ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

藤沢遊行寺

2013年07月01日 23時23分41秒 | 訪問地周辺

藤沢市の施設を訪問しました。昔は藤沢宿として栄えていたようです。昔の東海道五十三次の藤沢橋、向こうの山は遊行寺です。こちらは今の橋です。
遊行寺へは、駅から遊行通りで行きます。正門本堂です。遊行寺の由緒です。
宗祖の一遍上人像600年と言われる大銀杏境内にはいろいろなアジサイが咲いていました。
寺の片隅に動物慰霊碑があり、昨日6月30日は納めの日だったようです。
正門を出たところに広小路の説明書きがありました。広小路とは、江戸時代以降に火災の広がりを食い止めるために設置が推進された火除地のことをいうそうです。最も有名な広小路としては「上野広小路」が思い浮かぶが、この上野広小路、そして名古屋の広小路と並ぶ三大広小路の一つと言われた広小路が、時宗総本山遊行寺の前に置かれていたということです。これが「藤沢広小路」です。
江戸(東京)方面から遊行寺の坂を下ってくる道(旧東海道)は、今は藤沢橋を渡って直進できるが、昔はこの橋は架けられておらず、藤沢橋の手前で右折→左折→右折して、現在の国道467号(旧藤沢宿エリア)に出て西へと向かっていた。この遊行寺門前にある「右折→左折→右折」の部分が「藤沢広小路」。「右折→左折→右折」、つまりクランクの形状をした広小路は当時珍しく、看板には三曲がりとして有名だったと書いてあります。
一般的に江戸三大広小路とは両国広小路(現在の中央区東日本橋に設けられた広小路)下谷広小路=上野広小路(現在の台東区上野に設けられた広小路)浅草広小路(現在の台東区浅草に設けられた広小路)をいうようです。遊行寺への通りの途中にノウゼンカズラが満開でした。

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