そよかぜから-映画

見てきた映画の記録です
ネタばれあるかも、気をつけて

呪怨 パンデミック(吹き替え)

2007年08月21日 | ホラー


2006年 アメリカ 102分
■原題「THE GRUDGE 2」
2007.8.21 TOHOシネマズ緑井 フリーパス
■監督 清水崇
■出演
   アンバー・タンブリン
     (オーブリー=姉を捜しに日本へ)
   アリエル・ケベル(アリソン=女子校生)
   ジェニファー・ビールス(トリッシュ=継母)
   エディソン・チャン(イーソン=記者)
   宇野実彩子(みゆき=女子高生)
   サラ・ローマー(レイシー)
   サラ・ミシェル・ゲラー(カレン=オーブリーの姉)
   藤貴子(佐伯伽椰子)
   田中碧海(佐伯俊雄)  尾関優哉(佐伯俊雄)
   マシュー・ナイト  テレサ・パルマー  クリストファー・カズンズ  松山鷹志
   ジョアンナ・キャシディ  イヴ・ゴードン  ジェナ・ディーワン  石橋凌
   キム・ミヨリ

 《story》

「ついに始まる、恐怖の爆発感染。」

東京のインターナショナル・スクールに通うアリソンは、クラスメートのみゆきとヴァネッサに連れられ、幽霊屋敷と言われている一軒家に行った。そこは、かつて夫が妻の伽椰子の首を折って殺し、息子の俊雄を風呂に沈めて殺し、飼っていた猫まで殺して自殺するという事件があった家だった。そして、カレンが彼氏に灯油をかけて焼き殺してしまった家でもあった。アリソンは押入に閉じこめられ、伽椰子に襲われ、命からがら逃げ出す。そしてその後、3人の女子高生は、奇怪な現象にあう。
一方、カレンの妹のオーブリーは、姉に会えたものの、直後に飛び降り自殺してしまい、イーソンとともにあの家の真相を探る。
シカゴのアパートも異様な雰囲気に包まれていた。そこに住む小学生のジェイクは隣のフレミング一家の不審な動きが気になっていた。夜中に奇妙な物音がして、ジェイクの一家も一人ずつ取り殺されていった。物音を起こす、フレミング一家の隠れた人物は帰国したアリソンだった。伽椰子たちの怨念は世界に広がった。

 びっくりしただけ
突然大きな音がして突然あの顔が出てきてびっくりした。でもすぐに慣れてしまって、少し眠くなった。パターンが同じだった。伽椰子の生まれた家にたどり着いたのだから、もっとそこに怨念がふくれあがる謎がほしい。母親もあっけなく死んでしまった。伽椰子が怨霊を食べてきた話をもっと深めてほしい。アメリカのシカゴに結びつけなければならないという使命感で、ラストもあっけなかった。
あの後オーブリーはどうなったのだろう。不自然と言えば彼女のお母さん。家庭の病んだ人間関係を出したいところだが何だか中途半端な感じがした。
モンスター化してしまった伽椰子だった。日本的だと、伽椰子もこんなに苦しんだんだという伽椰子自身の憎しみや恨みにもっと焦点を当てるだろうな。少しがっかり。朝8時の上映かもしれないが、400人入る劇場で5人しかいなかった。

 公式サイト「呪怨 パンデミック」


グエムル -漢江の怪物-

2007年08月21日 | SF


2006年 韓国 120分
■原題「THE HOST(怪物)」
2006.9.11 アルパークシネマ1
       2007.8.20 wowow
■監督 ポン・ジュノ
■出演 
   ソン・ガンホ(長男カンドゥ)  
   ピョン・ヒボン(家長ヒボン)  
   パク・ヘイル(次男パク・ナミル)  
   ペ・ドゥナ(長女パク・ナムジュ)  
   コ・アソン(孫娘パク・ヒョンソ)

 《story》

「お父さん、助けて」

ソウルの中心部を流れる漢江。美しい川岸では、人々が余暇を楽しんでいた。しかし、米軍基地から川に投棄された薬品が原因で、突然変異した怪物が出現した。すばやい動きと、判断力で、人々を襲い、飲み込んでいった。
この漢江のほとりで売店を営んでいたパク一家の孫娘が怪物にさらわれた。すでに死んでしまっただろうと思われていたその孫娘から父親の携帯に電話が入る。「助けて」・・・パク一家は立ち上がる。病院を抜け出し、裏の社会から銃をを買い、孫娘の救出に向かう。しかし、軍隊や対策本部の当局者たちが、彼らを阻む。孫娘は救助されるのか。

実はちょっとがっかり、期待はずれだった。もっとリアルな演技がほしい。怪物がリアルなだけに、とぼけた演技や笑いをさそう場面はいらないと思った。私は、あの孫娘がさらわれる場面が好きだ。父親が自分の娘だと思って握っていた手がちがっていた。それはありうる。でも、それをちゃかしてはいけない。置いていかれた娘がよろよろと立ち上がり、怪物の尾で連れ去られてしまう。悲哀感がある。
軍隊がどこにもいない、何もしていないことも、変な感じがした。対策が薬品を撒くことだなんて、巨大な散布機が出てきて違和感があった。もっと軍隊のまじめなおかしな動きや、怪物にしてやられる場面があって、一家の努力で怪物をしとめていけばいのになあと思った。最後の場面も、一家にまかせてしまった。軍隊はどこにいるんだと思ってしまった。私としては、あの孫娘が「助けて」と訴え、その声に向かってみんなが命をかけたのだから、あの娘を死なせてほしくなかった。もったいない映画だと思った。

