ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

ふるさとの山

2014年01月04日 21時21分32秒 | 身辺出来事

1月1日2日とふるさと実家に帰りました。埼玉県の北西部の本庄の田舎です。

ふるさとの山に向ひて言ふことなし

石川啄木

足元に咲いている菜の花です。

ここの道、四つ角のところは60年前は、道祖神、どんどん焼きが行われたところでした。砂利道で狭かったのですが、舗装されで広がりました。

道祖神、どんどん焼き:ウイキペディアによると、1月14日の夜または1月15日の朝に、刈り取り跡の残る田などに長い竹を3、4本組んで立て、そこにその年飾った門松や注連飾り、書き初めで書いた物を持ち寄って焼く。その火で焼いた餅(三色団子の場合もある)を食べる、また、注連飾りなどの灰を持ち帰り自宅の周囲にまくとその年の病を除くと言われている。また、書き初めを焼いた時に炎が高く上がると字が上達すると言われている。道祖神の祭りとされる地域が多い。民俗学的な見地からは、門松や注連飾りによって出迎えた歳神を、それらを焼くことによって炎と共に見送る意味があるとされる。お盆にも火を燃やす習俗があるが、こちらは先祖の霊を迎えたり、そののち送り出す民間習俗が仏教と混合したものと考えられている。

と書かれていました。

私の子どものころは1月14日の朝に、子どもたちが村の家々から、飾った門松や注連飾りを集めてきて、この場所に積み立てて燃やしました。引き取る時にいくらかのお金をいただき、そのお金で、村の1軒にお願いして、子どもたち全員が集まって1泊だけの集団生活をしました。焼くのは餅でなく団子(繭玉)でした。養蚕は唯一のといえる現金の入るものでした。その繁栄を願って繭玉を作り家に飾りました。燃え残りの木を屋根に揚げると火事が防げるとの言い伝えがありましたが、燃え残りを揚げるので藁ぶき屋根で火事になるということで、禁止されました。昔は丘の下の小川という感じで、湧水のところにはサワガニなどがいましたが、今は掘割のように整備されて、魚もあまりいません。

こちらが実家です。40年ほど前に藁ぶきから瓦屋根の家に新築されました。

庭の植木です。

こちらが、いつも泊めていただく、実家のすぐ近くの姉の家です。

姉の家はお子さんがいないので、犬とネコさんがいます。ミーとパグ君です。

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