ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

祥雲寺(広尾)

2013年05月15日 23時17分59秒 | 社寺仏閣

広尾に訪問でした。近くに祥雲寺というお寺があるということで行ってみました。

2016年4月から有料にして、ブログの写真容量を増やしました。写真や江戸名所図会、古地図などを加えました。(2016年7月)
本堂

鐘楼です。

★ランドマーク祥雲寺祥雲寺は臨済宗のお寺です。江戸時代を通じて臨済宗大徳寺派の触頭で、かつ「独札」(登城し将軍に単独謁見でき、乗輿も許される)の格式を誇っていたそうです。
 祥雲寺は、福岡藩2代藩主の黒田忠之が、父の黒田長政の冥福を祈るために創建しました。
 黒田長政は大徳寺の龍岳宗劉和尚を崇敬していたため、龍岳を招いて開山として、赤坂溜池の屋敷に建立し、 長政の法名・興雲をとって龍谷山興雲寺といったのがはじまりです。
 寛永6年(1629)、市兵衛町いまの麻布台に移り、瑞泉山祥雲寺といいましたが、寛永8年(1631)火災に遭い現在地に移りました。
  こうした創建の経緯から、祥雲寺は黒田家の菩提寺となっていて、黒田長政のお墓は渋谷区の史跡に指定されています。
黒田長政の墓

墓の入り口

墓をもっとも高いところから見ました。


鼠塚というのがありました。

石碑は、明治32年(1899)から数年間ペストが流行したとき、予防のために殺された鼠の霊を供養して明治35年(1902)に建てられた珍しい動物慰霊碑だそうです。

まんじゅう型の傘はこちらでしょうか。

こちらは祥雲寺の手前にある(境内にある)香林禅院です。香林院は寛文五年(1665)三河奥藩主松平真次の菩提を弔うため、松平(大給)乗次を開基 絶山宗信和尚を開山として建立されました。初め麻布小山にありましたが、江戸の大火により寛文五年(1668)現在地に移りました。
建築物では、本堂、院門が文政八年(1825)のものであり、江戸時代の貴重な文化遺産となっています。
 ここから、裏千家へ養子として出られた玄々斉宗室家元(近代茶道復興の祖)や永井玄蕃(日本海軍創設、勝海舟などの師)などがいます。
こんなものがありました。
香林院ペット供養霊廟です。

香林院の活動としてペットの供養、霊廟をやっているそうです。

祥雲寺は広い敷地を持っています。

古地図にもその広さがわかります。

メトロ広尾駅が途中にありますが、向かい側の南部美濃屋敷は現在有栖川宮記念公園になっています。

こちらは江戸名所図会に書かれている祥雲寺です。

江戸名所図会 大人の塗り絵より 奥に見える里山が今の有栖川宮記念公園になっているところのようです。

帰りがけに山門のところに出たら東京タワーが見えました。

残念ながら写真ではよく見えません。


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