市ヶ谷にある施設で、前の会社で快気祝いを兼ねた懇親会を開いていただいたので出かけました。
最近江戸名所図会めぐりをしているので市ヶ谷八幡宮に向かってみました。江戸名所図会より
キャプション或人の説に、市谷、昔は市の立ちし地なりゆゑに市買ひに作りたりといふ。しかれども詳らかならず。按ずるに、 鎌倉鶴岡八幡宮に蔵するところの延文三年(1358)十二月廿ニ日の(足利)基氏の古証文に、「鶴岡八幡の雑掌任阿(にんあ)申す。 武蔵国金曾木彦三郎・市谷四郎等のこと、江戸淡路守押領を止む。正和元年(1312)八月十一日の寄進状に任せ、 社家に付きて沙汰せらるべし」と云々。証とすべし。社地に儀台(しばい)・楊弓(ようきゅう)の類ありて、つねに賑はし。 また社前の大路は四谷への往来にて行人(こうじん)絡繹(らくえき)たり。
JR市ヶ谷駅から市ヶ谷橋を渡って行きます。
★ランドマーク市ヶ谷橋:江戸時代、江戸城外郭門の一つ市谷門のあった所です。寛永年間(1624~1644)に始めて架けられた橋といわれています。JR市ヶ谷駅前から新宿区に通じる靖国通りの橋で、交通量の多い橋です。牛込橋・新見附橋と同様に外濠の堰の役割ももっていますから、橋は堰堤とつながっています。現在の橋は、昭和2年(1927)12月11日に架設された、長さ36.4m、幅15.6mのコンクリ-ト橋です。なお、市ヶ谷橋のすぐ東側には古い水道用の橋が今もその姿を残しています。
到着してみると、以前に来ていることを思い出しました。
2014年1月でした。もう石灯籠に火が入っていました。
以前来た時はこの石段を上ったのですが、今回はとても登る気にはなりませんでした。
江戸名所図会にも長い階段が描かれています。名所図会を塗り絵で楽しんでいる人たちがいます。
わたしの彩(いろ)「江戸名所図会」大人を塗り絵より。
前回来た時は、まだ初詣をしている季節でした。
この階段をあがると銅鳥居です。江戸時代の文化元年(一八〇四)の建立。高さ約五メートル。柱の直径約五〇センチ。柱には四百四十二人の寄進者と、その職業が刻まれていて、当時の職業や信仰状態がよくわかります。銅の鳥居は新宿区内で唯一のもの。(お寺さんのHPより)
茅の輪くぐりの茅の輪が飾ってありました。
階段の途中の左手にあるお稲荷さんは
★ランドマーク茶の木稲荷神社:市谷八幡神社の境内、石段左の方中段に御鎮座しております茶木稲荷神社。今をさる一千年余りの昔、弘法大師が初めて御鎭祭申上げたのが当社と伝えられています。この山の地主の神でありまして古来この地を稲荷山【いなりやま】と呼んだのも、そのいわれによるものです。御祭神は保食神【うけもちのかみ】、すなわち稲荷大神です。この大神は、食物衣服のことを司るのが主なる御神徳ですが、その他、家内屋敷の安全を始め、農業、工業、商業の繁昌、諸技藝の上達、交通旅行の安全等を護り、幅広いご利益を持っています。(お寺さんのHPより)
拝殿です。浮世絵にも描かれています。
歌川 広重 市ヶ谷八幡:「太田道灌が江戸城築城の際、鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮を番町に勧請して亀ヶ岡八幡宮として創建したものが、市ヶ谷に移されて改称したもの。境内では物まねや人形浄瑠璃などが行われ、賑わった。」