  2007.8.20 wowow 

 また見てしまった
あの怪物は、確かに見応えはあった。ぬいぐるみや明らかにわかる作り物には見えなかった。特に好きなシーンは、やっぱりヒョンソが怪物にさらわれるところだ。よろよろと立ち上がって、振り向こうとした瞬間、長い尾でからめ連れ去られてしまう。その他にも、父親(ヒョンソの祖父)がやられるシーンも印象深かった。残っているはずの弾がなかったときのなんとも言えない気持ち。よくよく考えれば悔しいだろう。無駄死にだと言える。そのときのカンドゥはどんなことを考えていたのだろう。「しまった。計算間違いだ。自分のために父が死んだ」と後悔しただろうか。弟妹たちは彼を責めただろうか。地下下水溝の中でのどろだらけのヒョンソの演技は一生懸命さが感じられた。知恵を絞って生きようとしている必死さが伝わった。しかし、あの地下溝の怪物にたどり着いたのが、カンドゥだけだとは、なんと警察の未熟なことか。ウイルス探しよりも、怪物探しの方が先だろうと言いたい。やっぱりラストはヒョンソに目を開けてほしかった。怪物を退治した後、死んだと思っていたヒョンソが目を開ける。3人で食事する風景で幕を閉じる。

  公式サイト「グエムル -漢江の怪物-」


河童のクゥと夏休み

2007年08月21日 | アニメ


2007年 日本 138分
2007.8.20 サロンシネマ2
■監督 原恵一  原作 木暮正夫
■出演
   田中直樹(上原保雄=父)
   西田尚美(上原佳里=母)
   なぎら健壱(クゥの父)  
   ゴリ(キジムナー=沖縄の妖怪)
   冨沢風斗(冨澤風斗)
   横川貴大(上原康一)
   松元環季(上原瞳)  植松夏希(菊池紗代子)

  《story》

「なあ、こういち。オメエにあえてよかった。」
「人間の友達ができちまった」


遠い昔、江戸時代、夜更けの川端で、河童の親子が武士の役人に、沼の干拓をやめてくれるよう頼んだ。しかし、悪事をたくらんでいたその武士は、その話を聞かれたとばかりに河童の父親を斬り殺した。子どもの河童が一目散に逃げたとき、大きな地震が起き、割れ目に落ちた。あれから現代。康一は川縁で大きな石を見つけた。家に持ち帰り、水で洗ったら、化石になっていた河童が生き返った。康一の家族はみんな驚いたが、クゥと名付けて秘密に世話をすることにした。クゥは、言葉を話し、すもうを取った。身体が元通りになったクゥは仲間のところに帰りたいと言った。康一は、クゥを連れて遠野に行く。そこにいた座敷わらしは、河童をしばらく見ていないと言う。しばらくして、上原家に河童がいることがばれて、日本中が大騒ぎになる。父の会社の上司に頼まれ、仕方なくテレビ出演する。その番組に出てきたゲストが、河童の腕を持ってきた。それは、クゥの父親の手だった。クゥは驚き、泣き出してしまう。そのとき、照明が割れスタジオが騒然となる。クゥを追いつめるスタッフ、上原家の飼い犬おっさんの背中にまたがり逃げるクゥ。町中がパニックになる。おっさんは車にはねられ、クゥは無我夢中で東京タワーに登る。追いかける上原一家。クゥを助けることができるのか。

 ファンタジーの世界が現実に壊される
「河童が本当にいたらいいなあ」なんて思っている人は多い。もし本当に出会えたらどんなにすばらしいだろうね。座敷わらしにしても、さまざまな妖怪達にしても、いたらいいなあという夢がある。今は昔みたいに「本当にいるかもしれない」なんて信じている人は少ない。でも、心の奥底にそんな不思議な世界への憧れはある。もし出会ったら、その行動は三種類に分かれるかな。康一一家みたいに大切にする人。怖がるばかりで自分の目の前からはじき飛ばす人。そして、お金儲けを考える人。映画の後半はまさしくそんな現実そのものだった。妖怪たちは都会では生きてはいけない。神聖なものとしてあがめてきた時代は、もうない。森や川や畑や田んぼや・・・そんな自然の一部として河童もいたのだと思う。クゥは都会では生きられなかった。当たり前だよね。でもそうであるなら、人間も実は同じじゃないかなと思ってしまう。都会で辛うじて生きている人間も実はアップアップしている。自然がいっぱいの本来あるべき居場所を求めている。
ここにもあったいじめ。人はどうしてあんなにも残酷になれるのかな。「楽隊のうさぎ」では、加害者にも自分を人間として認めてほしいと思う理由があり、人に痛みを押しつけることで自分の痛みを忘れるのだとある。人はそこから脱却することで生きる価値をや生きている歓びは、人とのつながりを実感するのだと思う。だから、紗代子と心がつながった喜びが生きてる実感なのかもしれない。
予告では、なんてグロテスクなキャラなんだと思ったけど、この映画を見ると、ぐーんと親近感が深まった。今、デスクトップの上を歩いている。

 公式サイト「河童のクゥと夏休み」