ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

気象神社(高円寺氷川神社)、高円寺、宗泰院、松応寺、西照寺

2013年05月13日 21時05分35秒 | 社寺仏閣

新高円寺が訪問地でした。高円寺に由来する宿鳳山高円寺に立ち寄ってみたいと思い、JRの高円寺駅の南口を降りました。左手に行くとすぐに寺が見えました。これは氷川神社でした。
★ランドマーク氷川神社:江戸名所図会によれば、その昔、源頼朝奥州征伐の時武蔵国杉並の地に至り給わり際隨兵の中に当高円寺村にとどまり、終に農民となる者あり。
一説によれば村田兵部某云々ともいわれ(因みに村田性は高円寺の旧家なり)その時武蔵野国大宮高鼻の本社よりの御神意の使者が同氏につたえ、この高円寺村の位置高く採松杉稠茂し遠く水田をを望みて風致絶佳とされる当地に社殿を建立したのが起源といわれています。従って農業の神とされています。

氷川神社の境内社、気象神社です。

★ランドマーク気象神社:寺のHPより、第三気象聯隊戦友会・気象関係戦友会有志が立てた説明版「気象神社由緒」によると、この気象神社の祭神は八意思兼命(やごころおおもいかねのみこと)(知恵の神)。陸軍気象勤務の統括・教育機関として旧馬橋4丁目(現・高円寺北4丁目)に創設された陸軍気象部の構内に、昭和19(1944)年4月10日に造営。戦後の神道指令で除去されるはずが、連合軍宗教調査局の調査漏れで残ったため、当局に申請して払い受け、昭和23(1948)年9月18日の氷川神社例大祭の際に遷座祭を行ったという。気象神社の例祭は、気象記念日の6月1日となっています。
私も知りませんでしたが、日本で唯一の気象の神様として気象予報士を目指す受験生など一部では存在が知られ、合格祈願や快晴祈願などで参拝されているそうです。
ようやく高円寺に着きました。

★ランドマーク高円寺:高円寺は、由緒によると、弘治元年(1555年)、中野成願寺三世建室宗正により開山された。将軍徳川家光が鷹狩りの際、雨宿りのために当寺に立ち寄り、時の住職が家光を将軍としてではなく一般の雨宿りの客として、さりげなくもてなしたことが気に入られ、家光は鷹狩りの度に当寺に立ち寄るようになったことで、当寺は広く知られるようになった。これが何年も続いたことで、家光は世話のお礼に宇治から茶の木を取り寄せ、自ら手植えをしたとされ、この「お手植えの茶の木」は今も境内に見ることができ、またこのような徳川家ゆかりの寺であることから「三つ葉葵の紋」を所々で見ることができる。
それまで当地は小沢村と呼ばれていたが、徳川家光が当寺の名から高円寺村と改称したとされ、それが現在の「高円寺」という地名に至っている。ということです。

高円寺境内

新高円寺の訪問地までの間にいくつかの寺がありました。
宗泰院です。

曹洞宗寺院の永昌山宗泰院で、天正12年(1584)嘯山春虎和尚が麹町表四番町(現千代田区四番町)草庵を結んで始まり、文禄2年(1593)に小田原万松院の格峰泰逸和尚を勧請して開山し、明治42年当地へ移転しています。

萬壽山松応寺です。松応寺は、明暦2年(1656)、浅草森下町に開創
大正7年区画整理のため現在地に移転。
こちらは、西照寺です。普明山と号する曹洞宗の寺院で、本尊は釈迦如来坐像で、寺伝によれば、日比谷村(現千代田区内幸町)の漁夫が海中より拾いあげた阿弥陀如来を安置した御堂を天正二年(1574)開山分竜和尚が一寺としたのが開創と伝えられています。
午後は気温も上がり、寺巡りで汗だくになってしまい、木陰で少し冷やしてから目的地を訪問しました。






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