“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

立憲主義の回復を

2016年05月07日 08時00分57秒 | 臼蔵の呟き

「天皇は「神聖にして侵すべからず」とされた存在から「象徴」になり、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重を三大原則とする国に生まれ変わった。」

 戦後政治史の中でも、これほど憲法を無視し、蹂躙した政権はなかったのではないでしょうか。選挙で勝てば何を行ってもよいとする傲慢さと独善性には何らの政治的な正義もありません。そもそも、民主主義とは、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重を基本的原理としており、一政権が勝手に憲法解釈を変更、憲法を蹂躙することを容認するものではありません。

 そもそも、小選挙区制度と政党助成金は、日本の政治を劣化させる制度です。半分以下、三割程度の得票率で、過半数の議席を獲得することが異常であり、民意を反映しない制度であることは明々白々です。このような制度上の瑕疵がある制度を使って、多数だと主張し何でもできるとする姿勢、主張は正当性を持ちません。衆参のねじれと衆議院優先を自民党、公明党、政権党は主張しますが、独裁的な政治、政権運営を許さない制度として重要な意味を持っています。民意を反映せずに、独裁的政治、憲法無視を行う政権を縛ることこそが価値あることなのだと思います。

<信濃毎日社説>憲法の岐路 首相の姿勢 民主主義が壊される懸念

 中野市の中山晋平記念館に古いレコード盤が展示されている。1947(昭和22)年の憲法施行に合わせ、その意味を広めるために制作された「憲法音頭」のレコードだ。作詞はサトウハチロー、晋平が作曲した。

 〓(歌記号)古いすげ笠(がさ) チョンホイナ

 さらりとすてて/平和日本の
 花の笠

 盆踊りで使ってもらうための歌である。踊りも付いている。
晋平の子息から寄贈された。最近はこのレコード目当てに記念館を訪ねる人も多いという。

   <解釈改憲の乱暴さ>

 参院選が7月に迫る中で、69回目の憲法記念日がきた。選挙結果によっては、改定を「私の任期中に成し遂げたいと考えている」と明言する安倍晋三首相の下で、改憲が一段と具体性を帯びてくる可能性がある。

 憲法の規定も時代に合わない面が出てくることはあり得る。本当に都合の悪いところがあれば惰性に任せず、改憲の是非を議論するのは構わない。

 ではあっても、私たちは自民党、とりわけ安倍首相が主導する形で改憲論議を進めることに反対する。理由を二つ挙げる。

 第一は、憲法に向き合うときの首相の姿勢が乱暴なことだ。

 安倍政権は2年前、集団的自衛権について憲法解釈の変更を閣議決定し、行使を容認した。歴代内閣が維持してきた「憲法に照らし行使できない」とする解釈の一方的な変更だった。「政府の法律顧問」とも呼ばれる内閣法制局長官の首をすげ替え、専門的立場からの異論をあらかじめ封じる強引さだった。

   <掘り崩しが進む>

 「最高責任者は私だ。政府の答弁に私が責任を持って、その上で選挙で審判を受ける」

 この発言も忘れるわけにいかない。憲法解釈の変更をめぐる国会答弁だ。選挙で勝てば全てが許されるかのような言い方は民主主義と相いれない。

 仮に条文に変更が加えられない場合でも、安倍政権が続けば憲法は掘り崩されていくだろう。首相による憲法秩序の破壊である。

 首相は2012年の総選挙の前、野党自民党の総裁だったときに改憲手続きを定めた96条の改定を目指す考えを表明している。

 こう述べた。「たった3分の1を超える国会議員の反対で発議できないのはおかしい。そういう横柄な議員には退場してもらう選挙を行うべきだ」

 どこの国も、憲法の改定には他の法律よりも高いハードルを設けている。憲法が国の在り方の根幹を定める以上、当然のことだ。

 日本の場合、衆参両院の総議員の3分の2以上が賛成しないと改定を国民に向けて発議できない仕組みになっている。

 改憲規定の見直しは憲法の安定性を損なう。改憲に反対する議員に「横柄」のレッテルを貼り、排除しようとするのは間違いだ。

 安倍首相主導の改憲論議に反対する第二の理由は、首相が憲法を変えることを自己目的化している節があることだ。どこをどう変えるかはっきり説明しないまま「任期中の改正」を繰り返す。

 首相は自著に書いている。

 「国の骨格は、日本国民自らの手で、白地からつくりださなければならない。そうしてこそはじめて、真の独立が回復できる」

 日本はこれまで独立国でなかったかの書きようだ。

 日本人は戦後、今の憲法の下で国造りを進めて、平和で豊かな社会をつくってきた。そうした努力をおとしめるかの首相の言い方は受け入れられない。

   <世の中が変わる>

 先の戦争に敗れ、今の憲法を持つことによって、日本は明治憲法とは別の基本原理を持つ国になった。天皇は「神聖にして侵すべからず」とされた存在から「象徴」になり、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重を三大原則とする国に生まれ変わった。

