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ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

河津桜・梅の花と東京スカイツリー

2017年02月15日 23時12分45秒 | 季節の花

梅の花の名所をネット探していたら台東区の隅田公園が載っていたので、リハビリサイクリングを兼ねて訪れてみました。いつものようにスカイツリーの下、北十間川のところを通って隅田川に向かいました。北十間川にかかる東武橋のところに河津桜が咲いていました。

ここからスカイツリーを覘いてみます。北十間川はスカイツリーの南側を流れています。

★ランドマーク北十間川(きたじっけんがわ);隅田川と旧中川と結ぶ総延長3.24kmの一級河川です。江戸時代初期に開削された運河です。横十間川との合流点より西は墨田区内を通り、東は墨田区と江東区の区界となっています。名称は、本所の「北」を流れる、川幅が「10間」の川であることに由来します。以前は大横川の分流点より西を源森川(別名源兵衛堀)、東を北十間川といっていました。

江戸時代、明暦の大火後の本所開発の一環として、源森川は材木輸送のため万治年間に、北十間川は農業用水のため1663年(寛文3年)に開削されたものです。当初両川は繋がっていましたが、隅田川増水時の洪水被害が著しく、1672年(寛文12年)には間に堤が築かれ、分断されました。

1885年(明治18年)に住民の要請で源森川と北十間川が再び接続されました。これにより旧中川と隅田川が最短距離で結ばれることとなり、業平橋駅で鉄道貨物とも連携して下町の物流に重要な役割を果たしたが、戦後舟運は衰退し、重要性が低下しました。1978年(昭和53年)には大横川との分流点に北十間川樋門が設定されて航路が再び東西に分断され、また現在大横川、曳舟川などかつての接続河川は多くが埋め立てられており、水運の役目はほとんど果たされていません。(ウイキペディアを参考にしました)以前は源森川と言われたところです。現在の源森橋の上から撮っています。

源森橋を左折れていくと墨田区側の隅田公園です。公園内の池の所に梅の花が咲いていました。ここを通り抜けて隅田川の堤に出たら菜の花が植えてありました。さらに北上して人道橋の桜橋を渡って台東区側の隅田公園に向かいました。

梅園は待乳山の向かい少年野球場のところにありました。梅園越しに台東区側から見たスカイツリーです。

こちらは北十間川の亀戸梅屋敷跡からのスカイツリーです。

これは小村井梅園からのスカイツリーです。百花園の梅園からのスカイツリー旧中川堤の河津桜とスカイツリー

旧中川と北十間川はここで合流しています。手前が旧中川左奥が北十間川です.

蔵前橋通りの江東新橋の下で撮りました。

奥に見える江東新橋のところで合流しています。

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