どう扱われているのか、私たちにはまだわかりません。このことについて国会でも質問があったのですが、政府答弁では「現状を変えることは協定には何も書いてありません、安心してください」と。果たしてそうなのか。私もそのやりとりをテレビで観ましたが、安倍さんの答弁のなかで気になったのは、「食の安全・安心は大切だけれど----過剰抑制はよくない」と、この「過剰抑制」という言葉を何回も使っているのですね。どうもこの言葉が協定書のなかにあるのではないかと疑いたくもなる。過剰抑制とは「世界標準」からみて過剰ということですし、どの分野でも世界標準とはだいたいアメリカが作るものですから、結局アメリカの標準に合わせろということが次第に圧力となってくるのではないか。このあたりは、協定の翻訳が出揃ったあとで、厳密に議論してほしいことです。
TPPが通れば、遺伝子組換えがスルー・パスになるのではないかという懸念も、日本ではずっと出されておりました。現段階の政府答弁では、それにかかわる協定の文言は「ない」と言っております。いまのところ遺伝子組換えそのものに言及していないとしても、アメリカで遺伝子組換えの種を販売している会社モンサントの展望はたいへん楽観的のようです。ガードがきびしいとみられている日本でも、それぞれの食品に「遺伝子組換え」食品だと表示する義務はないのです。ただ、日本では消費者の意識が高いから、「遺伝子組換えでありません」と書くと売れるので、そう表示しているわけです。結果として、「遺伝子組換えでない」と書いているのと書いていないのが分かれるアイテムでは、書いていないのはぜんぶ遺伝子組換えです。油類なんかでそれ、たしかめてみてください。アメリカのナタネは90数%、遺伝子組換えですから。先のモンサント社に言わせると、アメリカでは遺伝子組換えが十分安全だということは確認済みなのだから、商品に遺伝子組換えで「ない」と表示することじたいが不当だと。アメリカではそうでも、日本では「安全だと確認済み」とはなっていないのです。それを食べ続けたらどうか、とか、子孫の代にどうかといったことにまで、日本の消費者運動は関心をもっていますから。日本では「わからない」というのが現時点の判断ですね。
ISD条項というのがありますね。ある企業が他国の市場に進出する、その企業が進出先の国で何か不利益をこうむることになった場合の、紛争解決条項のことです。たとえばアメリカの或る企業がアメリカ国内での公害規制よりもっと緩いと思って他国に投資したら、他国でも公害規制を強めてせっかくの投資が無駄になった。そのときに企業はその相手国を訴える(=損害賠償請求)ことができるというのが、この条項です。すでにこれは国際取引でアメリカ企業が何十回もやってきている訴訟です。そしてアメリカ企業側が負けたことがほとんどないという、いわくつきの係争なのです。なぜアメリカ側が負けないかというのには、いくつかの理由があるのですが、その紛争を扱って裁定するのが、アメリカの全くの主導下にある世界銀行であるという、何とも奇妙な構造も大きいと言われています。どうもそのISD条項がTPP協定に入っているらしい。そうなると、先のモンサントの例で言うと、モンサントが遺伝子組換えの表示をめぐって日本政府や日本の自治体に難癖をつけて裁判になる、TPPをめぐる日本での論評のなかには、将来のその危険性を強く示唆しているものが少なからずあります。日本政府はまだ遺伝子組換え食品の表示を義務化していませんが、北海道では「食の安全・安心」の観点から条例があるわけです。それを決めた委員会の委員長が私ですから。
水面下にある疑問のうち、農業、食以外のことにも、ひとつ触れておきましょう。日本が世界に誇る、全国民を対象にした国営の健康保険制度、これが骨抜きになるのではないかという危惧です。日本医師会、歯科医師会、薬剤師協会、看護師協会など、関係団体がこぞってTPPに反対を表明しました。国会議員のなかにはお医者さんがいっぱいいますから質問もたくさん出たのでしたが、これにたいしても「大丈夫です、健康保険にかんしては何も定めがありません。日本の国民皆保険は守られます」という答弁でした。
私は日本医師会の会長さんの講演を聞いて勉強したのですが、健康保険についての規定は、TPPに触れたところはないようだけれども、「混合医療」を大いにすすめるというのが、どうもあるらしい。
混合医療というのは、保険が「きく」医療と「きかない」医療の混合ですね。今でも最先端医療で保険給付外のものがあって、それは患者が自費で診療を受けるというのが原則ですが、日本では同一の診療で保険給付外と公的保険との併用は認められていませんでした。(診療のなかに一部でも保険給付外の診療を入れると、全額自費診療ということになっておりました。)それが、TPPとはさしあたり別な経緯のなかで、2016年から一部、混合医療が認められることになり、目下、それをめぐって賛否両論が交わされています。そういう浮動する今日の状況に、もしTPPが作用してきたら、どういう側面を後押しすることになるか。「よりよい医療を求める人々のために」という口実のもと、非保険分野をひろげることになるのではないか、医療の所得格差の推進力になるのではないか、それを医師会はたいへん気にしているようなのです。
こんなふうに、安心できないことがたくさん水面下にある。そういうことを国会で徹底的に議論していただきたい。ところがそういう詳細で議論できるはずの甘利さんがいないので、答弁がまことに頼りない。ふつうの国だったら、甘利さんのように交渉の詳細をこれだけ一身に背負って事をすすめてきた責任者が、眠れない、国会にでてこれないなんてことになったら、この案件はダメですね。チームでやってきたから大丈夫、石原大臣でも答えられるというんだが、実際やってみると、細部をだれも知らない、ちょっとつっこんだ問題になると誰も答えられない、お粗末きわまりないですね。この間テレビで観た国会中継では、先ほど言ったISD条項、その条項にしたがって他国の企業が日本政府を不当だと提訴したのにたいして日本の最高裁が正当だとした場合どちらが優先されるかという質問にたいして、法務大臣はまったく答えられなくて、後ろから事務局が渡してくれたペーパーを棒読みするのだが、その読み方を間違えてまたつっこまれて----と。あきれてものがいえなかったです。