 安倍首相によって憲法が変えられれば、日本にはもう一度根底的な変化が訪れるだろう。その結果やって来る世の中がどんなものになるか。

自民党の改憲草案を読むとイメージがわく。

 日本は「天皇を戴(いただ)く国家」になり、国民の権利には「公益および公の秩序」の観点から制限が加えられる。集会、言論など表現の自由も、「公益および公の秩序を害すること」を目的とする場合には認められない。世界の人々が長い年月をかけ、時には血を流して築き上げてきた民主的、近代的な価値観とは一線を画した国になる。その方向に進むのを許すかどうか、私たちはいま分かれ道にいる。

 69年前の5月3日、県内では施行を祝う演芸大会などが行われたと当時の本紙にある。戦争の傷跡が残る中、国民は平和憲法を心から歓迎した。そのことが持つ意味をいま、改めて思い起こしたい。 


舛添東京都知事 血税への乏しい感性

2016年05月07日 06時00分40秒 | 臼蔵の呟き

「“世界一貧しい大統領”と呼ばれたウルグアイのホセ・ムヒカ氏の来日は、さわやかな印象を残した。報酬のほとんどを社会福祉に寄付し、愛車を自ら運転するリーダーだった。失礼ながら人間の厚みは雲泥の差に見えてしまう。」

そもそも、舛添氏とホセ・ムヒカさんを比較すること自体が、無理な話です。ホセ・ムヒカさんの経歴を知れば、比較自体に意味がないことが理解できます。

舛添氏の金銭感覚は金持ち政治家に共通する点です。政治資金を税金に頼り、当選してしまえば、公費を湯水のごとく使っても何の感覚も働かない。世の中には、一日の食事、宿泊場所に困る人が何十万人もいることにも何ら、思いが働かない。想像力の欠如と傲慢さだけが際立つ人物を政党に招き入れる。自民党型政治を継承する人物たちの退廃と特徴です。

<東京新聞社説>舛添東京都知事 血税への乏しい感性

 海外出張や公用車に、まるで湯水のごとく血税を費やすような振る舞いは、納税者の目にどう映るだろうか。舛添要一東京都知事のリーダーとしての資質も、都政への心構えも疑われてならない。

 一昨年秋、ベルリンとロンドンを訪れ、六千九百七十六万円。昨年秋、パリとロンドンを巡り、五千四十二万円。職員十九人を従えて、知事はファーストクラスに乗り、高級ホテルのスイートルームで過ごした。

 共産党都議団によれば、舛添氏の海外出張費は、知事に就任した二〇一四年二月からの八回で二億一千三百万円。航空運賃とホテル代で46%を占める“大名旅行”だ。

 石原慎太郎元知事の時代に無駄遣いと批判され、都は経費削減を約束した。にもかかわらず、舛添氏の一回あたりの経費は平均二千六百六十万円余り。石原氏の平均より一千万円も膨らんでいる。

 四月にも一週間、米国まで九回目の海外出張をした。知事はやはりファーストクラスを使い、航空費は二百二十五万円。スイートルームに滞在した宿泊費は七十四万円。本年度の海外出張のための予算は三億三千五百万円という。

 都条例は訪問都市に応じて、職員の一泊の宿泊費上限を定めている。知事は最高四万二百円。だが、要人との急な面会に備えるとか、保安対策を強めるといった理由で、簡単に増額できるらしい。形骸化しているというほかない。

 高額批判を浴び、舛添氏は経費の検証チームを設けた。それでも「少し経費をけちったためにまともな仕事ができなかったら、何のために行ったか分からない」と言う。節約志向は乏しいようだ。

 最近、世界の権力者や富豪、大企業がタックスヘイブン(租税回避地)を利用して、蓄財している実態が「パナマ文書」で暴露された。違法行為でなくとも、市民は怒り心頭だ。それがなぜなのか舛添氏には理解不能なのだろう。

 加えて、ほぼ毎週末、温泉地として知られる神奈川県湯河原町の別荘まで、公用車で送迎させてもいた。公私混同ぶりが目に余る。

 静養の場は都心に用意するべきだろう。税金の支出を抑えつつ、非常事態にも備える賢明なトップであってほしい。

 “世界一貧しい大統領”と呼ばれたウルグアイのホセ・ムヒカ氏の来日は、さわやかな印象を残した。報酬のほとんどを社会福祉に寄付し、愛車を自ら運転するリーダーだった。失礼ながら人間の厚みは雲泥の差に見えてしまう。