半農半漁、自給自足生活への挑戦
自給自足生活をめざす釣り、家庭菜園、養蜂の話です。
趣味のギターや三線のことも少しづつ。
 






小田原城は北条早雲を祖とする後北条氏の居城として有名です。
二代氏綱、三代氏康、四代氏政が拡張した関東の領土は最大期240万石とも言われてます。

豊臣秀吉による小田原征討は秀吉の天下統一最後の大仕事になりました。
北条氏を滅ぼしたことにより北条氏以東の関東大名、東北大名が秀吉に従順を示したからです。
秀吉は小田原城を兵糧攻めにすると共に、秀吉に帰順していない大名に戦陣に馳せ参じるように命令して秀吉に忠誠を誓うことをさせています。
それは馳せ参じない大名は滅ぼすの意であったとのことです。






北条氏滅亡後、関八州を与えられた徳川家康は江戸に城を築き、小田原城は家臣の大久保氏が守り、のちに箱根の関所を管理する重要な藩として幕末期まで存続します。
秀吉にとって最大の敵は家康であったため、京、大阪から家康を遠ざける必要があったからです。
家康としても配置換えは本位でなく、家康の人生の中で苦難の一時として考えられています。
今日、東京が日本の首都として機能しているのは、秀吉のこの施策があったからなのです。






小田原城天守閣は昭和35年に再建されたコンクリート製ですが、外観は1706年製の雛形に酷似しており、当時の様子をうかがい知ることはできます。
城内は武家社会を知る上での展示品が豊富で見て損は無いと思います。

現在、小田原市では、城の中心部を江戸末期の姿に復元することを計画しており、天守の復興を手始めに(昭和46年)には常盤木門(ときわぎもん)(外観復元)、(平成9年)には銅門(あかがねもん)、(平成21年)には馬出門を復元しました。
幕末期、明治初期の古写真による復元は全国各地で行われているものです。

発掘にもとづいても研究が進み、昨年、大発見といわれる弓が発掘されました。

http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1102150019/


平成18年、日本100名城(23番)に選定され、初期の大阪城より巨大とされた近世の大城郭としてこれからも名を残していくことでしょう。





ゴールデンウィークに訪れた千葉県の佐倉城に続き、2個目のスタンプをゲットしました。
千葉県と神奈川県は100名城の指定が1つづつですので千葉県と神奈川県は終わりです。


コメント ( 0 ) | Trackback (  )