★さちの夢空間

さちの身辺雑記。
ときどき情報の交換も。

新政権になって 

2009-12-09 18:19:23 | 暮らし

有権者の選択で政権が変わって3ヶ月あまり。
新政権はマニフェストに従って次々と新しい施策を打ち出しています。
情報公開も盛んに行われ、ダムなどの公共事業や独立行政法人の実態が
明らかにされつつあります。
それを読むたびに、わたしたちが汗水たらして働き納めた税金が
こんな使われ方をしていたのかと怒髪天をつく思いです。

新しい施策の施行の中で混乱も生まれていますが
今私たちが考えなければならないことを、分かりやすく書いてある社説を
見つけました。



【社説】
政治主導を読み替える 週のはじめに考える

中日新聞 2009年12月6日

 新政権の課題が「変革」なら主権者の課題は「参画」でしょう。投票後も参画を続けることが「政治主導」を「国民主導」にすることにつながります。
政権交代から間もなく三カ月になります。おおかたの有権者の心境は不安と期待の交錯、「不安はあるが変化の兆しもある。日本が変わるかもしれない」といったところでしょうか。

 しかし、期待しておいて「ではよろしく」と新政権から目を離してはいけません。8・30総選挙で民主党に与えた課題の「変革」が実現するか、これからが正念場です。それを監視する権利と責任が国民にはあります。

「国民主権」を根拠に

新政権のキーワードは「政治主導」と「脱官僚依存」です。
 鳩山由紀夫新首相の就任記者会見ではこの言葉が随所にちりばめられていました。「この国を本当の意味で国民主権の国に変えなければならない」「国民のための政治をつくり出していくため、脱官僚依存の政治を実践しなければならない」「政治主導、国民主権、真の意味での地域主権のため、さまざまな試行実験を行っていかなければならない」などといった調子です。

 脱官僚依存の根拠を憲法の基本原理である国民主権に置くのは正しいのですが、政治主導という言葉には警戒も必要です。
 もちろん、政府・与党と官僚のなれ合いを排し、政治家の勉強不足、無責任に乗じた官僚による統治から脱却しなければなりません。政策を決める政治部門とそれを実行する官僚機構との間には適度な緊張関係が求められます。
その半面、官僚依存の背景にある政治家の資質の低さという問題も見逃せません。政治主導は、政治家にしっかりした政策立案能力と確かな統治能力があることが前提です。
 
政治家を見守り注文
 
ところが、新しい政府・与党の政治家たちが次々繰り出す政策、方針の中には議論が十分尽くされていないものや思いつきにすぎないものもあります。政治主導という言葉が独り歩きし、政治家主導と取り違えられている観があるのです。

 政治家は憲法に基づいて主権者である国民から権力を預かっているにすぎません。その行使は国民の意思と憲法の制約を受けます。ですから国民主権下の政治主導とは国民主導ということでなければなりません。そう読み替えると政治や政治家と国民のあるべき関係が明確になります。
 それは、政治家は国民の意思を尊重して政治を行い、国民はその政治家を常に見守り、折に触れ注文をつけるという関係です。

 民主党の打ち出した「議員立法の原則禁止」も国民主権、脱官僚依存との関係で考えると微妙な問題を含んでいます。
 議員立法禁止は、法案の国会提出を内閣へ一本化し、いわゆる族議員などの不当な関与を防ぐのが目的とされます。
 しかし、大事でもあまり注目されない地味な課題の実現は議員立法が頼りです。禁止は、その実現を期待して、投票する候補者を選んだ人の意思を軽視することになりかねません。

 議員立法が活発になれば議員はもっと勉強しなければならず、政策立案能力が高まるでしょう。ほとんどが内閣提案の現在は、ろくに勉強しないでも官僚に助けられながら議員が務まります。「政官もたれ合い」です。
 したがって、議員立法禁止は、脱官僚依存どころか、官僚依存体質の維持につながる危険性もはらんでいます。
 ちなみに米国では政府による法案提出は認められません。

 いまのような変革期にはさまざまな試行錯誤が行われますが、主権者は正解探しに積極的に参画したいものです。誰かが結論を示してくれるのを待つのではなく、主体的に模索し探すのです。

 小泉純一郎元首相の政治パフォーマンスを、日本人の多くが芝居でも見るかのように楽しんだのは数年前、その後の政治の“迷走”にも大きな動きを起こさず、不安や怒りを心に秘めて表面的には静観してきました。気がついたら目の前はがけっぷちでした。
 総選挙でやっと国民の意思が明確に示されたとはいえ、それで主権者としての責任を果たしたといえるでしょうか。

 課題は参画の継続  
 鳩山首相は会見で「ただ一票を投ずればよいという発想ではなくて、政権にものを言ってほしい」と国民に呼び掛けました。

 議論があってこその民主主義です。新政権に変革を求めた有権者自身にとっての課題は、「政治家任せの観客民主主義から参加民主主義への転換」です。



 そういえば数年前に「さらばおまかせ民主主義」というタイトルの本を
眼にしたように思います。
「言うは安く行うは難し」ではあるけれど、自ら動くこと無しには
安心して暮らせる社会の構築は難しいとつくづく思う今日この頃です。